後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔439〕ハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA〜“かくり”の証言〜」上映事務局のホームページが出来ました。

2022年02月22日 | メール・便り・ミニコミ
 矢部顕さんのお便りです。「NAGASHIMA〜“かくり”の証言〜」上映事務局のホームページ開設のお知らせです。
 ますます映画が待ち遠しくなりました。

◆福田三津夫様
ドキュメンタリー映画の製作につきましては協賛金でのご協力を感謝申し上げます。
ありがとうございました。
ハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA〜“かくり”の証言〜」
完成について小生が「むすび便り」に書いた原稿を添付します。〈ブログ〔424〕参照〉

昨年まで、製作実行委員会のホームページがありましたが、委員会終了にともなって
閉鎖しました。
そのかわり、上映事務局のホームページが出来ました。
下記をご覧ください。

ハンセン病ドキュメンタリー映画 NAGASHIMA~“かくり”の証言~

差別、偏見に打ちのめされても“強く尊く”生きてきた入所者の人生を知って欲しい。療養所としての歴史を閉じる日も近い。しかし、すべてが忘れ去られ...

ハンセン病ドキュメンタリー映画 NAGASHIMA~“かくり”の証言~

 


今年に予定していただいていた上映会は、コロナ再拡大でいずれも延期のやむなきになっています。
あわてることなく5年10年のスパンでやっていただければと宮崎監督とも話しています。
                                            矢部 顕

〔438〕第2回福田緑写真展の成果、リーメンシュナイダー作品の来日は3回目だったこと等がわかりました。

2022年02月16日 | 図書案内
  6日間の第2回福田緑写真展でさまざまな人との出会いがありました。
 会期も終盤にさしかかった頃、年輩の男性Mさんが親しく話し掛けてくれました。来館者も多くない時間帯だったので、2人でお話をじっくりうかがいその中に興味深いことが多々ありました。
 彼によるとリーメンシュナイダー作品の来日は3回目だと言うのです。我々がリーメンシュナイダーを追いかけるようになったのは2000年前後のことでした。それ以降で我々が認識しているリーメンシュナイダー作品の来日は次の2回、作品は次の4点のみのはずです。

*2003年~2004年 「大英博物館の至宝展」東京都美術館など4箇所、日本各地巡回。「東方三博士の礼拝を表した木製祭壇彫刻」
*2012年 「ベルリン国立美術館展」国立西洋美術館、九州国立博物館。「竜と闘う聖ゲオルグ」「聖母戴冠」「楽奏天使」

 実はリーメンシュナイダー作品の初来日は我々が教師になった1972年のことでした。展覧会は旧東ドイツ時代のドレスデン国立美術館からのものが作品の多数を占めていました。リーメンシュナイダー作品は以下の2点です。

*1972年 「デューラーとドイツ・ルネッサンス展」国立西洋美術館、京都国立近代美術館。「クリスマスの情景」「十字架のキリスト」

 Mさんはこの図録の一部と「ドイツ・ルネサンスの画家たち」(第Ⅰ章 ハンス・バルドゥンク・グリーン、第Ⅱ章 アルブレヒト・アルトドルファー)というコピーを送ってくださいました。執筆者が誰か不記載で連絡を取っているところです。
  Mさんのお手紙で、「デューラーとドイツ・ルネッサンス展」の図録が気になり、早速アマゾンで購入しました。比較的綺麗なものでしたが、何せ50年前の本です。表紙からはがれ落ちるものもあったり、丁寧に扱ってはいるのですが数頁外れたりしました。透明の本カバーやボンドを駆使してなんとか普通に読めるものに仕上げました。そして今日、また頁外れが発生し修復しました。





  ゆっくり本を眺めてみると、徐々にびっくりするような事実に出くわしました。
  リーメンシュナイダーとラインベルガーに師事したペーター・デル(父)の「レーゲンスブルクの美しき聖母」「キリストの磔刑」の2点がこの時来ていたのです(後者は未見)。かつて私どもはペーター・デル(父)を訪ねる旅をしたことがありました。
  デューラーのほかにもグリューネヴァルト、ショーンガウア、シュトースの版画、スケッチなどが多数来日していたのでした。
  この図録が貴重なのは、30人の作家略歴が付いていることです。バイエルン国立博物館に天使像2作品が展示されているハンス・シュヴァルツがドイツ最初のメダル作者だったとは知りませんでした。

 それにしても新しい発見を演出してくれたMさんに感謝です。

〔437〕小学館『原色世界の美術6 ドイツ・オーストリア』で〈再発見〉しました。

2022年02月14日 | 図書案内
 コロナ禍で池袋の本屋まで出かけることがめっきり減りました。どうしても手に入れたい本があればネットで買えば良いと思う今日この頃です。その代わり密を避けてのブックオフ通いが定着しました。清瀬を根城に数カ所のブックオフに足を伸ばします。
 本に限ると池袋のブックオフが2フロアーで最大でしょうか。所沢、花小金井も2フロアーで充実しています。いつも行くのが東所沢、東久留米、栗原、新所沢、滅多に行かないのが東大和、練馬、江古田です。
 新所沢はネット販売もしているようで、透明セロハンで丁寧に包装してあるものも多いです。ここで珍しい大型美術書を2冊購入しました。初版は50年も前のものですが、改訂版のため本文はとてもきれいで、実に安価で購入できました。

*『原色世界の美術6 ドイツ・オーストリア』小学館、1970年初版、1992年改訂初版4刷、230頁


*『原色世界の美術7 ベルギー・オランダ』小学館、1969年初版、1992年改訂初版4刷 、230頁


 実は今、福田緑『祈りの彫刻』(丸善プラネット、全4巻)の続編Ⅴ巻を私との共著で刊行準備中です(6月発行予定)。福田緑・福田三津夫『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』という題名になりそうです。 

 そうした時『原色世界の美術6 ドイツ・オーストリア』を開いて、びっくりしたり得心したりしたことがあります。世界の美術といっても絵画が中心で彫刻はほんの少しの掲載です。
 そんな中、頁を繰って最初に掲載されていたのが、なんと、ミヒェル・エーアハルトの「庇護マントの聖母像」でした。この美しい聖母像は緑の写真集Ⅲ巻の表紙を飾っているのです。そして、最も驚いたのがペーター・フィッシャー(父)の「いわゆる『枝を折る人』」のモノクロ写真でした(写真集Ⅳ巻所収、カラー)。残念ながらモデルはあの彫刻家のアダム・クラフトだということには触れられていませんでした。
  ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンの修復前の「ダンゴルスハイムの聖母子像」(写真集Ⅲ巻)がカラーで小さく「ストラスブールのマイスター」として登場しています。
 「無情の寓意、いわゆるヴァニタスの群像」も修復前のカラー写真が大きく掲載され、作者はグレゴール・エーアハルトになっていますが、現在は父親のミヒェル・エーアハルトのようです(写真集Ⅲ巻)。
  残念ながらリーメンシュナイダーの聖母子像とハンス・ラインベルガーのキリスト像にいたってはごく小さなモノクロ写真が載っているだけです。

  掲載作品は絵画が中心と書きましたが、彫刻家で絵画もものにしたハンス・ムルチャーのカラー「キリストの降誕」、ミヒャエル・パッハーの「ノイシュティフト修道院の教父アウグスティヌス祭壇(祭壇画)」は小さくモノクロで掲載です。このパッハー作品は全編、写真集Ⅴ巻に大きく特別掲載されます。ご期待ください。

〔436〕「演歌とは演説の歌」-唖禅坊の歌をうたう岡大介くんの話です。(矢部顕さん提供)

2022年02月14日 | メール・便り・ミニコミ
 矢部顕さんからメールが送られてきました。「演歌とは演説の歌」という逸話とその原稿の主人公の岡大介さんの最近の新聞記事です。
 数年前に私が岡大介さんの公演を中野ゼロに聞きに行ったのは矢部さんの導きだったでしょうか。声量があり実に見事な歌いっぷりでした。


◆福田三津夫様

「演歌とは演説の歌」という拙文を以前お送りしたことがありましたっけ?
 ワークキャンプ・FIWCの先輩で、大学での先輩でもあり、いまでもメールのやりとりをしている木村聖哉さんという人がいます。その彼がかつて上梓した『添田唖禅坊・知道―演歌二代風狂伝』というタイトルの本があります。
 その唖禅坊の歌をうたう私の若い友人がいます。彼の名前は岡大介くんと言います。小生が東京に住んでいたころ知り合った(2005年11月)のですが、そのころ唖禅坊の本を書いた木村聖哉さんを紹介したのです。
その出会いを書いた拙文が「演歌とは演説の歌」(2013年1月記)です。昔のものです。
 東京で仕事をしていたときのラボに関わっていた大学生の石毛くんのことにもふれています。あとからわかったのですが、石毛くんは岡くんの友人だったのです。
こんなことを思い出したのは、今年(2022年1月)になって岡くんを紹介した新聞記事を見たからです。(その記事も添付します。縮小コピーしていますので見難いと思いますので、拡大して見てください)。
*日経新聞、2022年1月20日

*毎日新聞、2022年1月11日


 そのようなわけで、昔わたしが書いた拙文を探し出したという次第です。以下がその文章です。

矢部 顕

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            演歌とは演説の歌
            ―Kさんへの手紙―

「風狂と反骨の演歌師・添田唖蝉坊」はご存知ですか? 歌を聞けばわかります。
 ラッパ節、のんき節、復興節、ストトン節、・・・・・・・・昨年、生誕140周年でした。
 唖蝉坊の演歌を歌う34歳の若者がいます。岡大介といいます。息子と同い年です。息子が高校サッカーの全国大会に出場したとき、彼のチームは東京都大会で負けて、全国大会に出場できなかったそうです。
 CDデビューする前からの知り合いです。ハンセン病国立療養所多磨全生園(東京都東村山市)の文化祭で、わたしのかかわっているサークル・フレンズ国際ワークキャンプ(FIWC)はチンドン隊を結成して、園内を練り歩き文化祭を盛り上げます。
そのチンドン隊に、カンカラ三味線を持って参加してくれたのが、岡大介くんでした。そのときすでに、カンカラ三味線の名手でした。2005年11月のことでした。
 彼は山谷で路上パフォーマンスをしていたとき、FIWCのメンバーと知り合いチンドン隊に誘われました。そのころは、「山谷ブルース」だけでなく、フォークソング、沖縄民謡、昭和流行歌、なんでもこなして、「平成の吉田拓郎」を自称し、なぎら健壱の『私的昭和フォーク大全』をバイブルのように持ち歩いていました。路上パフォーマンスだけでなく、70年代から続く喫茶店などのライブハウスで歌っていたのです。そのころ、明治演歌を歌いCDを出したいという希望をもっていました。
  わたしは「明治の演歌師・添田唖蝉坊を知っていますか?」と尋ねると「知っている」 と答えたので驚きました。当時28歳の若者が、です。
「添田唖蝉坊の伝記を書いた人がいます。FIWCの先輩の木村聖哉さんです。彼は私の家と近いので(当時)、一緒に会いましょう」と私。
「その本を読みたいと思っているのですが、みつかりません」と彼は言った。すでに出版社は倒産していたので、私の持っていた本を貸しました。
 その後、木村さんと会う機会をもったとき、彼は木村さんから本をサイン入りでプレゼントされました。探し求めていた本・『添田唖蝉坊・知道――演歌二代風狂伝』(リプロポート発行・木村聖哉著)を。彼がCDデビューしたとき、最初にCDをプレゼントされたのは木村さんと私だったのです。

        *          *          *

 話はがらっと変わって、わたくしがラボ東京支部の責任者をしていたころ、支部テーマ活動発表会に出演するあるパーティのラボっ子大学生と激しい議論をしたことがあります。
『平 知盛』を抜粋で発表するという意向に、わたしが「待った」をかけたのです。「『いいとこどりの抜粋』での発表は認めない、それはもはや物語ではない」と。
発表時間が30分以内と決められていた慣習があったので、その枠内で発表するためには、
「抜粋せざるをえない」と言ったので、わたくしは「その慣習というか決まりは間違いである。30分以上かかってもかまわない」として、結果的には英日でCD2枚分のうち1枚分での発表としたのでした。
 その議論を契機に、その大学生・石毛航太郎くんとたいへん親しくなりました。わたしの書いたさまざまな文章に共感するセンスをもった、今どきめずらく問題意識の高い学生でした。卒業してからもずっとつきあっています。
 卒業して、ペンシルバニアのクエーカーのトレーニングセンターで学んだり、帰国したかと思うと、「永平寺に修行に行ってきます」といって、また1年間会わなかったりしたのですが、ときおり会って彼の成長をみていました。
 話していて、ある日、岡大介くんの幼ななじみであることがわかったのです。岡くんと一緒にラボに通っていた時代もあったというのです。
 その後、多磨全生園の文化祭にも来てくれました。そのころ、25歳になったので小平市の市議会議員に立候補して、独りっきりで自転車に旗をたてて走り回って選挙戦を闘っていました。選挙の結果といえば、なんとトップ当選だったのです。

     *          *          *

 さて、岡くんのことに戻ります。その後、添田知道の弟子だった桃山晴衣さんのパートナーだった音楽家の土取利行さんと出会う。
1970年代前衛ジャズドラマーとして頭角を現わし、世界的なパーカッショニスト。ピーターブルックの国際劇団での音楽監督などの後、古代音楽の探求やら地方文化の掘り起こしなど多彩な活動。出会ったときは、桃山さんはすでに故人で、土取さんが彼女の仕事を検証し受け継ぐべく、パーカッショニストとしてではなく三味線を持っていた。
「彼女が生きているときに岡くんに出会わせたかった」と言っていた。(2012年9月7日)
 信じがたいことに、我が家から7~8kmくらいのところにある西大寺観音院というお寺で、昨年9月7日「土取利行の邦楽番外地――添田亜蝉坊・知道の明治大正演歌の世界―
―故・桃山晴衣さんに捧げる」と題する演奏会がありました。ゲストは岡大介くん。
 こんな経緯で唖蝉坊の演歌を唄う岡大介くんや土取利行さんと出会いました。

     *            *             *

 横浜にある神奈川近代文学館で、添田唖蝉坊・知道展が開かれます。土取さんの語りと弾き唄いもあります。これはおすすめ。なぎら健壱さんも演歌を唄うということは知りませんでした。
 話のなりゆきなので、添田唖蝉坊・知道展のチラシを添付で送ります。

                              2013年1月30日
                                  矢部 顕

〔435〕続・凄すぎる! ラボで培った総合力がよく表現されている中学生のスピーチを聞いてください。

2022年02月08日 | メール・便り・ミニコミ
 前ブログで中学生の表現力豊かな日本語のスピーチを紹介しましたが、今度は英語のスピーチを紹介します。
 前回登場の優杜君には双子の姉(萌花さん)がいますが、彼女が英語のスピーチコンテストに参加したそうです。その顛末についてラボ・テューターの伊与田美枝さんがメールにしたためてくれました。メールと萌花さんのスピーチ原稿を読んでください。画像はその時に使用したものだそうです。
 どうしたらこんな素敵な子どもたちが育つのか、伊与田パーティ〔ラボ教育センター・中部支部・美濃尾張地区〕を覗いてみたくなりますね。

◆福田先生へ

福田先生、お久しぶりです。
矢部様から酒井君の動画を福田先生に紹介されたとのご連絡をいただき、驚きました。
でも、とても嬉しいメールで大変に恐縮しています。
ラボっ子が褒められると私までもが嬉しくなります。ありがとうございます。
今回、先生のブログでご紹介いただき感謝しています。

優杜君には双子の姉(萌花)がいます。
同じ時期に、萌花は英語のスピーチコンテストに参加しました。
その時のスピーチ原稿を読んでいただけますでしょうか?
(すみません、勝手に添付させていただきました。)

萌花は以下の資料(イラスト)を使用しながらスピーチ。
①タイトル「Good Health And Well-Being」
②5歳まで生きられない子どもたち(円グラフ)
③写真(赤ちゃんが注射を受けているところ)
④UNICEFに子どもがコインを入れているイラスト

また、今回の応募できづいたこと、萌花の気持ちはどうだったのかを次のようにメールで寄せてくれました。

●原稿を書いた時は、
なるべく自分の言葉でスピーチしたいと思い、簡単な英語で書くようにしました。
私は今私がこんなにも安々と生きているのに、ネットで見た。
まだあんなにも小さい子な子たちの命が危ないだなんてショックでした。
だけどそれを訴えるだけじゃ足りないと思い、具体的な解決策、募金をテーマにして構成しました。

●発表した時は、
聞いてくれていた全員の人に訴えるように話すことに気をつけました。
学校の先生のアドバイスを受け、現状から募金への提案へ繋がる時の
「募金」という言葉を声の抑揚やトーンを使って浮き立たせて、
スピーチのターニングポイントとしました。
発表する時は緊張していましたが、しっかりと自分の言葉で伝えることが出来たと思います。
今の自分の中学生英語でも、思いは伝えられるんだと達成感を感じました。

以上です。

勝手なメールで申しわけありませんでした。
3歳からふたりをみていて、どんなことにも興味を持ちポジティブに受け止め、互いに高めあい育ちあっている、
すてきな双子(姉弟)なので、成長を頼もしく見守っています。
2人ともテーマ活動が大好きなラボっ子に育っています。
ラボの国際交流が再開できたら、この夏、高1で北米交流に参加予定です。
どんな体験をしてくるか楽しみです。
長々と失礼いたしました。
お読みいただきありがとうございました。

伊与田美枝


●SDGs Speech Contest

I’m going to talk about SDGs no.3 “GOOD HEALTH AND WELL
BEING”. I think it is one of the most important goals. Because many
children in the world can’t live to five years old. They die.
Please look at this picture.It shows about 5’500’000 children under
five years old died in 2017. Most of them were from developing
countries. I learned unicef when I was in elementary school, and
knew many people couldn’t go to the hospital and died. They might
have dreams for their future. I was sad. I wanted to help those
people.
Let’s take part in fund-rasing campaigns.
If we will collect money, many children can have a shot, buy
medicine, and so on. It is not difficult to save people in far away
countries. By just taking part in fund-rasing campaigns, we can
save many people in the world.
We can go to the hospital any time. We can buy medicine
anywhere. These are wonderful things. I think developed countries
need to support developing countries.
Let’s join fund-rasing campaigns and the world will become better.
Thank you for listening.








〔434〕凄すぎる! ラボで培った総合力がよく表現されている中学生のスピーチを聞いてください。

2022年02月05日 | メール・便り・ミニコミ
 ブログの読者にはお馴染みの矢部顕さんからこんなお便りが届きました。
 そこには素晴らしい中学生のスピーチが紹介されています。ちょっと覗いてみてください。

◆福田三津夫様

以下はラボ中部支部のラボ・テューターの伊与田美枝さんからのメールの要旨です。
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●我がパーティの酒井くんのスピーチ

伊与田パーティの中3の酒井優杜くんのスピーチが中部支部Facebookページにアップしていただきました。観ていただければ幸いです。

ライオンズクラブ主催のスピーチコンテストに、大口中学校の学校代表で選ばれました。
エピソードで、お母さんからそっと聞いたのですが、当日、優杜くんは原稿を自宅の部屋に置き忘れてそのまま参加したそうです。
そんなハプニングが起きてもあわてず動揺もせず、しっかりと話しています。でもすごいですよね。

ラボ中部支部が今年度、外部の方にラボ教育活動を知ってもらえるようにFacebookへアップするという新しい企画の第一号となりました。

優杜くんにとっても中学生時代の忘れられない思い出になったと思います。
あらためて感心しています。私も元気とエールをもらいました。

2020年の国際交流に参加予定でしたが、コロナ禍で参加できませんでした。参加していれば、さらに世界への広い視野のことばも入ってくるかなと思います。

ラボにご理解をいただいている家庭環境で、むしろ私が支えられています。
私も子どもたちと一緒に歩んでいけることに感謝しています。

2022.2.2.
伊与田

https://fb.watch/aTrtl3FHs5/
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上記青字をクリックしてご覧ください。
ラボで培った総合力がよく表現されていることに感心します。