後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔271〕ようやく、〔27%ショック「底打った」「危険水域」与党動揺 石破氏「かなり厳しい」〕(毎日新聞)ですか。朝日は29%。

2020年05月24日 | テレビ・ラジオ・新聞
 朝日新聞で33%というという内閣支持率の数字が出たのは5月16,17日の世論調査でした。支持率の低下は安倍内閣が2018年に森友・加計問題への批判が高まったときの31%以来でした。安倍政権もはやここまでと思ったのですが、いやはや、それ以上の数字が毎日新聞に発表されました。〔27%ショック「底打った」「危険水域」与党動揺 石破氏「かなり厳しい」〕という見出しです。記事の一部を引用させていただきます。
 さらにさらに、5月25日(月)の朝日新聞では、「内閣支持 最低の29%」「不支持は52%」でしたね。まさに安倍内閣は危険水域に入りました。

●毎日新聞、会員限定有料記事 毎日新聞2020年5月23日 20時52分(最終更新 5月23日 23時43分)

 23日の毎日新聞世論調査で内閣支持率が27%に急落したことは、与党内の動揺を広げ、安倍政権のさらなる求心力低下につながる可能性がある。安倍晋三首相に近い自民党議員には「底を打った」と楽観する向きもあるが、30%を切ったことで「危険水域に入った。不支持率が19ポイントも上がったのは大変なことだ」(ベテラン議員)との見方も出ている。

 新型コロナウイルス対策の個人向け給付金の「限定30万円」から「一律10万円」への一変などを受け、首相官邸への与党の空気は冷ややかになっていた。国家公務員の定年を65歳に引き上げる法案の見直しを、首相が急に表明したことへの反発も強い。布マスク2枚の配布や、首相が自宅でくつろぐ動画公開などへの反発も重なり、自民執行部からも「国民の実態が分かってないんだろう。肌感覚がない」との声が漏れていた。 〔以下略〕


 それにしても、「国民1人に10万円支給」はどうなっているのでしょうか。
 さらに、今はどうでもいいと思うだけでなく、むしろ血税の無駄遣いは止めてもらいたいと多くの国民が思っているアベノマスクは、いったいどこを彷徨っているのでしょうか、嗚呼。
  朝日新聞の記事もどうぞ。


●内閣支持率29%、発足以来最低に 朝日新聞世論調査(朝日新聞)
2020年5月24日 22時00分

 朝日新聞社は23、24日に全国世論調査(電話)を実施した。安倍内閣の支持率は29%(前回5月16、17日は33%)で、2012年12月に第2次安倍政権が発足して以来、最低となった。不支持率は52%(同47%)に増え、5割を超えた。

 男性の支持率は33%で、女性は25%。特に50~60代女性の支持は2割以下で、7割近くが不支持と答えた。支持政党別では、自民支持層の内閣支持率は68%だったが、無党派層では14%にとどまった。第2次安倍政権のこれまでの最低支持率は、森友・加計問題への批判が高まった18年3月と4月の調査の31%だった。

 新型コロナウイルスに対する政府の対応を「評価しない」は57%にのぼり、「評価する」は30%だった。「評価しない」層の内閣支持率は14%と低かった。新型コロナ対応を通じて安倍晋三首相に対する信頼感が「低くなった」人は48%と半数に迫り、「変わらない」は45%、「高くなった」は5%だった。〔略〕

〔270〕「チェルノブイリ法日本版の学習会」の報告と、さらに柳原敏夫さんの話を聞いてください。

2020年05月23日 | メール・便り・ミニコミ
 今年の1月25日に清瀬市で開催された「チェルノブイリ法日本版の学習会」(ブログ〔248〕参照)の報告を、連れ合いの福田緑が市議会便り(布施由女の発行している「ゆめ通信」)にしたためました。
 その通信をお送りしたところさっそく岡田俊子さんからメールが届きました。柳原敏夫さんのコメントも読み流すのにはもったいないので、ブログで紹介したいと思います。通信の紙面とオンライン会議での柳原さんの映像も見ることができますよ。
 

●岡田俊子さんのメール

コロナ騒ぎで大変ですが、皆さまお変わりございませんか?
こちらもネット活動に変更して なんとかやっております。
ゆめ通信が届きました。 
とても分かり易く、読みやすいですね。ありがとうございました。
柳原さんがチェルノブイリ法日本版の会のMLで報告して下さいました。(転送します)
皆さまにも早くお仲間に入って頂きたく またお会い出来るのを楽しみにしております。

●柳原敏夫さんのコメント

皆さん
柳原です。
コロナ災害の中、いかがお過ごしでしょうか。

本日、今年1月に東京都清瀬市で行なった、チェルノブイリ法日本版の学習会の報告書が届きましたので、以下に紹介しましす(無党派の市議の方の通信です)。
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/200505YumeNewsLetter.pdf

今月初め、この報告書のチェックをしていて、思ったことがありましたので、以下に書きました。

コロナ災害が騒がれた時、まず私が衝撃を受けたのは、2003年に大流行した(新型コロナウイルスの先輩格)SARSのワクチンすらまだ完成できていないという記事を読んだ時でした。ウソだろ、あれから17年も経って、まだできていないなんて!?いったいこの間、何やっていたの、感染症の研究者たちは。
だったら、我々にできることは、放射能と同じで、ひたすら有害物資から逃げること。それが被ばくしないこと、接触しないこと。
311で、私たちの科学技術は放射能に勝つことはできない、だから避難するしかないのだと思い切り殴られるように教えられたとき、あくまでも、この情けない姿はあくまでも放射能という人間の手に負えない途方もなく強烈な存在のせいだからだと言い聞かせてきました。
しかし、またしても、私たちは勝つことはできない存在と遭遇する羽目になり、有害物質(有害生命)から逃げるだけという科学技術以前の原始的な対策しかない目にあったとき、
放射能だからと考えるのは根本的におかしい、間違っていると思わざるを得なくなりました。そう感じるのはおかしいでしょうか。私だけでしょうか。

私が思うことは、「金の切れ目が科学技術の切れ目」だということです。かつて大流行したSARSのワクチンができなかったのは、おそらく完成前にSARSが終息してしまったからで、患者もいないのに、ワクチン開発になんかに研究費は出せないと打ち切りになったからだと思います。
要するに、儲からない限り、科学技術をそちらに振り向けない。
一方では、米ソ冷戦のおかげで、たった半世紀足らずの核兵器開発で、人類全体を40回殺戮するに足りるまでの核兵器能力を達成したのに対し、
他方で、低線量被ばく、内部被ばくによる人体と環境影響・対策の研究に金を出しても儲かる見通しがない、だから、SARSのワクチンと同じで、いつまで経っても低線量被ばく、内部被ばくに対する科学技術の水準は全くといいほどあがらない。

そのことを最も鋭く教えてくれたのは、公害を告発し続けた宇井純からでした。

半世紀前、宇井純が言いたかったことは、私たちの科学技術が本質的に、人間の命、健康、環境の保全にとって無力であり、敗北しているということでした。
だから、水俣病に対して補償金が支払われる態勢ができたとしても(それはむろん必要なことですが)、それで水俣病が解決したことにはならない、水俣病は、それを生み出した、本質的に人間の命、健康、環境を粗末にする私たちの科学技術が抜本的に変わらない限り、解決したとは言えない。
だから、彼の口癖は「水俣病は終わっていない」でした。科学技術の本質は依然、金儲け主義であり、変わっていなかったからです。
そのツケが回ってきたことを、半世紀後に、頭から冷や水を被るように分からせてくれたのが2011年原発事故、2020年コロナ災害でした。

311の後、被ばくの恐ろしさを説いた一人が前松本市長の菅谷さんでした。同時に彼は、原発事故のことをすぐ忘れてしまう日本人を嘆いて、「難治症悪性反復性健忘症」と命名しました。
ただ、彼はそれ以上、あなたたちこそ「絶滅危惧種だ」とは言いませんでした。
しかし、宇井純はちがいました。彼は半世紀前から、公害を通じて明るみにされたおかしな現実、恐ろしい現実を、ごまかさずに、ズカッと「私たちの科学技術は腐敗している」「私たちは滅び行く世界に住んでいる」と言いました。
だから、もし今、宇井純が生きていたら、ハッキリ「今、わたしたち日本人は絶滅危惧種だ」と断言したと思います、

けれど、日本人の弱点を一番ズカッと批判した彼のような正直さ、誠実さが、実は、日本を公害による絶滅から救ってきたのだということを、このたび、改めて知りました。
だとしたら、今、原発事故やコロナ災害による絶滅から日本人を救うのは、宇井純のような正直さ、誠実さだと思うのです。

先日5月9日のネットデモで、私が言いたかったことも、宇井純から教えられたことでした。以下がそのときのつたないスピーチです。
https://www.youtube.com/watch?v=5FAP7fjOE3s&feature=emb_logo

〔269〕今こそ「反逆老人は死なず」、ルポライター鎌田慧さんに学びたいですね。

2020年05月18日 | ラボ教育センターなど
 ある朝目覚めて新聞に目を通したら、鎌田慧さんのことが書かれていました。こんな書き出しです。

○朝日新聞・天声人語(2020年5月15日)
 ルポライター鎌田慧さんが書いた『六ケ所村の記録』には、大規模開発のために住民が立ち退き、村の小学校が閉校になった話が出てくる。子どもの作文が紹介されていて、「私は、開発がにくくてたまりません」とつづられている▼工場が立ち並び、都市が生まれる。そんなバラ色の開発話は実現しないまま、1984年の閉校を…

  青森県六カ所村にやってきたのは使用済み核燃料再処理工場でした。30年以上前の話です。ところが、あろうことか、数日前にその稼働の判断が原子力規制委員会で下されたというではありませんか。ではこの間、原発では何をしていたのでしょうか。膨大の金を費やしたのですが、再処理した燃料を燃やすはずの高速増殖炉が機能させられないというのです。原発大国のアメリカやフランスはとうにこの計画を断念していると聞いています。
どこまで公金、血税を使い続けるつもりでしょうか。さっさと撤退をして、コロナにお金を振り分けたらと思うのですが。
 ところがそうはいかない事情もあるようです。すでに搬入された核廃棄物の行き場がないというのです。発出元の原発は核のごみで満杯なのです。
 いったい誰がこれらの責任を取るのでしょうか。

 ところで、核問題をはじめとして、弱者の立場から様々な社会問題を提起し続けてきたのがルポライターの鎌田慧さんです。すでに80歳を超えているはずですが、自らを「反逆老人」と称して、様々な紙誌で発言を続けています。私の知る限りでも、東京新聞「本音のコラム」、共同通信「忘れ得ぬ言葉」、週刊新社会「沈思実行」、藤原書店の「機」などで連載を抱えています。まさに「反逆老人は死なず」です。(岩波書店から同名の本が昨年暮れに出版されています。ブログで紹介しています。) 
  「沈思実行」(2020年5月19日)ではコラムを次のように結んでいます。

 「人が生きるための運動が平和闘争だ。コロナのあと、反戦、脱原発、沖縄の連続闘争だ。」

  おまけで、「本音のコラム」もどうぞ。
 これを書いているとき、検察庁法改正案政府可決断念のニュースが流れました。やったね!
 その切っ掛けとなったのが若者のツイッター発信でした。さらに老若男女のスタンディング運動でした。コロナではやれることはあるのですね。学びました。
 少しでも住みよい日本になるように、民主主義が根付くように、「連帯を求めて孤立を恐れず」頑張りましょう。


 ◆「コロナ」と「米戦略爆撃機と自衛隊戦闘機」との軍事訓練
  「コロナ」にたいする防衛は国際協調でしか闘えない

              鎌田 慧(ルポライター)
 「自粛」期間が長引いて運動不足。内閣の息のかかった黒川弘務氏
を、検事総長ヘゴリ押しするデタラメ格上げ人事への抗議デモも
できず、欲求不満。
 地上では見えないコロナウイルスに頭を垂れ、鬱屈しているうちに、
秘密裡にすすめられているのが、はるか上空での米戦略爆撃機と自衛隊
戦闘機との編隊訓練だ。

 混乱につけ込むのがアベ政治特有の戦術だが、この合同訓練が
いままでとちがうのは、米本土を飛び立った爆撃機が、日本列島に到達
しても着陸することはない。
 何回かの空中給油を受け、30時間ほどの飛行を続け、そのまま米本土
へ帰還している。だから、コロナ騒ぎのなかで、誰からも気付かれる
ことはない。

 自衛隊戦闘機を15機ほど護衛に従え、先月下旬から週1回ほどの
演習を繰り返している。高度1万メートルからの精密誘導弾投下の
秘密作戦である。
 米軍は北朝鮮、中国に対する抑止力として、グアム島に配備していた
B1とB52戦略爆撃機を先月、本土の基地に引き揚げた。
 青森県三沢基地空域での訓練をスクープした「東奥日報」の斉藤
光政記者は「最初は三沢基地付近での日米合同訓練だったのが、いまは
沖縄まで足を延ばして訓練、米本土に帰っているようです」と
指摘している。
 コロナにたいする防衛は国際協調でしか闘えない。
 軍事強化では勝てない。
       (5月12日東京新聞朝刊21面「本音のコラム」より)

〔268〕「人類の皆様へ」(コロナウイルスからの手紙)ビビアンRリーチ・作、読んだことありますか。

2020年05月17日 | メール・便り・ミニコミ
  以前に紹介した「イロハネット」(№298)が昨夜送られてきました。どれも興味深いニュースばかりなのですが、その中に「人類の皆様へ」(コロナウイルスからの手紙)が掲載されていました。コロナ禍の今、考えさせられる長編の詩です。原文も読みたいと思ってネットで調べましたら、あるサイト(株式会社スプラッシュのブログ)ですでに紹介されていました。自由に転記ができるということで原文と日本語訳をコピーさせていただきます。訳者名は書かれていませんでした。


Coronavirus’ Letter To Humanity
人類の皆様へ (コロナウイルスからの手紙)

The earth whispered but you did not hear.
地球はささやきました。でもあなたがたには聞こえなかった。
The earth spoke but you did not listen
地球は話しかけました。でもあなたがたは聞こうとしなかった。
The earth screamed but you turned her off.
地球は叫びました!でもあなたがたは、
まるでスイッチを消すようにそれを消して、耳を貸しませんでした。

And so I was born...
だから私は生まれました、
I was not born to punish you..
私はあなたがたを罰するために生まれたのではありません、
I was born to awaken you..
あなたがたを目覚めさせるために生まれたのです、

The earth cried out for help...
地球は助けを求めて泣き叫びました、
Massive flooding. But you didn't listen.
ひどい洪水、水害、にもあなたがたは耳を傾けなかった。
Burning fires. But you didn't listen.
燃えさかる火、山火事もあなたがたは聞こうとしなかった。
Strong hurricanes. But you didn't listen.
強力なハリケーン、台風でもあなたがたは聞かなかった。
Terrifying Tornadoes. But you didn't listen.
恐ろしい竜巻、でもあなたがたは聞かなかった。
You still don't listen to the earth when.
あなたがたは、これでもまだ地球の話を聞こうとしません。

Ocean animals are dying due to pollutants in the waters.
海の生き物が海水の汚染物質により死んでいきます。
Glaciers melting at an alarming rate.
驚くべき速さで氷河が溶けています。
Severe drought.
深刻な干ばつ
You didn't listen to how much negativity the earth is receiving.
地球がどれだけネガティブなひどい状態を受けていても、あなたがたは聞こうとしなかった。

Non-stop wars.
止まない戦争
Non-stop greed.
止めどない貪欲さ
You just kept going on with your life..
あなたがたはただあなたがたの生活を続けていました。
No matter how much hate there was..
どれだけの憎しみがそこにあっても、
No matter how many killings daily..
どれだけの人が毎日殺されても、
It was more important to get that latest iPhone then worry about what the earth was trying to tell you..
あなたがたには地球があなたがたに伝えようとしていることより、最新のiPhoneを手に入れることの方が重要でした、

But now I am here.
でも今私はここにいます。
And I've made the world stop on its tracks.
そして私は世界の軌道を止めました。
I've made YOU finally listen.
私はあなたがたについに耳を傾けさせました。
I've made you take refuge.
私はあなたがたに避難を余儀なくさせました。
I've made you stop thinking about materialistic things..
私はあなたがたに物質的な考えをやめさせました。

Now you are like the earth...
今あなたがたは地球のようになっています、
You are only worried about YOUR survival.
あなたがたは自分たちが生き残ることだけを気にかけています。
How does that feel?
それはどんな風に感じますか?
I give you fever.. as the fires burn on earth.
私はあなたがたを発熱させました、地球が燃やされているように。
I give you respiratory issues.. has pollution fill the earth air.
私はあなたがたに呼吸器系の問題を与えました、地球の大気が汚染で充満しているように。
I give you weakness as the earth weakens every day.
私はあなたがたに弱さを与えました、地球が毎日弱っていくように。

I took away your comforts..
私はあなたがたから快適さを取り去りました。
Your outings.
あなたがたの外出
The things you would use to forget about the planet and its pain.
あなたがたが忘れてしまっていたこの惑星とその痛み
And I made the world stop...
そして私は世界を止めました、
And now...
すると今、

China has better air quality.. Skys are clear blue because factories are not spewing pollution unto the earth's air.
中国の大気の状態は良くなりました。工場が大気中へ汚染物質を吐き出さなくなり、空は青く澄み渡りました。

The water in Venice is clean and dolphins are being seen. Because the gondola boats that pollute the water are not being used.
ベニスの水は透明になり、イルカたちを見ることができます。水を汚染するゴンドラを使っていないからです。

YOU are having to take time to reflect on what is important in your life.
あなたがたはあなたがたの命、生活、人生において重要なことは何なのか、よく考える時間ができました。

Again I am not here to punish you.. I am here to Awaken you...
もう一度言いますが、
私はあなたがたを罰するためにここにいるのではなく、あなたがたを目覚めさせるためにここにいるのです、

When all this is over and I am gone... Please remember these moments..
これが全て終わった時私は去ります、
どうかこれらの瞬間を覚えておいてください、

Listen to the earth.
地球の声を聞いてください
Listen to your soul.
あなたがたの魂の声を聞いてください
Stop Polluting the earth.
地球を汚染するのをやめてください
Stop Fighting among each other.
お互いに争うことをやめてください
Stop caring about materialistic things.
物質的なことばかり考えるのをやめてください
And start loving your neighbors.
そして、隣人、近しい人を愛することを始めて下さい
Start caring about the earth and all its creatures.
地球とそこにいる全ての生き物を大切に考えることを始めてください

Because next time I may come back even stronger....
なぜならこの次私はさらに強力になって帰ってくるかもしれないから、

Signed,
Coronavirus
コロナウイルスより

Received by: Vivienne R Reich
ビビアンRリーチ記

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〔267〕【続】ドイツ語で、中世ドイツの彫刻家のネット捜索をしたら、想像を超えた発見がありました。

2020年05月10日 | 美術鑑賞
  前回ブログに書いた方法でドイツ語でネット検索したら、中世ドイツ彫刻家についての様々な情報を目にすることができました。リーメンシュナイダーほどではありませんが、意外な人物がドイツでは著名なのだということなどが刻々わかってきて、私はひとり興奮状態でいました。
 日本語の翻訳が不十分ながらも結構参考になりそうだということで、自分なりの中世ドイツ彫刻作家列伝を作ることにしました。
 ところが残念なことに、バリアーがかかっているのか、画像入りは1頁しか印刷できないようになっていたのです。しょうがないので、文章だけをほぼすべてコピーして小冊子を作りました。さらに画像入りの1頁だけを集めて別の冊子を作ったのです。これでなんとか自分なりの中世ドイツ彫刻家資料ができあがりました。
  2種類の自作資料を眺めながら、ひとりで日本語訳に突っ込みを入れたりしながら楽しんで読んでいるのです。
 読み進めるうちにこれらの作家たちに関する動画はないのかが気になってきました。そこでいよいよ動画検索です。これがけっこう楽しくて、実に様々な発見があったのです。簡単に書いておきましょう。
 皆さんもトライしてみてはいかがでしょうか。ドイツ語表記を下掲しておきますのでコピーしてお使いください。

【中世ドイツ彫刻家ドイツ語での画像検索】

■ティルマン・リーメンシュナイダー Tilman Riemenschneider …ドイツ最大の彫刻家(と思います。)
*多数の動画あり。なんとベルリンにあるボーデ博物館館長のジュリアン・シャプュイさん登場です。現在閉館中で2週間前に収録したようです。18分間、聖ゲオルクの前で話しています。数年前に日本にやってきた作品ですね。もちろん話すのはドイツ語ですけどね。シャプュイさんは福田緑が長らく親しくさせていただいている方で、緑の『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』(3巻目、丸善プラネット)の前書きを書いていただきました。さらにミヒェル・エーアハルト、ニコラウス・ゲルハールトについても語っていますよ。この動画で全部見ることができます。
●2020/04/16に公開 (画像のコメントより翻訳機で)
ボーデ美術館の館長であるジュリアン・シャプイが、ボーデ美術館のこの特別ツアーにご案内し、希望を広め、現在と現在の両方の保護を伝える画像をお届けします。 そして、このように困難な時期に役立つことができます。 その中には、当時センセーションを巻き起こした後期中世美術のいくつかの主要な作…
https://www.youtube.com/watch?v=mokJvdR6dFc
■ミヒェル・エーアハルト Michel Erhart…リーメンシュナイダーの師とも言われています。
*シャピュイさんの動画は「庇護マントの聖母子像」についてです。前掲『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の表紙を飾っている作品です。

■ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデン Niklaus Gerhaert von Leyden…リーメンシュナイダーはこちらでも修行したようです。オランダ人
*シャピュイさんの動画は「ダンゴルスハイマーの聖母子像」について語っています。これも『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』に収録されています。
*さらにさらに、フランクフルトのリービークハウスのステファン・ロラーさん(博士)解説の二つの動画〔リービークハウス監修のようです〕があがっています。ロラーさんにも緑は親しくさせてもらっています。前ブログで触れたゲルハールトの図録の責任編集者です。昨年サイン入りで直接手渡しで本をいただきました。
 動画の一つはネルトリンゲン聖堂の彫刻で、緑がこの秋出版予定、現在鋭意制作中の『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』(4巻目)で力を入れて紹介しています。もう一つがリービークハウスとストラスブールの博物館の作品紹介です。このストラスブールの自刻像は4冊目の裏表紙の候補です。
https://www.youtube.com/watch?v=j7T0YMHqNpg

■ファイト・シュトース Viet Stoss…リーメンシュナイダーのライバルとも(緑の本、3,4巻に多数紹介)
*さすがにクラクフの大聖堂の多数動画がアップされています。ここにはもう一度行きたいと思っています。

■アダムクラフト Adam Kraft…キリストが十字架を背負った数々の像で有名(緑の本、3,4巻に多数紹介)
*2016年ベルリンでの研究会の様子(アメリカアカデミー、1時間13分)が紹介されていました。ニュルンベルク博物館(1:12)の動画もありました。ニュルンベルク博物館に多くの作品があり、そこで図録も出ています。

■ミヒャエル・パッハー Michael Pacher…チロル地方で活躍した絵と彫刻両刀遣いの作家(緑の本、3,4巻に多数紹介)
*アルテピナコテークの有名な絵やオーストリアのヴォルフガング教会などの動画があります。ヴォルフガング教会の祭壇は緑の3巻に収録されています。(教会提供写真)

■ハンス・ムルチャー Hans Multscher…初期の絵と彫刻両刀遣いの作家(緑の本、3,4巻に多数紹介)
*ウルム大聖堂の中に作品が登場してきます。逞しいキリスト像です。

■ハンス・バックオッフェン Hans Backoffen…野外の石の大きな作品が多いようです。
*3巻に登場しますが、映像はまだノータッチです。

■ハンス・ダウハー Hans Daucher…ミヒェル・エーアハルトの孫、アウクスブルクの聖アンナ教会のキリストを支える像が秀逸
*聖アンナ教会のかわいらしい数人の天使たちのごく短い紹介動画です。(緑の本、4巻に多数紹介)

■グレゴール・エーアハルト Gregor Erhart…ミヒェル・エーアハルトの子、ルーブル美術館のマグダラナマリアが有名
*動画はルーブル美術館のマクダラナマリアが多数ありました。(緑の本、4巻に紹介)

■ペーター・フィッシャー Peter Viscyer…金属彫刻家、ニュルンベルクのゼバールドゥス教会の墓碑が最高傑作(4巻掲載)
*なぜか動画は見つかりませんでした。
*ちなみに私のパソコンの現在の立ち上げ画面はアダム・クラフトが枝を折っている像でピーター・フィッシャー の作品です。2人はニュルンベルクの彫刻仲間だったようです。

■エラスムスグラッサー Erasmus Grasser…大胆な踊る人などユニークな作品が多い
*近年開催されたミュンヒェンのバイエルン博物館のグラッサー展の動画がありました。ここのマティアス・ベニガー博士が4巻の前書きを書いてくださるということで楽しみにしています。4巻表紙(素晴らしいですよ!)だけでなく数頁にわたって彼の写真を掲載予定でいます。

■ハンス・ラインヴェルガー Hans Leinberger…逞しい聖母子像や妖しい感じの聖母子像など個性派作家ナンバーワン(と思っています。)
*モースブルクのカストゥールス教会の動画がありました。ここの作品は3巻だけでなく4巻にも紹介する予定です。

 まだまだ作家は数えられるのですがこの程度にしておきます。そのうちにまた紹介したいと思います。

〔266〕ドイツ語で、中世ドイツの彫刻家のネット捜索をしたら、想像を超えた発見がありました。

2020年05月10日 | 美術鑑賞
 皆さん、コロナ禍を避けるためにホームステイを余儀なくされていることでしょう。日々何をされているでしょうか。
私は普段できなかったことを時間をかけて取り組みました。まあ、暇つぶしといったところですが。
 まずはなんといってもアマゾンでの書籍販売です。あまりパソコンが得意でない私が、パートナーの協力を仰ぎ、なんとか1,2週間で軌道に乗せたというところです。やらなければならないことが結構ありましたが、少し前のブログに触れましたので、気になる方はそちらをご覧ください。

  さて、ここ1,2日で取り組んだのは、私や妻が今一番関心を寄せているドイツ中世の彫刻家達のことです。生まれた年代と場所、没年と場所、主な作品とその所在地などです。とりわけ作品の画像が見たいのです。
 ところで、これらの日本語の文献はほぼゼロに等しいので、自分でなんとか資料を探し出さなければなりません。ドイツで手に入れたドイツ語文献も限られていて、さあどうしたものかというところです。
 気になる作家達というのは十数人存在しています。中世の彫刻家についてドイツ語で書かれた本が1冊あり、それが作家列伝のバイブルとなっています。
 それとは別に私たちが最近ドイツで手に入れた作家ごとの本は次の通りです。近年出版されたどれも大部な本で信頼が置けるものです。

*ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデン…フランクフルトのリービークハウス監修の図録
*エラスムス・グラッサー…ミュンヒェンのバイエルン国立博物館監修の図録
*ミヒャエル・パッハー…ベルリンのボーデ博物館で入手したもので個人で執筆している

  日本で情報を仕入れるとしたらもうネットしかありません。手軽にウィキペディアを辿るしかありません。
 ここで大事なことは日本語で検索するよりもドイツ語検索の方が遙かに詳しい情報が得られるということです。一つ例を挙げてみましょう。日本では一番有名なティルマン・リーメンシュナイダーについてそれぞれどう書いてあるか検索してみましょう。わずか数行だけです。

●ウィキペディア、日本語「ティルマン・リーメンシュナイダー」で検索

ティルマン・リーメンシュナイダー(Tilman Riemenschneider, 1460年頃 - 1531年)は、中世のドイツの彫刻家。

 テューリンゲン北部、ニーダーザクセン南東部との境目にあるハルツ山脈付近、現在のアイヒスフェルト郡(ドイツ語版、英語版)ハイルバート・ハイリゲンシュタット(ドイツ語版、英語版)に生まれ、後に家族とともに親戚がいる南方のヴュルツブルクに移住した。
 彫刻のマイスターとしてヴュルツブルクに工房をかまえ、祭壇や墓碑の彫刻を数多く手がける一方、1504年に市議会議員に選出されたのを皮切りに、1520年から1521年までに市長も務めた。 しかし、ドイツ農民戦争の際、元市長として戦争に加担したとして逮捕され、利き腕をへし折られて、再び彫刻家として活躍ができなくなったという。そのため、晩年は失意のうちに没した。
 ローテンブルクにある聖ヤコブ教会の聖血の祭壇
参考文献  植田重雄著『リーメンシュナイダーの世界』(恒文社)


 以上、これだけです。
 ところがドイツ語版では、膨大な記述があるのです。もちろん翻訳がおかしな箇所はいっぱいあるのですが、だいたいの記述内容は判読することができます。


●ウィキペディア、「Tilman Riemenschneider」で検索、ドイツ語を日本語に翻訳したものでそのごく一部

 ティルマンリーメンシュナイダー (1460年頃-1531年7月7日)は、 ドイツの 彫刻家であり、1483年からヴュルツブルクで活躍した木彫り師でした 。
 生まれ 1460年頃 ハイリゲンシュタットイムアイヒスフェルト 、 神聖ローマ帝国
 死亡しました 1531年7月7日 ヴュルツブルク 、 神聖ローマ帝国
国籍 ドイツ人
職業 彫刻家
アクティブな年 1473年頃から1527年まで

 ティルマンリーメンシュナイダーは1460年頃、現在のテューリンゲン州の ハイリゲンシュタットイムアイヒスフェルトで生まれました。 [2] : 2
 リーメンシュナイダーが約5歳のとき、彼の父親は暴力的な政治紛争、 Mainzer Stiftsfehde [ de ]に関与していたため、家族はハイリゲンシュタットとそのすべての所有物を残さなければなりませんでした。 彼らはオステローデに再定住しました 。そこで父は造幣局の主人となり(当時は良い地位になりました)、リーメンシュナイダーは幼少期を過ごしました。
 リーメンシュナイダーはおそらく1478/9で18歳のときに初めてヴュルツブルクに来ました。 [2] : 2彼の叔父はそこで司教の公証人および財務顧問を務めましたが、彼は長く滞在しませんでした。 1473年頃、リーメンシュナイダーは、おそらくシュヴァーベンやアッパーラインで、おそらくストラスブールやウルムで 、彫刻と木彫りの貿易を学びました。 当時、彫刻家のギルドの法令は、経験を積むために見習いが多くの異なるワークショップに行くことを要求しました。 彼の人生のこの時期についてはほとんど知られていませんが、おそらく銅版画が彼に例として役立ったマーティンショーガウアーの作品に触れた可能性があります。

  1483年、彼はヴュルツブルクに定住した。 [2] : 2 1483年12月7日、彼はセントルークの画家、彫刻家、ガラス工のギルドに画家の助手として加わりました。 1485年2月28日、彼は3人の息子を持つ金工の巨匠の未亡人、アンナシュミット(ウヘンホーファー生まれ)と結婚しました。 この結婚は彼に財産をもたらしただけでなく、それは彼が彼の見習いを終わらせて熟練した職人になることができることも意味しました。
 また、1485年にリーメンシュナイダーはヴュルツブルクの市民となり、職人としての地位を確立し、妻の家であるフランツィスカーナガッセにワークショップを開きました。 [2] : 2

 彼の最も初期の確認された作品は、 リンパーのプファルキルシュのエバハルトフォングルムバッハの墓石です。 これは彼が大規模な教会の委員会を取得する前に始めたタイプの仕事かもしれません。 彼はヴュルツブルクの町議会と近隣の町から多くの命令を受け始めました。 彼に起因する最も初期の大きな作品は、 ローテンブルクオプデアタウバーの 聖ヤコブ教会の フランツィスカ ルタルであり、教会のガイドブックに「約1490」と記載されていますが、その日付の他の作品と比較したスタイルはかなり原始的であり、 [3] 1490年、 ミュンナーシュタットの市議会は、 聖マリアマグダレナの祭壇に6人の天使のマリアマグダレーナの彫刻が含まれた教区教会の祭壇画を注文しました。 それは1492年に設立されました。1491年に、ヴュルツブルクの市議会は、 アダムとイブの 2つの等身大の石像を、評議会の教会の南ポータル、 マリエンカペレ (1493年に建立)に注文しました。 [2] : 2

  1494年、リーメンシュナイダーの最初の妻が亡くなり、3人の継母と1人の娘を残しました。 時代と地位に合わせて、1497年に再婚したアンナ・ラポルト。 [2] : 2彼女は彼に2人の娘と3人の息子を産みましたが、その全員が父親の芸術的才能を受け継いでいるようです。 1495年、彼は子供と一緒にマリア像(ヴュルツブルクの聖バーナード教会 )を作成しました。
 さらに注目を集めた作業は次のとおりです。1496年、リーメンシュナイダーはヴュルツブルク大聖堂で王子ビショップルドルフフォンシェレンベルクの墓を彫るよう命じられました。 1499年に納品されたのと同じ年、 バンベルク大聖堂に帝国の墓が注文されました(1513年に納品)。
  1500年までに、彼はアーティストとしての名声を高め、ヴュルツブルクの裕福な市民になりました。 彼は多くの家を所有しただけでなく、自分のブドウ畑を持つ地主でもありました。 彼の盛んなワークショップでは、40人もの見習いが木彫り、彫刻、絵画を行っていました。
  1504年11月、リーメンシュナイダーは、ヴュルツブルクの町のウンテラート (評議員)のメンバーになりました。この事務所は、1525年まで保持されていました。 [2] : 3この事務所は、社会的地位をもたらしただけでなく、多くの収益性の高い注文。
  1508年、リーメンシュナイダーはマルガレッタヴュルツバッハと結婚しました。 1509年から1522年まで、彼はOberratのメンバーを4回務めました。 彼は再び結婚し、1520年に、その名はマルガレーテだけが知られている女性でした。 1520/1年、リーメンシュナイダーはヴュルツブルクの市長でした(中世には、常にこの地位にある2人の人々が同時にいました)。 [2] :
 注文が大量にあったときに地方政治への関与が高まったことで、ワークショップのアウトプットの作成において彼の弟子たちがより重要な役割を果たしたことを意味しました。 美術史家は特定の人物を個々の労働者の作品として識別することができました。 [2] : 11?12

  ドイツ農民戦争の間 、リーメンシュナイダーは町評議会のメンバーの1人で、 ヴュルツブルクの王子司教 、 コンラートフォンテュンゲンの反乱する農民との戦いの命令に従わなかった。 [2] : 23 1525年6月4日、農民の軍はヴュルツブルク郊外のゲオルク軍、ヴァルトブルクツァイルのスチュワード、司教によって8,000人が殺害されました。 町が降伏した後、リーメンシュナイダーを含む町議会全体がマリエンベルク要塞に投獄され、拷問を受けた。 彼の芸術的キャリアを終えた拷問の間に彼の両手が壊れたという主張は、実際には根拠のない伝説であると今日考えられています。 [2] : 24それはおそらく彼の「再発見」の後の19世紀に始まったにすぎません。 [4] : 24残りの議会と共に、ティルマンは2か月後に解放され、財産のほとんどが失われました。 この後に彼が受け取ったと知られている唯一の命令は、1527年のキッツィンゲンのベネディクト会の尼僧院での作業でした。 [2] : 4,23 1531年7月7日にヴュルツブルクで亡くなるまで、彼は4人目の妻と引退した生活を送っていました。 彼の再婚した息子のヨルクは、彼の死後もワークショップを続けた。

 リーメンシュナイダーは地位を失ったため、すぐにアーティストとして忘れられました。 彼の墓石が1822年にヴュルツブルク大聖堂とノイミュンスターの間に発見されたときのみ、より多くの聴衆に認められたゴシック彫刻における彼の卓越した地位がありました。 アルブレヒトデューラーやファイトストスとは異なり、リーメンシュナイダーは死後初めて真の名声を得ました。

 

 このあと〔アート〕〔主な作品〕〔文学〕〔参照〕〔外部リンク〕と続くのです。その分量といったら半端ではありません。
大事なことを書き落としていました。画像のことです。画像までコピーするとかなりの手間がかかるので、今回はそこまでしていませんが、「リーメンシュナイダー」では2枚、「Tilman Riemenschneider」はそうとうの枚数が掲載されています。

  そこで、中世ドイツの彫刻家をドイツ語で検索してみることにしました。そしたら、結構おもしろいことがいろいろわかってきました。(つづく)

〔265〕またまた労作です。永山絹枝『魂の教育者 詩人近藤益雄 ―綴方教育と障がい児教育の理想と実践』コールサック社

2020年05月02日 | 図書案内
  ひょんなことから永山絹枝評論集『魂の教育者 詩人近藤益雄 ―綴方教育と障がい児教育の理想と実践』をいただき、さっそく読ませてもらいました。
 そもそも近藤益雄(えきお)といえば障がい児教育のレジェンドで、生活綴り方運動でも名を馳せる教育実践家です。たしか近藤益雄全集も出版されていたはずだし、私はそのご子息の近藤原理氏の本を持っていたはずでした。…探し出しました、『障害者と泣き笑い三十年-ともに生き、ともに老いる』(太郎次郎社)がその本でした。

  著者の永山絹枝さんは1944年生まれ、益雄と同郷、長崎県大村市出身の元小学校教師で、長崎県作文の会の中心メンバーです。つまり益雄とは郷里が同じというだけでなく、尊敬する生活綴り方の先輩教師ということになります。
  永山さんは退職後、母校の長崎大学の大学院で学び直しています。文芸誌「コールサック」に5年にわたって20回連載されたのはそこでの研究の成果だったのではないでしょうか。解説の鈴木比佐雄氏によれば、そこでの連載を1冊にまとめ刊行したということになります。

 本の内容と構成は以下の通りです。

●コールサック社(HPより)
 永山絹枝氏は近藤益雄の「慈しみに溢れる詩」がどんなに価値あることかを知っており、障がい児教育に関わる方はもちろんだが、多くの人たちに真の命の尊さを感じてもらいたいとこの『魂の教育者 詩人近藤益雄』を後世の教育者や親御さんたちに向けて刊行したに違いない。(鈴木比佐雄 帯文より)
46判/360頁/上製本
定価:2,200円(税込)
発売:2020年4月15日

〔目次〕
 Ⅰ 魂の教育者 詩人近藤益雄「戦前」
一、長崎綴方教育の創始者
二、益雄と第一童謡集『狐の提灯』(上志佐小時代)
三、第二童謡集『五島列島』(小値賀小時代)
四、文詩集「勉強兵隊」と童詩教育
五、リアリズムとヒューマニズムの道へ
    ―児童生活詩として長い詩を―(田平尋常高等小時代)
六、地域の文化を高めるために〝貧困との闘い〟
    ―児童生活研究所の創設―(田助尋常高等小時代)
七、決戦体制下の混迷と葛藤の中で
   ―「人間・益雄」を支えた短歌会(平戸高等女学校時代)―
八、短歌集『火を継ぐ』
   ―どうしたって黙っていられるものか 愛するものを死なしてしまって―

 Ⅱ 魂の教育者 詩人近藤益雄「戦後」
九、民主国家・民主教育建設への道①
   ―綴方復興・胸のおどること!―
十、民主国家・民主教育建設への道②
   〝益雄が夢みたものは〟貧しさからの解放、ゆたかさの建設
   ―学校を村の文化の源に 田助中教頭・田平小校長時代―
十一、知的障がい児教育の歩み① 「みどり組の誕生」
   ―これがほんとうの私のイス あたたかな日のこどもがもたれてきたり―
十二、知的障がい児教育の歩み② 「書くことの指導」
   ―言葉の感覚を磨くことは生活感情を美しく豊かにする―
十三、知的障がい児教育の歩み③ 
   「みどり組への偏見」 ―君たちはどう生きるか―
十四、知的障がい児教育の歩み④
   ―入所施設「のぎく寮」の創設 一九五三~六一年―
付録 朗読劇脚本「のぎく寮」
   脚本・演出=高知「劇団the創」西森良子
十五、第二詩集『ちえおくれの子たちと』
   ―新美南吉と八木重吉と―
十六、第三詩集『この子をひざに』
   ―ちえおくれの 子どもたちと―
十七、第四詩集『春あさき水にきて』
   ―親子・家族の絆のなかで―
十八、第五詩集『痴愚天国』
   ―のぎく学園となずな寮 益雄のめざしたものは?―
十九、最後の詩集:第六詩集『木のうた』
   ―最終章 一、「愛と平和への願い」―
二十、最後の詩集:第六詩集『木のうた』
   ―最終章 二、殉教「智恵の遅れた子等への救世の道」―

   参考文献
   【解説】近藤益雄の「慈しみ溢れる詩」を語り継ぐ人 鈴木比佐雄
   あとがき
   近藤益雄 略歴
   永山絹枝 略歴


 本書はまさに労作です。私より数歳年上の先輩教師に敬意を表したいと思います。
 敬愛する郷土の先輩教師の足跡を丁寧に辿るために、可能な限りの資料にあたっています。膨大な近藤益雄著作集、指導して発行した作文集、雑誌に発表した益雄の文章、妻・近藤えい子氏の「証言」、子息の原理氏の「証言」…数限りありません。
  全編を通して滲み出てくるのは著者の益雄愛です。頻繁に益雄の詩が挟み込まれ、良質の詩集としても読めます。そして、表紙にクラスの子どもといる益雄の写真(城台巌)が実に素晴らしい。まさに慈愛に溢れる益雄の人柄を如実に写し取っているようです。

 もう少し知りたかったこと、注文は何点かあります。
・戦前の文詩集「勉強兵隊」について著者は「この言葉に私は馴染まない。」 と書いているが、なぜ益雄はこの名称を用いざるをえなかったのか思い巡らしてほしかった。
・参考文献の他に、益雄の仕事を確認するために近藤益雄著作一欄と、もう少し丁寧な近藤益雄経歴がほしかった。
・寒川道夫『山芋』について、(作者が誰であっても)と書いているが、『山芋』は寒川道夫の児童詩であることが定説になっている、としても良かったのではないだろうか。参照、拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(晩成書房)「寒川道夫の光と影」

 いずれにしても、近藤益雄という人物にスポットを当ててくださったのは障がい児教育には門外漢の私にとってとても新鮮で興味深いことでした。文芸や芸術に裏打ちされ、子どもに寄り添う教師が今の時代にも求められているのではないでしょうか。そんなことに気づかされた本でした。
 この本に惹かれた最大のポイントは、益雄の生き様そのものでした。「リアリズムとヒューマニズム」の基盤に立つ小学校教師からスタートして、高等女学校、小学校教頭、校長と変遷して、知的障がい児教育に歩を進めています。さらに入所施設「のぎく寮」の建設…と邁進し、57歳での自死。壮絶な人生をただただ賞賛するしかありません。
  いい本を読みました。

  さて次は『障害者と泣き笑い三十年-ともに生き、ともに老いる』を読んでみましょうか。