後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔217〕今度は白石孝さんから御著書『ソウルの市民民主主義』(コモンズ)をいただきました。感謝!

2019年04月15日 | 図書案内
 このところ多くの方々から手紙やメールをいただいていることはこのブログで触れてきたところです。さらに寄贈本も多く、嬉しい悲鳴を上げています。
 今回は同世代で、様々な市民運動を展開され、多くの著書をお持ちの白石孝さんです。妻もマイナンバーについて彼の話を聞きに行ったことがありました。その時に購入したのが『知っていますか?個人情報と人権一問一答』(白石孝著、解放出版社)でした。
 そもそものお付き合いは1990年代の中頃からでした。お連れ合いで、元東久留米市議の故白石玲子さんが、家庭科教師体験者の私の話を聞きに来てくださったことから始まりました。当時は彼女は東久留米市の男女平等関連の女性情報誌「ウィメン」の編集委員でした。記事が掲載されたのは1993年10月と1994年3月でした。その数年後に彼女は市議に当選しました。
 ご夫婦で東久留米市で在日韓国人のピアニスト、崔善愛さんのコンサートを開催され、招待されたことがありました。
 それにしても嬉しかったのは、白石孝さんが「啓」を丁寧に読んでくださっていたことでした。お手紙を紹介します。

■白石孝さんの手紙
 ご無沙汰をしております。東久留米市の自石孝です。長い間「啓」をお送りいただき、ありがとうございました。100号おめでとうございます。そして、ご苦労様でした。続けることの大切さ、そして区切りをつけることの大切さ、両方とも私なりに体験してきましたので、お気持ちが分かるように思います。
 いくつかの個人通信・紙誌を直接知っていますが、「啓」はその中でもこのボリュームにもかかわらず、毎回完読ささせていただきました。主に電車内でしたが(笑)。
 これまで、何度か感想なりをメールでお送りしようと思っていましたが、私自身多忙を超えたほどの多忙さで、その余裕がなく、時が過ぎてしまいました。でも、終刊とのことで、せめてお礼だけでもと思い、手紙を書かせていただきました。
 そして、ささやかなお礼というわけではありませんが、昨年(2018年)3月に発刊し、日本でのソウル市政、韓国「市民民主主義」運動紹介という稀な拙著を同封させていただきます。ご多忙とは存じますが、お手に取っていただければ幸いです。
 日本政府やマスメディア、さらには多くの日本人世論が「韓国はひどい国だ」というフェイクに近いバッシングをしていることに対し、むしろ世界基準で見れば、日本の政治や社会の方がはるかに遅れている、ということを事実として紹介することを通して伝えたいという趣旨です。
 その他、非正規公務員課題、ラオスの児童教育支援・交流などが私のライフワークになっていますので、その関連資料も同封いたしました。

 末尾となりましたが、お二人、ご家族のご健康を祈念しております。
                           2019年4月13日


  『ソウルの市民民主主義』について紹介させていただこうと思ったら、自著について語られているネットが目に飛び込んできました。目次も掲載されているので再録させていただきます。

●レイバーネットより
韓国民主主義から何を学ぶか??待望の書『ソウルの市民民主主義』発刊
3.24 レイバーネット総会で初お披露目

 白石孝@官製ワーキングプア研究会理事長です。
 3月23日完成で、『ソウルの市民民主主義~日本の政治を変えるために』 という本を出版します。(コモンズ発行、A5判208頁、1,500円+税)  その最初のお披露目が、3月24日(土)13:30から開催予定の「レイバーネ ット総会」(水道橋スペースたんぽぽ)第2部です。講演と販売があります ので、ぜひお越しください。
 内容は、私が責任編集で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長、中京大・大内裕和教授、和光大・竹信三恵子教授、地方自治総合研究所 上林陽治研究員にも書いていただきました。韓国や朝鮮の専門家でも研究者でもない、一介の社会活動家の私が、何故ソウル市政や韓国文在寅政権を紹介する本を書いたのか。
 2011年10月に発足した朴元淳ソウル市政は、市民主体の「市民民主 主義」を基調とし、政策的には社会民主主義、福祉国家路線を明確に していることを政策事例を通して紹介したかったことが一つ目です。
 二点目は、日本のマスメディアが総がかりで、韓国新政権が親北的 で軟弱、なおかつ慰安婦合意を一方的に破棄するルール破りの外交を 進めているというネガティブキャンペーンを張っていることに対し、1987年民主化以降初めて本格的な福祉国家に歩を進め、外交面でも主 体性を持っていることの一端を伝えることです。
 三点目は、韓国の市民社会運動や反貧困運動が、2016年10月から のキャンドル市民革命を創りだしたことや連帯=ネットワーク運動を 通して、政治的影響力まで行使しえる存在になっていることに学び、日本の「たこつぼ」的閉鎖的運動の改革を提案することです。

 本書の構成は、
第1章 ソウル市の市民民主主義革命(白石孝)
第2章 キャンドル市民革命が変えたこと、これから変えるべきこと(朴元淳)
    解説:日常のキャンドル市民革命の重要性(白石孝)
第3章 まちを市民のものにする?人間中心の交通と出かける福祉(白石孝)
第4章 市民の人権を守るソウル市の労働政策(上林陽治)
    対談:ソウル市の労働政策から何を学ぶのか(上林陽治・白石孝)
    インタビュー:「違うものとつながる」強さが後押ししたソウル市
の女性政策(竹信三恵子・白石孝)
第5章 貧困解消へのチャレンジ~住宅福祉と住民参画の地域づくり(白石孝)
第6章 インタビュー:私の政治哲学~革新と協同統治(朴元淳・白石孝)
第7章 韓国の社会運動に学ぶ(白石孝)

〔216〕中村英之さんから届いた『食からひろがる地域のつながり』(入江一惠著)の紹介です。

2019年04月15日 | 図書案内
 中村英之さんを知ったのは妻を介してです。妻のブログ「リーメンシュナイダーを歩く」を読んで連絡をくれたのです。裁判所にお勤めの方と聞いていましたが、美術全般について造詣が深く、年に数回海外の美術館・博物館を訪ね、ブログも書かれています。自己紹介の欄に「年に2回ヨーロッパにひとり美術館と居酒屋めぐり。映画エッセイを少々。」とあります。ブログの内容は多岐にわたっていて、美術・映画・演劇そして本の紹介などその充実ぶりは目を見張るものがあります。
 そして、いつの頃からか我々の夫婦共同誌「啓」を読んでいただいて、東京にいらしたついでに、我が家にも立ち寄っていただいたことがありました。様々な市民運動も展開されていて、その資料や本を送っていただいたこともたびたびでした。このブログでも紹介したことがありました。(ブログ〔140〕同世代の小平陽一さんの『僕が家庭科教師になったわけ』、共感しながら読み終えました。)
 今回「啓」終刊ということで、以下のようなメールをくださり、お仲間の書いた本も寄贈していただきました。まだ読み切れていないのですが紹介させていただきます。
 
■中村英之さんのメール
 「啓」最終号100号ありがとうございました。
 これまで、編集、校正、印刷、発送等 本当に大変だったと思います。欠かさずお送りただいたこと心より感謝いたします。そしてお疲れ様でした。今後はお二人のブログをできるだけ拝見させていただきます。楽しみです。
 私ごと、この3月で裁判所を早期退職いたしました。
 4月からは一応自由の身ですが、緑様のようにドイツにまで語学留学とまではいきませんが、大学及び大学院で美術関係の聴講生を申し込んでいます。また、自宅近くの兵庫県立美術館でのミュージアム・ボランティアに登録しています。(略)

 11月23日の写真展と永田さんとの対談にはぜひ出席したいと思います。
 また今年もドイツに行かれるのですね。私は早期退職を決めてから、海外旅行は自粛しており、一昨年のフランクフルトなどが最後になりました。また行きたいですが、今後の財政状況や健康との相談になります。お気をつけて。また旅行記はまたブログで読ませていただきます。

 半田たつ子さんが始められ、後に稲邑恭子さん、中村泰子さんが引き継いだ「We」誌で敬愛する入江一恵さんが「ひまわりの日々 食からひろがる地域のつながり」を連載されていてこの度単行本になりました。もし、まだご入手されていらっしゃらなければお送りします。

■中村英之さんからの寄贈本
●『食からひろがる地域のつながり』入江一惠、フェミックス224ページ、1600円+税
 本書は「食はいのち、高齢者の食を地域で支える」という入江さんとその仲間たちの熱い思いの実践の場、「ふれあい食事処 明舞ひまわり」を舞台に、ふれあい食堂・配食・見守り、相談事業やまちづくりなど、15年間にわたる活動の集大成が描かれています。 〈食〉を通じた人との出会い、地域のつながり、泣き笑いのエピソードに思わずほろりとして、希望を感じる一冊です。 高齢化社会が進む中で全国的に緊急な課題となっている「誰もが安心して暮らせる、共生のまちづくり」の先進事例として注目される試みです。


 私は、半田たつ子さんが1982年に創刊された『新しい家庭科We』(ウィ書房)の2年目に小学校の家庭科の実践を10回執筆させていただきました。その後、1992年に『くらしと教育をつなぐWe』(フェミックス)としてリニューアルされました。本書はその雑誌に80回にわたって連載された文章をまとめたということです。

〔215〕松本輝夫さんの責任編集の特集「上野英信と筑豊・沖縄」(『脈』100号)はすでに完売でした。

2019年04月11日 | 図書案内
 前・ラボ教育センター会長の松本輝夫さんから次のような嬉しい手紙と特集「上野英信と筑豊・沖縄」(『脈』100号)が送られてきました。「啓」100号に対する「返信」としては実に贅沢でもったいないプレゼントでした。しかも『脈』100号は私にとって幸運なことに最後の1冊だというではありませんか。
 まずは松本さんの手紙から見ていただきましょう。

■松本輝夫さんの手紙
 「啓」100号、有難うございました。
 小生にとっては、創刊の辞の「気負った書きぶり」と佐藤公子さんインタビューのまとめが特に面白く、興味深く読めました。公子さんとは次に会う機会にこのまとめも話題にできるというもので有難い資料でもあります。
 途中からではありますが、小生を「読んでもらいたい人に一方的に送り届ける」対象者リストに加えてくださったご厚意とお手数に改めて心から感謝いたします。
 併せて、長い間の刊行継続、ご苦労さまでした。
 そして、100号という大台到達、おめでとうございます。|

 御礼の気持ちも込めて、此方も100号となった『脈』をお送りします。編集後記にある通り、この号特集の編集責任を務めたのは小生で、内容的には今どきかなり異色の充実した1巻になっていると思います。西日本新聞文化面で取り上げられたりしたこともあり、あっという間に完売(500部)となり、版元にも小生の手許にも永久保存分がそれぞれ各3冊ずつしか残っていないのですが、他ならぬ「啓」100号到達。終刊を言祝いで、そのうちの文字通り最後の1冊をお送りする次第です。暇な折にでもぜひお目通しください。よろしくお願いします。


 松本さんの責任編集ともいうべき『脈』100号の豪華なラインナップは次の通りです。

■「脈 100号 上野英信と筑豊・沖縄」比嘉加津夫・編集
   A5判/190頁  予価1300円+税  脈発行所

 *目次
   特集  上野英信と筑豊・沖縄
    上野英信 私の緑化闘争
    上野 朱 地の底から美ら海へ
     松本輝夫 上野英信と谷川雁――その共同と決別の深層
    三木 健 『眉屋私記』をめぐる人々
    坂口 博 「人間雑誌」と『眉屋私記』
    仲程昌徳 上野英信と流儀――『眉屋私記』をめぐって
     内田聖子 絶望にふさわしい快楽
    井手川泰子 上野英信先生の思い出
    小日向哲也 砂掛け爺爺の一人言――雁さんと並ぶ傑物との往時茫々
    北野辰一 近代化による流氓 『出ニッポン記』を読む
     仁衡琢磨 フラクタルあるいは王様と少女――上野英信と再帰的重層的構造
    奥村華子 媒介される不可能性――上野英信による記録が必要とされるとき
     新城兵一 上野英信の方へ
     仲里 効 たった一つの〈此処〉、幾つもの〈彼処〉
    青柳瑞穂 上野英信「スカブラの話」 怠けて生きたい私たち(17)
    比嘉加津夫 上野英信断想                      
                    
   俳句 仲本彩泉 カウントダウン100
   短歌 日比谷久代  頌 『脈』百号に寄す/覉旅
   詩  仲本 瑩   海嘯(8)
      伊良波盛男  故郷の廃家
   小説 東木 武市  島の西郷どん(4)
      仲本 瑩   バラードの斧ひかりの檻(全100/55~60)
      比嘉加津夫  朝敏と在原業平 平敷屋朝敏の謎(11)
   論考 村上一郎   村上一郎の未発表日記と『試行』ⅩII――1963(昭和38) 年の日記(3)(佐伯修 編・註)
      松岡祥男   「ネギ弁当」にはじまる 吉本隆明さんのこと(20)
      安里昌夫   迫り来る修羅の極致と南島への鬱――『出発は遂に訪れず』 (島尾敏雄・著)について
   編集後記

   表紙写真 上野英信(撮影/提供・本橋成一) 
   題字= 比嘉良治 本文カット= ヒガカツオ


 西日本新聞文化面のコピー(日付は不明)も送られてきました。「沖縄の同人誌『脈』が100号 上野英信を特集」「取材姿勢など紹介」と見出しにあります。
  松本輝夫さんの「上野英信と谷川雁――その共同と決別の深層」については次のようにコメント記事がありました。

「1958年に英信は思想家・谷川雁らと文化誌『サークル村』を創刊。谷川雁研究会代表の松本輝夫さんは、一時盟友関係にあった2人が決裂した原因を探った。松本さんは、真相は〈永遠の謎〉としながら『サークル村』創刊時の行き違いが起点となり、〈絶縁癖〉と〈癇癪持ちのような面〉があった雁の思い込みが主因となり、英信も雁への〈違和感の累積もあり〉絶交せざるをえなかったと推測。たもとを分かった両者はいずれも高度経済成長に背を向け、雁は教育活動(ラボ・パーティ)に、英信は『筑豊文庫』に情熱を注ぐなど、〈深層において刮目すべき近親性が認められる〉と分析した。」

〔214〕「こまと人形劇のクマゴロウ」久我良三さんの海外公演と真摯な生き方に触発されました。

2019年04月10日 | ラボ教育センターなど
 前ブログで紹介したミニコミ「啓」最終号を約100名の方に送ったところ、メール・はがき・手紙・電話など多くの反応・反響があり、ここ1,2週間でなんと合計30件を数えました。貴重な内容が多く含まれていますので、許可をいただいてそのいくつかを紹介しましょう。
 まずは「こまと人形劇のクマゴロウ」こと久我良三さんの手紙です。私と同世代で演劇教育の仲間の彼のことは以前ブログ〔8〕で紹介しました。それは私が書いた彼の講座の記録です。
 まずは久我さんの手紙の一部を読んでみてください。「啓」93号に掲載された「寒川道夫の光と影」(所収、拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』晩成書房、ブログ〔189〕参照)の文章にショックを受けたという内容です。

■久我良三さんの手紙
 (スキーから)帰ってきたら、100号が届いていました。すごい…の一言です。100号の終わりのほうから送っていただいたと思います。
 一番の思い出は『山芋』のことです。「啓」の中で『山芋』の創作について疑問があり、太郎良信氏の本を紹介されていた号です。ずっと日本作文の会に加入して、実践してきた私にとってすごくショックでした。すぐに太郎良氏の『山芋の真実』を取り寄せました。そして分かりました。寒川氏が大関松三郎を作り上げたのだと。かなりのショックでした。そして、自分なりの決着を小説の形にしてみました。
 民主文学の会員になっていますので、うちの支部の支部会誌に「フェイク」という小説にしてみました。作品のほうが勝手に有名になってしまって、寒川氏も驚いたのでしょうが…、有名になっていく恍惚感が身の回りを包んでいったのでしょうか。私は教師の生きがいは子どもだと思ってきました。校長になるという小さな出世、こんなのはOKです。実践を発表して有名になって、タレントになっていく人とか、いろいろいましたが寒川氏はある意味ラッキーでした。きちんと批判することがなしで、校長を終え、市長に立候補して、亡くなられているからです。
 100号ご苦労様、ありがとうと言うつもりで書き出しましたが、寒川さんの批判を書いてしまいました。
(略)
 100号「啓」がんばりました。じっくりと過ぎし日々……本当に長い日々。「啓」は終了しても何らかの形で連絡し合いましょう。
刻んで来た日々の事実、出来事、思想、すごいと思います。積み重ねてこないと100段目は重ねることはできません。一つ抜けてもできないのですから。
 またいつかお会いしましょう。


 このようなお手紙をいただくと、43年間ミニコミを発行し続けてきて良かったと、素直に嬉しくなるのです。
 手紙のほかに短編物語「フェイク」〔磨樹潤三(久我良三ペンネーム)、「あやとり」46号、民主主義文学会 あやとり支部〕が同封されていました。創作の形をとっていますが、主人公はどうやら久我さんと重ねて書かれているに違いありません。大関松三郎の詩を子どもたちに教えてきたことに対する後悔の念と忸怩たる思いが伝わってきます。私にも共通する思いがあります。このあたりのことを拙著では詳しく触れていますので、読んでいただきたく思います。
 彼の手紙には「こまと人形劇のクマゴロウ只今公演中 スリランカ編」という8枚に及ぶ文章が同封されていました。昨年の10月に10日間ほど、スリランカでこまと人形劇の公演を行ったというのです。千葉で小学校教師を定年退職した後、日本中をほぼ無料で公演して回った彼が、ついに縁のあるスリランカまで足を伸ばしたというわけです。教師向けの講座も予定されているという、彼の旺盛な活動から目が離せませんね。

 …ここまでブログに掲載したら、なんと久我さんからはがきが届きました。近況報告になっているので追加させてもらいます。

■久我良三さんのはがき
 この前、組合のイベントで若い先生たちに、こままわし、人形劇、ピタゴラスイッチをやってきました。ピタゴラ装置の一番新しいものは、ビー玉がジェットコースターのように動くものです。今考えている新しい道具は巨大万華鏡です。大きな洗面所用の鏡3枚手に入ったので、この中をビー玉が転がり、LEDのライトがピカピカ光りキラキラと回るという装置です。考えて、ああでもないこうでもないと作っているときが一番楽しい時間でもあります。
 スリランカから学校を回ってほしいと要請がありましたので6月頃に行こうかと思っています。最近、老いを感じるようになってきました。足が動いているあいだに、できるだけ数多く行こうと思ってます。