後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔685〕『人生、挑戦・嫌煙権弁護士の「逆転法廷」』(伊佐山芳郎、花伝社)読んでみました。

2024年04月25日 | 図書案内

 ブログで少し前に、渡辺文学さんの『日本の嫌煙権運動45年史』(花伝社)を紹介しました。その本の末尾に宣伝されていたのが『人生、挑戦・嫌煙権弁護士の「逆転法廷」』です。この本はまさに渡辺さんの紹介で、花伝社からの出版が実現したと書かれていました。
  伊佐山芳郎さんといえば『嫌煙権を考える』『現代たばこ戦争』(いずれも岩波新書)が代表的な著書で我が家の本棚にも並んでいます。言わずと知れた嫌煙権運動で中心的役割を担われた弁護士です。ボランティアとしての参加で、一切報酬はもらわなかったということです。
  その彼が、どのような人生を歩み、それをどう総括されるのか、興味を持って読み進めました。

  2部構成です。前半は「逆転法廷への挑戦」として「強姦致傷被告事件の逆転無罪判決」「ピアノ演奏の差し止め裁判」など六つの事例に言及されています。後半は自身一番力点を置いたであろう嫌煙権問題を「受動喫煙被害は人権侵害」という視点から書き連ねています。
 おもしろかったのは、「反嫌煙権の珍説・暴論」の件でした。
・福田恆存「常識では思ひも付かぬさういう狂った世情」
・澤田ふじ子「精神文化の停滞と卑小が、原因にある」
・小室加代子「「間接喫煙ぐらいでシボむ花ならポイ」
  …(略)

 自らの来し方を総括するときの参考になりそうな本でした。


■アマゾンのサイトより
『人生、挑戦・嫌煙権弁護士の「逆転法廷」』 単行本 2021/9/22
伊佐山 芳郎 (著)

弱者のために、社会のために――
タバコをめぐる社会認識を塗りかえた嫌煙権運動
旗振り役となった弁護士、挑戦の45年

*推薦
「受動喫煙被害の深刻さと対策の遅れの原因に迫る、渾身の論稿! 」渡辺文学氏(「禁煙ジャーナル」編集長)
「現場主義に徹し法廷に挑む姿勢 若き法律家にお薦めの一冊」古城英俊氏(弁護士)
「70歳を過ぎてピアノコンクールにチャレンジ Bronze賞は驚き! 」ミハウ・ソブコヴィアク氏(ピアニスト・福島学院大学教授) 


〔679〕『天使のいる教室』『天使たちのカレンダー』そして『天使たちのたんじょう会』にまつわるあれこれの話です。

2024年04月15日 | 図書案内

 宮川ひろさんの児童文学『天使のいる教室』(童心社、1996年)を池袋のブックオフで見つけたとき、奥付に「取材協力:板橋区立大山小学校・佐藤静子学級」とあったのでためらわず購入しました。
 1972年、北区立滝野川第六小学校で教師生活をスタートさせた私は、教師としての力量のなさを自覚し、様々な教育関連書(村田栄一さんの本が最も刺激的でした)を読みあさり、近場のサークルに教職一年目の秋から参加しました。職場の同僚の紹介で日本生活連盟(日生連)の火曜会を知り、そこで山口(福田)緑とも出会います。
 火曜会の指導的立場にあったのが鈴木孝雄さんで、当時板橋市立志村第六小学校に在職し、緑の学年主任でした。『学級文化活動と集団づくり-学級新聞“ブタとアヒル”の物語』(明治図書、1967年)を若くして著し、教育界ではすでに著名な方でした。我々の結婚式においでいただいたのですが、働き盛りで残念ながらその後亡くなられたのでした。ちなみに、お連れ合いの鈴木桂子さんも教師で、若い女性教師と私の教室を訪ねてくださり、授業を見てくださったのでした。彼女も残念ながら若くして亡くなられます。
  実は、佐藤静子さんも志村第六小学校で緑の同僚で、日生連に参加していました。お連れ合いの佐藤功さんは『とんねる学級物語』(明治図書、1970年)の実践記録を公刊されています。のちに、清瀬市立清瀬第七小学校の校内研究会においでいただいたことがありました。
 鈴木孝雄さんは志村第六小学校から板橋区立大山小学校に異動になり、在職中に亡くなられたと思います。佐藤静子さんもその学校で教鞭を執られました。そこでの実践が、『天使のいる教室』に描かれたのです。著者は宮川ひろさん。数年間板橋区などで教員として働いていました。『先生のつうしんぼ』(偕成社)など児童文学を多数執筆されています。
  ここでの佐藤静子実践は、日生連よりむしろ日本文学教育連盟(文教連)の影響を強く受けています。

 『天使たちのカレンダー』は静子さんのご友人のいらした板橋区立赤塚新町小学校・五組の実践がもとになっています。1998年発行。

 さらに『天使たちのたんじょう会』は再び佐藤静子実践が下敷きになっています。2012年発行。この本のあとがきには佐藤静子さん本人の文章も収録されています。

 3冊の絵を描いたのはいずれもましませつこさんです。くしくも清瀬市在住の挿絵画家さんでした。

  これらの3冊の本は、子どもたちだけでなく、親の皆さんや教師たちにも読んでもらいたい本です。図書館におくこともお勧めします。


〔677〕入手しにくい『神奈川大学評論』と『星火方正』を紹介します。

2024年04月09日 | 図書案内

 私が今まで手に取ることなかった本を皆さんに紹介します。
 まずは神奈川大学編集・発行の『神奈川大学評論』です(年3回発行)。最新号は3月末発行の105号です。210頁で定価が889円、内容の充実具合を知れば格安と言えるかも知れません。
 ページを捲るのを楽しみにしている記事を列挙しましょう。

・エッセイ 永山則夫の短い旅路 鎌田慧
・対談 寅さんと旅 山田洋次、アーサー・ビナード
・講演記録 循環する言葉とものと文学 田中優子
・舞台時評 プーク人形劇場-建設までの経緯と絵入り年代記 竹内とよ子
・書評(全部で11冊あります)
 大森淳郎・NHK放送文化研究所著『ラジオと戦争-放送人たちの「報国」』永田浩三
  辻野弥生著『福田村事件-関東大震災。知られざる悲劇』北原糸子

  とりわけ巻頭の見開き2頁に凝縮された鎌田慧さんの永山則夫論は秀逸です。裏付けのある一文、一段落が私に説得力を持って迫ってきました。
 私は、鎌田さんがものにした大杉榮、鈴木東民、太宰治、葛西善三、坂本清馬などの評伝文学を愛しています。永山則夫の評伝もお願いしたいものです。

 『星火方正(せいかほうまさ)』(燎原の火は方正から)を初めて手に取りました。
 方正友好交流の会、37号、2023年12月号です。
 敗戦の1945年、ハルピン市近くの方正で5千人近くの日本人が亡くなり、日本人たちの公墓が周恩来総理の許可の下1963年に設立されたといいます。
  方正友好交流の会は2005年に立ち上げられました。日本人公墓の存在を知ってもらい、周恩来総理の国際的な精神を広めたいという思いから出発したようです。
 興味があるようでしたら、是非ネット検索してみてください。

 

◆ヒマラヤと原発事故         鎌田 慧(ルポライター)

 「『日本で大地震が発生し、東京でも死者が出ているそうです』宿泊
者のひとりが食堂に駆け込んできて涙声で言った」「東北の太平洋岸原
発の緊急自動停止装置がうまく作動したのだろか。阪神大震災や奥尻島
の大津波は取材にいって惨状を目にしている。今度は柏崎刈羽原発より
も被害は大きい、と推察される」
 13年前の3月13日。カトマンズのホテルから手書き原稿をFAXでこ
の欄に送稿した。

 ヒマラヤの8000m峰の一つダウラギリの麓ナウリコットのホテルに
帰ってきたばかりだった。
  大地震のニュースは同行者たちを不安にさせた。
 祈るような気持ちだった。 あのとき、東京にいなかったことが恥ずか
しく、 深い負い目だった。そのこともあって「さようなら原発」運動に
時間を割くようになった。
 そのとき、友人たち7人とエベレストを見に行く旅のガイド役を務め
たのが、同郷の作家、高校の後輩、登山家の根深誠氏である。

 この2月に上梓した『求道の越境者・河口慧海 チベット潜入ルートを
探る三十年の旅』を送ってもらった。
 ヒマラヤを案内しながら根深氏は、100年前鎖国のチベットで修行した
慧海の潜入はこれまで伝えられてきた経路ではない、と力説していた。
 それを解明した力作だ。ヒマラヤの山脈で聞いた原発事故のニュース
と河口慧海。やや奇妙な関係なのだが。
         (4月2日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」)


〔667〕祝出版!『日本の嫌煙権運動45年史-「きれいな空気を吸う権利」を求めて』(渡辺文学、花伝社)

2024年03月18日 | 図書案内

 まさに「きれいな空気を吸う権利」という「嫌煙権」運動の屋台骨を背負ってきた渡辺文学さんの『日本の嫌煙権運動45年史』が、今年の1月末日に発刊されました。私にとっては珍しくこの新刊を早速池袋のジュンク堂で購入してきました。すぐにでも手にしたい理由があったのですが、それは後程。
 「嫌煙権」はコピーライターの中田みどりさん(我が家にもたびたびみえて、彼女から可愛い猫ちゃんを引き取ったことが2回あります。)の造語で、1978年「嫌煙権確立をめざす人びとの会」の旗揚げが嫌煙権元年になったようです。
 1980年、国鉄と国(厚生省)、専売公社を相手取って、東京地裁に「すべての列車の半数以上を禁煙に」と提訴したのが「嫌煙権訴訟」です。(弁護団長、伊佐山芳郎氏)その訴訟に私の連れ合いが4人の原告の1人として参加していました。教員ということもあってか、原告代表ということで口頭弁論なども任されたようです。そのくだりを渡辺さんが書き記してくれました。表記は「福田緑」が正しいのですが。

 「第一回目の口頭弁論は六月一六日に行われました。この日、原告を代表して福田みどりさんが陳述を行いました。福田さんは、広島の友人の結婚式に招かれた際の、「ひかり号」で周囲の男性のタバコで眠りを妨げられ、健康を侵されたこと、非喫煙者、特に子どもたちや妊婦が受動喫煙を受けないで旅行ができるよう、せめて二両に一両は禁煙車を設けて欲しいと切々と訴えました。」(52、53頁)


 
 

    この時のテレビ放送を私は入院先のベットの上で見守っていました。
 1986年「嫌煙権訴訟」は結審します。形の上では敗訴ですが、弁護団は「実質勝訴」を宣言します。裁判期間の数年のあいだに日本社会は嫌煙・禁煙の方向に大きく舵を切っていました。地下鉄の一部が禁煙になったり、飛行機の4割ほどが禁煙席になったりして、嫌煙、禁煙の気運は日本中に高まっていきました。

 さて『日本の嫌煙権運動45年史』ですが、目次は次のようになっています。

◆『日本の嫌煙権運動45年史』-「きれいな空気を吸う権利」を求めて

第1章 「嫌煙権運動」のはじまり
第2章 日本初の「嫌煙権訴訟」提訴
第3章 全国に広がる嫌煙権運動
第4章 世界とつながる「タバコ問題」
第5章 国と国鉄は対策を怠っていた
第6章 「タバコ問題」情報収集と啓発
第7章 タバコと公共
第8章 タバコと企業
第9章 タバコと法 

 この本は常に嫌煙権運動の中核に位置していた渡辺さんでしか書き残せなかったものです。「日本のタバコ事情」45年比較リストでは病院、学校、地下鉄、飛行機などの禁煙情況、タバコ広告などに多岐にわたって克明に記されています。禁煙・嫌煙運動&タバコ問題年表も貴重です。さらに、嫌煙権運動のその時々の闘いの情況がリアルに収録されています。
 先人たちの「奮闘」に感謝しつつこの本を懐かしく読み終えました。


〔658〕『鶴見俊輔ハンセン病論集』(青土社)が刊行されます。(矢部顕さんのお便り)

2024年02月16日 | 図書案内

●福田三津夫様

『鶴見俊輔ハンセン病論集』が刊行されます。
戦後を代表する哲学者・思想家であった鶴見俊輔さんの知られざる一面が本になります。
鶴見さんとハンセン病との関わりは、1950年代からお亡くなりになるまでの非常に長い
年月でした。終生にわたり、ハンセン病の詩人やそれに連なる人々と親密な関わりを続けられました。
そのことを知っている人は、鶴見さんのフアンの方でもほとんどいないでしょう。
戦後最大の哲学者・思想家であった鶴見俊輔さんの遺した著作は膨大な数になります。
が、ハンセン病との関わりに関する本は、いままで刊行されていませんでした。
わたくしは、1965年からフレンズ国際労働キャンプ(FIWC)関西委員会というサークル
に参加してきました。このサークルは、鶴見さんの思想の影響を大きく受け続けてきました。
それもあって、FIWCは1963年からハンセン病問題に取り組んできています。ハンセン病社会復帰セミナーセンター「交流(むすび)の家」の建設、そして、その後の運営(運営はNPO法人むすびの家)に対しても、鶴見さんの大きな協力がありました。
それもあって、この本には、FIWC関西と交流(むすび)の家にかかわる著述がたくさんあります。

編者・木村哲也さんの、解説、注釈などのコメントが、おそろしく詳しいです。
新刊紹介としてぜひお勧めします。

                           矢部 

■新刊紹介

内にある声と遠い声
     鶴見俊輔ハンセン病論集
                                                      鶴見俊輔著 木村哲也編
                                            青土社 3200円 2024年2月20日発行

稀代の哲学者の知られざる一面――
戦後を代表する哲学者・鶴見俊輔。隔離政策下にあった1950年代に療養所を訪れ、終生にわたり、ハンセン病の詩人やそれに連なる人びとと親密な関わりを続けた。隔たりの自覚を手放すことなく、ともに生きることの意味を考え続けた哲学者の姿が、初公開の講演録をはじめとする貴重なテクストから浮かび上がる。        (表紙の帯より)

 上記の本が刊行されます!  フレンズ国際労働キャンプ関西委員会に関わる章を下記に記します。

1章 ●『「むすびの家」物語――ワークキャンプに賭けた青春群像』(鶴見俊輔・木村聖哉著、岩波書店、1997年)の鶴見俊輔執筆のものを採録。

Ⅵ章は4つの講演記録のうち3つは、フレンズ国際労働キャンプ(FIWC)関西委員会主催の講演会の講演録です。
●「らいにおける差別と偏見」
1968年6月24日、大阪府厚生会館文化ホールにて開催された「交流(むすび)の家開所記念行事・「らい」を聴く夕べ」(主催・フレンズ国際労働キャンプ関西委員会)における講演。
●「もう一つの根拠地から」
1977年6月23日、東京・九段会館で開催された交流(むすび)の家建設10周年記念講演。(主催・フレンズ国際労働キャンプ関西委員会)
●「内にある声と遠い声」
1996年11月30日、らい予防法廃止記念フォーラム「排除から共生への架け橋」(大阪・御堂会館)での講演。(主催・フレンズ国際労働キャンプ関西委員会)

Ⅳ章 ●「山荘に生きる帝政ロシア――亡命貴族三代記」は、交流(むすび)の家建設のきっかけとなったトロチェフさんとお祖母さんとお母さんの三代記。(1963年『太陽』)

Ⅴ章、鶴見俊輔は、長島愛生園の機関誌「愛生」、同盲人会機関誌「点字愛生」の評論の選者を1955年から1972年まで務めていました。評論の選者として見出した書き手はたくさんいるが、その中でも抜きんでていたのが島田等だった。

フレンズ国際労働キャンプ(FIWC)関西委員会ならびにFIWCが建設した交流(むすび)の家にふれた記述は他の章にもいくつもあります。

     矢部 顕(NPO法人むすびの家・理事、フレンズ国際労働キャンプ関西委員会に1965年から参加)


〔657〕『なぜガザは戦場になるのか - イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』(高橋和夫)はとてもわかりやすい一書です。

2024年02月10日 | 図書案内

 ウクライナへの侵略が進行するなか、中東でもイスラエルとパレスチナ「戦争」が勃発しました。東西冷戦が終結し、平和な世界が到来するかと淡い期待を抱いていたのですが、それも霧散してしまいました。
 中東のパレスチナ問題というのは複雑でどうにもわかりにくいものがあります。そんなとき、手頃な一書をある方からいただきました。著者は高橋和夫さん。彼はテレビや新聞で引っ張りだこです。

 「第5章 揺れ動くアメリカ」まで読んだところですが、難解な中東情勢をわかりやすく解説してくれているのが「第3章 パレスチナ問題の歴史」です。イギリスの「3枚舌外交」、中東戦争の歴史、イスラエルの誕生など、目に鱗でした。「第6章 イランとヒズボラ」が楽しみです。
 本書を地域の仲間に紹介し、意見交換しようと思います。
 

■『なぜガザは戦場になるのか - イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側』 (ワニブックスPLUS新書) 新書 – 2024/2/8   高橋 和夫(以下、アマゾンのサイトより引用)

激化するイスラエルのガザ地区への攻撃。
発端となったハマスからの攻撃は、なぜ10月7日だったのか――

長年中東研究を行ってきた著者が、これまでの歴史と最新情報から、
こうした事態に陥った原因を解説します。

・そもそもハマスとは何者なのか
・主要メディアではほぼ紹介されないパレスチナの「本当の地図」
・ハマスを育ててきた国はイランなのか、イスラエルなのか
・イスラエル建国の歴史
・反イスラエルでも一枚岩にならないイスラム教国家
・アメリカが解決のカギを握り続けている理由
・ガザの状況を中国、ロシアはどう見ているのか
・本当は日本だからこそできること

など、日本人にはなかなか理解しづらい中東情勢について
正しい知識を得るためには必読の一冊です。


 ◆「国のために戦えますか」
  と言われたら、戦わせようとする為政者と闘うべきだ

                       大矢英代(カリフォルニア州立大助教授)

 「米国人は、自由を回復し、独裁政治を終わらせ、解放するために
やってきたのだ。征服するためではない」。ワシントンDCの第2次世
界大戦記念碑には、そんな刻印がある。見渡す限り壮大な花崗岩で築か
れた記念碑には、戦場の残虐性は見えない。「戦争を終わらせるために
は、正義という名の暴力が必要だ」。 
 そんな米国型の戦争価値観が具現化された空間の中で、言葉にならな
い恐怖を感じた。

 「あなたは祖国のために戦えますか」。
 ジャーナリストの櫻井よしこ氏のSNS発信が、今、ネットで物議を
醸しているという。「多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保
障を教えてこなかったからです」と櫻井氏は投稿した。
 平和のために武力が必要だという米国と、平和のために武器を捨てて
対話せよと唱える日本国憲法。「同盟国」という名で結ばれた二つの国
は、「平和」 への考え方が根本から異なる。

 しかし、櫻井氏の発言にみるように、ここ数年で、日本はアメリカ型
の価値観に着実に近づいてきている。
 いや、「お国のために死ね」と言ったかつての帝国主義的価値観に逆
戻りしているというべきだろう。
 「国のために戦え」と言われたら、戦わせようとする為政者と闘うべ
きだ。
 それでも戦えと迫られたら、逃げよ、隠れよ。自分の命を一番大事に。
               (2月5日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」)


〔655〕『猫を棄てる』(村上春樹)、『アジア・太平洋戦争』(吉田裕)…久しぶりのブックオフでの買い物でした。

2024年01月31日 | 図書案内

 2020年からのコロナ禍の影響で、市民集会や美術館巡りで都心に出ることがめっきり減少しました。かつてなら、そのついでに池袋の書店を数軒あさってくるのですが、それも叶いませんでした。
 それに反比例して増えたのが近隣のブックオフ巡りでした。近場のブックオフをリサーチして、バイクや車で足を伸ばすのです。しかしめぼしい書籍は年々減少している印象があります。漫画コーナーやCD,BVDや様々なグッズが売り場面積を占領して、本が肩身を狭くしているのです。しかも学術的な本が少なく、本を購入することが稀になってきています。数回に1回ぐらいの購入でしょうか。

 昨日とあるブックオフに足を運んで、久しぶりに2冊の本を買いました。いずれも安価であれば購入したいと思ってきた本でした。『猫を棄てる』(村上春樹、文藝春秋社)、『アジア・太平洋戦争』(吉田裕、岩波新書)です。

   

 早速手に取ったのが『猫を棄てる』でした。村上作品についてはテレビで映画「ノルウェーの森」を観たぐらいで、特にお気に入りという訳ではありません。しかしこの『猫を棄てる』はなんだか気になる本でした。おそらく初めて父親を通して戦争を語っているという評判だったからです。まさにコロナ禍に突入した2020年4月に刊行された本です。比較的新しい本なのでブックオフでもけして安くはありませんでした。ところが昨日は実に安価の値がついて陳列されていました。
 カードで買うにはあまりに安いので、もう1冊「道連れ」にする本を探しました。それが『アジア・太平洋戦争』(吉田裕)です。吉田さんは名著とも言える『日本軍兵士』(中公新書)を書いた方です。『アジア・太平洋戦争』も読みたかった本でした。

 『猫を棄てる』は新書版サイズで100頁ほどのさっと読める本でした。ノーベル賞候補に何度も挙がるほどの作家だけあり、平易な文章で読みやすく、ぐいぐい引き込まれる文章構成にはうならざるを得ませんでした。
 親近感を持ったのは、村上さんが私と同じ1949年(昭和24年)生まれで、父親が1917年(大正6年)生まれだということでした。私の父親は1916年(大正5年)生まれでこちらも似たような境遇でした。
 さすがに一流の作家だと思わせられたのは、父親について丁寧に調べ上げて、想像力を駆使しながら説得ある文章を書いていることです。私は自分の父親について書こうと思ったことがあるのですが、これだけの内容と厚みのある文章は当然のことながら書きようもありません。
 
 父親の戦争責任についてのくだりがこの本の白眉だと思いながら読んだのですが、ネタバレになるのでここでは書きません。手にとって読まれることをお勧めします。
 題名の『猫を棄てる』に関して猫の実話が2つ、最初と最後に書かれています。父親となぜか母猫を棄てに行くという話と猫が高い木に登ったきり降りてこなかったという話です。

 文中に吉田裕さんの『日本軍兵士』の一節が引用されています。『猫を棄てる』と『アジア・太平洋戦争』を同時に購入したこと、妙な因縁を感じた1日でした。

 最後に1つ。『猫を棄てる』を読み終えて、かつて読んだ『生きて帰ってきた男・ある日本兵の戦争と戦後』(小熊英二、岩波新書、2015年)のことを思い出しました。社会学者が自分の父親の人生をかなり客観的に描き尽くした秀作でしたが、両者を対比してみるのもおもしろいかも知れません。

「とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活面様がよみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五-)の人生を通して、「生きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。」(『生きて帰ってきた男・ある日本兵の戦争と戦後』岩波書店のサイトより)
 

〔651〕『キリスト教美術史』(瀧口美香著、中公新書)はキリスト教美術を俯瞰するには好著ですが…。

2024年01月17日 | 図書案内


 前ブログに認めた東博詣の帰り、池袋のジュンク堂とブックオフ巡りの時に手に入れた『キリスト教美術史』(2022年9月刊)を読み終えました。キリスト教美術を俯瞰するには好著ですが、若干の注文がない訳ではありませんでした。
 奥付の著者紹介(出生年を書かない女性が多いのはどうしてなのでしょうか)によると、ビザンティン美術史を専攻したということで、初期キリスト教美術やビザンティン美術には造詣が深いことがうかがわれます。さらに、ローマ・カトリックの美術についても満遍なく言及されています。ロンドン大学のコートールド研究所で博士号をとったということが関係しているのでしょうか。昨秋、コートールド美術館を初めて訪れたことをブログに書きましたが、ここはコートールド研究所と関係がありそうです。
  参考日本語文献にエミール・マールの翻訳本や小学館の『世界美術大全集』が紹介されて合点がいきましたが、柳宗玄全集(全6巻)はなぜ入らないのか不思議でした。
 私がキリスト教美術として最も興味を持っているのは後期ゴシック彫刻(北方ルネサンスとも言われる)ですが、リーメンシュナイダーやシュトースについての言及がないことは無い物ねだりなのかなと思っています。ドイツ後期ゴシック彫刻の本を書いたマイケル・バクサンドールはイギリス人ですが、そうした人の著作は眼中になかったのでしょうか。

 「歴史と図像学から読み解くキリスト教美術の世界」(オビ)をコンパクトに提示してくれたことは、キリスト教美術素人の私の頭の整理には大いに役立ちました。

■カラー版  キリスト教美術史(中央公論新社のサイトより)
東方正教会とカトリックの二大潮流
瀧口美香 著

ローマ帝国時代、信仰表明や葬礼を目的として成立したキリスト教美術。四世紀末に帝国は東西分裂し、やがて二つの大きな潮流が生まれる。一方は、一〇〇〇年にわたって不変の様式美を誇ったビザンティン美術。他方は、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと変革を続けたローマ・カトリックの美術である。本書は、壮大なキリスト教美術の歴史を一望。一〇〇点以上のカラー図版と共に、その特徴と魅力を解説する。
初版刊行日2022/9/20
判型新書判
ページ数224ページ
定価1056円

〔649〕正月はエミール・マールの著作の読書三昧です。

2024年01月04日 | 図書案内
 本邦初のリーメンシュナイダーの本を2冊公刊された、植田重雄さんが遺されたフランスロマネスクのモワサックの写真集に導かれて、ロマネスク探訪の旅が昨年始まったことはブログでお知らせしたところです。
 日本語文献では柳宗玄の著作集(全6巻)が秀逸でした。その柳の発想の源は紛れもなくエミール・マールになります。マールはフランスの中世美術史家として著名で世界的に名を馳せています。
 マール著作には4部作が存在します。
*『フランスの十三世紀の宗教美術』1898年…邦訳『ゴシックの図像学』上下、田中仁彦他訳、国書刊行会
*『フランスの中世末期の宗教美術』1908年…邦訳『中世末期の図像学』上下、田中仁彦他訳、国書刊行会
*『フランスの十二世紀の宗教美術』1922年…邦訳『ロマネスクの図像学』上下、田中仁彦他訳、国書刊行会
*『トレント公会議以後の宗教美術』1932年…どうやら邦訳なし

 この中で私が最も気になるのはマールが最初に手がけた『フランスの十三世紀の宗教美術』(『ゴシックの図像学』)です。高価な本なのでアマゾンで購入した本を、日ごと夜ごと読み込んでいます。興味深い本なのですがかなりマニアックな専門書で、楽しみながら少しずつ読み進めています。



 実はマールはもう1冊本を書いています。
*『十二世紀から十八世紀にいたる宗教美術』1945年



 この本の邦訳が『ヨーロッパのキリスト教美術』(上下、柳宗玄・荒木成子訳、1995年、岩波文庫)です。4部作をコンパクトにまとめ上げた本です。
 早速古本を手に入れて、この正月はマール本の読書三昧です。

〔647〕柳宗玄著作選 4巻『ロマネスク美術』も基本文献に加えるべき本です。

2023年12月27日 | 図書案内
 『ロマネスク彫刻の形態学』《柳宗玄著作選5》に味を占めて『ロマネスク美術』《柳宗玄著作選4》を購入しました。今回は古本なのでオビが付いていません。
 さすがにこの巻も読み応え十分で、ヨーロッパ美術を学ぼうとする者には必読書と言えそうです。1972年に『ロマネスク美術』(「大系世界の美術」11巻、学習研究社)として出版され、同年の毎日出版文化賞を受賞しています。本書はさらにそれに手を加えたものです。
 本の内容と目次は以下の通りです。 



◆柳宗玄著作選 4 (ロマネスク美術) ロマネスク美術(八坂書房HPより)

柳 宗玄(著/文)
発行:八坂書房
縦230mm
401ページ

初版年月日 2009年5月

独創的な構成をもってロマネスク世界の核心に迫った不朽の名著。絵画、彫刻、建築から金工芸術まで、分野にとらわれることなく縦横に論じ、象徴芸術としてのこの時代の美の全容を明らかにする。第28回(1972年度)毎日出版文化賞受賞。

目次
総説 象徴芸術の大時代(新しい大建築運動 教会の白い衣 ほか)
第1章 天の像(聖堂と神の像 礼拝像の起源 ほか)
第2章 地の像(地の歴史 旧約の歴史 ほか)
第3章 神の家(素材 石の壁 ほか)
第4章 素材・機能・造形(ロマネスク時代の芸術理念 荘厳美術の伝統 ほか)


 フランス、ベルギーに留学しながら、フランス語文献(エミール・マールなど多数)を駆使して組み立てられたロマネスク美術論です。ロマネスク美術研究者は数多く日本に存在するようですが、著者はその先駆的な役割を果たしているようでした。
 4,5巻を読んだ限りにおいて、著者の博覧強記ぶりに舌を巻きました。
 カラーや白黒の多数の写真は読者の理解を促進します。この巻では、他者から借りた写真は1枚だけです。すなわち写真は著者本人が足を運んで撮影したものなのでした。
 巻末にロマネスク美術の関連地図が掲載されています。フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、スペイン、ポルトガル、イギリス、アイルランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク…ほぼヨーロッパをカバーしています。
 後期ゴシック彫刻を考える上でも参考になることが多々ありました。これから時々読み返してみようと思います。

 ただ、注文がない訳ではありません。
 著者紹介が何処にもありません。柳宗玄(むねもと)氏は柳宗悦の子であること、留学先、研究テーマなど基本情報は必須でしょう。さらに専門用語が多いのも頭痛の種です。読者のために簡単な注釈が欲しかったですね。

 柳宗玄氏の著作からエミール・マールの存在が気になってきました。早速古本2冊を注文したところです。

〔644〕ようよう『ロマネスク彫刻の形態学』《柳宗玄著作選5》に辿り着いたという感じでしょうか。

2023年12月17日 | 図書案内
 今一番知的興奮を覚えるのは、ドイツ語圏を中核とした後期ゴシック彫刻探究です。20回近くの渡独を経てもなお、その興味は衰えることがありません。後期ゴシック彫刻の頂点の一人、リーメンシュナイダーの本を最初に公刊された植田重雄さんが残された蔵書から、私たち夫婦は今夏、フランスロマネスクの傑作のあるモワサック、トゥールーズ、ディジョン、パリ、ロンドンに赴くことになりました。ロマネスクとゴシックの相違に思いを巡らしているところです。
 後期ゴシック彫刻総体を俯瞰できる書物は日本では見当たりません。ドイツでもそう多くはないと思うのですが、わずかマイケル・バクサンドールのものを知るだけです。彼はイギリス人ですがドイツ語でも著作をものにしています。残念ながらこの本の日本語訳はありません。


 
 さてそうしたなか、ロマネスク彫刻に関する日本語文献を手に入れました。柳宗玄著『ロマネスク彫刻の形態学』(八坂書房)です。実物を手に取る機会がなかったのですが、いろいろネットで情報を集めて、安くないこの新本を買うことに決めました。しかしながら手探りながらの購入は「正解」でした。
 一番評価されるのはご自身で撮りためた豊富な写真が満載されているということです。ロマネスク芸術の宝庫フランスをはじめとして、スペイン、イタリア、ドイツ、ポルトガルと足を伸ばしています。こうした広範囲にわたったロマネスク彫刻の探求の旅をした人は希有のことなのではないでしょうか。ただし、以前のブログで紹介したように、スペインロマネスクに関しては、我が師匠・村田栄一さんを超えるものではありません。

 そもそもこの本は、最初の東京オリンピックの年の1964年に『みずゑ』(美術出版社)に11回連載されたものを、ようやく2006年に出版したのでした。それは柳宗玄著作選全6巻の1冊としてでした。ちなみに、第4巻『ロマネスク美術』の前身の著作で毎日出版文化賞を受けているようです。
 奥付を見てびっくりしたのは、八坂書房が千代田区の猿楽町にあり、モリモト印刷所で印刷・製本されたということでした。2013年に出版した拙著『実践的演劇教育論・ことばと心の受け渡し』(福田三津夫編著ではなく福田三津夫著の間違い)は猿楽町の晩成書房、モリモト印刷の手になるものでした。妙な因縁を感じるのです。

 内容についてはこれからじっくり楽しみながら読み込んでいきたいと思っています。

■ロマネスク彫刻の形態学(八坂書房のサイトより)
《柳宗玄著作選5》
サブタイトル
著者 柳 宗玄
ページ数 376頁
判型 菊判・上製
定価 5,280円(本体4,800円)
内容 キリストや聖母とともにロマネスクの聖堂を飾る鳥獣、植物、抽象文、庶民の姿、そして悪魔や異形……。聖堂の隅々にまで眼を凝らし、各々のかたちに秘められた意味とその美の本質を、達意の文章と選りすぐりの図版によって解き明かした名著。待望久しい往年の好評連載を完全収録。
目次 I 聖母
II 空想の怪獣
III 天使と悪魔
IV 植物
V キリスト
VI 鳥獣
VII 庶民の生活
VIII 抽象の形
IX 謎の顔
X 人像円柱
XI 柱頭の福音書

〔639〕遅まきながら『クルミわりとネズミの王さま』(ホフマン作、上田真而子訳)を読了しました。

2023年12月07日 | 図書案内
 2022年秋にドイツのバンベルクを訪問しました。4回目ぐらいでしょうか。ここでしか売っていない燻製ビール(ラオホビア)は絶品です。練馬区の江古田に燻製専門の店があって、ラオホビアが売られているそうなのでそのうち行ってみますか。

 さて、バンベルク大聖堂は、リーメンシュナイダーの代表作「皇帝ハインリッヒⅡ世とクニグンデの石棺」やシュトースのマリア祭壇など、後期ゴシック彫刻の宝庫です。緑の写真集第Ⅴ巻『結・祈りの彫刻・リーメンシュナイダーからシュトース』にバンベルク大聖堂・特別掲載アルバムを所収しています。
 実は、このバンベルク大聖堂の隣にバンベルク博物館があって、ここにもシュトースの秀作があることはあまり知られていません。シュトースの写真集が手に入って私たちも知ることになりました。そこで2022年、初めてこの博物館を訪問することことになりました。



 せっかくバンベルクに行くのであれば、バンベルク大聖堂から1㎞ほどの『クルミわりとネズミの王さま』の作者・ホフマンの住居「ホフマンの家」に立ち寄ろうかなと思ったのですが、時間の関係もあり見送ってしまったのでした。本も手に入れていたのですが、読み切っていなかったということもあり、二の足を踏みました。
*「ホフマンの家」については『地球の歩き方・ドイツ』の欄外のメモに記載があります。ホフマンはバンベルクの劇場監督でロマン派の作家だったということです。日本でいうと江戸時代の人になります。



 『クルミわりとネズミの王さま』はチャイコフスキーの音楽で有名な「クルミわり人形」の原作です。
 12月2日(土)、奇しくも私の誕生日に孫のバレーの発表会(リーバレースタジオ公演)がありました。その第3部に「くるみ割り人形」が上演されました。踊りが素晴らしく、一睡もしないで最後まで鑑賞することができました。
 家に帰ってさっそく『クルミわりとネズミの王さま』を取り出し、最後まで読み切ることができました。児童書とはいえ物語の筋を追うのが大変なお話でした。

 ところで、アニメの宮崎駿さんはこの『クルミわりとネズミの王さま』がお気に入りで、三鷹の森ジブリ美術館で「クルミわり人形とネズミの王さま展」を開催しました。ジブリ美術館のサイトに興味深い記事がありました。原作について触れているので転載させていただきます。

◆三鷹の森ジブリ美術館企画展示
クルミわり人形とネズミの王さま展 ~メルヘンのたからもの~
2014年5月31日(土)から
クルミわり人形とネズミの王さま展
©Studio Ghibli ©Museo d'Arte Ghibli

展示期間: 2014年5月31日(土)~2015年5月17日(日)
主催:(公財)徳間記念アニメーション文化財団
協賛: 日清製粉グループ 
特別協力: スタジオジブリ

みなさんは、「クルミわり人形」の本当のお話を知っていますか?
作曲家チャイコフスキーの音楽によって誰もがおおよそ知っている「クルミわり人形」のお話は、200年ほど前にドイツの作家、エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンによって書かれた、『クルミわりとネズミの王さま』が原作です。幻想的で謎めいた記述にとんだこのお話は、"現実"と"幻想"が重なりあい、その境界が曖昧なままストーリーが進んでいきます。
宮崎監督は、『くるみわりにんぎょう』(徳間書店刊)という1冊の絵本に出会ったことをきっかけに、小さい女の子たちを惹きつけるこのお話の力に魅了され、絵本や原作を何度も読み返しました。そして、「これは"メルヘンのたからもの"だ」とひらめき、「クルミわり人形」の不思議な魅力を子どもたちに伝える展示を企画しました。

今回の展示では、宮崎監督がこのお話を、いろいろな角度から読み解き、自ら描き下ろした展示パネルで紹介します。さらに、展示室にはバレエの舞台を模した大きな造形物や、絵本『くるみわりにんぎょう』のイラストレーター、アリソン・ジェイさんの愛情にあふれた絵を配して、子どもたちを物語の世界に誘っています。お話のキーパーソン<クルミわり人形>そのものについても、そのルーツを紹介し、実際にクルミを割ってもらえるようにもする予定です。

作者ホフマンから、自由な想像力に恵まれた子どもたちへ届けられた「キラキラとした"たからもの"」のようなメルヘンの世界。宮崎監督が読み解くこのお話の不思議な魅力を、存分にご堪能ください。


 残念ながらこの展覧会には足を運ぶことができませんでした。次のチャンスが来れば必ず行きたいと思っています。

〔633〕ついにドイツから届いた! 後期ゴシック彫刻の巨匠、ハンス・ムルチャーとミヒェル・エーアハルトの図録。

2023年11月19日 | 図書案内
 福田緑の5冊目の写真集『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』(福田緑・福田三津夫、丸善プラネット株式会社、2022年7月発行)は、後期ゴシック彫刻の作家として15人の名前を挙げ、生涯の仕事や業績を紹介しています。私たちは図書出版のために、彼らが実際に活躍した街や作品のある教会や美術館・博物館を訪ね、写真に収めることをしなければなりませんでした。
 そうした長期にわたる「後期ゴシック彫刻を歩く」旅には、基礎資料として作家ごとの図録(カタログ)が手元になければなりません。リーメンシュナイダー以外は日本語文献はほぼゼロといって間違いではありません。であれば当然そこで必要になるのがドイツ語文献なのです。しかしながら、入手が可能なのは美術館・博物館ですが、そう易々と書籍売り場でそれらを目にすることはありません。前掲書にはかなり苦労して手に入れた図録を写真付きで紹介しておきました。

 昨年のドイツ旅行で、ついにファイト・シュトースの図録を手にすることができました。アイゼナッハの友人のエルケにいただいたのです。(ブログで紹介しましたが)
 そうなると、後期ゴシック彫刻の巨匠のなかで未だ図録がないのがハンス・ムルチャーとミヒェル・エーアハルトでした。そこで、今年のドイツ旅行で、バイエルン国立博物館のヴェニガー博士から直接2人の図録を見せてもらいました。小さな自転車で3冊の大冊をわざわざ持ってきてくれました。2冊とも私が長年ネットでリサーチしてきたものでした。そしてそれを手に取り、内容を確認して、なんとしても購入しようと心に決めたのでした。
 しかしながら、日本からドイツのアマゾンでの購入はできませんでした。
 そこでシュトゥットガルトの友人のシルヴィアがアマゾンで2冊を購入し、それを日本に転送してもらうことにしたのです。
  一昨日、雨の中大きな荷物が届きました。
 なんと2冊ともウルム博物館で開催した展覧会に作成された図録だったようなのです。しかもその制作には現在フランクフルトの博物館・リービークハウスの学芸委員のシュテファン・ロラーさんが大きく関わっていたのです。彼は当時ウルム博物館勤務の学芸員でした。

 図録を紹介しましょう。『ミヒェル・エーアハルトとイェルク・ジュルリーン(父)』は大きすぎてスキャナーの画面をはみ出し、下部と横が写せませんでした。

 

*『ミヒェル・エーアハルトとイェルク・ジュルリーン(父)-ウルムの後期ゴシック彫刻』  388頁、32.5×23.5㎝
2002年9月8日~11月7日、ウルム博物館開催



*『ハンス・ムルチャー-ウルムの後期ゴシック彫刻家』445頁、28.5×21.5㎝
  1997年9月7日~11月16日、ウルム博物館開催
  ウルム博物館とシュトゥットガルト州立博物館からの出品

 早速ページを繰って、付箋を貼りまくりました。2025年の秋には渡独する予定です。この図録のなかからその訪問作品を選択するのです。それは至福の心躍る時間でした。

〔614〕閑話休題、池袋のジュンク堂でマティアス・ヴェニガーさん共著の翻訳本『ゴシック』を発見しました。

2023年10月19日 | 図書案内
 ドイツから来日中のシルヴィアを池袋のジュンク堂に案内しました。彼女は英語と生物の教師、日本の動植物にも興味があるということで、関連本を探しに訪れたのです。   
 私もついでに9階の芸術書コーナーを覗いたとき『ゴシック』という翻訳本が目にとまりました。以前にもこの本を手に取ることはあったのですが、ぱらぱらと頁を捲って眺めただけでした。



 しかし、現在の私は後期ゴシックにぞっこんで、「13世紀から15世紀にかけてのヨーロッパ絵画」(巻頭概論)として誰が紹介されているか興味津々でした。マルティン・ショーンガウアーなど三十数名(裏表紙に記載あり)の中に、彫刻家でもあるミヒャエル・パッハーが取り上げられているのは嬉しかったです。
 さて、著者は誰かと見てみると、なんとそこにマティアス・ヴェニガーさんの名前があるではありませんか。このブログ常連の、ミュンヘンのバイエルン国立博物館の学芸員のヴェニガーさんです。実は今年もドイツでお目にかかっている方です。ドイツではリーメンシュナイダーの単著も出版されていますが、まさか翻訳本が出ているとはおっしゃらなかったのです。敬意を表し早速購入したのは言うまでもありません。
 早速手にしたのですが、かなり専門的で難しいところがあります。しかしながら、発見したことも多々ありました。なんと巻頭の20頁になる概論を執筆したのはヴェニガーさんでした。しかも全体の半分以上は彼の執筆なのです。彼の研究領域はかなり広大であるようです。 
 *ロベルト・ズッカーレ、マティアス・ヴェニガー、マンフレット・ヴイントラム共著、インゴ・F・ヴァルター編集、タッシェン・ジャパン、96頁、2007年

〔608〕鎌田慧さん、立て続けに『忘れ得ぬ言葉』(岩波書店)を出版です。

2023年09月27日 | 図書案内
 先日このブログに新著『叛逆老人-怒りのコラム222』(論創社)を紹介したばかりでしたが、またまた『忘れ得ぬ言葉』(岩波書店)が新刊されました。恐るべき叛逆老人です。
 たんぽぽ舎のメルマガに再録されたコラムも掲載させていただきます。



〔ソデ〕「自分の逃げる姿勢というものは許せない」――瀬戸内寂聴さんをはじめ、大江健三郎、石牟礼道子、菅原文太、やなせたかし各氏など、三七人から直接聞いた印象深い言葉を紹介。戦争、原発、公害、えん罪、基地問題など、権力に抗し、あくまで人びとの側に立ち筋を通したそれぞれの人生を、豊かな筆致で描く愛蔵版エッセイ集。


●鎌田慧コラム

 ◆ 沈思実行(157)教員支配の行き着く先
   全国で教員不足、自民党と財界による教員支配が
   学校現場の自由を奪っているから
                         鎌田 慧

 長時間労働、過労死など、学校現場の悲惨な状況が、最近よく伝えられ
ている。「小学校教員の競争率過去最低」との記事は、全国で「教員不足」
となっていることへの警鐘だ。
 子どもたちと一緒に過ごす。将来への夢を育てる。小中学校の教員の
夢は、これからの社会と関わる大事な仕事だ。ところが、現在、教員志
望者が減りつづけ、せっかくなったにしても、一年以内に退職する新任
教諭がふえている。

 昔の教員は牧歌的だった。「デモ、シカ教員」といわれ、先生にデモ
なるか、教員シカない、と就職口のひとつだった。それにしても、なって
しまえば、子どもたちの世界が、教員の人間形成に影響を与えた。
 教育が「聖職」とか、「愛国心の涵養」など、政治利用の道具
にされると退廃する。学校現場が窮屈なものになってしまったのは、
自民党の支配が強まったからだ。いまの志望者激減は、民間企業並みの
支配と労働強化によっている。

 わたしは40年前に『教育工場の子どもたち』(岩波書店)をだした。管理
教育のまっさかり。教員たちが校門の前で、登校してくる生徒たちをつか
まえて、スカートの丈をはかったり、髪の長さをチェックしたり。非行化
は服装からはじまる、と信じられていた。「校則」がきびしかった。
 あのころから、学校が「共有」から「管理」の道具にされ、教員たちの
余計な仕事がふえた。教育の憲法というべき理念が掲げられた教育基本法
が、教育支配法にかえられたのは、2006年、第一次安倍内閣が成立してか
らだった。

 そして09年、教職員免許法の改悪で、教員免許を10年間の有効期間と
した。労働現場とおなじ、非正規化を狙ったのだから、犯罪的だった
(昨22年に廃止)。
 教育を支配の道具にしたのは1941年。日米戦争を背景に、尋常小学校
を「国民学校」に改名し、戦争にむかう「少国民」を育成する教育がは
じまった。軍人化教育の徹底だった。

 いま、教員志願者を減らしているのは自民党と財界による教育支配が、
学校現場の自由を奪っているからだ。
     (8月2日「週刊新社会」)

◆核はモラルを破壊する
  原発建設は「カネ・カネ・カネ」を前面に
  「秘密・強制・独裁」の暴力で進行した事実

                沈思実行(159)  鎌田 慧

 1954年、米政府の招待をうけて、カリフォルニア州バークレイにある
「ローレンス放射線研究所」を見学した中曽根康弘氏が、翌年の衆議院
予算委員会で、2億3500万円の原子炉建造予算を提案、成立させた。
 アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォア・ピース」という名の「
核の商業利用」の御先棒を担いだ予算獲得だった。
 2億3500万円は、広島、長崎を一発の原爆で破壊させた、ウラン23
5の威力をもじったもので、それが日本最初の核開発予算だった。
 日本学術会議の原子核特別委員会(朝永振一郎会長)は、原子力の平和
利用を強調して「公開・自主・民主」の三原則を提起した。

 しかし、その後の原発建設は「カネ・カネ・カネ」を前面に立て「秘
密・強制・独裁」の暴力で進行した。
 わたしは、70年代はじめの柏崎・刈羽原発と伊方原発反対運動から取
材をはじめたが、その後、各地をまわって、「原子力」といいながら、
実態は「金権力原発」「金子力原発」だ、と書いてきた(『日本の原発
地帯』)。

 原発を「トイレのないマンション」と批判したのは、物理学者の武谷
三男さんだったろうか。70年代ごろからよく使われて、すでに常套句。
 いままさに自腹満杯の時代を迎えた。トイレばかりか、本体の「老朽
マンション」の処分の時代になった。

 もんじゅは「夢の高速増殖炉」と呼ばれ、使用済み核燃料からプルト
ニウムとウランをとりだして「MOX」燃料にして、永遠に原発を稼働
させるという触れ込みだった。
 が、ナトリウム漏れなどの事故によって撤退、立ち腐れ。青森県六ヶ
所村の再処理工場は、着工から30年経っても完成しない、試運転さえ14
年間、実施されていない。

 いま、最終処分場どころか、再処理工場に運ぶまで一時的に預かる、
という、下北半島むつ市の「中間貯蔵施設」も稼働に入れない。
 こんどは関西電力が山口県上関町につくりたい、との申し入れ。地球
を汚染する核廃棄物汚染土、汚染水処分。
 核のごみの移動もまた、カネ・カネ・カネ。すでに死臭が漂っている。
  (8月16日「週刊新社会」)

 ◆核汚染水を海に捨てるな
  必要なのは汚染物は外にださない!!とするモラルだ

                  沈思実行(160)鎌田 慧

  政府は8月末にも、福島原発の核汚染水の海洋放出をはじめる、と
の調整にはいった、と各紙が報じている。
 岸田首相は米国で行われた日米韓首脳会談に出席する前に米・韓に「丁
寧に説明する」と語っていた。
 しかし、放流は米韓だけに影響を与えるものではなく、むしろ南太平
洋への方が深刻なはずだ。

  「アンダーコントロール」は、オリンピック開会式で脚光を浴びた
い安倍元首相の欲望による、大ウソだった。
 デブリ(溶けた核燃料)ばかりか、核汚染水さえコントロールでき
ず、それもこれから30年以上も垂れ流し状態になる。日本が世界の環境
に影響を与え、きわめて責任は大きい。

 汚染水ではない。ALPS(多核種除去装置)で処理済みの「処理
水」だ、とは詭弁である。
 処理後に残されたトリチウムは海水で薄め、世界保健機関(WHO)
の飲料水基準の7分の1に抑える、とは、政府と東電の弁明である。

  第一原発の敷地にタンク群が林立している光景は、見学に行ってそ
の間を通り通り抜けただけでも恐怖感を覚えさせた。
 タンク内でひっそり沈黙している汚染水が、海をめがけて音をたて、
流れて行く光景は想像するだけでも、慄然とさせられる。
 現在、133万トンのタンク内「処理水」のうち、約7割が浄化不十分
で、もう一度の処理が必要とされている。

  汚染水の放出は廃炉準備のためというのは口実だ。タンクを解体し
て敷地を確保し、これからはじまる廃炉設備の設置工事に必要だ、と政
府は強調している。

 が、いつからどのように工事がはじまるのか、その具体性はない。
 放出しなければ廃炉工事ができない、と脅かすよりも、必要なのは、
汚染物は外にださない、とするモラルだ。

  海はいのちを育んできた。
 プランクトン、魚卵、海藻海草、貝や虫などのちいさな命。
 事故がなくとも原発や核燃料再処理工場などは、膨大な量のトリチウ
ムを海へ流してきた。
 核物質の海への放出によって、原発が維持されてきた。
 その事実を認めれば、原発の存在自体を認めることができない。
    (8月23日「週刊新社会」)

◆100年前の関東大震災と甘粕正彦
  大杉栄と伊藤野枝、甥(6歳)の3人が憲兵隊に殺された
  「沈思実行」(162) 鎌田 慧

  100年前の9月1日。関東大震災が引き起こした惨劇は、自然災害に
よる大混乱のなか、さまざまな場所で殺人事件を発生させた。
 植民地にされた朝鮮から強制連行や出稼ぎなどで来日していた数千人
の朝鮮人、さらには中国人が警察や軍隊、自警団に煽られた民衆に
よって殺害された。
 福田村事件のように、朝鮮人とまちがえて殺された日本人も多かった。
 人間が集団になった時の恐怖の暴発とテロルの歴史を、わたしたちは
抱えている。

  このなかで、社会主義者10人が留置場から軍隊(騎兵隊)に引き渡
され、刺殺された亀戸事件。大杉栄と伊藤野枝、甥の橘宗一(6歳)
が、皇居前の憲兵隊本部に泣致され、集団で嬲(なぶ)り殺されて、井戸
に捨てられた残虐な事件を忘れることはできない。
 軍隊は他国の民衆を大量殺人するための集団である。それが自国民に
もむかうのは、沖縄戦のはるか以前、大正時代の関東大震災でもあきら
かだった。

  関東大震災下での朝鮮人大虐殺について、日本政府は韓国政府にた
いして一度も謝っていない。松野博一官房長官は、いまだに「政府に記
録はない」と突っぱねている。小池百合子東京都知事もきわめて冷淡だ。
否定は容認に繋がる。

  大杉事件は、権力犯罪としての大逆事件から、たかだか12年しか
経っていないのちの権力犯罪だ。
 が、いまだに甘粕正彦憲兵隊大尉の犯罪、とされている。が、甘粕個
人の犯罪ではない。路上を歩いていた親子連れ(甘粕は親子と思った)
を、憲兵隊本部まで拉致した(それだけでも権力犯罪)のは、たしかに
甘粕だ。
 しかし、憲兵隊幹部(大杉とおなじ陸軍幼年学校出身者)たちが、大
杉を取り巻いて殴り殺した。その中に甘粕がいたかどうか判らない。
甘粕の供述はしどろもどろで、リアリティがない。

  甘粕は因果を含められて罪を被った。 3人殺して「懲役十年」。そ
れも3年目にフランスへ出国させられた。軍法会議のデタラメだ。9月
16日午後1時。地下鉄名城線自由ケ丘駅下車。西へ300m。日泰寺で宗一
少年の墓前祭。       (9月13日「週刊新社会」)