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喜多圭介のブログ

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井上靖の文学(二)

2007-04-06 20:48:16 | 文藝評論
『青衣の人』は純文学ですが、決して堅苦しくない、大衆小説的雰囲気の作品です。

大衆小説的雰囲気の作品を、私は読者にとっての「旅」と捉えています。旅行することは読者にとってはカタルシスであり、大きな気分転換です。売れる小説というのは、この要素を持っています。この作品は冒頭から読者を「旅」に引き込んでいます。

もう少し先を見てみましょう。

道介は駅の近くの比較的大きな構えの旅館を選んで、そこで休憩することにした。朝風呂にはいり、朝食を摂り、なお時間が二時間余りあったので、その間に、伊豆の療養所にいる妻の珠江に短い手紙を認(したた)めた。

ふと来てみたくなって、琵琶湖へ船に乗りに来た――こう認めて、ふと来てみたくなってという言葉に、また、珠江が病人特有の神経からとんでもない想像を逞(たくま)しゅうするのではないかと思って、折角認めた葉書を破り棄てた。

ふと来てみたくなって――と書いたが、実際にふと来てみたくなって、道介は、琵琶湖にやって来たのであった。花瓶とか、茶碗とか、そうした道具の形と取り組んで、土を弄(いじ)っていると、時に堪まらなく人工を経ない自然の姿に心惹かれることがある。今度の場合もそうであった。

十一月に個展を開くことになっており、作品も一応揃い、あとは箱書をして百貨店の方へ渡す仕事が残っているだけで、それまで多少の暇があったので、京都の陶工で、親しい友達の山口一二郎に会うことを兼ね、ふと格別の用事も持たず琵琶湖の上に浮かんでみたい気持に取り憑かれたのである。

琵琶湖の風景も、近江八景といった恐らく多分に通俗的であるに違いない風景に、今までそうしたものに顔をそむけて来ただけに、この際改めて注意を向けてみたい気持があった。もちろん、何時間かの遊覧船で、近江八景の総てを廻ることはできなかったが、ツーリスト・ビューロー案内書の写真でみた堅田(かただ)の聚落(じゅらく)と比良(ひら)の山容を船の上から何となく遠望できれば、それでこの短い旅行は充分満足の筈であった。

そうした自分の心を、素直に妻に伝え得ないことが、ちょっと悲しくもあり、腹立たしくもあった。相手が何年越しかの病人であれば、真面目に腹を立てるには当らなかったが、生れて来て結局は自分の一番の幸いであるらしいこうした短い旅のささやかな悦びを、そのまま素直に受け取ることの出来ない人間の心というものが悲しく思われるのである。

ここで作者は主人公の職業と既婚者であるが妻は病気療養中、さらに微妙な夫婦関係にあることやこの旅の動機を語っています。

琵琶湖遊覧船出航時間がきたので道介は遊覧船に乗り込み、窓際に座ります。先程の娘との再会。作者はドラマ展開を仕掛けたのです。娘は道介の真向かいに腰掛けながら最初は道介に気付いていませんでした。訳あり娘がさらに訳ありであることを表しています。

H丸という、思ったより大きい六百トソの汽船だった。三、四百人の乗客がいたが、二等は三十人ほどで、がらがらに空いていた。

四方が硝子張りでひどく明るい船室だったが、あるかないかの陽が海に照っている晩秋の今日人は、室全体少し寒々とした感じだった。

道介は左舷の窓際の席に腰を降ろした。船が動き出すと、これから数時間ここで過さなければならないと思うと、少しやり切れない気持もしたが、窓外の風景に倦きたらぽんやりして眼をつむり、船の動揺に身を任せているのも、それはそれで、結構娯しい大切なことであるかも知れないと思う。

比良はさすがに美しかったが、堅田付近は湖上から見ると、想像していたより貧しかった。湖岸がごみごみして見え、そこに浮かんでいる浮御堂(うきみどう)も、周囲の大きい眺望の中では貧相でしかなかった。しかし名を知らぬ水鳥の集団が、浮御堂と汽船との中間の波間に浮いていて、紙屑のようなその小さく白い生きものの姿が波間に隠見するのは、眼に美しかった。
【中略】
女の眼が湖面から転じて、二度目に道介の顔にまともに移された時、女はその時初めて道介に気付いたらしく、
「ああ、あの――」
と軽く叫びをあげて、硬い表情のまま会釈した。
「あれから、どうなさいました」
と道介は訊(き)いた。
「石山へ行って参りましたの。電車で」
「石山へ!」
「誰も居りませんでした。もっとも朝からあんな所へ行く人もないんでしょうが」
 そう言って女は笑った。