散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ウクライナとロシア~二つのルーシの歴史的関係

2014年04月26日 | 国際政治
マスメディアが騒いでいるだけではなく、当事者のウクライナが危機を訴えるようになった。25日のロイターによれば、ウクライナのヤツェニュク首相は、ロシアが同国を軍事・政治の両面で掌握し、紛争を欧州に拡大することで「第3次世界大戦」を引き起こそうとしていると強く非難した。

しかし、ロシアのこれまでの態度は、クリミアとウクライナでは異なっている。ヤツェニュク首相がどのような意図でこの発言をしたのか、そこが問題だ。プーチンの態度を読んで、挑発しても大丈夫と考えたのなら、ロシアと何らかの歴史的に特別な関係にあるとの認識に起因するのかもしれない。

その特別な関係は下斗米伸夫教授の「ロシアとソ連」(河出書房新社(2013))の『はじめに』及び『おわりに』で素描されている。
 『ロシア革命におけるレーニンと古儀式派(2)20130513』

ペラルーシはウクライナの隣国である、筆者の小学校時代は白ロシアと呼んでいた。ルーシはロシアの古語で、このロシアはウクライナと共にソ連邦の中にあった。筆者の記憶によれば、両者ともに国際連合に加盟していたことを、その時、疑問に思ったことを覚えている。回答は見当たらなかったが。

表題の二つのルーシはマロルーシ(小さなロシア=ウクライナ)とペリコルーシ(偉大なロシア=ロシア)になる。1666年のロシア正教会・総主教のニーコンによる改革によって、正教のテキストと儀式の統一と共に二つのルーシの政治的統合が図られた。

その意味で「1666年こそは、ソ連崩壊に至る歴史ドラマの起点」(前掲書P285)と指摘される。
一方、その頃の日本は徳川幕府による天下統一の50年後である。その後200年、平和裡に時代は流れて、鎖国の中で爛熟した文化が形成された。

しかし、上記の統一はペリコルーシによる合併というよりは、ギリシャ、ローマ教皇庁などカトリック系キリスト教による、オスマントルコの台頭に対するキリスト教の危機感を基盤とした対抗勢力の形成の色彩が強い。それは、ロシア・ピュートル大帝の西欧社会への接近という意図と合致し、政治が宗教を従えて大国化への道を進んだことになる。

従って、統一ロシアの中でのロシア側、特にニーコン改革に抵抗する正教徒・古儀式派にとっても、違和感が残されている。すなわち、ウクライナはカトリック系キリスト教徒も多くいるのだ。
この辺りの様相は、京極純一が『日本社会と「憲法問題」感覚』(「政治意識の分析」所収(岩波書店)1969)において指摘する、戦後日本における新旧中間層の相克と似ている面もある。但し、宗教的側面は日本とは異質だが。

「従って、エリッィンがウクライナ・ナショナリズムとの別れを意識し、ロシアの独立にひた走り、その権力は今、プーチンが握る。」(前掲書P285)。プーチンが宗教も含めてロシア・ナショナリズムを、その政治的アイデンティティの基盤においているのは確かだ。従って、言語、宗教も一体的であるクリミアへの執心は理解できる。

一方、ウクライナは、プーチンから見れば、分裂国家であり、それを丸ごとロシアの国家に組み入れる意図はないと考えられる。それは経済破綻国家を抱え込むことでもあり、社会的不安定の要因ともなるからだ。但し、連邦制を主張していることから、東ウクライナに関してはクリミアと同じく、自発的に編入を意思表示すれば、統一に動くだろう。従って、これは長期的課題になる。

G7諸国はロシアをG8から除外したが、おそらく、上記の状況の中でロシアが欧米を志向した政策をとるとは思えない。巨大なエネルギー資源を武器に向かう先は中国、日本からインドへ向けてのアジアになるだろう。そして、ウクライナの命運はEUが先ず握ることになる。





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