ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の寄贈物(4)

2023-02-16 18:59:45 | 水戸

 今回は、寄贈された椅子を見つけてみました。

 

千波湖南岸(千波町)
 上部に「未来に架けるベンチ」とあり、さらに「絵画鑑賞の帰途よく夫婦で湖畔に佇みました この緑と水を若い人に守って欲しいのです 元吉田町在住の一市民より」と、背もたれに貼られたプレートにありましす。プレートにはみとちゃんが描かれていました。行政が広く椅子の寄贈を募ったのでしょうか、こんなかたちの寄贈は好感が持たれます。

 

本町 デイサービス さくらさくら(本町1-9-31)前歩道
 「令和2年度浜田小学校卒業生一同」とあります。ほかにも「令和二年度父親ボランティア一同」と書かれた椅子もありました。手作り感一杯の椅子で、いいなと思いました。

 

偕楽園(常盤町1-3-3)
 「NPO法人やみぞの森 協力支援 ㈱NTTドコモ茨城支店 2018年8月」とあります。やみぞの森は、地元森林の活用型自然環境循環システムを構築することなどを目指している団体のようです。平成30年(2018)にはNTTドコモが全面的に支援したようです。その前にも、法人独自で千波公園への椅子寄贈を数回行っているようです。

 

偕楽園(常盤町1-3-3)
 農林中金寄贈のようです。農林中金も、緑に関連した企業ということで、ずいぶん前からこうした活動を行っているのでしょう、寄贈した椅子があちこちで見られます。

 

水戸市役所(中央1-4-1)
 「水戸商工会議所女性会創立50周年記念 平成30年10月」とあります。ちょうど、市役所の新築と女性会創立50周年がかさなったので行われた企画なのでしょう。新築水戸市役所の業務開始は、平成31年(2019)1月4日だそうです。

 

弘道館公園(三の丸1-6-29)
 「公益社団法人 茨城県林業協会」が寄贈したようです。林業協会らしく、椅子の脚には、太い丸太が使われているようです。 

水戸の寄贈物(3)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の寺社への奉納物(1)

2021-10-01 20:23:27 | 水戸

 寺社は、檀家や氏子によっても支えられているようです。そうした人たちによって奉納された、寺社を形づくっているものをさがしてみました。日本に寄附の習慣が余りないということがよくいわれますが、信仰の方面ではこのように見ることができるようです。寄附の日本的形態なのでしょうか。

 

灯籠(鹿島神社 河和田町1641)
 西の宇津救命丸、東の河和田司命丸(しめいがん)と称されたという漢方薬・司命丸を製剤していた高倉長八郎は、幕末、水戸藩の勤王志士に資金を提供したり、桜田門外の変の金子孫二郎に資金を融通したりしたそうです。諸生党ににらまれて、京都に3年間潜伏していたこともあったそうです。その司命丸の名前が刻まれて奉納された灯籠です。

 

額(桂岸寺 松本町13-19)
 昭和10年に奉納された水府納札会の額のようです。今は見られなくなった納札が盛んだった頃のもののようですが、今水戸で見ることのできる一番大規模な奉納額のようです。

 

 

石鳥居(別雷皇太神 元山町1-1-57)
 「向井町連合氏子」と刻まれた「石鳥居奉納之碑」です。別雷皇太神の1200年祭を紀念して建てられた石碑のようですが、一緒に灯籠も建てられたようです。

 

狛犬(愛宕神社)
 営業繁盛を祈願した93歳の人が奉納した狛犬のようです。狛犬、灯籠、扁額、石畳などは、奉納されたものがよくあるようです。

 

しだれ桜(東照宮)
 拝殿向かって左前に植えられていました。水戸駅前商店会が奉納したようです。長く育ってほしいものです。

 

水戸の寄贈物(3)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の寄贈物(3)

2021-04-18 17:56:30 | 水戸

水戸の泉(市役所 中央1-4-1)
 三井不動産㈱の会長だった江戸英雄は、佐竹氏、徳川氏の前に水戸を領していた江戸氏の後裔だそうです。江戸の寄付によって、前の市役所には、昭和47年に「水戸の泉」というモニュメントがつくられたそうです。そして、新しくつくられた市役所に、その一部が再構成されたそうです。

 

オセロ(市役所 中央1-4-1)
 水戸はオセロの発祥の地です。その普及を願って、㈱化研会長の蓼沼克嘉が、自社で製作したオセロを市に寄贈したそうです。写真は市役所完成前のものです。

 

藤田東湖掛軸(弘道館 三の丸1-6-29)
 この藤田東湖筆の掛軸は、かつて渋沢栄一が所蔵していて、孫の渋沢敬三が、交遊のあった大洗出身の飛田(ひだ)勝蔵に譲ったものだそうです。それが昭和38年に弘道館に寄贈されたのだそうです。

 

堀町緑地(堀町801-1)
 平成20年に安蔵ゆきが寄贈した5、600㎡の土地でできた公園だそうです。入口付近に、目立たない小さな石碑(写真)が建てられています。

 


時計(堀原運動公園 新原2-11-1)
 水戸南ロータリークラブが創立10周年の記念に建てたようです。そしてさらに、平成14年の30周年記念に修復したそうで、その二つが基礎部分に記されています。

水戸の寄贈物(2) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の寄贈物(2)

2018-08-09 21:13:54 | 水戸

旧制水戸高等学校(茨城大学人文学科の前身)
  水高と呼ばれて多くの才能を育てた旧制水戸高校は、内田信也個人の寄付金でできた学校だそうです。高校開設必要資金は100万円で、その6割を地元が負担することになり、県では負担しきれないために寄付金を募集したそうです。明治13年に行方郡麻生村(現・行方市)に生まれた内田は、大正時代、いわゆる船成金として大きな資産を得て、大正7年に総額である100万円を寄付したそうです。2013年に写した茨城大学の写真です。

 

水戸神社(笠原町994)
  水戸神社は、かつて、大掾(だいじょう)氏、江戸氏の時代には水戸城本丸の東端に浄光寺とともにあり、城主の信仰を得ていたそうです。次いで佐竹氏は水戸神社を吉田神社へ移し、徳川斉昭がそれを今の笠原の地へ、笠原水道の守り神として移したそうです。その江戸氏の後裔であり、水高を出て、三井不動産社長になった江戸英雄は、水戸神社造営の資金を寄付したそうです。

 

常陸山橋
 第19代横綱常陸山は、水戸の出身で、「角聖」といわれ、相撲界に大きな貢献をしたそうですが、ふる里水戸に対しても、いろいろ尽くしているそうです。備前堀にかかる常陸山橋(今の橋は建て替えられたものだそうです)、神力宇賀大妙神(末広町2-1-40)の二の鳥居(第20代梅ヶ谷と共に)、泉町会館(泉町2-3-17)裏にかつてあった火の見などいろいろあったようです。写真は常陸山橋です。

 

茨城県近代美術館(千波町666-1)
 開館30周年記念として「美術館へのおくりもの」という企画が開催されていました。(2018/4/21-6/3) それによると、作者自身、その家族や友人、コレクター、企業など、いろいろな縁のある人などから、数多くの作品が寄贈されているそうでした。美術館が充実してゆくために、こうした善意による貢献の必要なことがよく分かりました。写真は、企画展開催中館内にあったフォトスポットです。

 

茨城県立歴史館(緑町2-1-15)
  館内に一橋徳川家記念室があります。一橋徳川家12代で東京帝大農学博士だった宗敬(むねよし)と、その妻で慶喜の孫であり、戦後開拓者の全国リーダーの一人となった幹子(もとこ)によって、昭和59年に寄贈された品々が展示されているそうです。伝来の絵画、書、刀剣、古文書、人形など5,600点が保存されているそうです。

水戸の寄贈物(1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の寄贈物(1)

2017-01-10 21:50:28 | 水戸

渋井町鹿島神社の旧鳥居  渋井町420
 秋田木材㈱を創設した井坂直幹(なおもと)が寄贈した鳥居は震災で倒れましたが、立て直す際、旧鳥居の一部が残されました。氏子町民の気持ちが伝わってきます。

 

神力宇賀大明神の二の鳥居 末広町2-1-40
 震災で被災したため神社内へは現在入れないため近くでは見られませんが、大正3年に、19代常陸山と20代梅ヶ谷両横綱名で、二の鳥居が寄贈されています。

 

西の谷公園の西行歌碑 天王町 9-6
 ㈱吉田石油100周年記念として西の谷公園にヤマザクラが植樹されて、同時にサクラに縁のある歌碑も建立されたようです。

 

渡辺治墓前の灯籠  酒門町330(酒門共有墓地)
 毎日新聞の前身・大阪毎日新聞の初代社長だった渡辺治の墓前に、大阪毎日新聞などの有志が灯籠を寄贈しています。

 

総合運動公園の門  見川町2256
 元水戸市長で昭和60年に名誉市民になった和田祐之助(㈱祐月本店前社長)が、その翌年に寄贈したものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする