後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔204〕映画「熊野から イントゥ・ザ・新宮」(田中千世子監督)、大逆事件は今日起こりうる話ですよ。

2018年12月29日 | 映画鑑賞
 大逆事件って知っていますか。幸徳秋水はじめ26人が「大逆罪」として逮捕され、そのうち12人が処刑されたという事件が1911年(明治44年)にありました。そんな昔のこと知らないよ、と簡単にすますことはできません。なぜなら当時と現在は社会状況がかなり類似していると指摘する学者は多いからです。何が秘密なのかも知らされない特定秘密保護法、話し合っただけで罪になる可能性を秘める「共謀罪」はすでに自公政権によって強行採決されたのですから。現代版大逆事件はいつ起こってもおかしくないし、だからこそ起こしてはいけないと思うのです。
 こんな状況に抗うように警鐘を鳴らし、かつての大逆事件を掘り起こす映画ができあがりました。しかも三部作です。私は最後の作品だけですが先月見ることができました。例の練馬区・江古田のギャラリー古藤でのことでした。

 古藤店主のブログを覗いてみましょう。

■古藤店主(ブログ)
○田中千世子監督映画作品「熊野から三部作一挙上映」
「熊野から」「熊野から ロマネスク」「熊野から イントゥ・ザ・新宮」
明治の闇「大逆事件」を乗り越えてー
*期間 2018年11月23日(金)~11月25日(日)の三日間
*会場 ギャラリー古藤 

  『熊野から』シリーズ三部作は、世界遺産の地・和歌山県熊野地方を舞台に手がけるそれぞれが独立した3本の映画である。
 最初の『熊野から』(14年)は、熊野三山を旅する主人公・海部剛史(かいべつよし)を軸に熊野の自然や祭りや人々を紹介するセミ・ドキュメンタリーだが、続く『熊野から ロマネスク』(16年)は、物語性のある劇映画となった。舞台は熊野から吉野へ、三輪へ、難波へ、二上山へと自在に飛び移る。
 そして、今、新作『熊野から イントゥ・ザ・新宮』が新宮へと再び戻っていく。
 2018年1月、和歌山県新宮市は、「大逆事件」の犠牲となった医師で文筆家の大石誠之助を名誉市民に決定した。           

①「熊野から」2014年  90分
 2013年、早春の東京を発ち、俳優の海部剛史(かいべつよし)は熊野に向かう。海部の行程は新宮市の神倉(かみくら)神社に始まり、そこから熊野川沿いに本宮大社を経由して十津川村へ。翌朝玉置(たまき)神社を訪れ、村に戻って資料館で郷土史家から話を聞く。そのあと、果無(はてなし)集落の入り口まで登る。繰り返し出てくるのが、新宮駅前の「志を継ぐ」と刻まれた石碑であり、古代から近代へと急速に時間が巻き戻される瞬間だ。新宮出身の大石誠之助を含む大逆事件の被告たちである。
➁「熊野から ロマネスク」2016年 83分
 新宮を起点に、場所をさらに広げ、吉野↓熊野↓難波↓三輪↓二上山へとめぐる。海部が吉野で出会った、自称“コードネームはクローディーヌ”という若い女性の記事を旅行雑誌に寄稿すると、自分がクローディーヌであるとしたためた手紙が編集部に届く。俳優としても活動する彼は、間もなく狂言を取り入れた不条理劇の練習を始める。海部は慌ただしい日々を送りながらも、二人のクローディーヌのことが心に引っ掛かっていた。
③「熊野から イントゥ・ザ・新宮」2017年 83分
 明治時代に熊野に刺さった三つのトゲがある。トゲのひとつは「大逆事件」、国家の仕組んだ残酷な思想弾圧。その犠牲者がこの地から六人も出た。彼らの名誉回復は新宮市が決定し、今では白い碑が駅のそばに建つ。お燈祭りの神倉神社には神武上陸を記念した顕彰碑がある。古代と現代が交わる不思議な町、新宮。時空のはざまから佐藤春夫がひょっこり顔を出し、大石誠之助を歌った詩「愚者の死」を口ずさむ。ちなみに1911年に刑死した大石は2018年1月、名誉市民の決定が発表された。


 大逆事件に連座した26人のうち新宮からは6人が死刑判決を受けます。なぜ革新的で社会主義的な進歩思想が新宮から芽生えたのか、新宮の土地柄、地域性ということにも映画は肉薄していきます。
 事件後、6人の親戚縁者は一様に村八分になり、居住もままならず、就職など様々な差別を受けることになります。そしてようやく今年になって、大石誠之助を名誉市民として議会で認定され、高木顕明についても顕彰がなされているようです。 

 この映画について実に丁寧に書き記しているサイトが見つかりました。感謝して、採録させていただきます。

●「Muvie Warker」より
〔作品情報〕
 「熊野から」シリーズ三部作完結編。俳優兼旅行エッセイストの海部剛史と旅雑誌の女性編集者サキが熊野地方の中心的な都市、新宮市に取材旅行に出かけるという設定で、大逆事件の犠牲となった大石誠之助や高木顕明らの足跡を紹介するセミ・ドキュメンタリー。監督・脚本・製作は、「海と自転車と天橋立」の田中千世子。出演は、ドラマ『やんちゃくれ』の海部剛史、「浅草・筑波の喜久次郎 浅草六区を創った筑波人」の雨蘭咲木子、「まいっちんぐマチコ! ビギンズ」の鈴木弥生、「千年の愉楽」の佐野史郎。
〔映画のストーリー〕
 新宮の取材に行った俳優で旅のエッセイストの海部剛史と編集者サキ(雨蘭咲木子)は、雨の中でツール・ド・熊野2016初日のタイム・トライアルを観戦する。レース後、2人はくまの茶房を訪れる。江戸時代から経済力のあった新宮だが、明治になると、廃藩置県で熊野が和歌山県と三重県に分けられ生活文化が分断されたこと、神仏分離令と修験道禁止により熊野特有の神仏習合が打撃を受けたこと、大逆事件により6名の死刑判決が出たことに苦しんだ。翌日、2人は駅のそばの白い碑を訪れる。サキは、大逆事件の犠牲となった大石誠之助ら6人について、その進取の気性に富んだ精神を継ごうという言葉に感動する。2人は淨泉寺の住職だった高木顕明を偲ぶ遠松忌法要に出席する。速玉大社の境内に建つ佐藤春夫記念館を見学する2人。新宮と大石の物語を架空の森宮という町に置き換えて小説『許されざる者』を書いた辻原登は、子供の頃初めて新宮に来たときの感動を語る。2月6日のお燈祭り。『熊野の歴史をよむ会』講師の山本殖生さんは神倉神社に伝わる古文書を読み解き、神倉神社のごとびき岩のところに昔は懸けづくりの大きな建物があったことを確認する。数週間後、単独で新宮を訪れたサキは、海部に紹介されたアコーディオン弾きのアランと合流し、観光とは違う新宮のスポットを案内される。大石誠之助を名誉市民に推薦する動きもあり、高木顕明についても顕彰がなされている。“『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会”の人々は、成石平四郎、勘三郎兄弟の墓参りに行く。海部は助手ケントの叔母の銀婚式のイヴェントの演出をすることになり、ダンスのリハーサルの相手を務める。新宮から帰った海部は、佐藤春夫が大石の処刑を『愚者の死』として発表した真意について考えている。西村伊作はなぜ、東京に連行された叔父の大石を見舞いに、新宮からモーターバイクで旅したのか。海部は鎌倉からロードバイクで新宮に向かう。


〔203〕映画「獄友」(金聖雄監督)を見てから、日本の死刑制度は存続すべきか否かを考えませんか。

2018年12月29日 | 映画鑑賞
●11月09日(金)
多摩地域巡回上映ツアー 東久留米市<成美教育会館>
2018年11月9日(金) 上映時間:14:00
会場:成美教育会館(西部池袋線東久留米駅北口4分)

 清瀬の市民運動仲間に勧められて映画「獄友」を見に行ったのは11月のことでした。
 この映画は金聖雄監督のドキュメンタリー作品です。金聖雄監督はこれまで「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」「袴田巖 夢の間の世の中」という冤罪事件映画も世に問うています。従って「獄友は」冤罪ドキュメント三部作の一つということになります。「袴田巖 夢の間の世の中」は以前このブログでも取り上げましたので興味ある方は探してみてください。
 さて、この映画に登場する冤罪被害者は5人です。「狭山事件」の石川一雄さん、「袴田巖 夢の間の世の中」に登場する「袴田事件」の袴田巌さん、「布川事件」の桜井昌司さんと杉山卓男さん、「足利事件」の菅家利和さんです。
 この5人は横のつながりはなかったということですが、「足利事件」の菅家さんの釈放をきっかけ集まるようになったということです。それぞれの事件の時代や状況も様々な中で、5人が見せる冤罪に対する考え方や思いを知ることにより、現在日本に現存する死刑制度などについて深く考えさせられるのです。
  なお、「獄友」の主題歌は谷川俊太郎作詞、小室等作曲です。歌は獄友イノセンス オールスターズということで、小室等、うじきつよし、伊藤多喜雄、李政美、坂田明、金聖雄、谷川賢作、中川五郎、及川恒平など27人が参加しています。サウンドトラックにはこのメンバーが協力参加していて、音に厚みを加えています。CD「獄友」は、これらのメンバーのオリジナルが収録されていてその個性が際立っています。

 金監督のこの映画に賭ける思いを読んでいただきましょう。

■映画「獄友」(HPより)
映画のこと
シリーズ3作目だからこそ、できることがあるはずだ!
金聖雄 監督

「なぜ再審が始らないのだろう」
「なぜ彼らはあんなにまっすぐに生きているんだろう」

 2本の映画をつくって、今考えることは、様々な「なぜ!?」だった。いつも言うが、私はジャーナリストでもなく冤罪専門の映画監督でもない。何か使命感に駆られて映画をつくっているわけではない。それでも映画づくりの中で嫌と言うほど権力の非道を思い知らされた。同時にそれらを引き受けて生きる人たちの魅力に引きつけられて映画をつくってきた。
 「また冤罪映画!?」と思う人もいるだろう。しかしどうしても描かなければならないものがある。
 彼らは人生のほとんどを獄中で過ごした。いわれの無い罪を着させられ、嘘の自白を強要され、獄中で親の死を知らされた。奪われた尊い時間は決して取り戻すことができない。しかし、絶望の縁にいたはずの彼らは声を揃えて言うのだ。「"不運"だったけど、"不幸"ではない、我が人生に悔いなし」と。
 冤罪など、許されるはずがない。
 しかし、彼らにとって"獄中"は生活の場であり、学びの場であり、仕事場であった。まさに青春を過ごした場所なのだ。「冤罪被害」という理不尽きわまりない仕打ちを受けながら、5人は無実が証明されることを信じ懸命に生きたのだ。時に涙し、怒り、絶望し、狂い、そして笑いながら...。
 冤罪被害者の横のつながりはほとんどなかったが、「足利事件」の菅家さんの釈放をきっかけに、彼らは同じ痛みを抱えるものとして、お互いを支え合うようになった。はじめて彼らの話を聞いた時、どんなに重い話をされるだろうかと緊張し身構えていたが、会った瞬間、笑いをこらえることができなかった。自分たちのことを「獄友(ごくとも)」と呼び、獄中での野球や毎日の食事や仕事のことを懐かしそうに語り、笑い飛ばす。そこには同じ「冤罪被害者」という立場だからこそわかり合える特別な時間があった。そしてなぜ自白したのか、獄中で何があったのか、娑婆に出てからのそれぞれの人生を自ら語ってくれた。
 奪われた時間の中で、彼らは何を失い、何を得たのかを描き出す。
そこからあぶり出されるものは、司法の闇であり、人間の尊厳であり、命の重さだ。
 今"ごくとも"たちは、"青春"のまっただ中にいる。
 ぜひ、一緒に作品づくりに参加していただけるならば、うれしい限りである。


  戦争と死刑制度に通底するのは、国家の名による殺人です。なによりも人の命を大切にすること、反戦非戦を推し進めることが、基本的人権の尊重と平和主義、国民主権を柱とする日本憲法を抱く日本国民が目指すことではないでしょうか。そして、世界的に見ても死刑制度は減少傾向にあるのです。
 最後に、先日出された死刑執行に関する札幌弁護士会会長声明を読んでいただきましょう。

■死刑執行に関する会長声明(札幌弁護士会)

 2018年(平成30年)12月27日、大阪拘置所において2名の死刑が執行されました。本年7月に計13名の死刑が執行されて以来の執行であり、本年の執行人数は合計15名となりました。また、第2次安倍内閣以降、死刑が執行されたのは15回目、合計36名に対して死刑が執行されたことになります。
 死刑は生命を奪う刑罰であり、誤判の場合、事後的な回復が不可能です。そして誤判・えん罪の危険が現実のものであって、誤った死刑が執行されるおそれが否定できないことは、これまでの複数の再審開始決定が明らかにしています。なお、本日死刑が執行された2名のうち1名は再審請求中でした。
 国際連合の自由権規約委員会は、日本の第6回定期報告に対する最終見解(2014年7月23日採択)において、死刑判決に対する必要的な上訴制度がないこと、再審請求に死刑の執行停止効がないことなど、日本の死刑制度には国際人権基準の観点から問題があると指摘しています。
 そもそも国際社会においては、死刑廃止に向かう潮流が主流です。2016年(平成28年)12月19日には、国連総会において「死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の停止」を求める決議が、2014年(平成26年)12月に引き続き117か国の賛成により採択されています。
 また、2017年(平成29年)12月末日現在、死刑を廃止又は停止している国(10年以上死刑が執行されていない国を含む。)は142か国に及び、世界の3分の2以上の国において死刑の執行がなされていません。
 このような死刑制度が抱える重大な問題性や国際的な死刑廃止への潮流に鑑み、日本弁護士連合会は、2016年(平成28年)10月7日、第59回人権擁護大会において、「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択し、日本で国連犯罪防止刑事司法会議が開催される2020年までに、死刑制度の廃止を目指すべきであることを宣言しました。
同宣言は、犯罪被害者や遺族への支援の拡充を求める一方、人権を尊重する民主主義社会における刑罰制度は、犯罪への応報にとどまらず、社会復帰の達成に資するものでなければならないとの観点から、死刑制度を含む刑罰制度全体の抜本的見直しを求めるものです。
 今回の死刑執行は、このような死刑制度を巡る国内外の情勢の変化及び人権擁護大会における上記の宣言を無視するものであって、極めて遺憾です。
 当会は、政府に対し、直ちに死刑の執行を停止し、2020年までに死刑制度を廃止することを求め、今回の死刑執行に対し強く抗議します。

 2018年(平成30年)12月 札幌弁護士会 会長 八木宏樹

〔202〕「朗読劇と詩が語る非核非戦の集い」は大学生の朗読劇と詩人の詩の朗読で贅沢な会でした。

2018年12月26日 | ラボ教育センターなど
 その集会の案内を最初に見たのはたんぽぽ舎のメルマガでした。「朗読劇と詩が語る非核非戦の集い」が武蔵大学であるというのです。武蔵大学HPには以下のような案内があります。

■武蔵大学HPより
12月22日(土)に永田浩三ゼミ主催の「朗読劇と詩が語る非核非戦の集い」が本学にて開催されます。市民と学生との交流を通じて非核平和について考えたいと思います。どうぞご参加ください。

第一部 武蔵大学学生による朗読劇「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」
    永田浩三 武蔵大学社会学部教授 のお話

第二部 詩の朗読 石川逸子さん、青山晴江さん、佐川亜紀さん、鈴木比佐雄さん
◎市民と学生の交流

日時:2018年12月22日(土) 13:30~16:00(予定)
場所:武蔵大学江古田キャンパス1002教室(正門入り左、1号館の地階)
武蔵大学江古田キャンパスへのアクセス
主催:武蔵大学永田浩三ゼミ、在韓被爆者問題市民会議、ヒロシマ連続講座
協力:早稲田大学日韓未来構築フォーラム誠神交流
資料代:300円(学生無料)


 案内を見てこの集会に参加したいなと思ったのは、まずは会場が実家のすぐ近くであること、さらに大学生による朗読劇ということで、これはまさに演劇教育の範疇に入るということ、その前々日に朝日新聞にその記事が出たこと、石川逸子さんがみえるということなどが重なってのことでした。これはまさに行くっきゃない! という思いでした。
 2018年12月20日の朝日新聞には「朝鮮被爆者の人生 広島弁で語る」「22日 武蔵大生が朗読劇」(豊秀一)とありました。
 武蔵大学は小学生の私にとっての格好の遊び場でした。大学の中に小川が流れていて、お玉杓子がいっぱいいました。加えてクワガタや蝉などの昆虫も魅力でした。椎の実や柿がなっていました。ただし、鉄条網の下をくぐって守衛さんに見つからないようにしての遊びでした。
噂では自転車で巡回してくる守衛さんに捕まったという子どももいたということでした。
 正門から堂々と大学に入ったのは、小学校5年生ぐらいの時でした。担任の男の先生が作文教育に熱心で、私の作文をコンクールに応募してくれたのです。それが入賞して大学で表彰式があったのです。確か毎日新聞と武蔵大学が後援だったような記憶があるのです。賞状と国語辞典をもらったのを覚えています。
 集会会場はとても近代的な1号館の地階でした。集会の休憩中に、その部屋の裏手を回ってみたところ、大学構内の整備された小川の大きな写真が一面に張り巡らされていました。かつて私たちが遊び回った小さな小川があまりにも美しくそこに映し出されているのでした。

 さて、この集会は3団体共催ということで2回に分けてもいいような、実に内容豊富なものでした。資料も充実していて資料代が300円とはとても信じられませんでした。用意された資料60部がなくなり、参加者は七十数人にのぼりました。
 私が一番関心を持っていたのは武蔵大学学生による朗読劇「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」でした。学生たちは永田浩三社会学部教授の指導を受けながら朗読劇台本を作成しました。

・第1章 8月6日、何を体験したのか
・第2章 日本に、広島に渡ったいきさつ
・第3章 被爆の後の差別
・第4章 日本政府との闘い
・第5章 最終章


 長らく韓国人原爆犠牲者慰霊碑が平和公園内外にあったということは知ってはいても、広島にいた朝鮮人が2~3万人も被爆に遭っているいることは衝撃でした。全体の10人に一人が朝鮮人ということになります。
大学3年生18人が二重の差別を受けたともいえる朝鮮人被爆者のことを掘り起こし、脚本化して上演にまでこぎ着けた学びに大きな拍手を送りたいと思います。発表会は今回で2回目であったようです。一回目の発表は今年の8月、広島でのことでした。そのときの様子を新聞が伝えています。


■東京新聞 2018年8月25日

<つなぐ 戦後73年>広島の朝鮮人被爆者の被害 武蔵大生が朗読劇に

 広島の朝鮮人被爆者の被害を語り継ごうと、武蔵大社会学部(練馬区)の学生たちが朗読劇を作った。二十六日に広島平和記念資料館(広島市)で発表する。朝鮮半島で非核化に向けた動きが高まるこの夏、日本人だけではなかった原爆の被害に光を当てようとしている。 (渡辺聖子)
 取り組んでいるのは、永田浩三教授のゼミでメディアについて学ぶ三年生十八人。朝鮮人被爆者の関係者の証言やインタビューをまとめた本を読み、印象に残った言葉を抜き出し、四十分ほどの作品に仕立てた。
 題名は「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」。日本の植民地政策によって祖国を追われるようにして来日し被爆した体験と、その後の差別や苦労を描いた。日本人と同様に被爆者健康手帳を交付するよう求めた裁判闘争の歴史や、帰国した被爆者に平岡敬・元広島市長が聞き取りした様子も盛り込んだ。
 朝鮮人という視点から知った歴史に衝撃を受けた学生は少なくない。脚本を担当した大谷ひかりさん(21)は、朝鮮人被爆者の存在について「今までなぜ知らなかったのかと羞恥心にかられた」と話す。
 朗読という形式をとったことから、大谷さんの提案で広島弁で語ることに。学生はみな関東出身のため、永田教授の知人で広島市出身の会社員太田恵さん(52)=さいたま市=に抑揚などを教わっている。指導を通じて「あらためて深く知ることになった」という太田さんは「ずっしりと心に残る体験になると思う」と学生の活動に協力する。
 助監督を務める内藤唯さん(21)は「広島の人たちに朗読劇が受け入れてもらえるのか不安もある」としながら、「私たちの世代でも原爆について考えたり、歴史を受け継いだりできるということを伝えられたら」と話す。


〔201〕安倍9条改憲 NO!辺野古新基地建設は断念を!安倍政権退陣!12.19 国会議員会館前行動、2800人参加もマスコミは無視ですか?

2018年12月22日 | 市民運動
 久しぶりに国会前19日行動に参加しました。参加の言い出しっぺは連れ合いでしたが、辺野古新基地に土砂投入、人管法・水道法などの強行採決など安倍政権の暴走、暴挙は枚挙にいとまがありません。寒さの凍みる師走19日ですが、2015年10月から毎月続く19日行動主催者と参加者に敬意を表し、連帯する意味で駆けつけることにしました。

■『安倍9条改憲NO!辺野古新基地建設は断念を!安倍政権退陣!12.19国会議員会館前行動』2018、12/19(水)18:30~  場所:衆議院第2議員会館前を中心に

 いつものように地下鉄有楽町線永田町駅で下車、国会と向かい合わせの衆議院第2議員会館前に夕方の6時10分に到着しました。集会は6時半からということで、中央ステージまで様子を見に行ったところ、なんとか発言者の顔が見られるところに潜り込ませてもらいました。演説者まで2,30メートルの距離でした。妻は残念ながら前の人の背が高いため発言者は見えないと言っていました。
 6時半きっかりに集会は始まりました。
 司会はおなじみの男性、コールは女性、頼もしい2人の若手でした。今日のステッカー「辺野古新基地建設は断念を!」「安部9条改憲NO!」を揺らしながらのコールです。
 最初に立憲野党の挨拶です。到着順でした。
 福島みずほ(社会民主党)、山下芳生(日本共産党)、小宮山泰子(国民民主党)、 山川百合子(立憲民主党)
  国民民主党の小宮山泰子氏が野次られているのが印象的でした。くれぐれも第2か第3の自民党にならないといいのですが。

 続いて連帯の挨拶です。耳で聞いての書き写しなので正確性には欠けると思いますが、記録しておきましょう。私の調べた範囲では、2800人参加のこの大行動をマスコミは伝えません。ならば私が書くしかないか。(以下、フルネームをご存じの方は知らせてください。)

・小田川さん(憲法共同センター)
・木村さん(沖縄反戦一坪地主会)
・南さん(改憲問題対策法律家6団体)
・高田さん(9条壊すな実行委員会)

 19日行動は40回に達しようとしています。こうした市民と立憲野党の共闘は自民党の憲法「改正」案を憲法審議会に提出させませんでした。さらに、国民投票法の改正の審議に入らせませんでした。このことは誇っていいのではないでしょうか。
 マスコミが伝えないならユーチューブで見るしかありません。下記のユーチューブは幾度となく、ばっちり我々が映し出されています。

https://www.youtube.com/watch?v=hSI0m5zq1aA

最後に自称「反逆老人」の鎌田慧さんの新聞コラムを読んでみてください。

 ◆辺野古の海を埋め立てる行為はバベルの塔のように神々の怒りを買う
  「絶対に諦めない」…玉城デニー沖縄県知事
                      鎌田 慧(ルポライター)

 とにかく力ずく。道理も情愛も思いやりの一滴(ひとしずく)もない。無表
情で命令するだけ。辺野古の海に土砂が投入されるのを目の当たりにして
玉城デニー沖縄県知事は「胸をかきむしられる」と表現した。あの海の色を
知る人たちの共通感覚である。
 ジュゴンとウミガメなどさまざまな生き物が棲(す)む手つかずの海に、
汚れた土砂を投げ込むのは神を恐れぬ行為だ。160ヘクタールもの海域を埋め
立て、米軍の戦争用の軍事基地をつくるという。

 「悪魔とは他の人間の犠牲の上に生きる人間のことである。そして殺し
合い、奪い合い、だまし合って生きる人間のことだ」(『米軍と農民』)とは
戦後、伊江島で米軍の土地収用に、非暴力抵抗をつづけた阿波根昌鴻さんの
言葉だ。伊江島は玉城知事の母親の里である。

 玉城知事は土砂投入に抵抗して座り込んでいる人びとに「勝つことは難し
いかも知れないが絶対に諦めない」と激励した。負けるというのではない。
諦めないでがんばればかならず道は拓(ひら)かれる。
 「耐え難い日を迎えた。が、打つべき手は絶対にある」。玉城知事の
言葉は、自信に満ちている。
 埋め立て予定地の東側海底はマヨネーズ状態。活断層もある。工事は無理
なのだ。160ヘクタールもの海を埋め立てる行為は「バベルの塔」のように
神々の怒りを買おう。ましてパワハラは国際的な恥である。
         (12月18日東京新聞朝刊27面「本音のコラム」より)

〔200〕ブログ200号! 追悼、石牟礼道子『苦海浄土』をみんなで読み味わいました。

2018年12月04日 | 図書案内
 読書会のきっかけは、清瀬・憲法九条を守る会の会長のKさんとこんな話をしたところから始まりました。今年の3月ぐらいだったでしょうか。
「石牟礼道子が2月10日に亡くなったこともあり、もう一度、彼女の作品を読んでみたいと思っているんだけど。」
「私はしっかり『苦海浄土』を読んでないので、読書会でもやりませんか。」
 みんなで読むという目標ができることによって、いつもの怠け心を払拭できるということも経験上知っていました。
 最初に設定された開催時期は6月でした。残念ながら彼女の体調が思わしくなく、こちらの都合もあり、11月に延期になったのでした。
 集まったメンバーは8人、清瀬・憲法九条を守る会や清瀬・くらしと平和の会の人が大多数でした。初対面の方もいらして、とても良い刺激になりました。

  私が石牟礼道子に興味を持ったのは、彼女が「サークル村」の活動に参加していて、そこで文章力などが鍛えられたという事実からでした。私はラボ教育センターの言語教育総合研究所に所属しています。そのラボの基礎を築いたのが谷川雁でした。サークル村は上野英信、谷川雁、森崎和江などに主導されていました。参考のためにサークル村【復刻版】について紹介しておきます。

■サークル村【復刻版】全3巻・附録1・別冊1
 安保改定阻止国民会議が結成され三池争議が始まった1958。この年の9月に発刊された九州全県と山口県の地域や職場のサークル相互の交流と連帯を目的として刊行された<サークル交流誌>が本誌である。
 創刊時の編集委員は上野英信、木村日出夫、神谷国善、田中巖、谷川雁、田村和雄、花田克己、森一作、森崎和江。参加した会員は、数十のサークルに所属する200余名であった。
 敗戦直後から全国で展開され、1955年頃が全盛期といわれる無数のサークル運動は、そのまま集団の戦後思想史を形成する。精神の共同体であるサークルが果たした役割とは何か。異質なサークル間での交流はいかに可能であったのか。
 1959年に模索された<全国サークル交流誌>の提案と計画案作成に大きな衝撃を与えた本誌を関連の『労働藝術』『炭砿長屋』『地下戦線』の三誌とあわせて復刻。この運動の火付け役である谷川雁や上野英信だけでなく、サークル村に集った金属工や坑夫、郵便局員、鉄道員、紡績女工、教員、村の若者や主婦、その他もろもろの人々の声に耳をすませたい。


 そもそも石牟礼道子とはどんな人物なのでしょう。ウィキペディアには次のように書かれています。

■石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年3月11日 - 2018年2月10日[1])は、日本の作家。(ウィキペディア)
〔来歴・人物〕
 熊本県天草郡河浦町(現・天草市)出身。水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て1958年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始。1956年短歌研究五十首詠(後の短歌研究新人賞)に入選。
 代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛された。同作で第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、受賞を辞退。
 週刊金曜日の創刊に参画。編集委員を務めたが「手伝いをしただけ」である事を理由に2年で辞任している。
 2002年7月、新作能「不知火」を発表。同年東京上演、2003年熊本上演、2004年8月には水俣上演が行われた。
 2018年2月10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため、熊本市の介護施設で死去。90歳没。
〔備考〕
 合唱曲の作曲家として知られる荻久保和明は、水俣病の恐ろしさを表現した絵本「みなまた 海のこえ」(石牟礼道子・丸木 俊・丸木位里、小峰書店刊、1982年)を題材にした合唱組曲「しゅうりりえんえん - みなまた海のこえ -」を制作した。

 
 私が初めて石牟礼道子に出合ったのは、絵本『みなまた 海のこえ』が出版された時のことでした。丸木俊、位里夫妻の絵にも興味を持ち、早速購入し、クラスの子どもたちに読み語ったのです。しゅうりりえんえん、というような、独特の擬態語、擬声語が耳底に残っています。
 2度目の出合いは、砂田明さんの一人芝居「天の魚」でした。口を大きく開けた仮面をつけた砂田さんの熱演が記憶に深く刻まれています。「天の魚」は「てんのいお」が正しいようですが。
 『苦海浄土』に進みましょう。


■苦海浄土(くがいじょうど)
 石牟礼(いしむれ)道子の聞き書きの形をとった小説。『空と海のあいだに』という題で1960年(昭和35)1月『サークル村』、65年12月~66年12月『熊本風土記(ふどき)』などに断続連載。69年1月『苦海浄土――わが水俣(みなまた)病』の題で講談社刊。54年ごろから熊本県水俣を中心とする八代(やつしろ)海(不知火(しらぬい)海)沿岸漁民は、新日本窒素水俣工場の排水に含まれる有機水銀によって「水俣病」の症状を現し始める。手足がしびれ言語等に障害をきたし、衰弱、死に至るか、かならず後遺症を残す病である。著者は患者たちに寄り添い無告(むこく)の患者にかわって、不知火海がまだ美しかったころから現状に至る思念を方言を生かした語り体でつぶさにつづり、文明の行き着いた地点を現場から激しく呈示、批判する。しかし、聞き書き、ルポならぬまさに著者の「私小説」と評される。続編に『天の魚(うお)』がある。[橋詰静子]
*『苦海浄土――わが水俣病』(講談社文庫)
*出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)


 今回私が手にしたのは新装版『苦海浄土―わが水俣病』(講談社文庫)でした。オビには「追悼 石牟礼道子さん」とあり、2018年3月23日29刷発行となっています。この本は岩波書店が発行を了承せず、講談社からの出版になったということをSさんが教えてくれました。この新装版では「解説 水俣病の五十年 原田正純」を加えたということでした。 

■新装版『苦海浄土――わが水俣病』(講談社文庫)
第1章 椿の海     山中九平少年 細川一博士報告書 四十四号患者 死旗
第2章 不知火海沿岸漁民  船の墓場 昭和三十四年十一月二日 空へ泥を投げるとき
第3章 ゆき女きき書    五月 もう一ぺん人間に 
第4章 天の魚 九竜権現さま 海石
第5章 地の魚 潮を吸う岬 さまよいの旗 草の親
第6章 とんとん村 春 わが故郷と「会社」の歴史
第7章 昭和四十三年 水俣病対策市民会議 いのちの契約書 てんのうへいかばんざい 満ち潮
 
解説 石牟礼道子の世界  渡辺京二
解説 水俣病の五十年   原田正純


 今回『苦海浄土―わが水俣病』を読み終えて私が得心が行ったのは、石牟礼道子は優れた「劇作家」であるということです。あるときは水俣病患者に成り代わってその思いを語り、あるときは新聞記者よろしく闘争現場を描き、ときには「細川一博士報告書」を報告するというように、変幻自在にその語りをかえるのです。学校演劇では構成劇という分野が湯山厚さんによって確立されたのを思い出します。さらに、演劇界では木下順二の「子午線の祭り」が平家物語を群読の手法で再構成し、源氏や平家、語り手などを登場させます。また、鎌田慧さんの『大杉栄』や『残夢』などの評伝文学にもドラマチックで劇画的な色彩を感じとることができます。『苦海浄土―わが水俣病』をそれらと比較検討するというのはとても興味深いことだと私には思われるのです。
 『苦海浄土―わが水俣病』全三部が藤原書店から出版されています。この大冊の解説を数人が書いていますが、その一人が鎌田慧さんでした。その鎌田さんは『サンデー毎日』にも追悼文《「小さな命」の仇討ちに賭けた生涯》を寄せて、「自然の声、水俣患者たちの声を、こころで聴き、地方住民の現実の言葉で描く、あたらしい石牟礼文学が誕生した。」と書いています。

■全三部『苦海浄土』藤原書店
全三部作がこの一冊に! 普及完全決定版!
「水俣病」患者とその家族の、そして海と土とともに生きてきた不知火の民衆の、魂の言葉を描ききった文学として、“近代”なるものの喉元に突きつけられた言葉の刃。半世紀の歳月をかけて『全集』発刊時に完結した三部作、第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」を一冊で読み通せる完全決定版。

◆鎌田慧・米本浩二 20180220 「追悼・石牟礼道子さん――「小さな命」の仇討ちに賭けた生涯(鎌田慧)/「パーキンソン病との闘い」と「ペン」(米本浩二)」(『サンデー毎日』2018年3月4日号)


 読者会の言い出しっぺの一人のKさんは、実に丁寧なレジメを作ってくれ、全編にわたっての「解説」を付けてくださいました。彼女は「ゆき女きき書 五月」がとりわけ好きで、この場面が秀逸であると言います。夫婦で魚を捕る状況が手に取るように活写され、それを読み解く彼女の語りが実に見事でした。石牟礼道子が乗り移ったような上質な語りの世界が出現しました。
 読者会を終えて、『苦海浄土』をさらに深く読み味わいたいと思いました。さらに、『苦海浄土』の朗読会を開いたらおもしろいかもしれないとも考えました。紹介された石牟礼の『椿の海の記』を読まないとどうにも収まりがつきそうにありません。


 最後に、参考として新聞記事や、私が目にした追悼文を紹介しておきます。

■石牟礼さん悼む「天の魚」 水俣でひとり芝居上演〔西日本新聞〕
 10日に90歳で死去した作家石牟礼道子さんの代表作「苦海(くがい)浄土」を基にしたひとり芝居「天の魚(いを)」が18日、石牟礼さんが育ち暮らした熊本県水俣市で26年ぶりに上演された。胎児性患者の孫を持つ年老いた漁師の一人語りを通して、水俣病の不条理と近代文明の矛盾を問うた作品を、多くの市民が鑑賞し、水俣を愛した郷土作家の死を悼んだ。
 「天の魚」は、石牟礼さんに影響を受けて水俣に移り住んだ舞台俳優の砂田明さん=1993年に65歳で死去=が脚本を手掛け、556回にわたり公演した。2006年に砂田さんの弟子だった川島宏知(こうち)さん(71)=高知県=が復活させ再び全国を巡回している。
 「杢(もく)は、こやつぁ、ものをいいきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす」。舞台では、川島さん演じる仮面の男が自宅を訪れた「あねさん」に水俣弁で語り掛ける。大きく開いた仮面の口から発せられる老漁師の独白は、肉体と精神を冒された患者や、絆を引き裂かれた家族の苦しみ、無念さを深く訴え掛けた。会場には、孫のモデルになった半永一光さん(62)の姿もあった。
 公演は市民グループ「水俣病を語り継ぐ会」が企画。石牟礼さんの死去後、初の舞台となった川島さんは「先生がこの舞台に引っ張ってくれたと思う。水俣病には背を向けられない」と話し、芝居を続ける覚悟を語った。=2018/02/19付 西日本新聞朝刊=

■石牟礼道子追悼
・「石牟礼道子の影」池澤夏樹、朝日新聞夕刊、2018/04/04
・「石牟礼さんと皇后とパソコン」辺見庸、「生活と自治」2018/04
・「浄土へ」田口ランディ、「生活と自治」2018/04
・「美しい人 かばい続けた半世紀」瀬戸内寂聴、朝日新聞朝刊、2018/06/14