後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔385〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつ⑪  ブドウの房の粒間引き(矢部顕さん)

2021年07月25日 | メール・便り・ミニコミ
 立派な葡萄を栽培しているのですね。かなり広い畑でびっくりしました。

●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつ⑪
ブドウの房の粒間引き





ブドウの房の粒の大きさが、先回お知らせしたマッチ棒の先くらいから
大きくなってきて、ラムネ玉くらいの大きさになる前に、房つくりとして
粒間引きをします。

ブドウの一房の大きさの最終の目標は、重さで500~600グラムで、
粒の数は35~40粒、房の軸の長さは5~6cmになるようにする
ためです。(品種によって異なりますが、わたしの栽培している
のはピオーネという品種です)

この房を4房入れる2kg箱というのが標準の目標ですが、そんなに
うまくはいきません。
大きい(700g)と3房、小さいものは5房(400g)、6房(350g)と
入れて、2kgとして箱詰めします。

ほおっておくと、大きくなりすぎますし、粒と粒がぶつかりあって
裂けてしまうのです。

始めたころは大きい房が出来ると、立派なブドウが出来たと思った
のですが、大きすぎて箱に入らないのでした。

粒間引きは、剪定ハサミを使っての手作業ですので、けっこう時間が
かかる作業です。
最終的には、全部で1000房くらいの数になるよう房ごとの間引きも
します。

こうすることによって、整った形のブドウの房らしくなりますし、
色づきもよくなります。

矢部 顕

〔384〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑩  ブドウの花を見たことはありますか?(矢部顕さん)

2021年07月21日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑩
ブドウの花を見たことはありますか?

ブドウの木の幹から芽が吹いて、それが伸びて今年の枝になります。
その枝にブドウの房が2つか3つできるのですが、一枝に一房にして、
かつ、房を先っぽ3cmほど残してあとは取り除きます。
(写真・長いままの房と3cmにした房)





この先っぽが、のちのちブドウの大きな房になるのです。
このころの粒は、マッチ棒の先くらいの大きさで、白い花が咲きます。

この時を見計らって、種無しにするための薬品処理をしていきます。
花が満開になってから3日以内に処理作業をせねばなりません。

この小さな粒が、これからだんだん大きくなっていくのです。

矢部 顕

〔383〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑨子どもたちへの推薦絵本(矢部顕さん)

2021年07月20日 | メール・便り・ミニコミ
「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
⑨子どもたちへの推薦絵本

絵本『稲と日本人』甲斐信枝著(福音館書店)
――日本に稲作が伝わったのは、はるか二千数百年前です。以来、日本人は、森を切り開き、山をけずり、疎水を作って水を引きこみ、海岸を埋めたて……力の限りをつくして水田をふやしました。そして、自然災害と闘いながら稲作を続けてきました。稲と私たち日本人は、動物と植物というかけはなれた間柄ではなく、生死をともに生きぬいた、かけがえのない仲間同士なのです。――(解説より)

学習田でのお米つくり体験と共に、本からの研究学習ために私が選んだのが、この絵本でした。数年前にこの絵本のことを知ってびっくりし感銘をうけたので、ぜひとも子どもたちに読ませたいと思い、5年生の学級文庫に複数冊を寄贈しました。その頃、書いた文章は次のようなものでした。


『稲と日本人』

矢部 顕
先日、甲斐信枝さんという絵本作家の方の講演会に行ってきました。昨年出版された『稲と日本人』(福音館書店・2015年)という絵本に接する機会があり、その絵本の質の高さと内容に圧倒されたのですが、著者の講演があると知って聴きに行ったのです。

もともと、物語絵本には仕事柄ずいぶん長いあいだ親しんできたのですが、科学絵本というのか観察絵本というのでしょうか、ほとんど興味をむけたことはありませんでした。ですから、甲斐信枝さんという絵本作家も知りませんでした。

『稲と日本人』というテーマはたいへんに大きなテーマですが、そのテーマにふさわしく非常に力のこもった絵と文章に驚きましたが、15年の歳月をかけて研究し制作し完成したとのことを聞いてさらに衝撃を受けました。いまどき拙速的な書籍があまりにも多い出版界で、熟成にかけた時間の長さにため息がでます。

甲斐信枝さんは、1970年以降30冊以上の絵本を発刊(その多くは福音館書店発行)されていますが、そのほとんどは雑草か小さな昆虫の絵本です。名もない草や小さな動物も人間と同じ生き物なのだ、という視点での哲学をゆるぎないものとして持っていらっしゃることに感銘を受けます。

稲を見て、「まぁ、覇気のない生き物だこと。人間がかかわらないと生きてゆけない」と感じたとおっしゃったのですが、力強く生きている雑草などの自然界を見つめてきた眼力はすごいものがあります。「1億年以上前には雑草として生きていた稲が、人間が常食にしようとしてから飼いならされるようになった。1万年前には、飼いならされることに抵抗しなくなった」と。この直観力には信じがたいものがあります。

あとで知ったのですが、『雑草のくらし―あき地の五年間―』(福音館書店・1985年)を出版するにあたっては、空き地の雑草を5年間にわたってつぶさに観察し見守ってから制作刊行したとのことでした。タイトルの『雑草のくらし』の「くらし」という言い方に、甲斐さんの生き物に対する愛情が表れている気がします。

「なぜ、このような絵本の作家になったのですか?」という聴衆の質問に答えて、「かんたんです。小さいころから雑草が友だちだったから。雑草からたくさんのことを教えてもらったから」。

講演から<稲作の歴史もまた人間の壮大な物語である>ことをあらためて認識させられました。野生種、渡来、飢饉、品種改良、多様性、このようなことを柱にして制作されたとのことですが、日本人が稲とどのように共生し長い歴史を歩んできたかがわかる日本人の精神史でもあります。

1930年生まれの、まぁ相当なお年寄りのおばあちゃんである甲斐信枝さんが、15年の歳月をかけて制作した情熱に圧倒されました。

『稲と日本人』は、日本のすべての学校の図書室におくべき、あるいは副読本にでもすべき、絵本というか研究書といってもよい本だと思います。
(2016.3.21)



〔382〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑧雨の季節は排水機の運転員の仕事もあります

2021年07月19日 | メール・便り・ミニコミ
●「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
⑧雨の季節は排水機の運転員の仕事もあります

岡山のキャッチフレーズに「晴れの国・岡山」がよく使われます。
雨の降水量は全国的に見ても少ないそうです。

瀬戸内海地方はどこもそうですが、降水量が少ないこともあって、
かつては塩をつくる塩田が多かったのですから。
その塩田も今は工業地帯になってしまっていますが・・・

「晴れの国」とは言っても、梅雨は梅雨です。うっとうしい天気が
続いています。田に水が必要な田植えの季節に雨が降らないと困ります。

前にも申し上げましたが、住所が「岡山市東区沼」なものですから、
ちょっと雨が降ると雨水がぬけることなく、あっという間に沼状態です。

田植えを終えた水田の苗が見えなくなるほど、水に覆われます。
田んぼか道か水路か見分けがつかなくなります。(写真)







水がぬけないので、巨大な排水ポンプ(写真)を稼働させる必要があり、
定年すぎの村の年寄りが交代で昼夜の運転にあたります。
(会社に勤務していると昼夜の運転はできないからです)

また、岡山平野は江戸時代から海を干拓して農地にしていますので、
その農地に水を供給するために用水路がはりめぐらされています。

用水路があるということは、その途中に多くの樋門があって、水の
量をコントロールしているわけですが、その樋門の管理はやはり定年
すぎの年寄りの仕事です。
雨の量によって昼夜の別なく見回って、樋門の開閉などの調節をしない
といけないからです。

用水路に落ちて亡くなる老人が日本一多いのが岡山ということらしい
のですが、岡山の老人が特別ボケている人が多いわけでなく、樋門が多く
それだけ昼夜の別なく見回って働いているから、落ちる確率も高いと
思われるのです。なんちゃって・・・・

矢部 顕

〔381〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑦小学校学習田の田植え(矢部顕さん)

2021年07月18日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
⑦小学校学習田の田植え

学習田の田植えは、もちろん、田植え機なんぞは使いません。
昔ながらの手植えで苗を植えていきます。

「田植え綱」という赤い印のついた細いワイヤーロープを張って、
その印(30cm間隔)のところに苗を植えていくのです。

田んぼの泥の中にはじめて素足で入った子どもは「気持ち悪いぃ~」
と言う子もいましたが、「<美容に泥パック>というのがあるように、
今回は手足がきれいになるよ」と言ったら「気持ちいい~」と言う子
もいました。ホントかな。

田植えをするには、当日、少し田に水が少ないので、「足踏み水車」
で水を入れてほしいと言うと、まぁ大勢の子たちがやりたがって、
結局交代でほとんどの子がまたまた足踏み水車の体験をしました。
今度は、大人が何の助言もしなくても、ほっといてもヒョイヒョイ
と水車を回していました。


矢部 顕




〔380〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑥小学校学習田の代かきのための水入れ(矢部顕さん)

2021年07月18日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
⑥小学校学習田の代かきのための水入れ
   ――足踏み水車ってご存知ですか?

田植えをするためには、田んぼに水を入れて代かきをします。
どのようにして田んぼに水を入れるのか?

傾斜地などでは水路から自然に水が田んぼに入るようなところ
とか、ため池の水を引いてきて入れるとか、このあたりでは
エンジンポンプや電動ポンプで水路から田んぼに水を入れます。

ポンプが無い時代はどうしていたか。
江戸時代中期から昭和20年代までは、人力足踏み水車で水を
田んぼに入れていました。

学校田の側の水路に、この人力足踏み水車を設置して、子ども
たちが水車に載って体重をかけて水車を回すのです。そうすると
水が田んぼに入るのです。

ふつう水車というと川の流れの水の力で回るのですが、これは
逆で、人が体重をかけて回して水を汲み揚げるのです。

子どもたちの父母も祖父母も見たことが無いものです。民俗資料館
などで見ても、たぶん何をする道具なのかわからないでしょう。

近所の農家の倉庫の奥に眠っていたものを頂戴して、修理して使用
出来るようにしました。
いただいたものは大正時代の日付が書かれていました。

子どもたちは、最初はおっかなびっくりでモタモタしていましたが
あっという間に上手にできるようになりました。
水路に落ちる子はいませんでした。
「落ちた子は、そのままプールに入るぞぉ~」と言ったのですが・・

矢部 顕




〔379〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑤小学校学習田の肥料撒き(矢部顕さん)

2021年07月18日 | メール・便り・ミニコミ
 矢部顕さんの連載5回目です。彼は地域の小学校の外部指導者といったところでしょうか。

●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
⑤小学校学習田の肥料撒き

我が家のすぐ近くにある岡山市立浮田小学校の5年生は、自分
たちの田んぼで、総合学習の時間にお米つくりを体験します。

今年度の第一回目の作業は、田んぼへ肥料を撒くことです。
3aの田に15kgの肥料を撒くのですが、グループごとに
均一に撒くのにはどうすればよいかを考えてから、手で撒いて
いました。





撒いた後に、私がトラクターで耕うんして土に混ぜ合わせます。

私は、児童のお米つくりをアドバイスする近所の農家の
お爺さんなのです。

矢部 顕

〔378〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ④田植え(矢部顕さん連載)

2021年07月17日 | メール・便り・ミニコミ
 この連載を読むと矢部さんの農業が如何に本格的なものであるが良くわかりますね。第4回ご堪能ください。

●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
④田植え

代かきをして数日経つと田んぼの土がおちついてきますので、
いよいよ田植えです。

田植えは、今は手作業で苗を植えることはありませんで、田植え
機で植えます。

田植え機が出来る前までは、田植えは人海戦術しかなく、家族は
もちろん親戚も大勢手伝いに来ていたようです。

それでもできない時は、田植え時期の異なる地方から田植え部隊
のグループが、田植えを請け負っていたようです。

田植え機は、私の使用しているいちばん小型のものでも
10a(一反)の田んぼを1時間で植えることが可能です。
苗は種を蒔いて1か月ほど経ちますとちょうど植えごろとなります。
苗を後ろに、予備の苗を前部に搭載した田植え機です。(写真)





私の田んぼで乾きの悪い田があるのですが、田植え機が沈んでしまって
自力で脱出できなくて、急遽トラクターで牽引して引き上げました。

私の住んでいるところは「岡山市東区沼」という地名です。
家の裏の小山は戦国時代のお城でした。周りは沼でしたので、お濠は
必要なく、敵は攻めてきても馬ごと沼にズブズブと沈み攻め入ることが
できません。

(ここで生まれた戦国武将・宇喜多秀家は秀吉に可愛がられ五大老まで登り
つめましたが、関が原で敗れ、八丈島に流刑となり、そこで亡くなりました。
そのことを書いた「八丈島赦免花伝説」という私の文章をお送りしましたよね)

そこを江戸時代以降、田んぼにしているので、400年後の今でも、馬ではなく
田植え機がズブズブと沈むのです。

矢部 顕

〔377〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ③田植え前の代かき作業(矢部顕さん)

2021年07月15日 | メール・便り・ミニコミ
 矢部顕さんの連続お便り3回目です。トラクターの搭乗姿がかっこいいですね。白鷺の登場にもびっくりです。

●「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
③田植え前の代かき作業

いよいよ、田んぼに水を入れて、トラクターで泥状態にすることを
「代かき」といいます。ここから、文字通り水田となるのです。
苗を植えやすく、かつ苗の活着をよくするための作業です。

トラクターで水と土とを混ぜ合わせる作業をしていると、たくさんの
シラサギが集まってきます。
土の中から出てきたミミズなどのエサが捕まえやすいからでしょう。
トラクターが1mほど近づいても逃げません。安全な距離感をよく
知っているようです。

矢部 顕






〔376〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ②田植え前に田んぼに肥料を散布する(矢部顕さん)

2021年07月14日 | メール・便り・ミニコミ
 矢部顕さんのお便り第2回です。本格的な農業に携わっていることに驚いています。

●「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
②田植え前に田んぼに肥料を散布する

かつては、稲の成長の時期に合わせて、肥料を与えていたようですが、
今は一発型肥料といって一度撒くと時期に合わせて効果が出るように
調合された肥料を田植え前に一度だけ散布します。

散布の方法は、肩から掛けた散布機を手回しのハンドルで散布するもの、
エンジン動力で畦から飛ばして散布するやり方、ラジコンヘリコプター
で、田植え機に散布機がついていて同時にするものなど、いろいろですが、
私はトラクターの前に散布機をつけて肥料を撒きながら耕す方法で
やっています。





以下は余談です。
戦後GHQから中止命令が出されるまでは、日本では人糞による有機肥料
が使われていました。

江戸時代、肥え桶製作技術が普及したことによって、人糞の運搬が容易
になり、かつ有効な肥料として使用する農業栽培技術も格段に進歩した
ようです。

江戸の長屋の共同便所は肥料原料を効率よく収集でき、かつ高値で買い
取られたそうで、排泄物を川に捨てるなどということはなく、そのため
世界一の人口(100万人)の江戸の町はパリやロンドンと比べても格段に
清潔で、かつ循環がうまくいっていた町だったようです。

江戸時代の農業(農業だけではなく社会構造)については、かつて熱狂した
漫画(劇画)『カムイ伝』(白土三平著)を何十年ぶりに読み返して、
学ぶところ大でした。漫画というよりは偉大な歴史書です。

矢部 顕

〔375〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ① 苗を育てる、矢部顕さんのお便りです。 

2021年07月14日 | メール・便り・ミニコミ
 矢部顕さんからメールが届きました。写真と一緒にお読みください。

●福田三津夫様

FIWCでもなく、ラボ関連でもなく、『失われた歳月』再刊運動で知り合った
横浜の知的障害者施設の施設長の矢野さんという方からの依頼で、農業のこと
をその施設の協力者の会員の人たちに知らせることをしたい、との
申し出で連載(?)を始めました。

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
① 苗を育てる

先回は幸島のニホンザルのお話でしたので、農業のことをお知らせするのは
今回が初めてです。

お米つくりで、今の季節は田植えの作業がありますが、田植えをするには、
苗が必要です。
苗は、稲の種を蒔いて苗に成長するまでに約1か月ほどかけて育てます。

最初はビニールのトンネルの中でぬくぬく育て、ある程度大きくなると
ビニールをはずして風雨のなかで強いたくましい苗に育てます。

昔は、女性の名前で「早苗(さなえ)」さんという方がけっこういましたが、
この頃は聞きませんですねぇ。

矢部 顕




〔374〕「腰越憲法九条ニュース178号」は「問題だらけの『改憲手続き法』成立」です。

2021年07月03日 | メール・便り・ミニコミ
 精力的に地域市民活動を繰り広げている塚越敏雄さんから「腰越憲法九条ニュース178号」が届けられました。熟読玩味したいと思います。
鎌田慧さんの2つのコラムも読んでください。

○福田三津夫様
 いつもお世話になりまして、ありがとうございます。
 腰越憲法九条ニュース178号ができましたので添付します。
 記事が2周遅れのような状態ですが、改憲問題を取り上げました。お読みくだ
されば幸いです。
                                 塚越敏雄





 ◆遺骨と米軍新基地建設

          鎌田 慧(ルポライター)

 沖縄戦で戦死した兵士や住民の遺骨が、沖縄辺野古の米軍新基地
建設の下敷きにされる。想像に絶する歴史の悲劇が始まろうとしている。
 全島戦場となった沖縄で各地から召集された兵士が戦死した。未発見
の遺骨が多く混じっている沖縄南部の土が、今度は米軍基地建設に
利用される。遺族にとってどれほどの悲しみであろうか。

 あす23日は、米軍に追い詰められて沖縄南部に敗走した、大日本帝国
陸軍第三二軍の牛島司官と長参謀長が自決、住民の4人に1人が殺され
た戦争が終結した「慰霊の日」。
 会場の「平和の礎」がある糸満市平和記念公園で遺骨収集ボラン
ティアの具志堅隆松さんがいま、3月に続くハンストを実施している。
 県知事が辺野古基地建設の設計変更を認めず、「遺骨混じりの土砂を
使わせない」と明言してほしい、との要請である。

 1960年代に米軍により計画されたが、ベトナム戦争による財政逼迫
(ひっぱく)で中止となった曰く付きの基地。
 その後、日本の資金で建設されることになったが、米シンクタンク
でも「完成する可能性は低い」とされてきた。
 海底がマヨネーズ状の軟弱地盤、総工費も当初の3500億円の約3倍の
見通しになっている。
 国家のために死んだひとたちが野ざらしにされ、今度は米軍基地の
人柱にされる。その無念さを共感できないのは恥ずかしい。
       (6月22日東京新聞21面「本音のコラム」より)


 ◆戦争政策の挑発
  「沈思実行」(59)      鎌田 慧

 学術会議6人の学者をパージした、菅政権初発の弾圧にいまだ反撃
できないうちに、こんどは悪法「土地利用規制法案」がもちだされた。
 米軍基地や自衛隊基地周辺に「注視区域」や「特別注視区域」を
設定、建物の所有者や賃貸人の調査、監視、さらには利用を規制する
治安立法である。
 もう政権に屈服しない。まして軍事研究は行わない、という学者の
痛恨の反省が、学術会議の基本理念だ。
 が、菅首相は、公然とこの理念を足蹴にして恥じることはない。無知
ほど怖いものはない。

 軍事施設周辺住民を強権的に規制する新法案の狙いと合わせると、
この二つの新たな挑発をみるだけでも、菅内閣のフアッショ体制の露骨
さがわかる。
 前者は思想、言論の自由への弾圧であり、後者は居住の自由の制限と
公安警察に新たな活動の場をひらく、基本的人権の抑圧である。

 舞鶴市や対馬・厳原など、戦時中に「要塞」があった地方都市へ取材
にいったとき、わたしは「要塞地帯法」や「建設物制限規則」などで、
いかに生活が不自由だったかを住民から聞かされてきた。
 建物の新増設は制約され、写真撮影や地図作成なども軍の検閲を
受けた。
 さらに「軍機保護法」が制定され、撮影ばかりか写生もスパイ扱い
されていた。

 外国人が土地を買うのをチェックする、との理由付けで、いま、新法
をつくろうとしているのだが、個人調査を強化する法律の制定を策動
する政権は恐ろしい。
 デジタル庁創立で個人情報に網をかけ、「国民背番号制度」の完成を
目指す菅首相は、どんな日本の将来像を描いているのか。
 首相の椅子にかじりつくだけの権力志向は、迷惑なだけだ。

 軍事基地や空港、兵器工場、核施設、駅、港湾と重要施設は無数に
ある。これらの建設への反対運動が長い間つづいてきたし、今も
つづいている。
 原発反対、空港反対。それらの周辺地域には、団結小屋がつくられ、
多くの人たちが常駐して運動してきた。
 成田空港反対運動には無数の団結小屋があった。原発反対もそうだ。
それらのひとびとが、これから犯罪者にされる。
  (「週刊 新社会」6月22日第1215号8面より了承を得て転載)

〔373〕国立市議会、小金井市議会が五輪中止延期を求める意見書を可決しました。

2021年07月01日 | 市民運動
 6月24日(木)、国立市議会で五輪中止延期を求める意見書が賛成12人反対8人で可決されました。都内では小金井市議会に続いての可決でした。共同通信は次のように伝えています。 

○国立市議会が五輪中止求め意見書可決 (共同通信、2021年6月24日)
 東京都国立市議会は24日、新型コロナウイルス禍の中での東京五輪・パラリンピックを中止、延期するよう、政府や都に求める意見書を賛成多数で可決した。都内では今月、同じ多摩地域の小金井市議会も中止を求める意見書を可決している。

 意見書は次の通りです。

○東京オリンピック・パラリンピック競技大会の延期もしくは中止を求める意見書

 新型コロナウイス感染症の世界的流行により2020年開催から1年延期された東京2020オリンピック競技大会(33競技339種日)が2021年7月23日から8月8日まで、東京2020パラリンピック競技大会(22競技539種目)が8月24日から9月5日まで、東京都を中心に開催される予定となっている。
 しかし、新型コロナウイルス感染症の世界的流行は、感染者数においても死亡者数においても1年前よりも拡大しており、予断を許さない状況が続いている。6月上旬時点での日本国内の感染者数、重症患者数、1日当たり死亡者数も、競技大会延期を決定した2020年3月末の「第1波」、当初開催予定だつた2020年8月頃の「第2波」当時よりも、はるかに高い水準で推移しており、とりわけ医療現場の逼迫状況は続いている。
 世界中の国々で渡航(出入国)制限が行われ、訪日外国人数は月間1万人前後という中で、オリンピック・パラリンピック競技大会を開催することによって、1か月半の間に選手1万5,000人、競技団体・放送・報道・スポンサーなど大会関係者7万8,000人が新規に来日することになる。さらに、国内の大会関係者は約19万人にも上る。2020年の新型コロナウイルス感染症の流行以来、このような大規模な国際イベントは世界のどこでも開催されておらず、世界中に変異ウイルスの感染を拡大させるおそれがある。
 海外観客受入れを見送ったとはいえ、競技大会の最大収容人数は1,000万席を超える。「収容人数の50%を上限に最大5,000人」の有観客で開催したとしても310万人に上り、100万人単位で都道府県境を越えた人の流れが生まれることになる。昨年秋、「Go Toキャンペーン」の拡大・継続とともに広範囲で人の流れが生まれ、冬の感染症「第3波」となった経験を忘れてはならない。
 国立市内では競技大会は開催されないが、聖火リレー(7月13日、8月22日)、市立小中学校生の観戦事業が予定されている。その一方で、市立小学校の修学旅行(移動教室)は延期され、国内の友好交流都市における交流事業など複数の夏季イベントが中止された。
 このような中、東京都医師会会長は記者会見において、開催するなら無観客、感染状況が改善せず感染防止対策が取れない場合は中止すべきとの者えを述べた。
 よって、国立市議会は、政府及び東京都が新型コロナウイルスのパンデミック終息に向けた医療体制の確保、生活困窮への対応に集中するため、東京2020オリンピック競技大会及び東京2020パラリンピック競技大会を延期もしくは中止するよう、国際オリンピック委員会及び国際パラリンピック委員会及び大会組織委員会と交渉することを求める。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出するものである。

2021年6月24日
                         東京都国立市議会

 提出先 内閣総理大臣、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、東京都知事


  6月28日(月)、清瀬市議会でも同趣旨の意見書が提案されるということで期待を持って仲間と傍聴に行きました。布施由女議員(1人会派、共に生きる) 、山崎美和議員(日本共産党)はいずれも説得力のある賛成意見を堂々と開陳しました。反対意見はありませんでした。ところが採決では賛成8人、反対10人で否決になるのです。投票権のない議長が立憲議員だったということも大きく影響しました。嗚呼。
賛成:共産党5人、立憲1人、生活者ネット1人、共に生きる1人
反対:自民クラブ4人、公明4人、無所属2人