ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

右の手の悲しみを/左の手が支え/左の手の決意を/右の手が うけとめる

2017-12-11 06:27:21 | 日記
2週間ぶりで教会に行き、礼拝に出席しました。
2週目のアドベント(待降節)に入っていて、クリスマスの飾りつけと共に2本のロウソクが
灯されていました。
クリスマスを迎えるにあたり、今年は いつもの年より一層、
『地には平和』
を、と祈りたく思います。

穏やかな青空が広がっていました。
教会を出て、ひ孫へのプレゼントの本を選びに書店に寄り、二冊ほど買ってきました。
可愛らしいデザインの包装紙でラップし、赤いリボンも付けて貰いました。

本当は、私の与えたい絵本を選びたかったのです。
でも、ひ孫が喜ぶキャラクターものを買いました。
これは、私の進化 ?
それとも 退化 ?
つまりは、笑顔が見たいだけの選択基準でした。

でも、今日は心が穏やかでしたので、
「まっ いいか」
と。

     『―― 冬の空 ――』
                    井上洋治
      凍りつくような
       冬の朝
       どこまでも澄んだ青い空に
      高く高くのびる けやきの枝
       葉一枚ない けやきの枝

       白い雲が流れ
       光が舞う

      透明だ
      透明だ

      あ、風がきこえる

詩の作者 井上神父さまは、『イエスの見た青空が見たい・・・・』と仰っていたことを
思い出しました。
そしてまた、
 《・・・・・・可哀そうな人を見れば可哀そうだと同情するのも人間であれば、
  人の幸せを見て心の内で嫉妬し、密かにその人の不幸になることを思ってたのしむのも
  また同じ人間である。
  ・・・・・・真摯に道を求めようとするのも人間であれば、本能的な欲望に引きずり
  まわされて喘いでいるのもまた同じ人間である。・・・・・・
  この両面を、小細工せずにそのまますっとお任せする姿に、私は合掌という姿勢の
  一番おおきな魅力を見たいと思うのである。》
と述べられて、
 《からだを合掌という姿勢にもっていけば、心もおのずから お任せの安らかな気持ちに
  なっていくということもまた本当であろう。》
と、高田敏子さんの次の詩を紹介なされて、語られています。

     神さまや仏さまが
     ほんとうに いらっしゃるか どうか
     でも あの合掌したときの安らぎは
     どこからくるのでしょう
     右の手の悲しみを
     左の手が支え
     左の手の決意を
     右の手が うけとめる
     その上を 流れる 静かな時間
     こうした姿勢を教えてくださったのは
     どなたでしょう
     ・・・・・・・・・
上掲、(井上洋治著作選集(9))より、引かせていただきました。
神父さまの、穏やかな笑顔を思い出しながら。
                        〈ゴマメのばーば〉
コメント (6)
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