浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2023-01-31 00:03:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
     恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 三

         教えに縁ある私たちは生きた仏になろう
先の続き・・・

この自由が無かったら、ほんとうの法は伝えられません。
経済的に人から恵んでもらわなくては生きられないようなことでは、
法を伝えることはできません。
調和された経済力が大事ですね。
「今生この世の出られた光の天使は、宗教などで、食を得ているような者は
一人もありません」と、高橋信次先生はよくおっしゃいました。
自分の生活ぐらい自分で何とかできる、その余った時間で人を救います。
私も、幸い神様から与えられ、どこへ行かせてもらっても、一銭も求めません。
要りません。

自分の電車賃ぐらいは自分でできます。
お話は皆さんに聞いていただいているのです。
こんな至らない私の話を大勢の皆さんが聞いて下さるという、
こんな幸せなことはありません。
講演料、そんなものはとんでもありません。
何も要りません。

ほしいのは、皆さんが救われてほしい、幸せになってほしい、
健康になってほしいことです。
ただそれだけで飛び回っております。
又それだけでいいと思っております。
地位も名誉も財産も何も要りません。
「よかったですね、御縁があってよかったですね」
この喜びこそ無上の喜びです。
長い時間、お付き合いして下さいまして、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました(拍手)。


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「御垂訓」

2023-01-29 23:57:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 三

         教えに縁ある私たちは生きた仏になろう

常に心がけるべきは、神の御心をわが心に頂いて、
それをこの肉体をもって
あらわして行く実践です。
神の御心を私たちが現わしたらいいのです。
いつもお話させていただきますが、この教えに御縁のあった皆様方は、
救われたい側から救いたい側に立っていただかなくてはいけません。
一人でも多くの方を救う側、仏の側に、自らの心を高めることです。
菩薩はすべてを生かそうとされます。

ありとあらゆるものを生かそうとされる菩薩の側に、
自らの心を立たせてもらうことですね。
私たちは、仏になることはなかなかできません。
「われ、仏になれずとも、生きとし生けるものをみな、
残らず救い助けんと、祈る心ぞ仏なる」。
すべてのものを生かそうと祈り行う心こそ、生きた仏です。
悟った仏、そんな仏とは違うのですね。

日々の生活で、行いを通して私たちは仏になることができます。
このような仏に、お互いになっていきたいと思います。
そして、縁なき方々、苦しい方々に、
一人でも多くの方に愛の実践をさせてもらい、
「このように思いを変えたら、こんなに楽になります、
私も苦しんでおりましたけど、
このように心を変えた時、安らぎを頂きました」と言って、
お伝えさせてもらったらいいのですね。
それには組織も何も要りません。
私は死ぬまで組織は持たないということを誓いました。
全くフリーです。


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「御垂訓」

2023-01-29 00:14:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三

          神に背いてもなお許される

或る宗教では、「神の御名において許しません。
自己顕示欲は神の名において
許しません」と、言っています。
しかし、神とは無限の許しです
どれほど私たちが神様に背いても、
「目覚めなさい、自らに目覚めなさい、
そして幸せになりなさい」という思いだけが神のみ心です。

その無限の許しの神の御名を使って
「許しません」という面白い宗教があるのですね。
その証拠に自殺という、神の御心に最も背いた者にさえ、
神は目覚めなさい、
どうぞ救われなさいと言って、愛を垂れ給います。
イエスは、今自分を突き殺そうとしている者、
今自分の命を奪おうとしている
者をさえ、許してあげてほしいと祈られました。
人間の持つ窮極の愛を、身をもって表されました。
ある所で、「イエスはその時、
『ああ、神は私を見捨てられた』と言って、
死んだというのは本当ですか」という質問を受けたのです。
そんなことは絶対ありません。

もし、イエスがそう言って亡くなられたのなら、
今のキリスト教は存在しません。
ただの人ですから、この話をさせてもらいましたら、
ある方が突然泣き出されました。
「あなたもその時、見ましたね」と言いますと、
「この目で、私は確かに見ました」とおっしゃいました。
だから、窮極の愛とは自分の命を奪おうとしている者にさえ、
その者への罪が許されるように、罰があたらないようにと、
幸せを祈る愛のことですね。
私たちも、その万分の一でも日々の生活の中で、
その行いを真似させてほしい、
実践させてもらいたいと思います。


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「御垂訓」

2023-01-28 00:31:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三

        法の力により、九十年間の罪が許される
 
「もう言っても駄目でしょう。そういう生活をしておりますと、
いよいよあの世に帰らねばならない時、
必ずそれ相応の苦しみを与えられるはずだから、
その時に何とかしましょう」と言って、それから一年、二年と経って、
そのお母さんにいよいよその時が来ました。
病院に入院されたのですが、
その七転八倒の苦しみを息子さんが見るに堪えない状態になって、
私のところに見えましたから、
「お話会のテープを聞かせて上げて下さい」と言いますと、
「テープを聞くような状態ではありません」
とおっしゃるのです。

「聞いても聞かなくてもかまいませんから、
耳もとで鳴らしてあげて下さい」
と言うと、何巻か持っていかれました。
テープをかけて一時間ぐらいしますと、
その苦しみが突然とれて、
そのおばあちゃんが「己が悪かったんじゃ、
己が悪かったんじゃ」と言って、泣き出されました。
そこへたまたま本宅の兄さん夫婦が見舞いに来て、
部屋に入るなりその声を聞いて、
「ほんとうにこのクソ婆は死ぬ時になっても
まだおまえが悪いと言っている」と言って、
夫婦で顔を見合わせたそうです。

しかし弟さんが「いや兄さん、違うんや。
自分が悪かったと言って泣き出したんや。
神様、かんにんしてくれなはれと言って泣き出したんや」
と言うのを聞いて、
お兄さん夫婦もそれは良かったと喜びまして、
それから三日間全く痛みも苦しみもなしに、
四日目に極楽往生されたそうです。

そのおばあちゃんの皺だらけの顔が、
皺一本もないツルツルの顔になったということです。
法とはそのような力を目のあたりに見せていただけます。
自分の過ちに目覚めて、心の底から
「神様、許して下さい。私はとんでもない
一生を送りました。取返しはできませんけど、
どうぞ私の罪を許して下さい」
と泣いて泣いて詫びられたら、神の許しを戴けます。
安らかなお顔で、皺がなくなったのはその証しです。


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「御垂訓」

2023-01-27 01:09:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
     恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三

        法の力により、九十年間の罪が許される

先ほども話ましたように、亡くなって三日間も身体が温かくて綺麗な顔、
ということもあります。
九十何歳のおばあちゃんの皺が全部消えたといいます。
しかも、そのおばあちゃんは九十年間、過ちの人生を送られたのです。
その息子さんは「こんなことを話すのは恥ずかしいのですけど、
私の母は絶対に極楽へ行くことはできません。
何とか母を救うて下さい」と、相談に見えました。
しかし、九十何歳になったおばあちゃんが、九十年間持ってきた性格を、
私のような者が言っても聞いて改めてくれるはずがありません。


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「御垂訓」

2023-01-26 00:02:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三

        法の力により、九十年間の罪が許される

これは血液循環で温度を保つことによって、乳酸が柔らかく動いており、
血液の循環が止まりますと、忽ちに乳酸が凝固してきます。
それが死後硬直の姿です。
法医学上では、殺人事件がありますと、まず法医学の専門家が来まして、
触ってみてその硬直の具合を見ます。
顎のあたりから硬直が始まって、ずっと全身に広がっていきます。
その状態によって、これは何時間前の犯行と判断するのですね。
しかし、心というものは物質を超えているのです。


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「御垂訓」

2023-01-25 00:11:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
  恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 三

        法の力により、九十年間の罪が許される

それによって、地獄の底から即、極楽の世界へあがることができるのです。
死ねば肉体が無くなる、この世から無くなる、燃やされたら恐いなと思う、
しかし、そんなことは関係ありません。
もし肉体に思いを残しておりますと、心はその肉体から抜けることはできません。
そうすると、死後硬直が起きます。
科学的医学的に言いますと、私たちの細胞の間にある乳酸というものによって、
私たちの身体は動くようになっているそうですね。


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「御垂訓」

2023-01-24 00:07:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三

        法の力により、九十年間の罪が許される
  
今日お越しいただいておりますが、
その方は横浜でのテープをずっと聞いて
いただいて、完全に健康になっていただけました。
極度のノイローゼで家庭崩壊の寸前でした。
言葉によって、
人々の苦しみが消されていく場合があります。
なぜ消されるのかと言いますと、
今まで西に向けていた心を東に向けるだけの
ことです。


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「御垂訓」

2023-01-23 00:36:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三

        人々の喜びが無限のエネルギー

先の続き・・・

「死なないで下さい。先生が死んだら、私は何日も泣き続けます」と、
Fさんのおばあちゃんはおっしゃいます。
私は人さまの喜びの為だったら、命を捨てても何の悔いもありません。
それが喜びとなって与えられます。
無限のエネルギーです。

なぜ、こんなパワーが頂けるのか、光が頂けるのか、
―――それは、させていただくことによって、人々の喜びが光となって
注がれるからです。
何歳まで命をもたせていただくかは、神様のみ手にありますが、
しかし命ある限り、人さまのお役に立たせていただくように、
自分の身体の動く限り、走り回らせていただきたいと思っております。
そして少しでも心に安らぎと、幸せな心をつかんでいただけたらと思います。
このお話によって、ほんとうに死の恐怖から解脱することもできます。


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「御垂訓」

2023-01-22 00:12:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三

        人々の喜びが無限のエネルギー

先の続き・・・

人さまに喜んでいただけますと、
その喜びは天にかえります。
その方その方の心の奥底に、
喜びはしみわたります。
外に向けますと、天ですね。
その喜びは光ですから、
神の意識に届きます。
そして、喜びを与えた者に注いでいただきます。
その喜びによって生きさせてもらい、
その喜びによってエネルギーを戴きます。

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「御垂訓」

2023-01-21 00:03:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三

        人々の喜びが無限のエネルギー

どこへ行かせてもらいましても、初めての所ではお茶一杯、
タバコ一服吸わせてもらう時間もいただけません。
しかし、又不思議なことに全く疲れることはないのです。
いくら大勢の方に会わせていただいても疲れません。
皆さの喜びによって却って元気が出てきます。
これは正に、見えない世界からのご協力を戴いているのだと思います。
しかし、全然水一滴要りません。
初めから最後まで同じように声が出ているそうです。
場所によると、ご飯もいただきません。
ずっと喋りっぱなしの時もあります。
自分でも、なぜか分からないのですが、そのようにできるのです。


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「御垂訓」

2023-01-20 00:01:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


        講演集、 三

   人々の喜びが無限のエネルギー

せめてその時間だけでも、神の子に成りたいと思って、
神の御心通りに自分が行い、
そのように生活しております。
求める心があれば、もし頂けない場合は、腹も立ちます。
たださせていただく気持ちでやれば、
もともと頂かない気ですから、
どこへ行っても心安らかです。

癒しの方が何十人、何百人おられても構いません。
私の体が潰れるまでご奉公します。
この間、東京に招いていただきました。
まあ、たくさんのお方にいっぱい取り巻いていただきまして、
汗だくになり、
もう帰らせていただく時間ギリギリまでお話をしました。
手で書いているズボンを穿かせてもらい、
シャツを頭からかぶせてもらい、
走って飛び出したのです。



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「御垂訓」

2023-01-18 23:52:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三

        人々の喜びが無限のエネルギー

精いっぱいこの命を燃え上がらせて、
その結果として一人でも多くの方から
「会えて良かった」と、
喜んでいただけたら、
私の使命を果たしたことになります。

法には命をかけて実践させていただいております。
命などは要りません。
だから、無限のエネルギーが与えられます。
こんなことが人間としてできるのかというようなことを
平気でやらせていただきますね。
お招きいただきますと、どこへでも飛んでいきます。
その時は、ただご奉公、一切の報酬は求めません。


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「御垂訓」

2023-01-18 00:41:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三

        人々の喜びが無限のエネルギー

私は常に全国を飛び回っております。
先週は山口県で、
小郡と山口市と日本海側の
長門市を回らせてもらいました。
休ませていただくのは、
たいがい夜中の二時前後ですね。

その前の週は徳島で、
夜中の三時半ぐらいまで
お話させてもらってから五時に
起きて、こちらに送ってもらい、
河内の国分に行かせてもらいました。
夜はMさんのお宅へ寄せてもらい、
帰宅したのはもう十時を過ぎていましたね。

私は自分の身を、
自分の生命を燃え上がらせております。
燃え尽きてしまいたいと思っております。
燃え尽きたら、
あの世に帰らせてもらえばいいのですね。

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「御垂訓」

2023-01-17 00:34:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三

         聖書に説かれた深い意味

先の続き・・・

自分を燃え上がらせ、自分が犠牲となって、
その子の為に尽くそうとする
母の心がそのまま神の心です。
「山より高き父の恩、海より深き母の恩、
いつしか頭(こうべ)の霜白く、
衰えませる父母に、子は如何にして報ゆべき、
幼な子一人育つれば花の
顔(かんばせ)色あせて、いつしか頭の霜白く」と、
「父母恩重経」にありますように、
ほんとうに子供一人育ていただくのに、
お母さんはどんなに苦労されるか分かりません。
その無償の愛こそ、
神様の心と思わせてもらって間違いありません。


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