浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-09-30 00:35:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 六

先の続き・・・

「この現象界の地球も神体である」と
いうことに私たちが目覚めた時、
安心して生活させてもらうことが
できます。
誤った思想、習慣、また良い悪い
方位方角などと言いますが、
神のご神体に不浄なる所、
いけない場所のあるはずがありません。

そういうものにできるだけ頼らないように、
偉大な聖者お釈迦様は、
占いに頼ってはならないと
おっしゃっています。
「人が惑い少なく、
苦しみ少なく生きるには星を
占ってはならない。

転変地異を占ってはならない。
あらゆる相を占ってはならない。
そのように生きる時、
人は惑い少なく苦しみ
少なく生きるであろう」と、
説かれました。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-29 00:39:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 六

先の続き・・・

先月の「道」に書かせて頂きましたように、
神を体験し、神の御心を自ら行って使命を
果たしました時は、あの富士山さえも
恥ずかしそうに雲で顔をかくされます。

ご使命を果たして帰る新幹線富士彼方より我を迎えり
裾野より湧きたつ雲に我を見し富士恥じらいつ顔を
覆えり富士山が恥ずかしそうに顔をかくされました。
自分が富士山よりもはるかに大きくなるのです。

私たちが神の子として生きた時は、
自然さえも恥ずかしそうにされます。
自ら神を体験させてもらうことです。

大宇宙そのものが神様の御姿の現れであり、
その大宇宙の中で私たちの住まわしてもらう地球が
大宇宙の中の一つの存在ですから、
大宇宙が大神体であり、大神殿であれば、
その中の一部の地球も全く
同じことであると、説かれています。


     ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-28 00:23:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 六

先の続き・・・

これはもうあらゆる宗教の中で、
最もストレートに、
最も苦労なしに神様と出会う方法です。
肉体行も、厳しい行も何も要りません。
常に自分が神の御子であると自覚させて
もらったらいいのですね。

想念において、「神様は病気をなさらない、
私の中に神様がいて下さる、
私が病気をすることは有り得ないことである」と
強く病気を否定していただいたらいいのです。
病気は必ず治るものであると
強い信念を持つことです。

この地球上どこへ行っても神の慈愛に
満ち満ちています。
皆さんもお宅に帰られますと、
どのお宅もみな神の愛の中にあるのです。
これをはっきり知った時、
私たちは安らぎ、安心し、
自信が持てます。

今月も毎回のようにこのことを
言っておりますが、
私たちは自らが神の分け御霊であることに
目覚めさせてもらうことです。
そして日々の生活で自分が神様の
御心を実践するのです。

この神の御心を実践させてもらった時、
私たちは肉体をもって神様を
体験させてもらえます。
神を体験しました時に、
何者よりも偉大な自分が分かります。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-27 01:16:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 六

先の続き・・・

「鬼」とは、
私たちがこの世に生ける生を享けて超越しなくては
いけない、乗り越えなくてはならない「偽我」の
ことです。
エゴ、自分本位、他人はどうでもよいという
この思いこそ、心の中に巣くっている鬼です。
私たちの肉体の五官の感覚こそ悪魔です。

鬼のもっと奥には、神なる我が実在しています。
ですから、自分の心の中に入りますと、
まず鬼との出会いがあり、この鬼を
追い払ってもっと奥へ入っていきますと、
神なる我がちゃんと存在しています。
その神なる我に目覚めることです。

自分さえよければ他人はどうなってもよいという
思いこそ鬼の正体であったと知ったならば、
鬼を追放しなくてはいけません。
エゴの心、偽りの己こそ、
心の中にあぐらをかいている鬼です。
自分にちょっと都合の悪いことがあると、
この鬼がピョンピョン出てきます。
「ほんとうに腹が立つなあ、
あいつ恨みこましてやろう」と言って出てくるのが
鬼の正体です。
その鬼を早く追い出して、
神なる我に目覚めることですね。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-26 01:33:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 六

先の続き・・・

私たちもこの法を学びますと、
みな「癒し」ということを
理解します。
いちばん大きい癒しは自分自身が内なる、
神なる我に目覚めることです。
「神我」です。

そして神様は私たちに「いとしき我が子よ」と
呼びかけて下さいます。
私たちが神のいとし子であれば、
神様は私たちのお父さんです。
お父さんと私たちとは何ら変わりありません。
神様は全知全能であり、そして完全無欠です。

私たちの生命の中に、
神様と同じ全知全能の生命が
宿っていて下さるのであれば、
神様に病がないように、
私たちにも病のあるはずがありません。

それを強く自分に言い聞かせたらいいのです。
これこそ神の癒しです。
自ら癒すのです。
神と何ら変わらない完全無欠な生命を
頂いているということに目覚めることです。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-25 02:55:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 六

先の続き・・・

人間だけが、なぜ病気が治らないかというと、
盃一杯の病気が起きますと、
ドラム缶一杯ほどの心配をするからです。
「ああ、えらいことだ、これは何だろうか、
もっと悪くなったらどうなるんだろか、
ずっと進んだら死ぬかも知れない、
死んだらあと家をどうするか」と、
死んだあとのことまで、
次から次へと心配します。

これが盃一つの心配に対する
ドラム缶一杯ほどの心配です。
もう自分で自分の命を
縮めているようなものです。
こんなことを思っていますと、
死んでも極楽へは行けません。

要らない心配が病気の自然治癒力を
妨げるのです。
せっかく、自然は治してやろうという
愛を与えて下さっているのに、
人間が要らぬ心配をして、
それによって病気を治さずにいて、
お医者さんのお世話になるのですね。

昔は、お医者さんも名医といわれる方は、
脈一つとればどこが悪いということを
みな当てられたそうです。
薬を使わなくても触れるだけで
治されたのです。
今のお医者さんは、
私たちが病院に行きますと、
まず血を採って調べます。

次にレントゲンを撮り、
エコーといって超短波で写して
検査をします。
あれは全部機械がするのであって、
機械にお医者さんが使われているのです。
本当に治す者は、手を当てて治します。
これを「手当て」と言いました。

私たちの遠いご先祖様は皆、
手を当てて治して下さったのです。
ですから「手当て」という言葉が
残っております。
この肉体には癒しのエネルギーが
ちゃんと与えられています。
私は大きなこぶができた時、
手を当てていましたら、
治ってしまいました。
自然に癒されるのです。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-24 02:01:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 六

先の続き・・・

この地球上で、
お医者さんのお世話にならなくては
いけないのは人間だけです。
今は家畜とかペットまでもお医者さんの
世話になっていますが、
これは飼っている人が連れていく
だけのことです。

草木も同様、自然の治癒能力を
備えています。
刈り込めばたちまちに芽が出てきますし、
枝が折れてもまた新しい芽ができます。
犬や猫もそうです。
交通事故多くなりますと、
よく三本足で歩いている犬や猫を
見かけますが、
犬や猫が自分から「えらいことや、
私、怪我しました」といって、
医者に行くことはありません。
猿も同じです。

「猿も木から落ちる」といって、
やはり落ちる時があるのです。
落ちましたら足が痛くなったり、
腰が痛くなったりしますけど、
猿も医者には行きません。
全部自然に治るのです。
怪我すれば、
夏であれば北側の風通しのよい所で肉体を
休めておれば、自然に治るのです。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-23 00:05:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


            講演 六

先の続き・・・

この地球上で、
お医者さんのお世話にならなくてはいけないのは
人間だけです。
今は家畜とかペットまでもお医者さんの
世話になっていますが、
これは飼っている人が
連れていくだけのことです。

草木も同様、
自然の治癒能力を備えています。
刈り込めばたちまちに芽が出てきますし、
枝が折れてもまた新しい芽ができます。
犬や猫もそうです。

交通事故多くなりますと、
よく三本足で歩いている
犬や猫を見かけますが、
犬や猫が自分から「えらいことや、
私、怪我しました」といって、
医者に行くことはありません。
猿も同じです。

「猿も木から落ちる」といって、
やはり落ちる時があるのです。
落ちましたら足が痛くなったり、
腰が痛くなったりしますけど、
猿も医者には行きません。

全部自然に治るのです。
怪我すれば、
夏であれば北側の風通しのよい所で
肉体を休めておれば、
自然に治るのです。

               
   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-22 01:28:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 六

先の続き・・・

「神癒」ということがありますね。
今日は前回までの補足をしながら、
「癒し」について、また「心の鬼」に
ついて話を進めていきましょう。
私のお話会の時、
「ああ、ここが痛いから治して下さい」と言って、
お話を聞くよりも、
身体を治してもらうのが主のように思って
お出でになる方がありますが、身体など治しては
いけないのです。

ほんとうはご自身が、内なる力によって
治すようになっていかないといけません。
さもないと、飢えた人に食べ物を与えたと同じことで、
それがなくなればまた飢えます。
飢えた方が自分で生産できるようにしてあげてこそ、
ほんとうの救いができます。

物を与えるだけだったら、
乞食に物をあげるのと同じことです。
働かずにそれを食べ尽くしたら、
また同じ飢えが襲ってきます。
病気もこれと同じで、自分の内から治す力に
目覚めたらいいのです。

神はすべてのものに
「治そう、治そう」という癒しの力を
与えておられます。
自然治癒能力というものです。
これは科学者も医学者も全部認めています。
しかし、それを「神の癒し」と
言いますと認めません。

言葉にこだわりすぎているのですね。
自然界はすべて傷ついたら、
元に戻そうという力を持っています。
怪我をしても、
また治してやろうという癒しの力に
満たされています。
それが神の愛です。
汚れてもそれを清めてあげようという
自然浄化作用があります。
そのような力が、
自然の中に与えられているのです。
これが神の癒しであり、神の清めです。


   ~ 感謝・合掌 ~


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'「御垂訓」

2018-09-21 09:20:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


先の続き・・・

そこで、聖書に帰ろう。を、
合言葉にあのルターやカルビンが登場します。
これが古い体制を
反省させることにも繋がって、
現代のカトリックとプロテスタントに
なったのです。

お金が心の代わりにならないことは、
こうして歴史の一つが
証明していることになります。
これはどの宗教でも
当てはめて考えてみるべきことです。

お金で心を捧げた気になっていたとしたら、
残念な姿です。
先ず、心です。
そのことで金持ちも貧しい人も、
差はないのです。

心が美しく豊かであれば、
宇宙の調和、神の心と
共鳴することができます。


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「御垂訓」

2018-09-21 00:54:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


       講演 六

法を学んだ方がこの世を去った時、
皆様が共通して「安らかでした。
すばらしいお顔になって、
硬直は全く起きませんでした」と
報告して下さいます。
これは正に法のお陰です。

法を実践することによって、
私たちはあの世に帰った時、
不安とか恐怖とかの苦しみの世界ではなく、
喜びの世界に帰るということの
一つの証しではないかと思います。

縁のある方々が、
証しを立てながらこの世を卒業して
ゆかれます。
このような法の力を最後の姿に現わして
帰っていかれるということは、
他の宗教ではいまだかつて
巡り合ったことがありません。

聖書の中でも、
「天の国に入るには、イエスを通す
以外に入れない」とあります。
私たちはキリスト教徒ではありません。
それでも亡くなっていくお方は
皆さん安らかです。
この一つの事実を見せてもらいましても、
成仏するのに宗教は
関係ないということが分かります。
ほんとうに有難いことです。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-20 09:14:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


先の続き・・・

お金をお足と言いますが、
これをよく表しています。
流通しているお金の期間は
本当に短いのです。

それを心の代わりと考えるのは
できないのです。
これは歴史の事実ですから、
悪口にはならないと思いますが、
何世紀にも前にヨーロッパでは、
宗教の改革がありました。

学校で習われたと思いますから、
思い出される方もあるでしょう。
教会が人々から多額の
お金を集めていた時代です。

高価なお札を買えば、
罪が消えるとか、天国へ行けるとか、
教えていたわけです。そして、

教会も宗教自体もどんどん
形式ばかりの派手なものになっていって
心と言うものが本当の聖書の
教えと言うものが、
捨て去られってしまったのが、
その時代です。


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「御垂訓」

2018-09-20 03:07:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 五

  「神意に添った仏国土・ユートピアを
      建設せんがためなり」

先の続き・・・

以前、神戸の方ですが、
ノイローゼになった奥さんが、
「お父ちゃんどうしよう」と言って、
朝の三時になるとご主人を
起こしていましたら、
ご主人までがノイローゼになって、
「あっちへ行け、
あっちへ行け」と言うように
なったのです。

電車に乗っても、女の方が近寄ると
「あっちへ行け」という有様で、
これはもう気違いですね。
大学へ行く息子さん二人が、
こんなところにいたら
勉強ができないからといって
家を出ると言うし、
奥さんはノイローゼのままだし、
ご主人までが
「あっちへ行け、来るな」と
いう状態で、このお宅でも、
もし私にご縁がなかったら
家庭は破壊です。

しかし有難いことにFさんが
横浜でのお話会のテープを
この家に持っていって
上げられたのです。
「毎日毎日聞きなさい」と
言われた通りに、
もうかけっ放しにしてテープを
かけておられましたら、
そのノイローゼが完全に
治ってしまったのです。
この家庭は救われましたね。
このように、
この世はほんとうに厳しい魂の修行の
場所であるということを、
今回は自覚してもらったら
結構かと思います。

この世に生まれてきた目的は、
この世に幸せな神の国、仏の国、
ユートピアを建設することであり、
それが生まれてきた使命であると
思って下さい。
「忘己利他」に一人ひとりが目覚めて
生活しました時には、
必ず仏国土が建設されます。

しかも、
建設せんがために生まれてきたことを、
私たちは自覚すべきだと思います。
長時間、どうもありがとうございました。


    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-09-19 16:00:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:良心を持てば神の心を持つ


先の続き・・・

お金と言うものはいっとき、
現れては消えてゆく、
いわば、果敢ないものです。

私たちのこの肉体も、おぎゃーと生まれて、
百年も経てば大抵は消えてゆきます。
そしてまた、新しい生命が生まれ、
また、消えてゆきます。

私たち自身が神様の体内で細胞の
新陳代謝をしているわけです。
古い物から新しい物へと変わっていく私たちは、
神様の細胞と言えるでしょう。
お金もいっとき現れ、また消えてゆくものです。
心ではないのです。



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「御垂訓」

2018-09-19 00:13:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 五

 「神意に添った仏国土・ユートピアを
       建設せんがためなり」

先の続き・・・

この世は正に危険極まりない世界です。
今、一家が幸せに暮らしており、
ご夫婦、子供夫婦、
お孫さんと揃って幸せだなあという
家庭も、わずか一、二年の間に、
その家庭が完全に支離滅裂となり
つぶれたというお宅を何軒か
見せてもらいましたね。

これは岸和田の方で、一家団らん、
幸せな家庭だったのですが、ある日突然、
ご主人が脳溢血で倒れられて
半身不随になったのですね。
入院されたご主人の看病を、
奥さんが「お父さん、お父さん」とつきっきりで
なさっていました。

そのうち、ご主人は半身不随のままで
退院できることになり、私のほうにご縁があって、
自転車に乗られる状態にまでなって
下さったのですね
ところがご主人が退院されてから、
奥さんが癌になられたのです。

主人が身の回りのことができるようになったら、
今度は奥さんが癌になって
一年も経たないうちに亡くなってしまったのです。
そうしますと、息子さん夫婦にお父さんの世話が
かかってきました。

息子さんのお嫁さんが
「私は病人の世話をしに嫁いで来たのではない」と
言って息子さん夫婦は別れてしまったので、
息子さんも出て、その家には半身不随の
お父さん一人になってしまいました。

あれほど仲の良かった幸せな家庭が、
一、二年の間にもう破壊してしまったのです。
これは断崖絶壁からちょっと足を踏みはずして、
たちまち千仭の谷底に落ちてしまった例です。


  ~ 感謝・合掌 ~


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