浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」~心の扉~

2018-12-26 01:21:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:過信は身を亡ぼす


おはようございます。
長尾弘です。
自信と言う言葉があります。
誰もが自信を持ちたいと
思っております。

自分がいるから、自分がするから、
自分があってこその世の中、
こんなふうに思いがちです。
そしてそう思う人はみんな
苦しんでいます。

不思議なようですが、
自信のある人ほど、苦しむのです。
例えば、詩人の石川啄木は、
小さい頃から天才と言われ、
自信の塊のような人でした。

なのに仕事はない、生活は苦しい、
友人もできない、と、
苦しいことばかりでした。

自分にはこんなに才能があるのに、
何故、世の中は認めないのか、
何故、うまくいかないのか、
そう思い続けて苦しんでいたようです。

そんな石川啄木も時には
振り返ることがあったようです。
友が皆、我より偉くみえし時、
花を買い来て妻と楽しむ。
自分が偉いのでも、何でもない、
誰もが尊いのだと、
気付くことがあったのでしょう。


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「御垂訓」

2018-12-26 00:19:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 九

 「光の天使すなわち諸如来諸菩薩様のことなり」

先の続き・・・

そのようにして魂はだんだんと神仏と表裏一体に
のぼっていきます。
しかし、現実において、光の天使様を、肉の目で
見ました時に、光り輝いているかのといいますと、
別にそれは見ることはできません。
その方の魂が光り輝いているのであって、
肉体が光り輝いているわけではありません。

高橋信次先生はご講演の時に、
頭の毛の少なくなってピカピカ光っている方に、
「あなた、頭だけ光るのと違うのですよ。
魂を光らせなくては駄目ですよ」と、
よくおっしゃいました。
すると、頭の光っている方は、ちょこっと頭を
引っ込められて、
見えないように隠されたものです。

唱歌「ふるさと」の歌詞の「志を果たす」という
「志」の中には、魂を高めることも含まれています。
自らの魂を幽界から霊界へと高め、さらに霊界から
神界へ、そしてまたさらに上へと高めていくために、
この地上に命を頂いております。

よく蛍光灯の光で説明させてもらいますが、
十ワットの方、或いは何万ワットの方というように、
光は魂の段階としてたくさんありますが、如来、
菩薩といわれる方はもう眩しくて、私たちはその魂を
拝むことはできません。

しかし、そういう魂を持つ方が肉体の中に入られると、
どんなに高い段階のお方でも、
私たちと同じ肉体にお入りになりますから、
その姿を拝むことができるのです。
この光の天使を、キリスト教ではイエス様、
聖霊様という言葉で呼んでおります。
仏教では諸如来、諸菩薩様と言っておりますね。


  ~ 感謝・合掌 ~


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