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迷歩録   きまま

2017-06-28 11:15:36 | 日記
  <strong>若葉雨  激しく叩く  目覚めかな  暗闇の中  音や広がる


                                          ひのひら  ろくべえ




   我儘とか、勝手気まま、気ままかって、気まま放題、我が身勝手などと言う言葉がよく使われる。特に対人援助の場で

  援助者の思い通りにならない人は、我儘な人、身勝手な人、「きまま」な人などとレッテルを貼られる傾向にある。それ

  も多くの人がそのように思っているのではなく、チームの中のリーダー的存在や、人間関係力動が強い人が言い始めると、

  その他の人も、そのことに引っ張られる形で、気ままな人などと言って、事をすまそうとする傾向になる。そうすること

  で、気ままな人だから、行き届いたケアはできないという事の言い訳になってしまう。

   レベルの高いチームならば、そのことに気づき、レッテル貼をやめてケアの本質を問う事ができるのだが、レベルの低

  いチームは気づくこともなく、すべて気ままな相手が悪いとしてケア技術を磨かないだけでなく、さらに相手が悪いとい

  う結論を見出し、自分たちの至らなさを棚に上げてしまう傾向にある。

   「きまま」とは、本人が未熟が故に気づかない場合と、本人が知ってそうしてる場合とある。そのどちらかであること

  をまずは見抜くというか、知ることが大切であろう。本人が未熟で気がついていない場合は、丁寧にかかわり方とコント

  ロールの仕方を学べるようにするしか他ならない。我慢と欲望の関係である。しかし意図してやってる場合、本人は気づ

  いているのだから、その理由を訊き、話し合うしかないのである。そのことをサボタージュして、相手が気ままだから何

  もできない、しないでは、対人援助としては不合格ではないだろうか。

   「きまま」という言葉を使って相手を規定してケアをサボタージュすることこそ、罪重きことであることを自覚してほ

  しいものである。相手を悪く言うという事は、自分は未熟だと言ってることと同等なのである。身勝手、我儘、「きまま」、

  などの評価をする時は、自分たちの未熟な技術隠しでもあることを心得ておくことが大事である。

   対人援助の場で、どうにもならないケースや、どうにもならないコミュニケーション場面が存在するだろうが、その時

  こそ、学び飛躍できるチャンスと考えることが技術の向上につながるのではないだろうか。すべて相手のせいにしてしまい、

  相手にネガティブなレッテルをつけることが対人援助ではないことを理解してほしいものである。
  
  「きまま」という言葉をキーワードにして、ケアサボタージュに至らないことが大切な事、相手を「きまま」と言ってる自

  分が「きまま」であることに気づくことが大切なのではないだろうか。