浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2019-12-31 00:11:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                     講演 十三

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

いちばんいけない間違いは、
「この神様にお参りしたら金儲けができる」といって拝むことです。
「六根清浄、六根清浄」といって山に登ったら
儲かるといって行くのです。

そのようにすればうまくいくものと思っているところが間違いです。
滝に打たれて、たいへん寒い時に行をされるのですが、
ある旦那さんは二号さんといっしょに滝に打たれているのです。
「あなた、それは止めなさい。
そんなことをするよりもまず日々の生活を正すほうが大事だと思います。

生活を正さずして、
百万遍滝に打たれても出てくる結果は同じことです。
まず自らを正さなくてはいけません」と話したのです。

また、お参りをすれば幸せになれる、と他力信仰では思うのですが、
自分の行いを正さないままにいくらお参りしても
何の効き目もありません。



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「御垂訓」

2019-12-30 00:16:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十三

「正しく仕事をなし」

先の続き・・・

うれしいことに去年の十一月に、
同じ信仰をなさっていたある方が見えて、
「もう止めます。二十年も頑張ってきましたけど、
先生にご縁をいただいてその間違いがはっきり分かりました」と
おっしゃったのですね。

この方はガソリン・スタンドを経営なさっているのですが、
ちゃんと止めると報告を済ませますと、
暮れからお正月にかけてタンクが空っぽになるほど
ガソリンが売れたそうです。

営業を始めて以来というほどです。
お正月に一千万円貯金したとおっしゃっています。
「よう儲けましたなあ」というと、
「先生はほんとうに福の神です」とおっしゃっていました。

ガソリン・スタンドといえば直接お客さんと接触しますから、
喧嘩しながら家の者がうっとうしい顔をしてガソリンを
売っていましたら人は寄り付きません。

それを、「ああ良かった、ほんとうに有難い」と言って、
家の者がにこにこしてお客さん接していたら、
「あそこへ行ってみようか」と、
よそへ行っていた人まで来てくれるようになりますね。

そして思わぬ売上と利益を上げることができるのです。
そうであれば、何もそんな信仰をしなくても、家の中で皆が仲良くして、
気持ちよくお客さんと接していれば商売は繁盛するのです。


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「御垂訓」

2019-12-29 04:48:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 十三

「正しく見 正しく思い 正しく語り」

先の続き・・・

悟っていない人に「あなたは何歳まで生きる」と教えたら、
その人は「その日になったら死ぬのだ」と不安と恐怖の
迷いの中にはまってしまいます。

たまたまご縁があってその方に光を入れますと、
いっぺんに生き返ってくれて、
その後もう七、八年になります。
これは「言葉」によって死に近づいたのであり、
また逆に「言葉」によって生き返ったのです。

先生といわれる方たち、宗教に関して教えの道を説く方たち、
また、その教えそのものに殊に大事なことは、実践面です。
「正しく仕事をなす」ことが伴わなくてはならないということです。
この間、山口のほうからツアーで十六人訪ねて下さり、
皆泊って楽しいひと時を過ごして帰っていただきました。
各人がいろんな信仰を持っておられるのですね。

ある宗教にお金ばかり入れて何千万円という借金をしてしまった方は、
鉄工所をなさっているのですが、息子さんが
「こんな大きな借金を作って、私は後を継げない、協力もできない」と、
ものも言ってくれないそうです。

せっかく信仰しても借金をこしらえて、
しかも家庭の中は親子の対話もなくなってしまったのですが、
いったいなぜそういうことが起きるのかということです。


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「御垂訓」

2019-12-28 02:24:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十三

「正しく見 正しく思い 正しく語り」

先の続き・・・

言葉は生きています。
人を傷つけることもできれば、その傷を癒すこともできるのです。
言葉には力があるのです。

言葉に力があるという教えを頂くまで、私は気がつきませんでした。
言葉の持つ力については相手を信じる度合いが強ければ強いほど
その人の言葉が偉大な力を現します。

「あれほど偉い人が言われるのだから間違いない、
あの人のおっしゃることだから・・・」と、聞いた言葉が力になり、
一種の暗示を受けることもあります。

ある偉い先生は、相手の死ぬ日を、
天上界の神から聞いてきたと言って話されます。
そんなことは人に言うべきことではありません。

ほんとうの神の使いであれば人に恐怖を与えるはずはありませんが、
ある方は偉い先生がおっしゃったのだから間違いないと信じてしまい、
その日が近づいた頃には完全に死相が現らわれていました。

しかしその方は、「そんな馬鹿なことはありません」という私の
「言葉」によって生き返ったのです。
悟っていない人に「あんたは何歳まで生きる」と教えたら、
その人は「その日になったら死ぬのだ」と、
不安と恐怖の迷いの中にはまってしまいます。

たまたまご縁があってその方に光を入れますと、
いっぺんに生き返ってくれて、その後もう七、八年になります。
これは「言葉」によって死に近づいたのであり、
また逆に「言葉」によって生き返ったのです。


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「御垂訓」

2019-12-27 00:00:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


          講演 十三

「正しく見 正しく思い 正しく語り」

先の続き・・・

私が十四、五年前自分の悪い癖を正すのに、
まず怒りっぽいのと愚痴っぽいことをどのようにして
直したらいいか、正す方法を守護霊さんにお尋ねした時の
話はよくしますが、
私の話し方が下手であるために相手に理解してもらえず、
言ったことを行ってもらえないから腹を立てているという点を
守護霊さんに指摘していただいたのです。

「これをこのようにしておいて下さい」とお願いしたことが
相手によく分かってもらえればちゃんとしてくれるはずですが、
言うことを聞いてくれないから、
「ほんとうにいくら言えば分かるのか、あいつは仕様のない奴だ」と
言ってカッカと腹を立てていたのです。
私は自分が話下手なのはよく知っていますが、
それが怒りと愚痴に繋がっていたとは知りませんでした。

その時、守護霊さんから、
「この同じ口から出る言葉によって相手を無上の喜びに
導くこともできるし、また死よりも辛い思いを与えることもできる。

だからあなた口を開けば、人々に安らぎ、希望、喜びを与えなさい、
それ以外のことを口にしてはいけない」と注意されたのです。
言葉の持つ力など考えもせず使っていましたが、
それがやがて自分に苦しみとなって返ってきたことが
たくさんあったということも学ばせていただきました。



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「御垂訓」

2019-12-26 00:09:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 十三

「正しく見 正しく思い 正しく語り」

先の続き・・・

心の毒は数々ありますが、もっともいけないのは呪いの心です。
「呪う」という思いそのものは、
相手を倒すよりもまず自分が苦しむことになります。
「あいつが憎い、何とかあいつをやっつけたい」という苦しい思いが、
呪いとなって行動に移るわけです。

呪えば必ず相手と自分とは共倒れになります。
現実に、「私は丑の刻参りをしました」というお方に、
何人もお会いしました。

「それだけは止めなさい。必ず自分の肉体、
或いは心がずたずたになってきます」と
お話させていただいたことがありました。
現実にその人は、体がガタガタになっておりました。
思いの中には、そのような恐ろしい思いもあります。
  

思いが正しければ言葉も正しく語れるはずです。
「正しく語る」について、言葉というものは、
ただものを言えるのですから、
私たちは何とも思わないでいろんなことを口走っていますが、
言葉は「諸刃の剣」ともいわれるように、
相手の方に死ぬよりも辛い思いを与えますし、
一方相手に無上の喜びを与えることもできます。



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「御垂訓」

2019-12-25 00:13:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十三

先の続き・・・

何回も何回も生まれ変わることを仏教では輪廻転生と
説かれていますが、
そのようにして自分の魂を向上させているのです。

自分の持っている悪い癖、欠点を少なくして、
「これだけ少なくしてきました」と天上界へ帰った時に
ご報告させていただけるようなこの世の生活を送りたいと思います。

まず正しく見ること、正しく見ることができなかったら、
正しく思えない、そして正しく思えなかったら
正しく語れなくなります。

しかしどのような思いが正しいのか、
なかなかその基準がつかめません。
そこでいつもお話する「太陽の心」を我が心の思いとして
実践すればいいのではないかと思います。
これは永遠の真理です。

自分を犠牲にして慈愛を他に与える、いっさい差別をせず他に与える、
人の過ちを責めたり裁いたり罰を与えたりしない、
このようなお日様の思いを持たせていただいて、
他の方の幸せのために働かせていただくことです。

私たちの思いは自由です。
一念三千といって、一瞬の間に三千の思いができるというほど、
心は動き回ります。
「心」は昔「ころころ」といったそうです。
それほど心はころころところげ回るものです。

「ころころ」がいつの間にか「こころ」になったそうです。
今いいことを思っているかと思うと、
次の瞬間にはもう悪いことを思ったりして、
現れてくる出来ごとによってころころと動き回るものです。
しかし、常にお日様の心を忘れないようにして、
お日様の姿を思いの中にとどめますと正しく思えると思います。

他を生かす愛の思いも、太陽の中にはちゃんと与えられています。
悪い思いをしておりますと、
必ず悪いことばかりが日常生活の中に出てくるはずです。
悪い言葉を出しておりますと、悪い行いが始まってきます。


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「御垂訓」

2019-12-24 00:36:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十三

先の続き・・・

法を学ぶと「そういうことなら安心してこの世の卒業ができる」と
いうことがはっきり分かってきます。
心からそのことが理解できますと、死の恐怖はなくなるのですね。
安心してこの世を卒業することができます。

何か死後の世界のことばかりのように聞こえるかもしれませんが、
この世界は、今生きている私たちの生活が
死後そのまま続いていくのですから、
要は今をいかに生きるかという問題です。
今の一瞬に、
私たちが果たさなくてはいけない使命を大事にすることです。

「私は小さい時は一つも過ちがありませんでした」と
おっしゃる方がありました、過ちがあればこそ苦しいのです。
幼い頃、過ちがなかったのならば成長して
過ちが起きることはありません。

私たちは過去世において勉強をやり残した分を、
今学んでいるわけで、過ちを犯して当然、過ちがあっても
これを悔い改めていくところに人生の意義があります。

過ちを繰り返したら何もならず、
また来世へ持ち越してしまいます。
だから今生で一つでも二つでも正していくべきで、
これが人生の学びです。
今生で勉強をやり残した分は、
また今度生まれ変わった時にその残りを学習させられます。

それをすべて卒業したら、来世はもう学ぶことからはずれ、
この世に転生することはありません。
私たちはだんだん魂を進化向上させていって、
最終的には神様の御胸の中に到達するのです。
仏の御胸の中に返るために私たちは生まれてきております。



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「御垂訓」

2019-12-23 00:57:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十三

今日は雨の中、こんなに多くの方に集まっていただきまして
心からお礼申し上げます。
私たちが「心」を求め、
心を学ばせていただくことはほんとうに尊いことです。

私たちはこの肉体があって自分がある、
つまり肉体が自分であると思っておりますが、
この肉体を動かしている見えない力があります。
その力が肉体の中のどこかに間違いなくあって、
その力を「こころ」と言っております。

私たちは常に「心というものはある」と思い、
「心の友」とか「心の学び」と
かいっておりますが、
そのもっとも奥に形もなく触れることもできない霊、
霊魂が私たちの中にちゃんとあるのです。
この霊は永遠にして不滅です。
絶対に死なないものです。
人類の悲願は死んでも死なない命を得ることです。
これこそ人類の悲願です。

その「死んでも死なない命」を現実に私たちは
与えられていますが、
この事実を知らないでいました。
この肉体がすべてであると思い、
肉体が死んでしまった時に私たちは終わってしまうと
思っておりました。
しかし私たちはこの「死んでも死なない命」に
目覚めなくてはなりませんね。


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「御垂訓」

2019-12-22 00:33:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十二

「いっさいの諸現象に対し 正しく見 正しく思い」

先の続き・・・

まず正しく見、そして正しく思うことです。
想念の中に不調和な思いをしないことです。
例えば取り越し苦労をすると不幸な結果を呼ぶことになります。
常に幸せな環境を作るためには、
思いの中ですべてのものを生かそうとすることが大切です。
他を幸せにする思いがそのまま自分の幸せにつながります。

疑心暗鬼の思いを持っている人は、
その目を見たら疑い深そうな目をしています。
いつも安らいで人の幸せを思っている人の目は安らいでいます。
何かしら温かい光に包まれており、そういう人の側にいると、
腹の立つ思いは起こりません。

想念は形となって現れ、心は表情となって表われます。
安らかな顔はにこやかで穏やかです。
心の動きによって笑う時、怒る時、
泣く時に働く筋肉はすべて表情となって表われます。
心の形が表情となって顔に現象化しているだけです。
「笑う門には福きたる」といいますが、
なごやかに過ごしたいと思います。


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「御垂訓」

2019-12-21 00:25:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 十二

「いっさいの諸現象に対し 正しく見 正しく思い」

先の続き・・・

想念は思いをつくり、私たちの思った通りの形となって現れます。
草も花も木も神の想念によって現れたものです。
自然界は神の思いが形となったもので、全部神様の思いの結晶です。
私たちも、神ご自身が現れて下さったものです。
また人間の手をもって作られたものはすべて人の思いによって
作られたものです。

自然界は神の思いによって現れており、人が作ったものは家もビルも、
飛行機もロケットも人工衛星も、
みんな人の思いによって現れたものです。
思いなくして現れたものは何一つありません。
今生きておれば、その人の思いがこの場所に現れるのです。
家を建てたいと思えば、設計士や大工さんと相談して思いが
形となって家として現れます。
 
最初、このお話会は私のところの本宅の座敷でしていました。
そして公民館でお話するようになりましたが、
工場が空いているのだから内装してもらえば公民館を借りる経費も
要らないと思って、またこちらでお話会をするようになりました。

そのうち狭くなったので広く増築してもらいました。
マイクにしても建具にしても想念が形となって現れるのですから、
これを忘れると思い方が間違ってきます。



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「御垂訓」

2019-12-20 01:06:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十二

「いっさいの諸現象に対し 正しく見 正しく思い」

先の続き・・・

「八正道」は、まず最初に正しく見ることが説かれています。
心に苦しみの原因を持っていては正しく見ることができません。
現れてくるいっさいの諸現象に対して、
まず正しく見ることできなかったら、
正しく思うこともできず、正しく語ることもできません。

だから「正見」ということを八正道の第一項目に
説いておられるのです。
世の中にはいろいろな宗教があります。
高橋信次先生が説かれたものでも、これはほんものか偽物かと、
常に正しく見ていかなくてはいけません。

商売も同じです。
「あの人は運が悪いせいかいつも商売不振に陥る」というのは、
本人が正しく見ていないことが原因しております。
正法は商法に通ずといわれるように、取引先を正しく見てこの取引先は
危ないと思えば、
近かずかないようにすれば不渡りをくうことはないのです。


また普通世の中では、儲かったら自分の懐へ入れようとします。
そして栄耀栄華に暮らそうとしますが、
そうするとやがてお金が入らなくなるのです。

貪欲の心を少なくした時は、
気持ちよく儲けたものを出させていただくことができます。
ものごとを正しく見るとはこういうことで、腹を立て、
愚痴を言えば苦しいはずですし、
心配をしてよくなるものは一つもありません。



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「御垂訓」

2019-12-19 01:05:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


           講演 十二

「いっさいの諸現象に対し 正しく見 正しく思い」

今日から「八正道」の教えに入ります。
私たちが生きているということは、
いろいろの出来事の中にいるということです。
起こる出来事に自己保存という欲がある場合、
自分にとって都合の悪い人には腹が立ってきます。

腹が立つ時、もし自分のほうが正しいと思えば、すでに間違いで、
正しく見たことにはなりません。
自分という立場からいったん離れて、
相手の立場に立ってみることです。

身体をつねると痛いし、人から悪く言われると辛いですから、
何か出来事があった時は相手の人はどうだろうかと思って
遣ってみるのです。
しかし、相手の立場にばかり立つとこれはまた片寄りますから、
善意なる第三者の立場に立って、相手と自分とどちらが
無理を言っているか無茶をしているかと、
第三者つまり神の立場に立って見ることです。

ものを正しく見ようと思いますと、
平静でなくては見ることはできません。
水の入ったかめでも土鍋でも、
怒りに煮えたぎっていると心が乱れて正しく見ることができません。
「疑問」は持ってもいいけれど、
「懐疑心」を持ってはならないといわれます。

疑いを懐に入れた懐疑心を持ってはなりません。
きれいな水を放っておくと、
藻が生えてきて顔がきれいに映らないように、
貪欲に振り回されと全く映らなくなりますし、
不調和の時は映らないようにできています。
怒り、妬み、謗り、愚痴、恐怖、不安、貪欲の心を持つと、
正しくものを見ることができないようになっています。


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「御垂訓」

2019-12-18 00:13:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十一

先の続き・・・

「自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし」

先の続き・・・

私はいつも、どんな時でも笑っています。
心の状態によって顔は即、表情が変わります。
心のどこかが病気をしていると、
肉体のどこかに曇りが出てくるようなものです。

私たちは環境の中に生きているのではなくて、
思いの中に生きていますから、
どのような環境の中にあっても幸せそうな方もおられますし、
あんな結構なと思う方が不幸せそうな顔をしている場合もあります。

何億円というお金を持っていて、
人に取られないかと苦しんでいる人もあります。
このような苦しみの原因なら持たなければいいのに、
お金に捉われて家の周りに赤外線の防犯装置をしています。

しかしあの世には一銭も持って帰れません。
財産に執着すると天国には帰れません。
思いだけ、自分の心だけしか持って行けないのだと、
心がけることが肝要かと思います。

         講演 十二

今日は名古屋から二十五、六名、また各方面から道を求めて、
このようにたくさんの方に集うていただきました。
どなたこなたに関係なく皆、幸せにならなくてはいけませんし、
幸せになることが大いなるまことの神のご意志でもあります。

幸せは私たちの一人一人の心の中にありますから、
幸せになるための道を分かり易くお話して、
なぜ幸せになれなかったのかを勉強させていただいております。
私たちの縁生の友は「この世に生まれさせていただき、
一人でも多くの方に幸せを与えましょう。

自分だけでなく、一人でも多くの方を救っていきましょう」と
約束して、この世に生まれてきております。
しかし、生まれた途端に私たちの意識は潜在してしまいます。
私たちは約束ごとのもとに生まれ、そして今こうして
集うているということ、また帰るべき魂のふるさとが
あるということをまず知ることです。



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「御垂訓」

2019-12-17 00:38:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十一

先の続き・・・

「自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし」

先の続き・・・

まず煩悩を捨て去ることです。
自分から離れて客観的に自分と相手を見る訓練をすることが
大切ではないかと思います。
錆は鉄自身から出てきて、出てきた錆によって鉄自身を
滅ぼすようなっています。

鍛えて鍛え抜いたあの日本刀でさえ、堅くて一番よく切れる
刃先から錆てきて、ボロボロになってしまいます。
私たちの心も同じことで、自分の心の錆によって、
自分を滅ぼしてしまうのであり、この錆の種類が怒り、妬み、愚痴、
恨み、謗りなどの思いです。
この私たち自身から出る錆によって、
肉体にも影響が出るようになっています。

自己保存・自我我欲は私たちの肉体についているもので、
それを捨てるのですから捨て切れるものではないのですね。
ただ、いかに短い時間に思いを切り替えて
喜びにするかということです。

よく、腹を立てたらいけませんと言いますと、
「腹を立てないようにと思っていると、その思いがいっぱいたまって、
しまいには普段の十倍ぐらいになって爆発する」と言われますが、
これは怒りを内に入れて溜めているからで、腹の
立つ出来事をその都度消してしまう想念の転換をして、
切り替えなくてはいけません。

車がペチャンコに潰れても、「自分が無事でよかった」と
思い替えるのです。
「車が潰れて、なんて運が悪いんだろう、相手が悪いからだ」と
怒りを内にとり込んでは自分が苦しいです。




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