秋成町・鹿島神社(秋成町378)
天保11年(1840)に水戸藩9代・徳川斉昭が杉苗を植えて、そこを神社の建てる地と定めたそうです。嘉永5年(1852)に鹿島神社の社殿が建てられたそうです。この時に藤田東湖は、成長した神木や、新田開発の成功を祝って長詩を詠んだそうです。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)だそうです。万延1年(1860)に斉昭が死去した際にその杉も枯れたそうです。その木はいまも写真・拝殿の背後にある本殿鞘堂の正面屋根の下にかけて保存されています。
青柳町・鹿島香取神社(青柳町434)
この鹿島香取神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)によって上河原に創立されたという記載が、近くにある東征神社の文書中にあるそうです。源頼義による奥州征伐の時、戦勝を祈願して神宝などを奉納したという伝承もあるそうです。那珂川の水害で何度も移転した後、享保11年(1726)に現在地へ遷されたそうです。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと 鹿島神社)と経津主命(ふつぬしのみこと 香取神社)だそうです。水戸藩2代・光圀奉納の鮑貝の杯があり、斉昭選定の水戸八景・青柳の夜雨碑があります。
小泉町・鹿島香取神社(小泉町246)
祭神は武甕槌命、経津主命だそうです。はじめ八幡宮だったそうですが、元禄年間(1688-1704)に光圀の宗教改革で、鹿島、香取の両神を祀る神社となったそうです。境内社に八幡神社があるようですが、かつての名残りなのだろうとあります。
鹿島・熊野神社(青柳町36°23'50.8"N 140°28'27.4"Eあたり)
「同姓」という言葉が神額に書かれていますので、同族の守り神なのでしょう。鹿島神社と熊野神社を一緒に祀るのは珍しいようです。白い鳥居は印象的です。
平戸町・吉田神社(平戸町1979)
平戸館という、やかた跡に建てられた神社で、はじめ今宮八幡だったそうですが、光圀の宗教改革で吉田神社にかわったそうです。祭神は日本武尊だそうです。その境内社の1つに鹿島神社(祭神は武甕槌命)があるようです。写真右から2番目がたぶん鹿島神社だろうと思います。左から2番目の石祠は、たぶん八幡神社で、これもかつての名残りなのでしょう。光圀の命でも、村の人たちは、八幡神社の痕跡を残しておこうとしていたようですね。