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水戸の聖徳太子

2018-04-04 20:49:46 | 水戸

 聖徳太子は早くから信仰の対象になっていたようで、救世観音や、日本に生まれた釈迦などとも見られたようです。鎌倉時代以降、真宗寺院による聖徳太子伝などや、遊行僧(ゆぎょうそう)などによって、一般化していったようです。室町時代の終わり頃から、大工職などの職人の間にも太子講がひろがったようです。

 

聖徳太子と山之神の碑(元吉田町 荒谷一本松信号、西30m位)
 山之神は、山仕事に携わる人たちも祀ったようなので、この碑は職人による太子講の記念碑かもしれません。嘉永2年と刻まれています。ここには、子安観音や百万遍供養の碑を加えて5つの石造物が並んでいます。

 

聖徳の碑(鯉淵町 県道105号線、鯉淵小学校すぐ先)
 下方が埋まっているので聖徳しか見えません。嘉永(1848-55)の文字も見えます。ここには、地蔵や二十三夜塔など10基ぐらいの石造物が並んでいます。

 

聖徳太子尊(赤塚 宮西共同墓地(宮西児童公園前))
 御大典を記念して、太子講によって昭和3年に建てられた碑のようです。

 

聖徳太子記念(六地蔵寺 六反田町767)
 旧法宝蔵の前あたりにあります。これも大工職の人たちの建てた碑だそうです。今年もシダレザクラの花を楽しむ人がたくさん訪れていました。

 

聖徳太子尊(河和田2 国道50号線赤塚小南30m位南)
 明治15年と刻まれた碑で、代表者の肩書きが棟梁となっていますので、大工職の太子講が建てたものなのでしょう。これも「尊」がついていています。3本の道路に挟まれた小さな三角の土地に、地蔵、如意輪観音と共に並んでいます。

 

太子堂(善重寺 酒門町2096-2)
 徳川光圀が奉納したという聖徳太子像が納められたお堂だそうです。浄土真宗の善重寺は、幕末の騒乱で聖徳太子像を残して全焼してしまったそうです。脇にある聖徳太子記念碑を建てたのは鳶職組合でした。

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