後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔257〕三里塚ワンパック創始者の1人、石井紀子さんの急逝を悼みます。

2020年03月25日 | 追悼文
 先ほど届いた三里塚ワンパック有機野菜を水洗いし、一息ついて同封のプリントを読み始めて愕然としました。石井紀子さんの訃報がそこにあったからです。交通事故で、67歳の若さで亡くなられたというのです。
 三里塚ワンパック有機野菜との出合いは1987年のことでした。その年に清瀬の地でルポライターの鎌田慧さんの講演会がありました。この会に集まった人たちで清瀬・教育って何だろう会という市民組織を作りました。そして月1回の例会と通信をほとんど滞りなく発行していきました。
 鎌田公代さんとの出会いもこの会でのことでした。しばらくしてから彼女に勧められたのが三里塚ワンパック有機野菜でした。それから現在に至るまで月2回ほどワンパック野菜を食べ続けているのです。もう30年以上になるのですね。
 石井紀子さんはワンパックの中心メンバーで、彼女の達筆の手紙がほぼ毎回、野菜と共に届いたのでした。ワンパックの体制が変わって彼女の手紙はほとんど届かなくなっていましたが、珍しく1ヶ月前に手書きのプリントを懐かしく拝見したばかりでした。
 三里塚を訪れることもなく、おいしい野菜をいただくばかりだった私が彼女のことを意識したのは、ある日の朝日新聞の記事を見たからでした。(2007年9月26日、夕刊)そこには「農家の嫁は成田と闘う」「離着陸直下で産直パック」という見出しが躍っていました。


〔石井紀子(54)の高校生活は、70年安保のただ中だった。昼は日比谷公園まで反戦デモに行く。夜は糸井五郎のオールナイトニッポンとビートルズを聴き、高橋和巳を読み、友人へ渡す手紙を何十枚も書いた。「プチブルの自分がこんな恵まれた生活をしていていいのかなんて、難しいことばかり考えていました」
 大学に入って、成田の反対闘争に参加するのは紀子の当然の成り行きだった。71年、国による第2次強制代執行が目前に迫っていた。団結小屋で男子学生におにぎりを作り、見張りをした。仲間の女性が「こんな男中心の運動なんかやっていられない」と出て行っても、「誰かが残らなければ」と、踏みとどまった。〕


 そこで農家の青年、石井恒司さんにプロポーズされて結婚したというのです。そして夫婦や仲間で始めたのがワンパック有機野菜でした。
 この新聞の切り抜きは鎌田慧さんの著書『抵抗する自由』(七つ森書館、2007年)に挟めておきました。この本の「第2章 成田空港閣議決定40年後の現実」には「父親ともども三度、四度逮捕されても抵抗した-石井恒司さんに聞く」「闘うことは生きること-石井紀子さんに聞く」という夫婦それぞれのインタビュー記事が掲載されています。〔ネット情報ではその後離婚されたということですが。〕石井紀子さんの追悼の意を込めて再読したのです。

 最後に鎌田慧さんの新聞記事を紹介します。すでに石井紀子さんのことを東京新聞に書かれていたのでした。

◆ある事故死
                      鎌田 慧(ルポライター)

 石井紀子さんが亡くなった。六十七歳。交通事故だった。千葉県成田市の作業場で明朝配達のための人参を選別し終え、軽トラツクで自宅へ向かった。考えごとをしていたのだろうか、自宅への曲がり角を通り過ぎた。
 Uターンして、疾走してきた軽自動車と正面衝突。ほぼ即死だった。相手の若者はエアバッグで無事だと聞いた。
 一九七二年、学生の時、「三里塚闘争」と言われた、成田空港建設反対運動に参加した。突然の一方的な用地の閣議決定だったから、ほとんどが自民党支持だった農民たちを憤激させていた。
 学生運動の昂揚の後で全国から学生や労働者が駆けつけ、常駐した。援農に支えられ、小学生もふくめた家族ぐるみの抵抗闘争は、数多くの逮捕者、負傷者ばかりか自殺者、死者をだした。計画から五十四年たったが未完成。計画変更後も混乱を極めている。
 石井紀子さんは農家の若者と結婚した十数人の女子学生のひとり。ミミズにも恐怖する、東京の教員の娘だった。「義母たちのように土に生き、土に死ぬ百姓にならねば」。それが決意だった。
 十七年前に他界した義父、八年前に離婚した夫とわたしは懇意だった。「土と闘争に根を張って
生きた。それで得た人生です。この在り方を続けていきます」と彼女は爽やかに語っていた。初心を全うした一生だった。合掌。
             (3月17日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

◆亡国の内閣
  生活への配慮なし 空疎な大言壮語ばかり

                  鎌田 慧(ルポライター)

 たまたまテレビで、下級生が上級生に手づくりの卒業証書を渡す
シーンをみた。今春で廃校の予定だったが、この2日から全国臨時
休校。それで、その日、唐突に最後の授業となった。
 何年か前、小学校でミサイル訓練があった。児童たちが教室の机の
下に潜らされた。いまではバカげたエピソードのひとつにされて
いるが、危機の宣伝に子どもをダシに使うのはよくない。
 今回の臨時休校も戦車に乗ってポーズをとったり、戦闘機に乗って
ご満悦、号令好きの首相が、専門家会議に諮ることなく、大向こうを
狙った独善的な決定たった。
 説明なしの決定たったため不満が高まった。1月中旬にコロナ
ウイルスが問題になってから1ヵ月半、ようやく首相が会見に
でてきた。が、演題左右に配置された、プロンプターの文字を読み
上げるだけの演技だった。
 どの言葉にもひとを思う心がこもっていない。首相としての痛みも
方針もない。水際での防疫の失敗への反省もない。
 子どもを抱えた親たちは仕事をどうするのか。子守りや食事や
こまごまとした生活への配慮は、まったく見当たらない。
 耳についたのは、万全の対策をとる決意。盤石な検査、医療体制の
構築。最大限動員など、いつもながらの空疎な大言壮語。
 大臣たちも危機を危機として感じず、対策緊急会議をサボつていた
亡国ぶり。 (3月3日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

 ◆惨事便乗型内閣
  「ショック・ドクトリン」    鎌田 慧 (ルポライター)

 明日11日はフクシマ事故から9年。10基の原発すべてが廃炉と
決まったが収束にはほど遠い。被災住民の病死が続き、子どもたちの
将来の健康も心配だ。避難者の生活再建は難しく、被曝労働者は発病の
不安を抱えている。
 それでも政府は原発をやめようとしない。事故が起こったにしても
だれも責任を取るなどと考えていないからだ。

 20日、東京・亀戸中央公園で予定していた「さようなら原発全国
集会」と翌日の国際シンポジウム「東京五輪で消されゆく原発事故
被害」は、痛恨の思いで中止にした。
 つまりはコロナウイルス拡大のためだが、放射能に無策の安倍内閣に
対する抗議集会が、ウイルス防衛に失敗した、首相の「自粛要請」を
受けた形で中止になるのは、いかにも悔しい。

 ナオミクライン著「ショック・ドクトリン」は、自然災害や戦争の
ショックに乗じて、大資本と右派政治家とが結託、「復興」や「再建」
によって、膨大な利益を恣(ほしいまま)にする例を紹介している。
翻訳者は言いえて妙というべきか「惨事便乗型資本主義」と訳した。
 水際の防疫に失敗して全校休校の強行。
 官房長官も文科相はアッと驚く暴政(非正規労働者の死活問題)
だった。
 いま、どさくさまぎれに「緊急事態宣言」を伴う法律を強化
しようとする。
 憲法改正の重要な柱「緊急事態条項」導入。油断も隙も内閣だ。
  (3月10日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)


〔256〕骨太の反権力の支柱「イロハネット」を読み、自身の言動を振り返っています。

2020年03月17日 | 市民運動
 今の世の中や政治はどうなっているんだろうと疑問に思っても、なかなか考えがまとまらなかったり、声に出すことができないものです。そうしたとき、そういうことだったんだとか、そんな事実があったんだとか知らせてくれるサイトがあるので助かります。その代表格が「リテラ」(ある政党機関紙の声の蘭に「愛読してます」と掲載されていました)であり「イロハネット」です。
 「イロハネット」は最初知人から転送されてきたものですが、国会前行動などで頻繁にその幟を見つけて親しみを覚えていました。「拡散歓迎」とありますので、皆さんにもご紹介したいと思います。最新の「イロハネット」です。主宰者の吉田隆さんの前書きと本文の一部をコピーさせていただきました。

●みなさま

イロハネット(No-294)号をお送りいたします。
13日、経産省前の座り込みに行ったら、はす向かいにある外務省の桜はもう2~3分咲でした。
報道は靖国神社の桜の一輪を開花宣言にしているようですが、ちょっとしっくりしません。
ところで、この3月11日は、福一原発事故10周年。
そのことについて記そうと思っていましたが、急きょインフル特措法改定問題が起こり、あっという間に決まってしまいました。
国家の私物化を当然としている安倍にフリーハンドを与えることはとんでもないことだと思います。
安倍の専横独裁を後押しすることが、ウイルス対策に何か役立つのでしょうか。
にもかかわらず、立憲や国民など野党はいとも簡単に、安倍の抱き着きにのっかり、10日前には信じられない事態です。
コロナショックで済ますことはできず、今号はそのあたりを検討してみました。
福島問題は次号に取り上げるつもりです。

いよいよ桜前線到来でしょう。
しかし、気温の上下は当然ですし、コロナ脅威も続きます。
ご自愛ください。

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吉 田  隆
080-5420-6977
ysd-t2@jcom.home.ne.jp
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◇安倍独裁・改憲への道
新型インフル「特措法」改定
▼どさくさ紛れの改憲実験台13日、新型インフルエンザ対策特別措置法改正案が成立、翌14日に施行された。安倍の発議から1週間、国会審議はわずか7時間でパスした。この法には、改憲4項目の中の「緊急事態条項」に似た「緊急事態宣言」項目も盛り込まれており、国民の私権制限やマスコミ操縦の重要な条項もある。いったん「緊急事態宣言」で様子を見て、「私権制限」に慣らされたところで、一気に改憲による緊急事態条項に持っていこうとする思惑がみえる。1/30日、伊吹元衆院議長が、コロナウイルスの感染拡大を「緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいい」とアドバルーンをあげた。そうであればこそ、どさくさに紛れてあっという間に実現してしまった特措法改定を黙過するわけにはいかない。▼安倍に塩贈る立憲・国民ら野党この間、窮地に追い込まれていた安倍は、新型コロナ問題を利用して逆転を狙った。野田政権時代の2012年制定の特措法を持ち出し、「コロナ対策に与党も野党もない。休戦で」と立憲や国民を抱き込み、掌に載せる早業を演じた。大手メディアの社長や政治部長が首相の会食招待にやすやす乗るように、主だった野党幹部は出番が来たかと安易に同調、飲み込まれていった。もともと日弁連も反対した多々問題のある法律だったが、付帯決議を付けることで一挙改定に走った。だが、付帯決議は野党のメンツをたてる気休めで法的効力はない。かくて、内閣総理大臣にフリーハンドの大権付与が決まった。国会承認も必要なく、肝心なところは政令で決められる大悪法が現実のものとなってしまった。しかも、次々なすべきコロナ対策は数々あるが、この法律をすぐ使用する必要性はなく、安倍首相も認めている。そもそも法と感染防止策は別個であり、法自体は特効薬でも何でもない。緊急時に意味ある法とは、如何に知恵を出し合い、広範な大衆の合意を得て実行できるような仕組みづくりに役立つか否かである。総理大臣にフリーハンドを与えることではない。この間の経緯を見れば全くその逆だったのではないか。専門家にも諮らず、関係閣僚との調整もなしになした全国一律一斉休校など、安倍独断の弊害・問題は次々起こっている。それらを真剣に追及し、反省させ、是正することもなしに、非常大権を与えるとは一体何なのか。ますます安倍の独断専横を増長させるだけではないか。世のため、人のためではなく、私利私欲のため、国家まで私物化する安倍に与える権限は、最小限にすべきではないか。安倍の手を縛ることこそ今重要ではないか。人権・憲法に関わる重大事項をやすやすと拙速に手放してしまうのは到底理解できない。安倍の横暴に抗議し、改憲に反対してきた市民運動にも冷や水を浴びせている。つまるところ、野党が窮地の安倍を助け塩を贈ることになっているのだ。これは、極めて深刻な事態と言わなくてはならない。
 ▼憲法学者や鳩山元首相らも批判特措法改定に対し、憲法の研究者や弁護士らが9日、東京都内で記者会見し、特措法にある「緊急事態宣言」について、歯止めのない首相への権力集中や報道の自由の制限につながるとして反対する声明を公表した。憲法や言論法の研究で知られる右崎正博・獨協大名誉教授や田島泰彦元上智大教授、元日弁連会長の宇都宮健児氏、海渡弁護士らである。特措法では、首相が緊急事態宣言を発すると、外出自粛や多くの人が集まる施設の使用を制限できる。臨時医療施設のために土地建物の強制使用も可能になる。右崎氏らは「緊急事態を宣言する要件が明確でなく、具体的なことは政府が自由にできる政令に委ねている」と指摘。「国会の事後承認すらなく、行政権への権力の集中を引き起こす」と指摘した。また、NHKなどに政府が指示を出す仕組みがあることについて「報道の独立が確保されず、重要な情報が伝えられない可能性がある」と訴えた。宇都宮氏は「特措法は民主党政権時代に成立したが、批判があり、非常事態宣言が出されたことはない。必要なのは情報公開で、特措法改正で情報公開に後ろ向きな安倍政権にお墨付きを与える必要はない」と話した。そのほか、マスコミ労組、日本消費者連盟、科学者会議、宗教者団体、日本ペンクラブなどもそれぞれ改定反対の声明を出している。また、鳩山元首相は「首相が信頼できる人物であるならばそれも良かろう。しかし首相が嘘、隠蔽、ごまかしの人物だったら国家は極めて危うくなる。その首相を追及してきた立憲民主が法案に賛成したことが理解できない」と述べた。立憲民主党に所属する山尾議員は、「改憲を持ち出された時に、抵抗する論理や気力を失ってしまいかねません。特措法は、コロナウイルス対策だけではなく、私たちの人権そのものに強い影響を与える法律であることを忘れてはなりません。与党に協力したことへのご褒美としての附帯決議で妥協する場面じゃないです。ここで妥協したら、憲法に緊急事態条項は不要と主張する資格を永遠に失うでしょう」と厳しく批判した。
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◇コロナ対策に名を借りた「緊急事態」は危ない! 9~14 日、連日国会前で声上げる
 <以上のように広範な諸団体や市民が改定特措法を危惧し、反対しているが、対安倍政治に対抗する中心的組織「総掛り行動実行委員会」は沈黙した。安倍の野党抱き込みの影響である。 そこで、都教委包囲ネットが9~14日の有志による緊急行動を呼びかけ、国会前の連続抗議行動がなされた。以下に9 日と14 日のレイバーネットレポート(松原氏記)を転載します。3月9日の動画にはイロハネットの旗も映っている。>

「緊急事態法が発動されたら今日のような会もやれなくなる!」。新型インフル特措法が今週中にも成立し、一気に「緊急事態宣言」まで出されようという状況のなか、危機感をもった市民120 名が、3 月9 日午後、国会議員会館前で声を上げた。 司会の伏見忠さんはこう語った。「私たちは新型コロナウィルスの拡散を望むわけでもないし、たいしたことはないと軽視しているわけではない。しかしコロナウィルスより毒性が強く、この国の民主主義を重篤な危機に陥れる安倍ウィルスが蔓延することに危機感を感じて、この集会を開くことを決めた。感染防止は国家による人権制限や強制でなく、市民の自主的な行動で制御しながらやるべきだ。そのことで集会や政治活動の自由を守ることができる」と。 呼びかけ人の都教委包囲ネット・渡部秀清さんは「この法律はあまりに副作用が大きい。緊急事態宣言が出されればますますパニックと混乱が広がる。そして戦前と同じような強権的政治が生まれることになる」と訴えた。 リレートーク形式で、3 時間にわたってたくさんの人たちがスピーチした。大阪から駆け付けた人もいた。「突然の休校措置で職場や生活が破壊されている」「現行法で十分対応できる」「安倍にフリーハンドを渡してはならない」「事実上の改憲先取りだ」「立憲・国民は安倍に手をかすな」等々、危機感いっぱいの発言が続いた。 <●3 月13 日> 動画(5 分) https://youtu.be/BY1iMvOETe0 13 日夕方「新型コロナ特措法」は参院本会議で賛成多数で成立した。衆参合わせてわずか7 時間余の審議だった。「緊急事態宣言」は、安倍政権にフリーハンドを与え「移動の自由」「表現の自由」「知る権利」など国民の自由と権利を幅広く制約するものである。審議のなかでは、民放に対して、放送内容について変更・差し替えの指示が可能との政府答弁もあった。 この日は終日、参院議員会館前で「コロナ対策の名を借りて民主主義を破壊するな」と抗議の声が上がった。教員グループ「都教委包囲ネット」が呼びかけた緊急行動だ。午後4 時半すぎ、本会議可決の報が入ると怒りが広がった。「野党はあまりにもだらしなさすぎる。こんなことを許したら改憲もやられてしまう」と嘆く声もあった。 官邸前で一人スタンディングをしている金平糖さん(konpeito2015 ツイッター名)は、「今でも規制があるが,まだ『表現の自由』としてスタンディングは認められている。しかし、これからは『人が集まるのはだめ』という理由で禁止されるかもしれない。とても心配だ。なにより一番怖いのは、みんなが声を上げることを自粛することだ」と語っていた。主催者は締めのあいさつで「これからは緊急事態宣言をさせない運動をやろう。とにかく自粛しないで行動することだ」と元気にアピールした。 なお、参議院本会議の投票総数は234、賛成は216、反対は18 だった。棄権・欠席は7 だった。詳細は以下のとおり。 ●反対 共産13(伊藤岳、市田忠義、井上哲士、岩渕友、紙智子、吉良よし子、倉林明子、小池晃、大門実紀史、武田良介、田村智子、山下芳生、山添拓) れいわ2(木村英子、舩後靖彦) 碧水会2(嘉田由紀子、永江孝子) 沖縄の風1(高良鉄美) ●棄権・欠席 立憲4(石垣のり子、川田龍平、有田芳生、野田国義) 国民1(足立信也) 社民1(福島みずほ) 沖縄の風1(伊波洋一)

〔255〕降ってわいた清瀬市議会での「傍聴制限」は市民の知る権利を侵害しました。

2020年03月16日 | 市民運動
 ブログ〔252〕でお知らせした、清瀬市議会提出の2つの「安定ヨウ素剤の事前配布を求める請願」(連れ合い提出)「パートナーシップ請願」(Sさん提出)は残念ながら3月13日の本会議(最終日)、わずか9対10の小差で否決されました。
 清瀬自民クラブ4人、公明党4人の反対は予想されたことですが、信頼していた風・立憲・ネットの2人が反対に回るとは信じられないことでした。賛成は共産党5人、風・立憲・ネットの2人(会派で対応が分かれました)、無所属の会1人、共に生きる1人ということです。
 総務文教常任委員会の前にはロビー活動として、会派巡りもしたのですが、あと1歩届きませんでした。
  「パートナーシップ」については実は請願とほぼ同趣旨の陳情がYさんから提出されていて、こちらは「検討をお願いしたい」という若干柔らかい書き方が功を奏したのか、全会一致で採択されたのです。

  本ブログで取り上げたかったのは、その本会議での「傍聴制限」についてです。
  私は用事のため欠席したのですが、傍聴していた連れ合いが帰宅して怒りを爆発させていました。
 議場の後ろに設けられ、腰から下は壁で塞がれている傍聴席からは議員の挙手の様子が見えないので、採択時に立ち上がったら係の人に阻止されたというのです。私たちは傍聴活動を始めてから4年半になりますが、こんなことは初めてでした。
 その時の様子を妻は次のように仲間に知らせました。

●福田緑のメール(2020年3月14日)

 お早うございます。福田 緑です。
 昨日は議会最終日でしたので、一応請願の結果がどうなるか見に行きました。ようやく請願の採択となり、私を含め、Tさんと別の傍聴者一人が手すりに身を乗り出して議員の挙手を確かめていたところ、しばらくしてから議会事務局の人がやってきて、私とTさんに「傍聴席では立ってはいけないという決まりがあるので立たないでください」というのです。「立たないと見えないんです」と言うと、「でも決まりですから。一番後ろに座っていただけば見えるはずです」だって。休憩時間中に確かめてみたところもっと見えなくなり、見えるのは議長の顔だけです。いい加減なこと言うなって思いました。結局、誰がどこに挙手したのかきちんと確かめることができず、何ともフラストレーションのたまる傍聴でした。
 渡されていた清瀬市議会傍聴規則を見ると、第7条の(6)に「みだりに席を離れ、または不体裁な行為をしないこと。」と書かれています。広辞苑で「みだりに」の意味を確認したところ、「妄りに、濫りに、猥りに: 秩序をみだして むやみに わけもなく 思慮もなく 不作法に しまりなく」と書いてありました。私たちの行為はこのどれにも当てはまりません。議員の賛成、反対の挙手は大変重要な意思表示です。それを見るなって何とひどい議会運営でしょうか!! この場で大声で反論するというやり方は私にはできませんでしたが、今度は遠慮せず、静かに毅然と立ってやろうかしら?? 何か良いアイディアはありませんか? 

 さて、布施由女さんのSさんへの賛成討論は、今まで聞いた中でも一番しっかりと気持ちのこもった素晴らしい討論でした。次回の清憲ででも、是非皆さんに聞いていただきたいと思う内容でした。特に総務文教常任委員会でSさんへの質問もせず、一方的に彼女の論点をねじ曲げた反対意見を滔々と述べた議員についてきちんとSさんたちの思いを込めて反論していました。由女さんの前に共産党を代表して香川議員がやはり反対討論をしましたが、こちらも全ての問題点をきちんと洗い出し、論破する賛成討論でした。二人には心の中で大拍手を送りました。
 結局、Sさんの請願は不採択、Yさんの陳情は全員賛成で採択となり、私のゼリー状安定ヨウ素剤事前配布の請願は不採択となりました。手すりから身を乗り出せない状況では誰が手を挙げたのか確認もしっかりできませんでしたので、正確な票数は由女さんの報告に任せます。ただ、結果的には副市長が事前配布について今後検討していくとはっきり述べましたし、Yさんの陳情が通ったことで、パートナーシップについても今後検討を進めていくことは確認されましたから、一定の成果があったと思われます。


  請願が通らなかったことぐらいでは私たちはめげていません。今までは、通らなかったことがほとんどなのですから。早速緑は下掲のメールを仲間に打ったのでした。
 それにしても清瀬市の市議会は何かがおかしくなってきています。以前から傍聴規則については会議場の側面に掲示されているのですが、入場者に傍聴規則プリントを渡したり、委員会室の側面に傍聴規則掲示はなかったはずです。渋谷けいし議長になってから市民に対する対応が厳しくなった印象です。

●福田緑のメール(2020年3月16日)
 お早うございます。福田 緑です。昨年の写真展で知り合った友人がこんなニュースを知らせてくれましたので一応お知らせしておきます。
「ヨウ素剤事前配布検討 松本市が放射線災害対策」
https://www.shimintimes.co.jp/news/2018/06/post-706.php
 松本市のことまでは検索しきれませんでしたので、ありがたいことです。今後の進展を望みながら注視していきたいと思います。一段落ついたらこのように市町村で事前配布に向けて努力している箇所を一覧にまとめるつもりです。朝からお邪魔しました。

  最後になりましたが、もう1つ重大なことが清瀬市議会で起きています。市議会開催は年4回、会期は1回がほぼ1ヶ月というところでしょうか。ところがこの3月議会、会期が約2週間、今までの半分しかないのです。1人40分の一般質問がなく、代表質問になったというのです。どうやら、新型コロナウイルスの流行のためというのですが、どうにも合点がいきません。2,3年前に清瀬市議の給料を大幅に増額したということを思い出している市民も多いことでしょう。。

〔254〕木下晋『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』は生き様を刻んだ魂の書でした。

2020年03月10日 | 図書案内
 数日前にKさんから木下晋『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』(城島徹編著、藤原書店)を貸与されました。なぜ本を貸してくれたのか、完読してよくわかった気がしました。内容的にはとても凄まじい本だし、しかしながら、とても読みやすい本でもありました。
 1947年生まれ、団塊の世代の著者は、極貧生活や肉親の死を体験するなかで、画家として油絵から鉛筆画家へ転身し、その独自性を開花させていきます。22段階の鉛筆を駆使した鉛筆画は視るものの心を捉えて放さないもので、ある精神性が複雑に横溢する作品の連続です。画家としての執念や業を感じさせるのは、母親のヌードや、崩れゆく妻の肖像です。その鉛筆画には鬼気迫るものがあります。

 それでは手っ取り早く本を紹介します。オビと本文からの引用です。

(オビ)
 鉛筆での表現をひとつの芸術作品に結晶させ、鉛筆画の世界を切り拓いた画家、初の自伝!
 人間存在の意味とは何か、私はなぜ生きるのか。芸術とは何か。
 ハンセン病元患者、瞽女、パーキンソン病を患う我が妻……
 極限を超えた存在は、最も美しく、最も魂を打つ。
 彼らを描くモノクロームの鉛筆画の徹底したリアリズムから溢れ出す、人間への愛。
 極貧と放浪の少年時代から現在を語り尽くす。

(本文より)
 もし私が富山の極貧家庭に育って身内の死に遭遇していなければ、人生はどうなっていただろうか。
孤独とは無縁の、心安らかなサラリーマンとして生きていたかどうかは定かでないが、『重苦しい』『凄まじい』などと形容され、平和な家庭空間には決して飾られることのない、モノトーンの鉛筆画の絵描きなどには少なくともなっていなかっただろう。
狂おしいほどに人への思慕に焦がれた私は、ただ生き抜くため、画家としての人生を選んだのである――。

 2019年12月21日 Eテレ ETV特集「日々、われらの日々 鉛筆画家 木下晋 妻を描く」にて著者特集があったようです。そして再放送もあります。藤原書店のサイトの末尾を見てください。

●藤原書店のサイトより
*木下晋『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』への反響

 昨年末、小社より刊行した、木下 晋著 城島 徹=編著『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』の反響が、ここにきて徐々に広がりつつあります。
 最近報道された以下の関連記事等を紹介させて頂きます。

■2月26日、『毎日新聞』SUNDAY LIBRARY 岡崎 武志・評『いのちを刻む 鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』(web版は有料記事)。
■2月26日、『日刊ゲンダイ』DIGITAL  人間が面白い 「いのちを刻む 鉛筆画の鬼才、木下晋自伝」木下晋著 城島徹編著。
■2月29日、『朝日新聞』のインタビュー記事 「いのちを刻む 鉛筆画の鬼才、木下晋自伝」インタビュー うそみたいな人生を生きて。
■3月7日、『週刊読書人』ノンフィクションライターの歌代幸子氏による書評「残酷な作業、慈しみ、懸命に生きる姿を刻む作業」。

 また、NHKのETV特集で放送された木下画伯の「日々、われの日々」が下記の日程で再放送されたます。お見逃しの方は、是非ご覧ください。
・ 3/14(土)23:00~
・ 3/19(木)0:00~
 
 
 ドキュメントを見ることはもちろん、作品集を是非手に取りたいと思っています。展覧会があれは駆けつけたいと思います。    

〔253〕芸術選奨文部科学大臣賞のバレエダンサー、米沢唯さんと会ったのは唯の1回だけでした。

2020年03月06日 | 語り・演劇・音楽
 昨日(2020年3月5日)の朝日新聞朝刊にバレエダンサー米沢唯さん(新国立劇場バレエ団プリンシパル)の芸術選奨文部科学大臣賞受賞のニュースが出ていました。まだお若いはずなのに、凄いことだなというのが率直な感想でした。そしてある出会いの光景が鮮やかに思い浮かんできました。 彼女に会ったのは1度だけです。そのことに触れる前に、この受賞がどれだけ素晴らしいことなのか、バレエ情報発信サイトに語ってもらいましょう。

□Ballet Constellation
バレエファンによるバレエファンのためのバレエ情報発信サイトです。

●芸術選奨文部科学大臣賞(舞踊部門2名)

*島添亮子(略)

*米沢 唯
【授賞対象】「ロメオとジュリエット」ほかの成果
【贈賞理由】高い技量と深い洞察力,豊かな音楽性と表現力を併せ持ち,米沢唯氏は短期間のうちに日本を代表するダンサーへと成長を遂げた。令和元年は,「ロメオと ジュリエット」において内省的かつドラマティックな演技でジュリエットを瑞々(みず みず)しく造形。また古典から現代作品まで多様な作品に主演,研ぎ澄まされたテクニックや音楽の奥底に沈潜する情感をすくいあげようとする繊細な表現力により,圧倒的な舞台成果を上げた。既に完成された高い領域に達していてるが,限界を押し広げていく可能性を持ち,成熟期へと向かう今後の深化・進化が多いに期待される。
出所:令和元年度(第70回)芸術選奨受賞者一覧(文化庁報道発表資料)”
 前年の同賞は小野絢子さんが受賞しており、新国立劇場バレエ団にとっては嬉しい2年連続の受賞者輩出です!
 しかも、米沢 唯さんは、2017年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞しており、その受賞から3年目という短期間で大臣賞を受賞するという快挙です!

 「贈賞理由」に「既に完成された高い領域に達していてるが…」とあるように、技術力、演技力、音楽性や役柄に対する深い洞察力には目を見張るものがあります。
 2月下旬に上演されたばかりの新国立劇場バレエ団『マノン』でも、女性バレエダンサーにとって難役のひとつであるマノンを、堂々たる技量と演技で英国ロイヤル・バレエ プリンシパルのワディム・ムンタギロフさんを相手に堂々と渡り合った姿は記憶に新しいですね。

米沢 唯さんのプロフィールはこちら(新国立劇場バレエ団公式サイト)
https://ballet-constellation.com/2020/03/04/70th-geijutsusehsho/ 


 米沢唯さんのことを知ったのは脚本研究「森の会」でのことでした。劇遊び研究のレジェンド、平井まどかさんから渡された毎日新聞のコピーには唯さんのインタビュー記事が掲載されていました(2015年10月19日、夕刊)。「真実」を表現する喜び、「ホフマン物語」で2役に挑戦、などという見出しが躍っていました。
 注目すべきは、この唯さんが実は私の師匠の1人、竹内敏晴さんの娘さんという事実でした。この記事のなかにも竹内さんが彼女に語ったことばが紹介されています。
「赤ずきんちゃんの役をいただいた小学生の頃、父は部屋の電気を消し、オオカミになって私を脅かしてくれました。『暗い森で獣に出くわしたんだよ。怖がるふりをしてはいけない、怖がるんだ』と」
 竹内さんはいくつかの著書のなかで、唯さんと劇的に遊んだ思い出を書き記しています。うりこ姫の話などが頭の片隅に残っています。
 赤ずきんちゃんの役というのは、ひょっとしてラボ教育センターのテーマ活動でのことかもしれません。彼女が名古屋にいるときにラボっ子で、竹内さんがよく会場まで唯さんを迎えに来てたということです。このブログにしばしば登場してくださっている矢部顕さんが当時中部支局の責任者で、そのことを証言してくれています。ラボに竹内さんを招聘したのも矢部さんの功績で、それに関連して、拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(晩成書房)の巻頭言として彼に書いてもらいました。

 唯さんにお会いしたのは一度だけです。
 先日、100号で終刊を迎えた我々夫婦のミニコミ「啓」は読んでもらいたい人に手渡し、あるいは郵送したものでした。その150人の内の1人が竹内さんでした。我々夫婦共に昔からお世話になっていました。連れ合いの福田緑の単著『子どもっておもしろい』(晩成書房)の巻頭言を書いてくれたのも竹内さんでした。
 竹内さんは2009年に他界します。拙著『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』(晩成書房)に「竹内敏晴から学んだこと-語るということ」として詳しく書いています。      
 その年、竹内さんを偲ぶ会が立川の賢治の学校で開催されました。主催者の鳥山敏子さんが元気なときでした。その時に会で演劇教育の立場から何か話すことを求められました。話者は10数人いたでしょうか、そうそうたる登壇者でした。最後の方で私は竹内さんとの出会いから、私の教育実践に於ける竹内さんの存在について語りました。
 集会がはけて駅に戻ろうとしたとき、親子らしき2人連れとすれ違いざまに話しかけられました。竹内さんのお連れ合いと娘の唯さんでした。「啓」は竹内さんよりお連れ合いの方がよく読んでいるということでお礼を言われました。ウィキペディア(にもしっかり掲載されています)によると唯さんは1987年生まれですから、このときは22歳になっていたのでしょうか。すでにダンサーとしてアメリカで活躍されていたのかもしれません。私にとっては、竹内さんと遊ぶ幼子の唯さんというイメージだったので、大人になった彼女がまぶしく頼もしく映ったものでした。      
 最初の出会いから数年してあの新聞記事で「再会」し、その2年後に芸術選奨文部科学大臣新人賞、さらにそれから早くも3年後の今年、芸術選奨文部科学大臣賞というわけです。     
 今、竹内さんの『老いのイニシエーション』(岩波書店、1995年)を手にしています。ここに登場してくる「笙子」と「ゆり」は竹内さんのお連れ合いと唯さんに違いありません。唯さんの受賞に心からおめでとうと言いながら再読しようと思っています。

 今回のブログをしたためていたら、矢部顕さんから竹内敏晴追悼文が送られてきました。「藤原書店から刊行された、―セレクション竹内敏晴の「からだと思想」全4巻-の月報4に書いたものです。藤原書店の編集部からの依頼でした。中国支部のテューター向けに書いたものと、少し表現の違いがありますが、ほとんど同じです。」とメールにありました。竹内敏晴さんの一面を知る貴重な証言になっていますので、再録さていていただきます。

□追悼 竹内敏晴さんとの出会い

                                        矢部 顕
 竹内敏晴さんが上梓された最後の本『「出会う」ということ』(藤原書店2009年10月30日発行)のあとがきの日付は9月5日になっていました。2日後の9月7日に彼は膀胱がんで他界されましたが、最期まで命を燃やしていたことがこのことでもよく窺われます。亡くなられてから発刊された本は奥様からお贈りいただきました。思い返せば、恐れ多くも今まで本を上梓されるたびに贈呈していただいていました。
 おつきあいのはじまりは、名著『ことばが劈かれるとき』(竹内敏晴著・思想の科学社1975年 のちに ちくま文庫)を読んで、たいへん強い感銘を受けてからでした。子どもの表現活動であるラボのテーマ活動の身体論と根底で相通じるものがあると直感したわたくしは、著者である竹内さんに手紙を差し上げ、東京世田谷のご自宅まで会いに行ったのでした。1979年のことでした。
 当時わたくしはラボ教育センター中部総局のスタッフでしたが、今から思えば若造のわたくしが独りで会いにいくことを、上司がよくそれを認めたものだと思います。つぎの新春のラボの中部支部総会に講師として招聘し、中部支部のテューターはラボで初めての「竹内レッスン」を衝撃的に体験したのでした。それは、ラボが子どもから発見したテーマ活動の「ことばの身体性」を、大人に目の覚めるような実感をもって気づかせてくれる刺激的なレッスンでした。
 それ以降、わたくしは全国各地のラボ事務局に転勤したのですが、赴任した支部で必ず竹内さんに来ていただいてテューター研修として竹内レッスンを実施したのでした。一泊二日のこともありましたが、それではもの足りなくてラボの物語をテーマにして5~6回連続のレッスンを何回も行いました。その後、あちこちの支部に行っていただくようになり、合計すればたいへんな回数になりますが、いま思えば、あんなすごい方によくぞこれだけ来ていただいたものよと感慨深いものがあります。
 年を経て、わたくしが中部支部の責任者として再び名古屋に赴任した頃、竹内さんは東京での生活を引き払って名古屋に住いされるようになっていました。毎週のように日常的にお会いするようになったのは、60歳を越えて生まれたまだ幼いお嬢さんがラボの事務所の教室で行われているラボ・パーティに入会を希望され、その送り迎えをされるようになったからでした。
 お嬢さんがラボ活動に参加されている時間に、別室で原稿を書いたり、わたくしとお話したりしたものでした。ある日、子どもに読ませたい本の話題になり、わたしの息子の名前のもとになった『次郎物語』が竹内さんのお気に入りでもあることを知りました。購入したいが本屋で見つからないとおっしゃっていました。後日、その本をプレゼントするとお嬢さんが夢中になっていたことがありました。そのお嬢さんも大きくなって、後にバレリーナとしてカルフォルニア州サンノーゼ市のバレエ団のプリマドンナとお聞きし、たいへん驚きました。
 最後にわたくしが「竹内レッスン」をお願いしたのは2004年の北関東信越支部での支部総会の研修で、お歳も傘寿の少し前だったと思いますが、初めてレッスンをしていただいた50歳過ぎのころと変わらぬ御身体のしなやかさにびっくりするとともに、からだから発することばの思想にあらためて感激したものです。レッスン会場が、たまたま丸木美術館(埼玉県東松山市)の近くだったものですから、終了後にご一緒に訪れたのですが、100名を超える大人数対象の一泊二日のレッスンの後でもあって、「原爆の図」は心身にかなりこたえたようで、お誘いしたことを後悔したものでした。
 ラボ言語教育総合研究所ができて、竹内さんの薫陶を受けた福田三津夫さんが研究所メンバーとして参画していただいたことは嬉しいことでした。言語学者や英語学者だけではラボ教育の核心であるテーマ活動のなんたるかが解明できないからです。そして事務局長のわたくしとしては研究所で竹内さんのレポートは必須と思い講演をお願いしました。
 2007年の講演「子どものからだとことば――共生態としての子ども」をしていただいたのが、お会いした最後となりました。研究所の紀要である『ラボ・パーティ研究』№20(2007.7.発行)にこの講演の記録が掲載されています。

 竹内さんほど長いおつき合いをさせていただき、かつ、ラボ・パーティ教育活動への貢献と影響の大きかった方はそうはいません。感謝の気持ちでいっぱいです。つつしんでご冥福をお祈りします。                  (2010.12.)

(さらに、矢部さんの補足です。)
そこで思い出したのですが、
『次郎物語』の下村湖人の生家が記念館になっていました。
佐賀県神崎郡千代田町(現 神埼市)の記念館を訪れたときに、
連れ合いが訪問者ノートに書いた文章が、教育委員会の広報紙に
載ったものを添付します。

 

〔252〕「安定ヨウ素剤の事前配布を求める請願」「パートナーシップ請願」は、3月9日(月)清瀬市総務文教特別委員会で検討されます。

2020年03月03日 | 市民運動
  新型コロナウイルスが猛威を振るっていますが、皆さんの地域ではいかがでしょうか。ご自愛ください。
 これ幸いと「緊急事態宣言」なるものを持ち出して、憲法改悪への策動を感じ、心中穏やかにはいきませんが、とりあえず、通信チラシ配布などの駅頭行動は自粛するも、請願提出、議会傍聴などの市民行動は継続を確認しているところです。

 というわけで、清瀬市議会への請願のお知らせです。「市内に住む3歳未満の乳幼児にゼリー状の安定ヨウ素剤の事前配布を求める請願」を連れ合いが提出しました。3月9日(月)清瀬市総務文教特別委員会〈市役所4階〉で趣旨説明のあと、採択に向けての話し合いがあります。開会は午前10時からです。
 さらにこの日は、「同性カップルを含むパートナーシップの公的承認に関する請願」が出されています。この請願は仲間のSさん提出のものです。さらに同趣旨のYさん陳情も討議されます。
 いずれにしても請願、陳情入り乱れての興味深い委員会になることでしょう。傍聴熱烈歓迎です。
 結果についてはこのブログでお知らせする予定ですが、今回はいくつかのマスコミに連絡を取るつもりです。掲載なるか、注目していてください。


□市内に住む3歳未満の乳幼児にゼリー状の安定ヨウ素剤の事前配布を求める請願

                                             紹介議員 ふせ由女

〈請願の内容〉
原子力災害の際、市内に住む3歳未満の乳幼児にゼリー状の安定ヨウ素剤を服用させることができるよう、事前配布をしてください。

〈請願の理由〉
  2011年3月11日の福島原発事故の際、220km程離れた東京にも1平方キロメートルあたり29000メガベクレルの放射性ヨウ素が降り注ぎました。これは、日本で5番目に高い数字です。しかし、当時私はそれほどの量の放射性ヨウ素が東京に降下したとはまったく知りませんでしたし、テレビでも「ただちに健康への影響はない」と繰り返し放送されていましたので、あまり深刻に考えてはいませんでした。その後、福島県で多くの子どもたちに甲状腺癌が見つかるようになり(2019年7月8日現在で218人)、事前の学習や対策を何もしてこなかったことを深く後悔しています。
 政府は原発から5km圏内ではヨウ素剤事前配布を、30km圏内では備蓄を実施してきましたが、福島第一原発から220km離れていても放射性ヨウ素は大量に降り注いだのです。どこに多く降るかは風向きによって違い、予測は不可能です。現在稼働していない原発でも、多くの使用済み核燃料を保管しています。規模の大きな地震が来れば安全ではないのです。

 以下に請願理由を具体的に説明します。

(1)以前の安定ヨウ素剤「丸剤」では1粒を半分、あるいは4分の一にするのが大変で、細かくしても  水やミルクに溶けにくく、大変飲ませにくかったそうです。日医工株式会社がゼリー状の安定ヨウ  素剤を開発し、2017年度から配布されるようになりました。それに伴い、日本医師会では2017年  に「原子力災害における安定ヨウ素剤服用ガイドブック」での服用量を以下のように改訂してい  ます。
    新生児 │ 16.3mgゼリー剤(1包)
    生後一ヶ月以上3歳未満│ 32.5mgゼリー剤(1包)
    3歳以上13歳未満 │ 50mg丸剤(1丸)
    13歳以上 │ 50mg丸剤(2丸)  
※日本医師会2017年度版「原子力災害における安定ヨウ素剤服用ガイドブック」6頁より
(2)上記ガイドブック5頁に「放射性ヨウ素による甲状腺被ばくは、放射線ヨウ素を吸収するまでの24  時間以内に安定ヨウ素剤を服用することにより90%以上の抑制効果が期待できます。」と書かれ  ていますが、原子力災害が起きたとわかってからの配布では到底間に合いません。
(3)安定ヨウ素剤の服用については、あらかじめその効果や副作用について説明することを求められ  ていますが、このような大混乱の中で配布し、服用についての説明をすることは不可能です。
(4)清瀬市の現状では安定ヨウ素剤を受け取るためにどうしたらよいのかまったく知らされていないた  め、服用の機会を逃してでも避難するか、受け取って服用するのを待ってから避難するか、保護  者に非常に大きなストレスを与えることになります。
(5)本来なら住民全員が服用できることが必要と考えますが、幼い子どもほど放射線の影響を大き  く受けます。きちんと対応すればほぼ確実に防ぐことのできる甲状腺疾患を、予防するのは私たち  大人の責任です。
(6)今後、福島第一原発ももちろんですが、東海第二原発(清瀬まで約125km)や、浜岡原発(清  瀬まで約180km)の事故の可能性もあり、地震が頻発している状況から、ヨウ素剤の必要性は  切迫しています。
(7)日医工に電話でゼリー状の安定ヨウ素剤を購入できるか問い合わせましたが、個人には売れな  いと、値段も教えてくれませんでした。あくまでも「自治体が必要と判断したときのみ」に対応する  とのことです。丸剤についてはネット上に1丸5.7円という情報が載っていましたし、個人で買うこと  のできるヨウ化カリウムがありました。大人は手を尽くせば何とか放射性ヨウ素被ばくを防げます  が、乳幼児の安定ヨウ素剤に関しては自治体の意志決定が必要です。

 チェルノブイリ原発の爆発事故の際、ポーランドでは国を挙げてヨウ素剤を配布(小児1000万人、成人700万人)し、ほとんど小児甲状腺患者が出なかったそうです。ベルギーでは2018年から全国民に配布しているそうです。日本でも、原発圏内ではない自治体で、すでに自治体主催の判断で市民に事前配布しているところがあります(篠山(ささやま)市、富士宮市、米原市、舞鶴市、いわき市、北茨城市、鎌倉市等)。「子どもたちを健やかに育むまち」をまちづくりの基本目標に掲げる清瀬市も、せめて乳幼児に安定ヨウ素剤を事前配布する自治体となってください。
 ここ数年、想定外の水害に見舞われている日本で、「早めの避難をしてください。自分の命を守る行動をとってください。」と繰り返しアナウンサーが言っているように、放射性物質の発生事故が起きた場合は「子どもたちの命と健康を守るため、安定ヨウ素剤を服用して早めの避難をしてください。」と国も地方自治体も言わなければならないはずです。その際、手許に安定ヨウ素剤がなくてどうするのでしょうか。子どもたちの被ばくを予防するために今一番準備しておく大切なものが安定ヨウ素剤なのです。
 清瀬市の行政に携わる皆さまに、是非とも乳幼児へのゼリー状安定ヨウ素剤の必要性をご理解いただき、一日も早く事前配布を実施していただくよう強く要望いたします。

 清瀬市議会議長
  渋谷けいし様

            2020年2月26日
        放射能から子どもを守る会・清瀬
             福田 緑

〈補足〉
 柳原敏夫さんから請願に関する情報をいただきました。再録させていただきます。
「最近、鎌倉市で、住民によるヨウ素剤配布の陳情が議会で賛成多数で可決され、その後、配布が実現したという情報を紹介してもらいました。以下が、これに関してネットに載っていた情報です。」

この中の陳情第6号
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/gikai/3006gikai.html

この取り組みをしている市民団体のFacebook
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安定ヨウ素剤を配布して子どもたちを守りたい!
https://readyfor.jp/projects/groupmirai/announcements/115991