浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2022-08-31 23:56:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二

          「仕事」の本来の意義

自分の勝手なことに使う為に仕事をするのは間違いで、
儲けるのが仕事のほんとうの意義ではないのです。
ご恩返しの為に仕事をするのです。
米一つ取ってみましても、
お米は私たちにとって欠くことのできない大事なものです。
このお米は八十八と書きます。

苗代を作り、籾を播き、田圃を耕し、苗取りをして
田植えをし、というように八十八回手間がかかるので、
「米」を八十八と書くのだそうです。
それだけお百姓さんが汗水流して作ったお米を、
私たちはいただいているのです。
私たちもせめて一滴の汗でも流してご恩返しをしなくては、
生きさせてもらっている価値がありません。
このご恩返しが仕事の意義ですし、
私たちは報恩の行為として仕事をさせてもらうことが大事です。


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「御垂訓」

2022-08-31 00:01:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二

          「仕事」の本来の意義

人々の為にと言えば語弊があります。
漢字で「為」と書き、人の為と書くと「偽」となってしまいますから、
人の為ではない、我が為だと思って、人の為に尽くすことです。
尽くさせていただくのですね。
これは全部自分に返るのですから。
今、この方の為と思ってします。
その方が喜んでくれたら、その方から自分のほうに喜びが返ってきます。
家庭の中では夫婦の間、親子の間で、
或いは親しい方たちの間で尽くさせていただくのです。

「そんなに人の為ばかりを言っていたら、
このせちがらい世の中に取り残されて死んでしまいますよ」と
言って笑う人がありますが、
しかしそんなことはありません。
仕事一つするにしても、「しっかり儲けて家を建てなくてはいけない」
「しっかり儲けてどこそこへ行かなくては」「車を買わなくては」と、
目的をいっぱい持っていますが、仕事の本当の意味は、
私たちが与えていただいた家であれ、

着る物であれ、頂く食べ物であれ、
すべては人さまの働いて下さった労働力を私たちは頂いております。
皆様が働いて下さって、それによって今、
自分が生きさせてもらっているのですから、
せめて自分のこの身を使って、そのご恩返しをしなくてはいけません。
そのご恩返しが即、仕事です。
仕事を通して、与えていただいた報恩の行為をさせてもらうのです。
それが仕事の意義です。


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「御垂訓」

2022-08-30 00:10:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二

     この世への執着や心の重さが成仏を妨げる

先の続き・・・

もし百五十キロ載せられたら、
ペシャンコに押しつぶされて動けません。
これと同じように、自分で作った心のお荷物によって、
自分自身が荷物に押さえつけられて、
たとえ帰る世界を知ってこの世から執着を離したとしても、
その重さによって動くことができません。
この心の重さを持たない為には、
これまで何回も言っておりますが、

腹を立てないように、愚痴を言わないように、
人さまを憎まないように恨まないように、
要らない心配をしないように、
嘘は絶対に言わないようにしなくてはいけません。
これらはみなお荷物です。
そのお荷物を少しでも軽くして、
もし今迄に溜めた荷物がありましたら、
一つ一つ、時間があれば本当の神様に対して心の底から
「お許し下さい。
私はあの時あんな過ちを犯しました。
もう繰り返すことはいたしませんからどうぞ許して下さい」と、
悔い改めた時、それは一つ一つ許されます。


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「御垂訓」

2022-08-29 00:09:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二

     この世への執着や心の重さが成仏を妨げる


私たちは死んだらおしまい、ではありません。
死んだら、素晴らしい世界に帰らなくてはいけません。
その世界は魂のふるさとです。
ふるさとに帰ってはじめて、本当に成仏します。
この世に、この地球上に自分の思いを残しますと、
その思いが執着になり、
その思いの場所に自分がとどまるのです。

だから、いっさいの思いを捨てなくてはいけません。
そしてすべての思いを離すと、
自分のふるさとに向かって旅立つことができます。
しかし、旅立つ時、自分の心に重荷をいっぱい背負っていますと、
重くて走れません。
五十キロ背負う能力のある人に百キロの荷物を背負わせたとしたら、
これはもうえらいことです。


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「御垂訓」

2022-08-28 00:23:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、 二

              黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

私が二十代ですから、もう三十何年前に真っ黒けだったお仏壇です。
それが今は新品みたいで、新しく建てた家よりもなお光っています。
新しい家に古い家具を入れても調和しないものですね。
それだけが古く目立って、ついもうこのたんすも替えようか、
これも新しいのに替えようかということになって、
そうしないと合わないものです。
ましてや真っ黒けの仏壇を入れたら似合うはずがないのですが、
家よりも仏壇のほうが光るぐらいになりました。

仏壇の中に不孝にして成仏することのできないご先祖様がおられますと、
仏壇はだんだん暗くなります。
家もそうです。
ものすごく陰気くさい家で、
その中に入ると暗い感じを受けるお宅というのは、
その家の中に執着している何者かがあるから暗いのです。
墓地全体が暗いのもそうです。


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「御垂訓」

2022-08-27 00:29:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、 二

              黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

私の一番上の姉が泉大津に嫁いでいるのですが、
そのお仏壇が又黒いのなんの真っ黒けだったのです。
私が二十代の時、そこでお世話になっていまして、
そこの仏さんの前を通る時、
「まあ、ここの仏さんはなんと暗いなあ、
なぜこんなに黒いのかなあ」と思いました。
阿弥陀さんも横に書いてある南無不可思議光如来も
南無無量寿光如来の字も何も分からないほど真っ黒けでした。

この法にご縁をいただきましてから後、
一回はおじいちゃんが亡くなられた時。
二回目はおばあちゃんが亡くなられた時、
その後三回目に参ってお祈りしました。
今度家を建てまして、その新築の家に、
もう何十年も前の真っ黒けだったお仏壇を入れますと、
その新築の家よりも仏壇の方が光っています。
奥のほうから煌々と光っています。



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「御垂訓」

2022-08-26 00:35:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二

           黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

正面の阿弥陀さんなども墨を塗ったように消えてしまって、
真っ黒で見えない。
お墓もそうです。
仏壇は本来あんなに暗くはならないものです。
ですから、真っ黒の仏壇でも、ご縁がありまして、
その中におられるご先祖様を天上界へ送りますと、忽ち光ってきます。
これはどこのお宅のお仏壇でも同じように暗いところがみな光ります。
いわば私は、仏壇の洗濯屋さんみたいなものです。
光るのです。

ではなぜ暗いのかと言いますと、仏壇の中に迷える諸霊の方がおられるから
真っ黒になっているのです。
線香の煙で曇っているのとは違うのです。
「私が一生懸命拝みましたから、
線香とロウソクの煤で仏壇が真っ黒になっているのです」というのは嘘です。
「では、見ていなさい」と言ってお祈りをして、
迷える霊が成仏されますと、パアーツと光ります。
特に仏壇の正面の上の欄間などは彫刻ですから、
もう真っ黒になったら磨きようがないのですけれど、
それが光ってきます。



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「御垂訓」

2022-08-25 00:29:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二

           黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

その時運転をしてくれた方が、「先生、あれが眉山、
あちらが三本松、あそこは途中で下りてもらったところ、
雲間からさぁっと光が下りています」と言うのです。
見ると、本当に雲間から光が下りています。
その時、突然海面が全部黄金に変わりました。
もうたとえようのない黄金の海になってしまったのです。

船に乗っておられた大勢の皆様も「ウアー、なんと美しい海、
こんなきれいな海は見たことがない」
と皆わいわい言っていますけど、私たちは、
「ああ、これは神様が私たちの行為に対して、
その祝福の光を与えて下さっているのだ」ということが
分かっていますから、

「ああ、有難いなあ」と言い合って帰ってきたのです。
暗い想念、誤まった行為によってこの世を過ごし、
そしてこの世を去った時、暗い世界に
私たちがもし執着しておりますと、その光と反対の現象が出て来ます。
よそのお宅に行きました時、真っ暗な感じを受ける家というのがあります。
表に立つと奥が見えないような暗い家、或いはお仏壇を見ましても、
その中が真っ黒のお宅がよくありますね。
仏壇の奥が見えません。




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「御垂訓」

2022-08-24 00:08:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二

           黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

地元の方は何回も聞かれた話ですが、
今日はわざわざ遠方から来ていただいて、
初めてお見えになっていただいた方たちの為に
説明させてもらうお話だと思って、辛抱して聞いてください。
初めての方は、「ああ、ほんとうにそんなことがあるのかなあ」と
理解してもらえると思います。

「たださせていただく行為」の時は、天から光がさぁっと射してきます。
徳島に行きますと、頂上にたくさんアンテナの立っている
眉山という山がありますが、
徳島から船に乗って、港を離れて後を振り返りますと、
私たちの行った場所、通った場所に、
雲間から数条の光が下りています。


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「御垂訓」

2022-08-23 00:07:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、 二

               黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

「そんなこと言ったら頭がおかしいのかと思ってね、よう言いませんでした」
「ああ、気付かれましたか」と私が言いますと、後ろの席に乗っていた方も、
「私も右側のガードレールがずっと光っていたのを見ていました。
大阪のカードレールは確か白だったと思うのに、
四国へ来たら金色が塗ってあるのかなあと思った」と言うのです。

「私たちは光です」と言いました時、
忽ちその車の周りがものすごい黄金の光に包まれていたのです。
現実に何人おられても、皆が肉の目で見ることのできる光です。
本当の愛ゆえに行動を起こしますと、どなたでも全部、光になります。
光に包まれるのです。
愛は光なり、神は愛、光こそ神、
そういう自然界の中にも厳然としてはっきりとこの肉体の目をもって光を
見せていただけます。



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「御垂訓」

2022-08-22 00:16:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、 二

               黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

そして、香川県から徳島県へと、
あの大きな大坂峠を越えて入っていきました。
峠にさしかかった夕方、まだ暗くはなっていなかったのですけど、
左側は山肌で、中に道が通っており、右側は谷でやはり切り立った崖で、
ガードレールが付けてあって谷へ落ちないようになっています。
山を切り開いた峠を車が登っていき、
私は助手席に乗せてもらって左側を見ますと、
山肌がちょうど車の黄色いヘッドライトでパァーッと
照らしたように黄金色で、ずっと光っているのです。
すごく光っています。
山肌が全部光っています。

それで、「ああひょっとしたら後からバスかトラックが来て、
黄色いライトをつけて追いかけてくるのかなあ」と思って
後を何回も見たのですけど、何も来ません。
その峠を越えるまでずっとものすごく光っていたのですね。
四国の旅から帰って何日か経って、
一緒にいってくれた方々と又お会いした時、運転してくれた方が、
「先生、あの峠を越える時、気が付きましたか」と言うのです。
「あ、お宅も気付きましたか」と言うと、
「私、運転していましたから、前のほうがパァーッと光って、
ちょうど黄金の光ですから、
あの強い黄色のライトで照らしたような光なので、バスが来たのだと思って、
何回もバックミラーで後を見ました」と、
やっぱり同じことを言っているのですね。


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「御垂訓」

2022-08-21 00:05:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二

         黄金の光と暗い想念

最初四国に行きました時は、そういう場所ばかりを
「何とかして下さい」と言われて回ってきました。
その帰りに車の運転をして一緒にいってくれた方が、
「先生、あんな恐ろしいところばかり
行くと、霊がいっぱい先生にすがってくるのと違いますか」と
車の中で言うのですね。

私は、今お話したように、
「私たちが一切の求める心なしに、たださせていただき、
救われて欲しいという思いだけで行動を起こしますと、私も光、
こうして共に来てもらったあなたたちも光です。
だからもし迷える霊がたくさんいる場所を私たちが通りましても、
その迷える霊たちは
私たちを理解することさえできない。
ただ光の塊が通っていくなあとしか理解できないので、
すがってくるなどとんでもないことです」と話したのです。


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「御垂訓」

2022-08-20 00:11:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より


                講演集、 二

         黄金の光と暗い想念

度々お話しますが、一切の自分の欲望を捨てて、
何の求める心なしに苦しいお方の為に、
或いは悩んでいる方の為に、又見えない世界の苦しむ方の為に、
ただその人たちの幸せを願って自分の行動を起こした時、
私たちは光の天使です。
どなたでも皆、光の天使です。
そういう光の天使が行動を起こされますと、
もしどんな地獄の底まで行かれても、
迷える霊は近づくことはできません。
なぜかと言いますと、これは光ですから、
自分のしがみつく場所さえ分からない
光というのは、そういうものなのです。

これは、四国へお話に行った時のことです。
そこは見晴らしのいい十字路ですのに、
次から次へと交通事故による死人が出るのです。
そこでお地蔵さんを建てて、拝み専門の人におがんでもらったり、
御祈祷をしてもらったりするのにその信号のたった一ケ所で、
もう何十人と次々に死んでいるのですね。
四国のS町というところです。
この場所で事故が起きないようにして下さいと頼まれていったのです。
それで、その地で亡くなられた方々でその地に意識を残して
迷っている方々にお話させていただいて、
そして天上界にみな上げさせていただきました。
そうしますと、それ以後、一回も事故は起きていないそうです。


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「御垂訓」

2022-08-19 05:56:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二

        恐い生き神様の話し

先の続き・・・

Mさんは私のところにその写真を持ってこられたのですが、
可哀そうに心臓のところに穴があけてあるのですね。
五寸釘を打った穴がね。
私は、「あんばいしてあげましょう」と言って、
その穴をもとどおりにしておきました。
このような、人を呪い殺すということは、
もう昔の物語だと思っていましたが、
今でもあるのですね。
不思議なことは、名刺に僅か四文字「明来闇去」と
書かせていただきましたものが、霊的な世界から見ますと、
まぶしくて見えないのです。

ただ胸の内ポケットに入れているだけで、
その人の姿さえ光で見えなくなってしまって、
そして絶対に返さないと言っていた写真をハイと
素直に返してくれたのです。
正しく生きる者には光がります。
これは天から守っていただくのです。
Mさんはその当時の自分の出来事を詳しく
書いてここへ持ってきてくれました。


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「御垂訓」

2022-08-18 00:17:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二

          恐い生き神様の話し

先の続き・・・

五寸釘を打った穴がね。
私は「あんばいしてあげましょう」と言って、
その穴をもとどうりにしておきました。
このような、人を呪い殺すということは、
もう昔の物語だと思っていましたが、
今でもあるのですね。

不思議なことは、名刺に僅か四文字「明来闇去」と
書かせていただきましたものが、
霊的な世界から見ますと、まぶしくて見えないのです。
ただ胸の内ポケットに入れているだけで、
その人の姿さえ光で見えなくなってしまって、
そして絶対に返さないと言っていた写真をハイと素直に
返してくれたのです。



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