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水戸の見て歩き

水高出身の有名人

2017-09-08 21:47:56 | 水戸

 水高は、旧制水戸高等学校の略称で、現在の茨城大学です。

安東仁兵衛(じんべい)(昭和2-平成10)
 水高在学中に共産党に入党し、東大で戦後初めての退学処分を受けたそうです。「現代の理論」の創刊に参加して、安保闘争の後、構造改革を打ち出して共産党を離党して、社会主義右派の主張をとなえ、江田三郎のブレーンにもなったそうです。

江戸英雄(明治33-平成9)
 水高から帝大(東大)法学部をへて、三井合名に入社して三井不動産の社長になり、戦後日本の不動産開発を長く主導したそうです。方言で語り、親しみやすい性格で、幅広い交際があったそうです。水戸城主だった江戸氏の末裔だそうです。

小川栄一(明治32-昭和53)
 水高1期生で、帝大法学部をでて藤田興業の社長となり、その観光部門を独立させて藤田観光の社長になり、山県有朋の椿山荘を得たそうです。

西銘(にしめ)順治(大正10-平成13)
 旧制沖縄県立第二中学校から水高をへて、帝大法学部をでて、沖縄でマスコミに携わり、政界に出て、那覇市長から沖縄県知事になったそうです。

舟橋聖一(明治37年-昭和51)
 水高から帝大文学部を出たそうですが、父は帝大工学部の助教授、母は古川合名理事長の長女というめぐまれた環境だったそうです。 大正11、2年頃、中川楼の蒲焼きで仕上げて、花街にでかけるという学生だったそうで、そうした記憶が「悉皆屋康吉」などの作品に描かれているそうです。

水高出身の政治家水高出身の文化人


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