後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔667〕祝出版!『日本の嫌煙権運動45年史-「きれいな空気を吸う権利」を求めて』(渡辺文学、花伝社)

2024年03月18日 | 図書案内

 まさに「きれいな空気を吸う権利」という「嫌煙権」運動の屋台骨を背負ってきた渡辺文学さんの『日本の嫌煙権運動45年史』が、今年の1月末日に発刊されました。私にとっては珍しくこの新刊を早速池袋のジュンク堂で購入してきました。すぐにでも手にしたい理由があったのですが、それは後程。
 「嫌煙権」はコピーライターの中田みどりさん(我が家にもたびたびみえて、彼女から可愛い猫ちゃんを引き取ったことが2回あります。)の造語で、1978年「嫌煙権確立をめざす人びとの会」の旗揚げが嫌煙権元年になったようです。
 1980年、国鉄と国(厚生省)、専売公社を相手取って、東京地裁に「すべての列車の半数以上を禁煙に」と提訴したのが「嫌煙権訴訟」です。(弁護団長、伊佐山芳郎氏)その訴訟に私の連れ合いが4人の原告の1人として参加していました。教員ということもあってか、原告代表ということで口頭弁論なども任されたようです。そのくだりを渡辺さんが書き記してくれました。表記は「福田緑」が正しいのですが。

 「第一回目の口頭弁論は六月一六日に行われました。この日、原告を代表して福田みどりさんが陳述を行いました。福田さんは、広島の友人の結婚式に招かれた際の、「ひかり号」で周囲の男性のタバコで眠りを妨げられ、健康を侵されたこと、非喫煙者、特に子どもたちや妊婦が受動喫煙を受けないで旅行ができるよう、せめて二両に一両は禁煙車を設けて欲しいと切々と訴えました。」(52、53頁)


 
 

    この時のテレビ放送を私は入院先のベットの上で見守っていました。
 1986年「嫌煙権訴訟」は結審します。形の上では敗訴ですが、弁護団は「実質勝訴」を宣言します。裁判期間の数年のあいだに日本社会は嫌煙・禁煙の方向に大きく舵を切っていました。地下鉄の一部が禁煙になったり、飛行機の4割ほどが禁煙席になったりして、嫌煙、禁煙の気運は日本中に高まっていきました。

 さて『日本の嫌煙権運動45年史』ですが、目次は次のようになっています。

◆『日本の嫌煙権運動45年史』-「きれいな空気を吸う権利」を求めて

第1章 「嫌煙権運動」のはじまり
第2章 日本初の「嫌煙権訴訟」提訴
第3章 全国に広がる嫌煙権運動
第4章 世界とつながる「タバコ問題」
第5章 国と国鉄は対策を怠っていた
第6章 「タバコ問題」情報収集と啓発
第7章 タバコと公共
第8章 タバコと企業
第9章 タバコと法 

 この本は常に嫌煙権運動の中核に位置していた渡辺さんでしか書き残せなかったものです。「日本のタバコ事情」45年比較リストでは病院、学校、地下鉄、飛行機などの禁煙情況、タバコ広告などに多岐にわたって克明に記されています。禁煙・嫌煙運動&タバコ問題年表も貴重です。さらに、嫌煙権運動のその時々の闘いの情況がリアルに収録されています。
 先人たちの「奮闘」に感謝しつつこの本を懐かしく読み終えました。


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