喜多圭介のブログ

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悲愁の文学――太宰治論

2007-01-31 00:23:14 | 文藝評論
10 むすび


生活破綻者の文学では太宰以外にも太宰が親近感を持った葛西善蔵や檀一雄、坂口安吾といないこともないが、躁鬱病との関係を作品で如実に表現したのは太宰一人ではなかったか。

太宰は渡世上では道化芝居を演じたが、文学上では終生、俗物的妥協、堕落をしなかった、というよりも太宰の躁鬱精神がこれを許さなかった。世には若い頃の純粋性を何処に置き忘れたのか、ちっぽけな功なり名遂げると、いっぱしの文化人、作家気取りの人物をまれに見かける。だが太宰は、当時の文壇の権威に追従したり、利用することもなく、大衆、時流に阿(おもね)ることもなく、孤高のひとであった。

この辺のことも実は太宰の健全精神からそうであったと考えるよりも、躁鬱は自分のことしかみえない、エゴイズムな感情に囚われやすい症状であるからこそ、純粋性を保ち得たのかもしれない

太田静子との関係では太宰の身勝手が顕著であるが、この点についてはいずれ『斜陽』、『人間失格』を考察する機会があれば、そのときに譲りたい。

『風の便り』、『虚構の春』で他人との手紙や葉書の遣り取りをデフォルメして利用した節がないわけでもないが、これとても太宰の躁鬱を考慮すると、自らは世間の常識から外れた無心の行為であったとみなしてもよい。

いずれにしても太宰のall-or-nothingの矜持(きょうじ)を、私は高く評価したい。

昨今太宰のように躁鬱を抱えながら作家を目指している若者は、増加傾向にある。こうした人たちに全九巻の小説と一巻のエッセーを遺した太宰文学は、死への誘(いざな)いでなく、生への執着を鼓舞する勇気を与えてくれると、私は考えている。

私はこの小論において現代の精神医学の面から太宰を躁鬱気質として扱ってきたが、考察する間において、頭に去来していたのはニーチェが著した次の文章であった。もし太宰がディオニュソス的人間の遺伝子を精神健常と認められている人たちよりも色濃く持っていたとしたら、あるいは我々が作り上げた、あるいは構築しようとしている現代社会そのものが、ディオニュソス的人間を疎外し続け、さらに躁鬱気質やら分裂症の人間を増大していくのではないかという懸念であった。

ディオニュソス的人間というのは、この意味ではハムレットに似ている。両者はともに事物の本質を本当に見ぬいた、つまり〈見破った〉ことがあるのだ。そこで彼らは行動することに嘔吐をもよおすのである。なぜなら、彼らがどのように行動したところで、事物の永遠の本質にはなんの変わりもないのであり、関節がはずれてしまったこの世を立てなおす務めなどをいまさら負わされることに、彼らは滑稽を感じ、あるいは屈辱感しかいだかないからである。認識は行動を殺す、行動するためには幻想(イルージョン)のヴェールにつつまれていることが必要だ――これがハムレットの教えであって、多すぎる反省のために、いわば可能性の過剰から、行動するに至らない夢想家ハンスのあの安っぽい知恵ではないのだ。行動へかりたてるすべての動機を圧倒するのは――反省なんかでは断じてない!――真の認識、身の毛のよだつ真実への洞察なのだ。ハムレットの場合も、ディオニュソス的人間の場合も。こうなるとどんな慰めももはや役に立たない。あこがれは世界を飛びこえ、神々さえ飛びこえて死に向う。生存は、神々や不死の彼岸におけるそのまばゆい反映もろとも、否定される。ひとたび見ぬいた真実の意識のうちに、今や人間はあらゆる所に存在の恐怖あるいは不条理しか見ない。今や人間はオフェリアの運命にひそむ象徴的なものを理解し、森の神シレノスの知恵を認識するのだ。彼は嘔吐をもよおすのである。

この時、意志のこの最大の危機にのぞんで、これを救い、治癒する魔法便いとして近づくのが〈芸術〉である。芸術だけが、生存の恐怖あるいは不条理についてのあの嘔吐の思いを、生きることを可能ならしめる表象に変えることができるのである。(後略)

ニーチェ著『悲劇の誕生』より

ニーチェは八十九年一月三日(四十四歳)、イタリアはトリノのカルロ・アルベルト広場で昏倒し、精神錯乱のまま一九〇〇年八月二十五日ワイマールに没す。


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悲愁の文学