後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔671〕矢部顕さんの「倉敷東小学校の劇発表と映画鑑賞」まずはじっくり読んでください。久しぶりに秀逸な演劇教育の実践に邂逅しました。

2024年03月23日 | 学校教育

 足の手術で入院されている矢部顕さんからお電話がありました。「倉敷東小学校の劇発表と映画鑑賞」を映画監督の宮﨑賢さんがDVDに落としたというのです。その顛末を伝える矢部さんの手記と合わせてご覧ください。
 実践された倉敷東小学校の担任の先生と校長先生、宮﨑監督と矢部さんにスタンディングオベーションを贈ります。素晴らしい!

■倉敷東小学校の6年生が映画「NAGASHIMA」を ... - YouTube

https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D7lcQT2L8F5c&ved=2ahUKEwiljI_A2ImFAxUNplYBHXJgCqA4ChC3AnoECAsQAg&usg=AOvVaw1BJzv7vOkWsN4VweyuGPin

 

                        倉敷東小学校の劇発表と映画鑑賞

                                                                        矢部 顕
●小学生の劇発表 
 小学校の劇発表を観に行った。2023年11月25日(土)のこと。考えてみれば、ワークホリックだった私は、我が子の小学校の劇の発表さえも観たことがない。現役の時は民間の教育団体で働いていたので、仕事柄数えきれないほどの子どもの劇発表を観てきた。講評さえもしてきた。
 倉敷市立倉敷東小学校の文化祭(小学校でも文化祭という言い方があることを知った)が体育館で行われていて、保護者に混じって観劇した。劇発表プログラムにはこう印刷されていた。
   劇「つなぐ」 6年 14:05~14:40 
   ハンセン病療養所のある瀬戸内市長島と本土をつなぐ邑久長島大橋(通称「人間回 
   復の橋」)が開通してから今年で35年。6年生の子どもたちが、ハンセン病問題学
   習を通して差別の歴史を学び、新型コロナウイルス感染症や身の回りの差別問題と
   のつながりに気づくお話です。小学校生活最後の文化祭、ポジティブに頑張ります。

●劇発表までの道のり
 わざわざ劇を観に行ったのは、以下のような経緯があったからである。
 私は数年前から、我が家の裏山にある戦国時代の城跡でプレーパーク(冒険あそび場)を開催している。その縁で知り合い、プレーパーク活動のご指導をいただいているNPO法人岡山市子どもセンターの理事長から電話があった。「息子が小学校の教師をしているんですが、その息子と会っていただけませんか? いろいろ教えてほしいことがあるようですので」。教えてほしいこととはハンセン病のことについてだった。なんで私がハンセン病について? 多少かかわっていたけど、そんな話題をした記憶はほとんどない。息子さんによると「児童演劇のことをされていたし、ハンセン病のことをよく知っている人だ」と聴いたらしい。
 お会いしてお話しした先生は、倉敷東小学校6年担任の美咲 諒さんだった。8月に参考になるだろう資料をお渡しし、9月に長い時間お話した。
 彼の話は以下のようなことだった。
 昨年(2022年)8月、倉敷市の人権研修としてハンセン病療養所長島愛生園で歴史館や収容桟橋を見学。園長や学芸員の話を聞いた。恥ずかしながらほとんど知識がなかったので衝撃を受けたと同時に、コロナ禍で起こった差別とのつながりを感じたそうだ。次年度の文化祭のテーマにしたいと思ったとのこと。
 2023年度、6年生の担任に決まり、ハンセン病の劇をしようと決め、”長い歴史のある問題だから絶対に台本があるだろう”と探した。県立図書館、インターネット、大型書店などで児童演劇の脚本を調べたが全く見つからない。しかたないので自分で脚本を書くことを覚悟し、ハンセン病関連の本を読んだり、映画を観たりしているところだった。ご自分で書かれた脚本も読ませていただいた。子どもが自然にこのテーマに入って行けるだろう身近な話題から始まっているのに好感が持てた。
 10月になって、子どもたちに脚本を配り練習をスタートさせて、11月25日の文化祭での発表を迎えた。
 コロナ禍で3年間以上マスクをつけていた日常生活のなかで、子どもたちの発声の力とかコミュニケーション力が相当に落ちているだろうという私の予測に反して、35分間がんばっていた。
 観ていたたくさんの保護者にも訴えかける力があったのだろう「知識もまったく無かった。親も学んでいきたい」との声が多くあったと聞く。また、実際に子どもと長島に行ったという方が数件あったとのことで、熱心な家庭があることに驚いた。

●”やりっぱなし”で終わってしまうことに罪悪感
                      邑久高校での上映会からひらめいて倉敷東小学校でも
12月8日に、岡山県立邑久高校でドキュメンタリー映画「NAGASHIMA―”かくり”の証言」(監督・宮崎賢)の上映会が開催された。
邑久高校では「地域学」の取り組みが6年前からなされていて、地域の文化、歴史、観光、産業、福祉、医療などなどのテーマに分かれて、グループごとに探求学習をしている。医療看護グループは、ハンセン病療養所が地元瀬戸内市内にあるのでハンセン病問題に取り組んでいる。このテーマで私も外部講師として最初から関わってきた。
 昨年度に引き続き、生徒たちがこの映画を観て感動し、多くの人に観てもらいたいと上映会を主催したのだった。この次第を宮崎監督がYouTube にアップした。
 それを観た美咲先生は、倉敷東小学校でもやりたいと思った。劇発表は子どもたちの心に残るものとなったが、どこかで”やりっぱなし”で終わってしまうことに違和感や罪悪感のようなものを感じていたからだという。さっそく校長に相談したところ、すぐに前向きの返事をもらい、予算も付けてもらえることになった。この校長の決断力も素晴らしい。
 そして、2024年2月7日、小学校の授業時間に上映会が開催された。観客は6年生の児童78名、そしてその保護者を限定とした上映会だった。会場は体育館でなくて、学校のすぐ近くの公民館だった。公民館とはいえ固定席の立派なホールでの上映で、少しでも良い環境で子どもたちに鑑賞させたいという先生方の配慮が感じられた。
 上映会の最後に、映画で証言していただいた長島愛生園の女性の入所者さん(86歳)から子どもたちへのメッセージの手紙のサプライズがあった。美咲先生が手紙を朗読して終わると、児童たちから大きな拍手が湧き上がった。


●矢部から美咲先生への上映会のお礼と返信
美咲 諒 様 
 美咲先生におかれましては昨日の上映会はお疲れさまでした。
 わたくし自身は、倉敷東小学校の上映会に参加の機会を得て、あのような場面に立ち会うことが出来て、たいへん嬉しく思いました。
 宮崎監督さんと、帰りの車中で以下のようなことを話しました。
 小学校の児童のみなさんに、この映画を見る機会をつくっていただいた美咲先生の行動力に感激しきりでした。この映画が小学校で上映されることなどまったく想定していなかったからです。それを後押ししてくださった校長先生にも頭が下がります。 
 2時間近い長時間のこの映画を、子どもたちが一生懸命に観ている様子も感動的でした。
単なる鑑賞会でなくて、つい最近に自分たちが演じた劇の登場人物とも重ね合わせて映画の中に入り込んでいるのだろうと想像いたします。
 劇の発表に続いての、このタイミングのよい鑑賞会は、子どもたちの心に刻印される得難い人権学習となったことと確信します。
 「勉強」ということばは、「強」いられた「勉」め、という感じがあります。そうではなくて、劇表現や映画鑑賞は、「ことば」と「身体」と「こころ」の三位一体での学びだったとの印象をもちました。卒業を前にしての、子どもたちのなかに、6年生の最後のすばらしい学びの記憶となることを信じて疑いません。 
 何人かのお母さま方も、子どもとともに学べたことを興奮気味に語っていました。子どもも親も、共に育つ共育の場になっていたことに感動します。これこそ、ほんとうの教育と言えるのではないでしょうか。 
 この度の上映会を開催していただき、映画製作実行委員会のメンバーとしても嬉しく思います。ありがとうございました。
                                                       2024.2.8.
                                                                       矢部 顕


矢部様
 お忙しい中、来ていただき本当にありがとうございました。
 身に余るお言葉をありがとうございます。
 矢部さんと母を通じて繋がることができ、矢部さんから宮﨑監督との出会いをいただきました。劇を作るという無謀な挑戦を乗り越え、映画の上映会まで辿り着けたのはひとえに矢部さんのご協力あってのことです。
 子どもたちや保護者は大きな学びを得て、ハンセン病問題や人権問題に対する種が植えられたと思います。
 そして、一番大きく学んだのは私自身です。本当にありがとうございました。
                                   2024.2.8.                                             美咲 諒

●映画を観た子どもたちの感想から
 いくつかの感想文からの抜粋。
「劇を演じてみたけれど、あらためて映画を見て、知らなかったことの多さに気が付きました」。
「かわいそうと思うのではなくて、差別や偏見があるなかで、強く生きてきた人だと
思い、すごいと思うべきだとあらためて分かりました」。
「この体験を忘れず、次の世代につなげていきたいと思いました」。
「ひとりの人間としてあきらめなかった姿をみて心にくるものがありました」。
「一番びっくりしたのは、らい予防法は憲法に違反していて、それを認めるまでの何十年もの時間、人間として扱われてこなかったということです」。
 こうやって書きだしていけばきりがないほどで、ほとんどの感想文が問題の本質を理解し、文章での表現力のレベルの高さに驚く。劇を演じたこと、そして、その後の映画鑑賞が、心の奥底に深く入っていったことがよくわかる。教科書で学ぶ知識よりも、より深く心と身体に沁みこんでいったことが伺われる。劇を発表したのちに映画を観るという順序がよかったせいで、感想文の多くが劇との関連にふれていた。劇を創り上げるプロセスが子どもたちの映画を観ることへのレディネスになったことがよくわかる感想文だった。
                                                                    (2024.2.25)


〔670〕清瀬市議・ふせ由女の「ゆめ通信」(2024年、冬・春号、38号)が発行されました。

2024年03月23日 | メール・便り・ミニコミ

 通常年4回、議会ごとに発行されている清瀬市議・ふせ由女の「ゆめ通信」が発行されました。ほぼ9年間で38号ということになりました。議会での一般質問の様子や、ある方のご子息の過労死裁判の手記など読み応えある内容です。
 本号の特筆されるべき記事は、地域で地道に繰り広げられている映画界の報告です。横浜と東村山、それぞれの粘り強い取り組みが居心地の良い時間と空間を創り出しています。是非拡大してご覧ください。

 ふせ由女を日頃から支援していただいている鎌田慧さんのコラムもじっくり読んでください。


◆カネまみれの世襲政治
    自公政権は墜落寸前=内閣は不支持率82%、自民党支持率16%
  沈思実行(184)              鎌田 慧

 この世を得体の知れないモノが蠢いている。それを感じさせられて気
分が悪い。
 日本の政治を支配しているのは「自由民主」と「公明」という名の政
党だが、すでに「自由・民主・公明」などは、退散して、抜け殻に
なってしまった集団だ。
 金権、買収、不正、歪曲でいっぱいだ。

 宗教団体(旧統一教会)から選挙での推薦状をもらっていた盛山文部
科学大臣。「憲法改悪」まで言及した「確認書」にサインまでしながら、
醜いウソ答弁ばかり。その汚れた手で裁判所へ、宗教団体の「解散命
令」請求書にサインまでしていた。

 この腹黒い政治家の名前は「正仁」。
 と、悪口をいいたくなるほど、国会議員に当選するためなら、なり振
り構わない二重人格。彼が所属する自民党は、ロッキード事件やリク
ルート事件など、カネが政治を動かす「企業献金」に縛られる政治はも
うやめよう、と決め、その代わりに「政党助成金」制度をつくった。
 ところが、いまは両手に政治献金と政党助成金を握っている。政治献
金、カネ集めのパーティー券販売。さらに、年間159億円にも達する政
党交付金(我々の税金だ)。

 そして、内閣官房機密費(9660万円)を使い放題。松野博一前官房長
官が退任する直前、4660万円を自分が管理する金庫にちゃっかり納入し
ていた。

 二階俊博・元自民党幹事長は、パーティー券の裏金で、2020年から
2022年の3年間に3500万円分も書籍を購入したという。それらは、自分
の記事が掲載された雑誌「月刊日本」3千部のほか、「月刊公論」2千
部、大下英治氏の書籍を1万2千3百部。大仲吉一氏7千部など、自分
について書かれた書籍だが、もしも選挙民に無料配布していたなら、贈
答品で買収に値する。

 いまや、内閣不支持率82%、自民党支持率16%。
 (毎日新聞、2月19日)。
 自公政権は墜落寸前。子孫のためだけの世襲政治と乱脈極まる長期政
権の末路だ。
 大企業優遇、非正規労働者いじめ、危険原発の推進。
 財界(経団連)支配の悪政を許してきたのは、残念ながら、われわれ
選挙民なのだ。        (2024年3月6日「週刊新社会」より)
             
 ◆超少子化の時代
    出生率が下がったのは、現在の生活、将来の生活が不安定だから
              鎌田 慧        沈思実行(185)

 韓国の出生率が0.72。驚くべき水準だ。世界最低水準、という。それも
8年連続で前年を下まわった。報道された数字を知って、ほとんどの
ひとが日本を対置して考えたと思う。子どもをつくらないのは、経済的
に苦しいか、「将来への漠然たる不安」があるからだ。おそらく、若もの
たちが感じる将来への不安は、日韓おなじようなものだと思う。
 というのも、わたしたち(60年安保世代)あるいは70年代全共闘世代、
いま80代、70代の周辺は、明日の生活のことを思い煩う必要はなかった。
大企業志向はなかった。就職であせるのは恥ずかしい。どこかで食べて
行ける、と言う楽観があった。
 それは高度経済成長時代にあたっていたからだ。たとえば、臨時工
(臨時職員)の本工化(社員化)運動は、高度成長期前からあった。
それは達成された。
 が、1986年に労働者派遣法が施行され、派遣事業が認められた。まも
なく工場労働者の派遣が合法化され、非正規時代となった。

 暴力団由来の「人夫出し」を合法化したのが「派遣法」だった。その
法律の下で、臨時工が大量に復活、いま「非正規」が40%、という不安定
時代を招来するようになった。
 出生率が下がったのは、現在の生活ばかりか、将来の生活が不安定だ
からだ。男女ともに職場が安定せず、賃金が上がることなく、いつ解雇
されるか判らない。そんな身分不安定な状態では結婚できず、結婚した
にしても、子供を産んで育てられる状況にはない。それが現実なのだ。
 晩婚化、非婚化は本人の好みや流行ではない。それでいて、大企業は、
未曾有の内部留保を抱えてウケに入っている。
 韓国では、今年1年生の入学者がいない小学校が、全国で150校になる、
という。ソウルにある大企業への就職にむけて、子供の頃から競争が
激しい。生き残るためだ。日本でも塾に通い、公立の学校から私立
有名校にむかう競争が激しくなっている。
 それらはけっして豊かさのあらわれではない。「出世」でしか、
生き残れない社会は、貧しさの現れである。
        (2024年3月13日「週刊新社会」より)