沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

神代植物公園と深大寺

2024-03-03 | 国内旅行

神代植物公園と深大寺に行ってきました。両方とも「ジンダイ」と呼びます。

神代植物公園

(経緯)

この辺りは戦前は神代村で、空襲による火災延焼防止に備えるため、東京市が広大なグリーンベルトの防空緑地を東京市郊外に整備した。

ここの防空緑地の名称が「神代緑地」で、戦後の農地解放(食糧難のため緑地で小作していたが、GHQが小作人に払い下げを指示)で民有地になった。

しかし、都市計画では緑地決定されていたため、東京都が再び土地を買い戻し公園を整備し、神代植物公園となった。

正門左手の植物会館です。
牧野富太郎の著作がありました。

葉、茎、花、果実、種子が断面図も添えられています。
植物の特徴を精緻に観察・描画し、分類し、標本を作製する


植物採集し、標本と比べて、種を同定し、未知のものは調査を重ね、新種を見つけたら発表していく。
この一連の作業を効率的に進め、日本中の植物の名前を明らかにしていく上で不可欠なのが植物図鑑
牧野日本植物図鑑を、私財を投じて作った日本の植物分類学の父です。


植物研究雑誌も刊行しています。
 
公園内の植物は、開花の準備の真っ最中で、梅林に多くの人が集まっていました。


園芸目的で品種改良された、たくさんの梅が咲いています。
八重咲きもあるのですね。
こちらは花が多くて、桜に近い感じです。

花を求めて、大温室へ。睡蓮。

ブルグマンシア・ベルシコロルだそうな。
「エンジェル・トランペット」の方が覚えやすいですね。

ヒスイカズラ 翡翠色の植物は珍しいですね。

ベゴニア室です。 落下した花を水面に浮かべています。

ベゴニアの花って、小さいと思ってたけど、こんなに大きいものがあるとは。
 
「ベゴニア」の由来は、カリブ海にあるフランス領アンティル諸島のベゴン総督の名前
ベゴン総督が植物学者プリュミエをこの地域の植物採取者としてルイ14世に推薦してくれた。
恩義を感じたのか、1700年に出版した書物の中で「ベゴニア属」として紹介した。
ヴェルサイユ宮殿に飾られて、多くの人々を驚かせたに違いない。

花だけではわからないが、茎をみると弱々しいベゴニアだね。

深大寺
400年の歴史を持つ深大寺そば玉乃屋さん。

手打ちの十割そばです。コシがあって良いです。つまみ山菜に熱燗1本。

「門前の 蕎麦はうましと 誰もいふ この環境の みほとけありがたや」 (清水比庵)歌碑


本堂です。

山門から境外に出ました。
水路にビールケースと板を乗せて。これはやっぱり、明日の準備かな。あちこちで場所取りです。

「だるまさんが嗤った」
だるま市が明日、あさって開催で、たくさんの人出がありそうです。


鬼太郎茶屋
水木しげる氏の第二の故郷、調布市「深大寺」門前に妖怪グッズ、ゲゲゲの鬼太郎び世界。
バス通りの梅もきれいに咲いていました。

小田原から箱根

2024-02-09 | 国内旅行

小田急電鉄に乗って、箱根に行ってきました。

小田急の特急と言えば、赤い車体の展望台があるロマンスカーと思っていましたが、ブルーの車両。

しかも、特急ロマンスカー・MSE(60000形)は運航15年記念で、地下鉄にも乗り入れしてるらしい。初めて乗ったけど…。

 

箱根は、月曜日の大雪で何も出来そうもないので、往復、小田原観光しました。

小田原駅から徒歩10分程度に、小田原城があります。


ロウバイが咲いてました。

天守閣に向かいます。正面に大きなマツがありますね。

お堀で、花菖蒲の手入れをしているのかな。

戦国時代の古図に描かれ、現存する唯一の松。樹齢400年以上だね。
1590年の小田原合戦で豊臣秀吉の前に、小田原城は開城し、秀吉の天下統一となった。

早咲きの河津桜。

天守閣。貸衣装の赤い甲冑を身につけた外国人観光客。

天守閣からの眺望。

最近リニューアルされた展示映像が、とてもわかりやすかったです。

小田原駅。新幹線と東海道線の貨物列車が見えます。
 
「ミナカ小田原」です。城下町の再現と背後の14 階タワー棟が一体化した再開発事業。

小田原みなと食堂で地魚刺身定食。肉厚で美味しい。
城下町の3階にある金次郎広場。この先、まっすぐ進むと小田原駅に接続し、便利です。
シュークリームも人気です。



薪を背負って本を読む銅像の二宮金次郎が、ここでは、夫婦。
「映画二宮金次郎 夫婦像」で、映画のテーマに。藩の財政再建だけでなく、600以上の村の農業基盤改善に取り組み、多くの人々に豊かさをもたらした。

箱根のホテルから。雪景色と温泉露天風呂で癒やされます。
箱根と小田原間は、ホテルの送迎バスで45分。この険しい上り下り道を、箱根駅伝の選手たちは疾走する。小田原中継所は蒲鉾屋さんの駐車場。大変な競技だね。

小田原駅の階段です。
小田原城は、1501年北条早雲が進出後、約100年間にわたり北条氏の拠点となった。
広く関東地方を支配下に、難攻不落、無敵の城といわれ、1561年上杉謙信、1569年武田信玄の攻撃に耐えた。

【JAL】機内安全ビデオ~皆さまの安全のために~

2024-01-12 | 国内旅行

燃え上がるJAL機をみて、誰もが乗客・乗員の被害を想定したと思う。

脱出に関する報道は一切無く、NHKは機体が燃えつきるまで中継を続け、トラウマになりそうだった。

民放が最初に「乗客乗員が全員脱出」を報じ、事実確認に時間を要したNHKの報道はずいぶん後だった。

燃え続ける機体からは信じられない、「乗客・乗員全員脱出の奇跡」が生まれた。

 

客室乗務員の適切な行動と、それに従った乗客の冷静な行動が、奇跡につながった。

冬の札幌から到着。東京も外は寒いし、貴重品もある。客席上部の棚に収納したコートや貴重品の入った手荷物を取り出したい人も多かったはずだ。

 

「脱出時に、荷物は持たないでください。」

CAの鋭い言葉が、全員の命を救った。

 

CAが救命道具や酸素ボンベの使用方法を実演してたのは昔のことで、今は機内に映像モニターが装備され、安全ビデオが定期的に更新されている。

JAL機を愛用しているので、機内安全ビデオは何度も見たが、今回の奇跡は、改良を重ねた4分間の安全ビデオの効果が大きいと思う。

 

アニメで要点を、男性の声でわかりやすく説明し、英語は女性の声だ。

特徴的なのは、CAの説明はわずか4回。しかし、印象的で耳に残る

1)「安全について説明しますので、必ずご覧ください。」冒頭

  CAは両手を前に組み、毅然としている。

2)「緊急時は、乗務員の指示に従ってください。」 1分15秒

  CAは両手を組み、鋭い声で緊急時の説明開始を知らせる。

3)「脱出時に、荷物は持たないでください。」   2分35秒

  CAは一歩前に出て、両手を拡げ、厳しく鋭い声になる。

4)「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。」   3分30秒

  CAは両手を組み、穏やかになり、軽く会釈する。

 

【JAL】機内安全ビデオ~皆さまの安全のために~

地震被害のあった金沢放送局に、昔勤務していたNHkの女性アナウンサーが、鋭い声で津波避難を呼びかけたことが話題になったが、この安全ビデオのCAの声も、強く印象に残るので、同じくらいの効果があるのではないかと思った。

 

ANAの機内安全ビデオは、画面右下に手話が入っているのが特徴だが、JALのようなメリハリがない。

一律的な説明では、緊急事態に、どれだけビデオの記憶を蘇らせることができるのか。

ANA 機内安全ビデオ【2021.11.01~】

 

機内安全ビデオは、航空各社それぞれが工夫しており、楽しみのひとつである。

台湾のエバー航空も面白かった。しかし、JAL機のような、緊急時のメリハリはない。

エバー航空A330-300機内安全のご案内_ 機上安全宣導片(中日台發音)

JAL機が奇跡を起こした、大きな要素だと思う。


ひがし茶屋街と金沢の食事

2023-11-24 | 国内旅行
「ひがし茶屋街」
金沢城の東側に位置し、寺院の参道周辺に伝統的町屋が建ち並ぶ。
江戸時代の伝統的家屋を保存するため、文化財保護法に基づき、文化庁が重要地区に選定(東山ひがし伝統的建造物群保存地区)。

「茶屋」

茶店やカフェではなく、江戸時代の社交の場芸妓が客をもてなす場所

裕福な商人や町衆が集まり、公的な職務を担う武士は出入りを禁止されていた。


和服を着た人がいる。芸妓さんかな。観光客への着物レンタルサービスとは違うようだ。

外国人が多い。人がいなくなったわずかな隙に、カメラを構えた。

着物姿は、風情があって良いね。きんつばのお店みたいだ。


歩いてホテルに戻る。

【徳田秋声記念館】
時間外で入れなかったのが残念。
徳田秋声の「町の踊り場」は、金沢の姉が死去し、葬儀のため帰省した体験を描いた。姉の家を抜けだして裏町のダンスホールに立ち寄ったりする奔放な行動が、満洲事変後の戦争に向かってゆく時代や、古い文化と新しい文化が交錯する金沢の街が鮮やかに浮かび上がる秋聲珠玉の短篇で、川端康成が高く評価した。ダンスホールは、ひがし茶屋街のことだね。

浅野川を渡る。

ホテルの能登牛会席お献立
芸妓さんはいないけど、地ビールに地酒(加賀鳶・超辛口)。前菜とお造り

能登牛陶板焼き

牛タン味噌煮込み

鰻の蓮蒸し

氷見うどん能登牛握り

水菓子

2泊目 のどぐろ北陸近海会席 連泊お献立
前菜とお造り

のど黒塩焼き

甘鯛オランダ煮
香箱蟹 蟹酢ジュレ

茶碗蒸し

氷見うどん にぎり寿司

水菓子

連泊だと、献立を変えてくれてありがたいです。すっかりごちそうになりました。
朝食は、ブッフェで洋食と和食。


金沢城に隣接した、便利なホテルでした。

最後の昼食は、再び駅ビル金沢百番街2階の「廻る富山湾すし玉」。かがやき盛り。
20組待ちだったので、受付に名前を書き、お土産を購入して、約1時間後にご馳走に。
金沢は、寿司が美味しいね。

それに、隣接の100MARTでは、「手取川 純米大吟醸 本流」が1割引だった。うれしいね。


石川の伝統工芸王国を探る

2023-11-24 | 国内旅行

金沢は、美術工芸の街で、文化的基盤を生かし、国立工芸館を招致できた。

町並みは美しく、伝統的な建築物が保全され、一度埋めた水路も復活させている。

国立、県立、市立、私立の博物館・美術館がたくさんある。

加賀藩は、加賀百万石と言われ財政豊かであった。それが文化的な豊かさの理由なのか

 

調べるために、石川県立歴史博物館に行ってみた。

赤いレンガの建物旧陸軍兵器庫を活用。陸軍は、兵器庫さえ立派なレンガ造にするほど金沢に気を遣ったのか。

47都道府県で唯一空襲を受けていない石川県。米軍は、文化財を攻撃しないことを知っての作戦だろうか。

左が、県立歴史博物館。右が、加賀本多博物館
中央が、辰巳用水の石管犀川から10キロ導水し、兼六園に水を配し、兼六園の霞が池から逆サイフォンの原理で金沢城へ揚水した。
一旦下がって、また揚がる。二の丸は空堀だったが、火災防止を理由に水が入ることに。
 

加賀藩が100万石になった経緯とその維持

  • 織田信長から、能登一国を与えられる。
  • 豊臣秀吉から、北加賀二郡と越中三郡を領土をもらう(越中は富山県)。
  • 徳川家康から、関ヶ原の戦い後に、南加賀二郡を得て、領地は百万石を超えた(西軍だったが、北陸では東軍と和睦した)。
  •  前田家は外様大名だが、徳川の娘を正室に迎え入れる※など将軍家と姻戚関係を結び、幕府内で徳川御三家に準じる待遇を受けた。
  • 前田家は、格式の高い家として知られ、幕府は前田家に対して重大な処分を下すことはなかった。
  • この結果、前田家は加賀百万石を築き、財政的に豊かな藩を維持することができた。

⇒※徳川家の養女を妻に迎えたのは、第2代藩主前田利常と第4代藩主前田光高

石川県立美術館で観た「国宝 無銘正宗」は、前田光高が徳川家光の養女・阿智姫(水戸徳川頼房の娘)を正室に迎えたときの引き出物だった。

100万石の富を幕府が懸念する軍事力では無く美術工芸の発展に充てて伝統工芸が栄え、幕府の信用を得た

 
加賀百万石の武家文化を支えた5万石という破格の加賀本多家全国の家臣の中でも最高禄
初代の本多政重は、徳川家康の重臣である本多正信(「どうする家康」では松山ケンイチが演じているらしい)の次男
本多家の家臣500人以上が、本多家上屋敷(現在の県立美術館や博物館)に出勤していた。
今も、この博物館がある公園は、本多の森公園となっている。

村雨の壺
本多家随一の家宝である。銀山のある新川郡(現富山県)の領有権が幕府か加賀藩か問題となった際、本多政重が幕府と交渉し、加賀藩のものとなった。功績をたたえ5万石を10万石に増やす話を辞退し、代わりに村雨の壺受領した。5万石の壺と言われる。

昔、富山県が加賀藩に属していた証拠の壺だね加賀・越中・能登の三国合せて119万2760石

本多家の鎧、兜の実物が迫力満点。写真撮影はOKだが、SNS投稿不可なので割愛。
 
上から、
大十文字槍 おおじゅうもんじやり 江戸時代初期
 本多政重の所用。
 
大身槍 おおみやり 室町時代末期
 本多政重が1600年の関ヶ原の戦い使用したと伝わる。柄を入れると3mにもなる。
  • 「どうする家康」に出てくる本多忠勝は、6mもある大身槍で数々の戦で功績を挙げ、家康から10万石の桑名藩主を与えられた。
  • 本多正信を「腰抜け」と言ったそうだ。確かに槍の長さは2倍ある。
  • 加賀本多家は、武将と言うより、徳川家と交渉して前田家を支えた知恵者だね。
薙刀なぎなた 室町時代


金沢市立安江金箔工芸館
前田利家が、七尾で金箔を、金沢で銀箔を打つよう命じた記録があり、16世紀には始まっていた。
幕府が金座・銀座を江戸に設置したため途絶えかけたが、幕末には製造権を得て、明治期に産業として成長。
現在、日本の金箔の生産量は、金沢が100%に近い。
 
金打ちは、金を、厚さ1万分の1ミリになるまで何回も打ち伸ばして製造する。
金と金の間に、特殊な手漉き和紙を挟み、重ねて打つが、和紙造りに犀川の水質が重要だった。
右上の棒状の金塊から左へ、更に手前側の右から左へと、打つ工程を経て、薄く仕上がっていく。

金箔の薄さを、髪の毛(左の丸棒)と比較したもの。
薄くなるまで、ハンマーで何度も叩く。

金箔は、蒔絵や沈金など漆工芸に不可欠な材料。地元に、材料供給体制があった。
 
漆の乾燥には、湿度と温度が必要
 「沖縄は、湿度と温度が高く、漆の乾燥と硬化に最適」と室瀬和美先生から教わった。
 「首里城は、巨大な漆器」と高良倉吉先生は言った。
金沢や輪島は「弁当忘れても、傘忘れるな」と雨が多く、海に面し湿度が高く、漆の乾燥や硬化に適した立地
 
こうした条件が整い、石川県の漆工芸を発展た。

石積みの堀と道路。道路の中央には、用水を生かした、雪解け用の配管がある。

兼六園の外周の用水路

兼六園から出てくる水。

【本多家屋敷跡】

【兼六園周辺文化の森】
国立工芸館、県立美術館、県立歴史博物館、加賀本多博物館、文化財保存修復工房、県立能楽堂、金澤神社がある。
【石川県政記念しいのき迎賓館】
1924年の歴史的建造物の旧庁舎を再整備した建物。
3年に一度の国際漆展(11/9-11/21)が開催されており、運良く観ることが出来た。
国内外から出展された漆芸品のうち、入選16点入賞作66点が展示されていた(入場無料)。

入賞作(上記HPから)
加賀藩から続く伝統工芸王国の神髄を観た気がした。

石川県立美術館と国立工芸館

2023-11-21 | 国内旅行

兼六園に隣接して、石川県立美術館国立工芸館があります。

国立工芸館とは、東京国立近代美術館工芸館が2020年に金沢市に移転したもの。

 

両館で開催中の「皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川 - 麗しき美の煌めき -」を観てきました。

皇居三の丸尚蔵館(東御苑)は、開館30年を期にリニューアルし11月に部分開館
先日行ったけど、まだ工事中だったので、収蔵品を巡回展示しているのかな。
 
内容は、三の丸尚蔵館収蔵品に、石川県立美術館、国立工芸館、(公財)前田育徳会等所蔵の作品を加えた約120点を、県立美術館と国立工芸館の二会場で展示
  • 皇室の至宝
  • 皇室に伝わった石川の美術、工芸 
加賀藩前田家からの献上品や石川出身の人間国宝の作品など。
 
【皇室と加賀前田家】
国宝 刀 無銘正宗(名物 太郎作正宗) 鎌倉~南北朝時代 前田育徳会所蔵
徳川家の家臣 水野太郎作正重が所有していたもの。
徳川将軍に献上され、徳川家の養女が加賀藩主に輿入れの際、引き出物として下賜された。


【皇室の至宝】
国宝 動植綵絵さいえ(部分) 伊藤若冲じゃくちゅう(1716-1800) 三の丸尚蔵館所蔵
当時の最高品質画絹や絵具を惜しみなく使用したため、200年以上たった現在でも保存状態が良く、褪色も少ない。

当時の絵画は、屏風絵や絵巻など、物語を描く平面的な作品が多かった。
しかし、伊藤若冲は、動植物などの対象に焦点を当て、実物写生を基に独特感性で色彩を加え華麗な作品を数多く描いており、見応えがある。
西洋画と比べても、フランスのジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)より半世紀早く、こうした作品を生み出しており、感心する。
 
【皇室に伝わった石川の工芸】
鶏置物にわとりおきもの 1892年 由木尾雪雄ゆきおゆきお(1860-1929)三の丸尚蔵館所蔵
実物大の木製漆塗。作者は金沢生まれ、加賀藩お抱えの蒔絵師の父から蒔絵まきえを学ぶ。1900年のパリ万博で金牌受賞
 
蒔絵鷺文飾筥まきえさぎもんかざりばこ 1961年 松田権六ごんろく(1896-1986)  国立工芸館所蔵
宮内庁が制作委嘱。大きく羽を広げた鷺の白さが、黒漆の中で際立つ。
作者は金沢市生まれ、東京藝術大卒の人間国宝。「漆聖」と呼ばれた技術を持つ。輪島市漆芸研修所(現・県立)設立など後進の育成、漆芸文化継承に尽力人間国宝の室瀬和美(1950-)氏は、東京藝術大で松田権六氏に師事し、蒔絵をはじめ漆芸技法を習得。

国立工芸館の外観。
国立工芸館が金沢市に移転した理由は、地方創生と東京一極集中是正、政府関係機関の地方移転の中で、石川県が東京国立近代美術館工芸館の誘致し実現。石川県は「工芸王国」とも言われ、陶芸や漆芸、染織などの産地を抱え、国立工芸館の移転は地域の文化振興や観光振興に寄与すると。

施設は、旧陸軍の建物を移築・増築し、レトロクラシック。金沢出身の蒔絵師松田権六の仕事部屋が移築展示され、地元出身の工芸文化を引き立てている。

このあと、さらに石川の文化を探ることに。

兼六園の雪吊り作業

2023-11-19 | 国内旅行

運良く、兼六園名物の雪吊り作業をしているところでした。

【概要】

庭園のマツは、春先に芽(ミドリ)摘みをして、枝を横に伸ばし美しく仕立てるが、雪国では雪の重みで枝が折れるリスクがある。

雪国の名園を代表する兼六園で生まれた造園技術が、雪吊り

対象の樹木1本に、15人くらいの職人が集中して取組む。

11月から12月中旬にかけて行われる兼六園の雪吊りは、テレビで風物詩として紹介される。

 

【支柱】

樹木のそばに、支柱をまっすぐに立てる。ロープを支える大事な支柱だ。

支柱の先端に位置した職人が、ロープをたぐりあげ、合図で投げ下ろす

【ロープ】

全部で130本くらい使うかな。まだ、多くのロープが残っている。

【枝にロープを結ぶ職人】
ロープは、均等間隔で、途中の枝に引っかからないよう注意して、枝に固定する。
ロープを均等間隔に張ると傘を開いたようになる。強風時には、樹木全体で風を受け枝を守る。

途中の枝にロープが引っかかると、その枝にいる職人に捌いてもらう。
職人同士が、ひっきりなしに、声を掛け合っている。

【頂上の職人】
忙しい。体力と精神力と技術力が要求される役割だ。
足場は、どうなっているのだろうか。

時々、遠くを見ている。
腰を曲げたままの力作業の連続は、つらい。
腰を伸ばしているのだろうか。

【作業車】
軽トラ1台。ロープの束がある。
脚立やバリケードを積み込む。

【上の枝にいる職人】
上の枝に引っかかったロープを捌くのがしごと。
不安定な枝の上で、これも疲れる仕事だね。

【下の職人と上の職人】
下の職人が、上の職人に、ロープの位置を注文付けてる。
今、きちんとやらないと、後で修正できないからね。

【コウヤマキの例】
途中の枝に引っかからないよう、まっすぐ張られている。
途中の枝の固定と、一番下の枝の固定。

一番下の枝。ロープが固定されている。
【水の上はボートで】
マツの枝が水面上に張り出している箇所は、ボートの上で作業する。
 
【支柱の頂上】
ロープの中央部分を、柱の頂上で束ねて巻き付けてしっかり固定している。
手に持っているのは、取り外した足場。

下にいる仲間に向かって、足場を投げたところ。

【頂上から降りるところ】
足場を取り外し、安全ベルトも外したあと、ロープの隙間に潜り込み、支柱を伝って下に降りる。
兼六園のはっぴが、格好良いね。
左の職人が手にしている棒は、地上からロープを引っかけるもの
お疲れ様でした。

兼六園

2023-11-16 | 国内旅行

数十年ぶりの兼六園です。


外国人が多かったですが、庭園の素晴らしさに、日本人として誇りに思いました。

兼六とは、相反するので難しい六つの景勝を、兼ね備えているという意味です。
1)宏大、2)幽邃、3)人力、4)蒼古、5)水泉、6)眺望
 
広大だと、静かな奥深さは無い
人工的だと、古びた趣きは無い
池や滝があれば、眺望は無い
という「庭園作りの難しさ」を克服していると。
 
1) 広いです。丁寧に造られ、初めて見る植物もあり、じっくり見ると2時間はかかります。
 
 
2) 人が入らない空間が奥深さを感じます。


3) 隅々まで人手が入っています。

添え木や支柱が枝を支えています。

雪吊りを毎年、丁寧に施しています。
雪の重みで枝折れすることを防ぐ技術です。

人力で草むしりして、苔の美しさを保ちます。
 
4) 古き趣きを感じます。

苔が美しい。不規則な石も、外側が曲線を描くように形を合せて並べると美しい。

根上松(ねあがりまつ)何年かけて、この姿を。

竹の化石に見える手水鉢です。
 
5) 池や滝があります。

逆サイフォンの原理で、手前の木で覆うところから、隣の金沢城まで、Uの字で送水します。

池との高低差を利用して、噴水を作りました。日本最古の噴水だそうです。
 
6) 眺望も十分楽しめます。

遠くの山々と池が連なります。

高台にあることがわかります。

金沢へ

2023-11-16 | 国内旅行
紅葉を楽しみに金沢へやってきました。
まずはお昼ごはんでございます。


駅の東側にあります。30分待ったけど、納得です。美味しかった♪
そのあとは金沢城へ。
石川門です。

四角い回廊です。
兼六園方面が見下ろせます。
外堀は大きく深く、道路になっています。
内堀と五十間長屋です。

65歳以上は入館無料が嬉しい。

お察しの通り、石を落とす仕掛けです。
立派な資料があります。

陸軍が使用後に金沢大学が設置されていました。
県が土地を買取り、金沢城公園として資料をもとに、復元を始めています。
首里城も琉球大学のあった土地を買取り、首里城公園にしているので、同じです。
もともと県の土地なのにと意見もあったようですが、国立大学で、移転費用には特別会計で予算必要だと納得したようです。
往時の技法が再現されています。
年月をかけて復元して、城大工の技術を継承させるためだと聞きました。


模型です。

二の丸の復元を始めるために、埋蔵文化財調査をしていました。楽しみですね。









老神(おいがみ)温泉

2020-10-18 | 国内旅行
傷口を癒すため、老神温泉に行ってきました。


群馬県の赤城山の神様が大蛇に化け、大ムカデに化けた栃木県の男体山の神様と、戦場ヶ原で領地争いをした。

矢傷で負傷した大蛇が、弓で大地を刺したら温泉が出たところが老神温泉。

傷口がみるみる治って、大ムカデを追い払ったので、追神>老神になったらしい。

全長108mと世界一長い大蛇みこしが、老神温泉に保管されています。

Go To トラベルはいいですね。
宿泊代の35%が割引されたうえ、15%が地域振興クーポンで使える。宿で追加で頼んだお酒代に加え、道の駅のお土産や昼食代がクーポンで支払えた。

すなわち、宿泊代の半分が税金で補填され、旅行を豊かなものとし、地域も潤う。

源泉かけ流し温泉で傷口も癒えた気がする。

赤城神社の紅葉も美しい。


紅葉も温泉も久しぶりなのでした。


同時着陸

2019-02-18 | 国内旅行

いつもは通路側の座席だが、久しぶりに窓際の席に座った。
そろそろ羽田かなって、ヘッドホンを装着外して、窓の外を見やると、千葉上空で飛行機を発見した。

その飛行機は、ずーっと、右斜め後方を同じ速度で飛んで、東京湾アクアラインの上にいる。
ロックオンされたみたいで、嫌な感じ。

いよいよ羽田空港に着陸する。
なんと、その飛行機も羽田空港に接近している。
まじか?

と思ったら、同時に着陸した。
羽田の第一と第二は、A滑走路とC滑走路に同時着陸ができるスグレモノだった。

離陸する時は、順番に交互に飛んでいたような記憶があったけど、管制塔は二本の滑走路を同時に運用しているんだね。

これはこれは、すごいことです。


ここはどこでしょうか

2018-05-04 | 国内旅行

1) 街中にテレビ塔がある


2) 街の中心を路面電車が循環している


3) ドーム球場がある


4) 時計台がある


5) ラーメンが食べたくなる

答えは、次の写真に書いてあります。

モクレンや桜が咲き始めて、美しい札幌でした。


那覇と札幌はANAの直行便で、3〜4時間。
羽田乗り換えだと、空港で遠距離歩くことに。

京都を掃除する人たち

2014-04-23 | 国内旅行

美しい街、京都。

掃除する人たちに、たくさん出会いました。

表紙の写真は、哲学の道。

ベビーカーの子供が、母親らしき人が掃除している間に、熊手で掃除の真似をしていました。

熊手を落としてしまい、取ってくれとせがんでいました。

銀閣寺の入口。

銀閣寺。ここだけ、安土桃山時代。

広い斜面。落ち葉を毎日、毎日すべて掃除するのだろうか。

苔むした美しい庭園。

竹の上に載って体重を分散させ、苔を傷つけないようにしていました。

銀閣寺道のバス停の近くの側溝。

掃除しながら、道案内もされていました。

西芳寺(苔寺)の外周。とにかく、落ち葉が多くて大変。

美しい街、庭園は、多くの人が関わっていますね。


仙洞御所

2014-04-22 | 国内旅行

週末に、京都に行ってきました。

京都御苑の中の白ジャリの道をサクサク歩いていくと、仙洞御所(せんとうごしょ)があります。

仙洞御所は、1630年に、後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)の御所として建造されたもの。

後水尾天皇は14歳で天皇となり、33歳で退位して上皇となった。

84歳で崩御されたが、修学院離宮を造営したことで有名。皇后は、家康の孫の徳川和子。

この庭園は、静岡や浜松にゆかりの深い、小堀遠州が作庭したとのこと。

北池にある舟。秋篠宮悠仁様も舟遊びをされたらしい。

南池の出島。当時の様子が、そのまま残っているらしい。

醒花亭(せいかてい)という名の茶亭。

茶亭からの風景が、表紙の写真で、桜と州浜、八ッ橋などが美しい。

 

気になったのは、この写真。

ソテツが植わっています。どういう経緯で、場違いなソテツが植わっているのか。

首里城の琉球庭園は、ソテツ。

家康の承認を得て薩摩藩が琉球王国に侵攻したのが1609年。

その後、琉球王国の文化や植物が国内にもたらされたから、沖縄と関係があるのかな。


早大通り

2014-04-10 | 国内旅行

お世話になった方に、挨拶に行った帰り道。

大きなケヤキが植えられている感じの良い通りに出た。

「早大通り」と書いてあった。

ケヤキは新緑が始まっており、誘われて通りを歩いた。

バス停に、蝶々の図鑑が飾ってあった。

桜のような、桃のような、美しい花が満開だった。

調べると、「しだれ桃」というらしい。