浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」~心の扉~

2018-12-13 00:31:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より


心の扉―1

主題:尽くすことは自分を幸せにする。 

先の続き・・・

そしてそれからはさせて貰おう、
尽くさせて貰おうと言う心でお婆ちゃんに
私の話をテープで聞かせて上げたり、
書いたものを読んで聞かせたりされたそうです。

その家にはお婆ちゃんの実の娘さんも
おられるそうですが段々とその娘さんより
奥さんつまりお嫁さんしか
受け付けなくなったそうです。

それは奥さんが尽くしているほどには
実の親娘でも尽くしておられなかったから、
お婆ちゃんのほうで拒否反応が起きるのですね。
すっかりお嫁さんに頼り、
実の娘より安心して自分をまかせているわけです。

このお婆ちゃんが亡くなられた時、
生きておられた時より綺麗なお顔になられ、
何とも言えないほど安らかな
表情だったと言います。
丁度、観世音菩薩の掛け軸のお顔のような、
また阿弥陀様のような、ああいうお顔ですね。
明るい雰囲気さえあります。

その奥さんから綺麗なお顔のお婆ちゃんを
送らせて貰いました。と、電話がありました。
そして至らないけれど、
自分に出来る限りのことをさせて頂いて、
私も幸せでしたと、
喜んで訪ねて来られました。

相手に尽くすことは自分を本当に
幸せにするのです。
自分を犠牲にすることが大事です。
犠牲と言うと、直ぐに私はあの人の為に
犠牲になってまで頑張ったのに、
何の感謝もされない、なんて馬鹿馬鹿しい。と、
言うような場合を思い浮かべます。が、

それは本当の犠牲でも何でもありません。
損得勘定でものを言っているだけです。
本当の犠牲は愛です。
私はキリスト教の人間ではありませんが、
イエスはゴルゴダの丘で十字架に
上げられ、磔になりました。

その時、イエスは神よ、
どうぞこの者たちを罰しないで下さい。
正しい道を知らないだけですから、と、
祈られました。
これが愛であり、犠牲です。
虐められようが、
どんな目に合おうが尽くすことです。
この時、苦しみは消えます。




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「御垂訓」

2018-12-13 00:10:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


        講演 八

 「実在の世界にあって諸々の諸霊を善導する光の天使なり」

先の続き・・・

私は心配をしないために常にそういう方に言います。
「心配しなくても、生きている限りは絶対に死にません。
死ぬまでは間違いなしに生きております。
何を心配なさいますか」と。
これに間違いないのですから、
安心して生きております。
何を心配をなさいますか」と。
これに間違いないのですから、
安心して生きさせてもらったらいいのです。
生きている限りは死なないのですから、(笑い)。

このことを常に心の中に入れて
安心して生きて下さい。
私たちがどれほど死ぬのは嫌だ、
生きていたいと思いましても、
わずか五十年、百年の間です。
百歳を過ぎたらもう使いものになりません。
私の母は今度九十三歳になりますけれども、
お客様がお見えになると、

私に隠れて「ちょっと肩を揉まして下さい」と言って、
お一人お一人の肩を揉んでおりますね。
まだお役に立ってくれていますが、
九十五歳にもなりましたら、
まともにそういうことのできる人は少なくなります。
そして百歳を過ぎましたら、
普通はもう両側から支えてもらわなくては
歩けなくなってきます。


         ~ 感謝・合掌 ~


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