(■読んだもの、□読みたいもの)
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)
■斎藤惇夫(藪内正幸画)『冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間』
ガンバと15匹のねずみたちが八丈島をモデルにした南の島に、仲間を助けるためにイタチと闘いに出かける冒険物語。
アニメにもなった有名な作品だと思うが、読むのはこれがはじめて。アニメも実はちらりとしか見かけたことがない。
味方といってもいい人ばかりでないなどよく出来た冒険活劇だと思うが、どうしても、ドリトル先生のネズミの話や、ミス・ビアンカシリーズと比べてしまう。そして、これら2つの方が圧倒的に好きなのである。
日本人の書いた文学は当然作者の心の赴くままに口調(台詞)もくだけている。それに比べ翻訳児童文学の文体は、(現代のものはともかく)昔の作品は、格調高い、というか抑制が加えてあってそこが好きだ。
挿絵も、ガース・ウィリアムズに比べると・・・・。
大体縮尺が間違っている絵が多い。ねずみやイタチがリンゴ、バナナ、パイナップルを食べるのだが、その大きさが、人間:バナナの比と同じなのだ。がっかりする。
ミス・ビアンカの挿絵では実際のねずみ:もの比で描いてある。拡大鏡で覗いたような独特の挿絵世界はこういう正しい縮尺でものを描いているところからくるのでは。
■深田祐介『美食は人にあり』
文庫版タイトル『美味交友録』。
タイトルにひかれてつい借りてしまったが、大失敗。最低。著者が有名人との交友をひけらかす、というエッセイで、何の面白味もない。
台湾で××ホテル総支配人に招待されてどこのレストランに行ったとか、パリで辻調理師専門学校パリ校の校長の××氏に紹介されてどこのレストランに行ったとか(内容と違ってるかもしれないけど)それに近いことが延々と連ねてある。
全ての登場人物の出身校、職業、肩書き(総支配人とか支店長とか)がこんなに無意味に出てきてかつその人物像がまったく話にかかわらないエッセイというものもあるのだ。あきれる。
西原理恵子がマリ・クレールなどに登場するような女社長のことを「国際的な私。ゴージャスな私。セレブと知り合いの私。私を見なさい」と要約しているがまさにそんな感じのエッセイ。こういうのを「下品」というのではないか?
この作家、小説は面白いのかもしれないけれど、二度と手に取りたくない。忘れないために記録しておく。
■村上春樹『海辺のカフカ』(上・下) 2008.2
これまで読んだ村上春樹の小説のモチーフがあちこちにある。幼なじみで完璧な恋人である佐伯さんとその恋人は、『ノルウェイの森』。「僕」のお父さんはほとんど人物描写なしにまわりに悪をまき散らす人と描かれて言えるが、『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる女の人のお兄さんもこんな描かれ方ではなかったか。ナカタさんがひたすら眠るところは『レキシントンの幽霊』。
いつものとても読みやすい村上春樹の文体はなつかしかった。
暗示や比喩が多いよく分からないストーリー(ファンタジー?)にも思えたけれどちょっと取り憑かれてしまうような力があると思った。小説のせいか春のせいか、眠くて仕方がない。疲労感がどっと押し寄せる。読むべきではなかった?
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)
■斎藤惇夫(藪内正幸画)『冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間』
ガンバと15匹のねずみたちが八丈島をモデルにした南の島に、仲間を助けるためにイタチと闘いに出かける冒険物語。
アニメにもなった有名な作品だと思うが、読むのはこれがはじめて。アニメも実はちらりとしか見かけたことがない。
味方といってもいい人ばかりでないなどよく出来た冒険活劇だと思うが、どうしても、ドリトル先生のネズミの話や、ミス・ビアンカシリーズと比べてしまう。そして、これら2つの方が圧倒的に好きなのである。
日本人の書いた文学は当然作者の心の赴くままに口調(台詞)もくだけている。それに比べ翻訳児童文学の文体は、(現代のものはともかく)昔の作品は、格調高い、というか抑制が加えてあってそこが好きだ。
挿絵も、ガース・ウィリアムズに比べると・・・・。
大体縮尺が間違っている絵が多い。ねずみやイタチがリンゴ、バナナ、パイナップルを食べるのだが、その大きさが、人間:バナナの比と同じなのだ。がっかりする。
ミス・ビアンカの挿絵では実際のねずみ:もの比で描いてある。拡大鏡で覗いたような独特の挿絵世界はこういう正しい縮尺でものを描いているところからくるのでは。
■深田祐介『美食は人にあり』
文庫版タイトル『美味交友録』。
タイトルにひかれてつい借りてしまったが、大失敗。最低。著者が有名人との交友をひけらかす、というエッセイで、何の面白味もない。
台湾で××ホテル総支配人に招待されてどこのレストランに行ったとか、パリで辻調理師専門学校パリ校の校長の××氏に紹介されてどこのレストランに行ったとか(内容と違ってるかもしれないけど)それに近いことが延々と連ねてある。
全ての登場人物の出身校、職業、肩書き(総支配人とか支店長とか)がこんなに無意味に出てきてかつその人物像がまったく話にかかわらないエッセイというものもあるのだ。あきれる。
西原理恵子がマリ・クレールなどに登場するような女社長のことを「国際的な私。ゴージャスな私。セレブと知り合いの私。私を見なさい」と要約しているがまさにそんな感じのエッセイ。こういうのを「下品」というのではないか?
この作家、小説は面白いのかもしれないけれど、二度と手に取りたくない。忘れないために記録しておく。
■村上春樹『海辺のカフカ』(上・下) 2008.2
これまで読んだ村上春樹の小説のモチーフがあちこちにある。幼なじみで完璧な恋人である佐伯さんとその恋人は、『ノルウェイの森』。「僕」のお父さんはほとんど人物描写なしにまわりに悪をまき散らす人と描かれて言えるが、『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる女の人のお兄さんもこんな描かれ方ではなかったか。ナカタさんがひたすら眠るところは『レキシントンの幽霊』。
いつものとても読みやすい村上春樹の文体はなつかしかった。
暗示や比喩が多いよく分からないストーリー(ファンタジー?)にも思えたけれどちょっと取り憑かれてしまうような力があると思った。小説のせいか春のせいか、眠くて仕方がない。疲労感がどっと押し寄せる。読むべきではなかった?
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