ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の屋根のてっぺん(3)

2019-03-26 20:35:05 | 水戸

  最近、はやっているのでしょうか、大棟に装飾瓦を積んだ、新しく建てられた和風建築をよく見かけます。以前は平たい熨斗瓦を高く積むことが多かったのでしょうが、少し違ってきているように感じます。

 

河和田  ここは左右に2種類の模様が交互に並んでいます。

 

秋成町  茶色の装飾瓦が積まれていて、目をひきます。

 

島田町  連続模様が3つずつ一枚の瓦についています。その上にある曲線状になった覆いのような雰囲気のある装飾瓦もときどき、見かけます。大串でも同様の連続模様の瓦を見ました。

 

川又町  輪違い模様の装飾瓦に、雨対策の意味もあるのでしょうか、漆喰で丸い模様を付けているように見えます。けっこう目立つ装飾です。これは蔵の屋根です。

 

孔子廟(三の丸1-6)  1枚の厚そうな瓦に輪違いと斜め線との2種類の模様がほどこされています。門も同じ模様です。

水戸の屋根のてっぺん(2)

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水戸の避雷針(2)

2019-03-25 20:21:17 | 水戸

 避雷針は「雷を避ける」というより、雷が落ちやすい場所を作って、周辺を雷から守るという施設ですから、もしかすると、訳語を作った人が誤解してこういう名前になったのかもしれませんね。もっとも避雷針によって雷を避けられるという意味を込めたのかもしれませんが。

 

綿引家(元吉田町2192)  県の有形指定文化財です。背の高い避雷針が2本たっていて、1本は主屋(おもや)用、1本は倉用のようです。写真で倉用は、主屋背後に見えています。

 

六地蔵寺(六反田町767)  復元修理がすんだ県の有形指定文化財である四脚門脇にも高い避雷針がたっています。本堂と地蔵堂の間にももう1本あります。すぐ近くに、スギ(写真左端)とイチョウの巨木がありますが、その保護も考えているのでしょう。

 

茨城県歴史館・旧水海道小学校本館(緑町2-1-15)  望楼の屋根にある飾りと一体化した避雷針がついています。

 

火の見(中河内 鹿島神社近く)  ほかではほとんど見ることはないようですが、中河内では、火の見の脇にそれより高い避雷針が設置されています。

 

水門(青柳 那珂川左岸)  よく見ると、水門にある開閉機の柱上に避雷針が左右それぞれにつけられています。

水戸の避雷針(1)

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ぶらっと歩きの風景(28)

2019-03-24 21:19:00 | 水戸

梅酒まつり売店での行列(常磐神社 常磐町1-3-1)
 梅まつりの一環で行われる梅酒まつりは、そうとうの人気イベントのようで、利き酒会場に入るのに1時間くらい待つのは当たり前のようで、さらにその後でお土産などに梅酒を購入しようとすると、このように長蛇の列ができていました。

 

蜂須賀桜満開(市民体育館脇の那珂川堤 青柳)
  水戸黄門漫遊さくら堤では、色々な桜が植えられていて、昨日行ってみたところ、早咲きらしい徳島市眉山西部公園の蜂須賀桜が満開になっていました。静岡県河津町の河津桜はすでに葉桜になりつつありました。

 

蛙の体操(川又観音 川又町)
 春になって地上にでてきたせいか、動き始めた雨蛙も思いきり足をひらいて、柔軟体操をしているように見えました。

 

魚の飛び跳ね(那珂川 青柳の渡しあたり)
 静かな那珂川の水面をたたくように、あちらでもこちらでもひっきりなしに、けっこう大きな魚が、水面よりかなり高く飛び跳ねて水面に体をぶつけていました。不思議な光景でした。

 

四脚門の補修復元(六地蔵寺 六反田町767)
 県の有形指定文化財である、四脚門の復元工事が終わって、公開されていました。部分的に古い材を残すことのできるところは継ぎ手の手法で工事がされていました。写真右の後側柱などがそれです。

ぶらっと歩きの風景(27)

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水戸の土蔵(2)

2019-03-23 20:54:49 | 水戸

酒門町(北関東自動車道近く)
 2F窓の感じから、以前はもっと白壁が出ていたように思われます。今は全体に板が張られていますが、よい雰囲気をもった蔵です。

 

田谷町(西田谷バス停近く)
 かなり背の高い蔵です。写真向こう側には広い屋根のかかった入口があります。

 

河和田町(八坂神社近く)
 たぶん組亀甲(くみきっこう)という模様がほどこされた壁がきれいです。この模様の壁は水戸では稀少のようです。

 

祐月本廛雛蔵(ゆうげつほんてんひなぐら末広町2-2-10)
 県の登録文化財に指定されている雛蔵です。大谷石の基壇上の壁は、黒漆漆喰(くろうるししっくい)でおおわれているそうで、重々しさを感じさせます。

 

飯富町(常磐自動車道近く)
 下半分が石造りの蔵です。石組みの上部の1F天井あたりには、明かり取りの窓が作られているようです。

 

綿引家(元吉田町2192)
 たぶん水戸で、しっかりした茅葺き蔵の唯一のものでしょう。蔵の横側、妻の上部が斜めになっているのに興味がひかれました。

水戸の土蔵(1)

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水戸の堀跡

2019-03-22 20:27:06 | 水戸

加倉井館(妙徳寺 加倉井町909) 
  写真右斜めにあるのは、現在、妙徳寺山門の前にのびる用水路ですが、これはかつての加倉井館をかこむ堀の南方の一部のようです。寺の背後もそうですが、堀跡と土塁跡が、しろうとが見てもよくわかる遺蹟です。現在の妙徳寺の寺域を中心に、東西220m、南北110mが加倉井館の敷地だったようです。写真左上にあるのが妙徳寺山門です。

 

河和田城(報仏寺 河和田町887)
  山門近くに大手口があったようです。その遺構である土塁と空堀が道路の面して残っています。河和田城は天徳寺や八坂神社も含んだ、かなり規模の大きな平山城だったようです。写真は、山門向かって右側の堀跡です。

 

長者山(渡里町)
 古くから館があったようですが、15~16世紀に、江戸氏の家臣だった春秋(はるあき)氏によって現在の土塁や堀が築かれたそうです。ここでは11の郭(くるわ)跡が確認されているそうです。写真で見てもわかるように、かなり大規模な堀跡です。

 

勘十郎堀(城東2あたり)
 茨城町の紅葉運河などの有名な勘十郎堀ばかりではなく、現在の城東小学校近くの北側で那珂川に合流していた桜川に、松波勘十郎によって、渋田沼とその桜川の西側をつないで開削された堀も、勘十郎堀というそうです。今の㈱トッパンの社内から、城東小学校の南側あたりを流れていたようです。那珂川からの荷物を陸揚げするために掘られたようです。

 

常照寺(元吉田町2723)
 大掾(だいじょう)氏一族の吉田氏によって、段々拡張されて連郭式になった城の跡だそうです。当時は南側が大手口だったようです。そのあたりに堀の遺構が残っています。今の寺域に入る山門からの参道沿いにも堀らしい遺構が見られます。写真は、寺南側から見て左側の堀跡ですが、けっこうな深さがあります。

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