高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

雪崩の経験

2024-03-08 12:17:15 | 日記

北海道で雪崩事故が相次ぎました。 利尻島ではスキーでバックカントリーをしていたパーティでした。つまり山スキーです。

私も利尻登山で雪崩にあったことがあります。 あれは三月だったかな。コースは鴛泊コースの往復だっただろうか。登頂したのだったかな。 登頂手前の長官山付近で宿泊して撤退する時で、登頂はしなかったかもしれない(記憶曖昧)

積雪期で日帰りが無理なので、稜線上で1泊する行程計画だった。森林限界は低く、尾根は細いので雪洞を作ることもできないので、尾根筋にテントを張るしかない。設営した夕刻は曇り空ながらも穏やかであった。

当時の天気予測は、ラジオの気象通報で日本付近の気圧と風向風速を聞き取り、(北緯○〇度、東経〇〇度、気温〇〇度、〇〇(南南東)の風、気圧●●●●Hp(当時はmmbrだったな)風力3)と放送されるのを白地図に落とし込み、等圧点を結んで気圧線を作っ天気図を自ら書くということをしていました。 天気図作りは私の役割であった。 列島の西には低気圧はあるものの北の孤島までは影響はないものと予想される天気図が書きあげられた。

しかし、その深夜から猛烈な風が吹き始めた。テントの中で寝てはいられない。(たぶん5人パーティであった)起き上がり背中で支柱や天幕を抑えて吹き飛ばされないように抑えた。 が・・、遂にテントが裂けてきた!! これでは持ちこたえられないと判断し、風雪のなかを撤退下山する決断をした。

風は尾根の左から吹いていた。全員がロープで繋がり慎重に一歩一歩下山を始めた。風を避けたいがため、尾根の右斜面にルートを取りがちとなった。 私の前にいた先輩が風圧で雪面からフワッと浮き上がり「ピッケルが刺さらない!!」と叫んでバタバタした。 まるで凧揚げを始めたようだった。

そして、尾根影の大斜面に到達し、やっと風を避けられ、弱まった。しかし、そこは沢筋の源頭部でもあった。積雪冬山登山として沢筋を下るのは危険極まりないことである。しかし、尾根は猛風雪。下へと下山ルートを探るしかない。

ロープを延ばし、トップがひとり偵察に先に下り始めた。 その直後である、私の後ろにいた仲間が 「雪崩だあ!!」と叫んだ。 雪崩とは映像で見るように大波のごとく押し寄せて来るものだと漠然とイメージしていたので、思わず上後方を振り返った。

が・・、違った。

足元を含めた斜面全体が動いた。掬われるように足元から雪面と共に滑り始めた。体を支えるために斜面の傾斜により左手に持っていたピッケルにロープが絡まっているのか、身体はそれに引っ張られて左に頭を下方向に肩から埋没しながら滑落していった。右手て必死に身体を覆う雪を掻きながら雪崩と共にスピードを増していった。上空に走馬灯のように樹木が行き過ぎる。

もう、駄目かぁ!と思った時に身体が雪の中から浮き上がって来た。そして、空中を吹っ飛んで雪の中に胸のあたりまで刺さって止まった。必死に埋まった下半身を両手で掘り起こした。その時、再び雪が流れて来る音が情報で聞こえてきた。 私は、もう一度雪に乗ってやろうと身構えたのだが、それは私の後ろにいた先輩が同じように飛んできて、私のすぐ隣に突き刺さった。

同じ様な場所に(たしか)4名が同様に止まり無事を確認できたが、ロープは下方に延びていて、トップ先行していた仲間がいない!! バタバタと下降を始めるとしたから、「だいじょうぶかあ」と仲間が登り返してきた。 なんとか全員が無事であった。全員が合流して沢筋から逃げるように側岸をよじ登り、樹林帯のわずかな平地に集合し、天幕を被って一息ついた。 (ここまでは鮮明に覚えているのですが、その後どうやって下山をしたのかは覚えていない)

あとで地形図を見比べて分かったのだが、沢筋を1km以上、標高にして500mは流されたのであった。 沢筋は大きく右へ屈折しており、その中を流れていた異物の私達は遠心力で外側に浮き上がり、さらにその先にあった滝地形で空中に飛び出したのだった。

なにわともあれ、あのときは地形による偶然奇跡でひとりのケガ人もださずに生還できたのでした。

つまり、私の天気図が間違っていたのだ。

 

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