最近、新聞自身が当事者となる重要な記事が紙面を飾りました。1つは読売新聞による公務員への取材について取材源秘匿が認められなかった問題、もう1つは公正取引委員会による新聞価格の「特殊指定」の見直し検討です。
今回の東京地裁の決定は、事実上、公式発表以外に公務員が「情報を漏洩」することはまかりならん、とするものです。これが判例として定着するなら、公式発表以外に公権の行使をチェックする手法はなくなり、独善的な「知らしむべからず」の裁量範囲が次々に広がっていくことになります。
新聞を通じて行政をチェックするのは国民の権利である、と大上段に構えるまでもなく、この東京地裁決定が悪用されるなら、これを盾にとって、公務員の汚職や公立病院での診療ミスなどの情報が隠蔽されてしまう危険を孕んでいます。当然、東京地裁の判断は誤りであり、新聞は決定に対して反対を貫くべきです。
ところが、これと時期を同じくして蒸し返された「特殊指定」解除の問題とは何でしょうか。新聞は値引きなしで売ることを認められた特殊商品です。正確には、値引きをする小売店に対して新聞社が圧力を掛け、商品の供給を停止できる例外的な権限を持っています。一般の商品でこんなことをやれば、公正取引委員会により指導を受けるのです。
新聞社の利益はこの「特殊指定」により手厚く保護されています。大新聞は広告収入だけでも経費をほぼ賄えるなどと言われており、潤沢な利益は都市の一等地に威容を誇る本社ビルや、トップクラスのプロ野球球団およびサッカーチーム経営を見ても明らかです。
新規参入業者はほとんどなく、購読者数もこの数年は安定しており、昔のような豪華景品によるシェア争いもなく、不況の影響も他の産業に比べれば軽微でした。大新聞のリストラなんて聞いたことがないでしょう?この辺は、やはり寡占状態が続く放送業界に近いものがあります。
「特殊指定」というぬるま湯に浸かった大新聞の論調はどうしても権力に近いものになり、自らは安定した境遇にいて、社説では「小泉改革」のシナリオ通り一般企業や銀行、役所、公共団体の厳しいリストラに諸手を挙げて賛成するという有様。権益を貪りつつ安全な処から弱きを挫くのがジャーナリズムでしょうか?
最近は一時の反動なのか、無理なリストラに批判的な記事も多くなりましたが、かつては銀行員や公務員をとにかく減らせ、待遇も良すぎるから賃金をカットしてサービスは上げろ、大学は競争原理を導入して経費を節約しつつ世界的な成果を、という無茶なことを言っていました。無駄な管理職を減らすならともかく、現場のリストラで組織が強くなることなんてありませんよ。
大いに疑問だったのは、有効なデータがほとんど示されていなかったこと。正規雇用の公務員全体と、若年層や契約社員が多い一般企業勤務者の全体を比べたところで、簡単に「公務員の給料が高すぎる」とは言えません。それより、例えば大卒公務員と新聞記者の賃金を比較した記事がありましたか?一般企業と新聞社の倒産数比較やリストラ規模は?
新聞社員の待遇など、記事として出せるわけがありませんね。今や、新聞は役所以上に保護された産業なのですから。
一律の宅配のために安定した収入が必要というのは一理あります。しかし、それなら僻地の宅配のために新聞社が協同で配達人を雇うとか、自治体が補助金を出すといった選択もあるのではないですか。巨大な本社ビルを所有したり、たいして働きもしなかった(名古屋のファンの間では「戦犯」と呼ばれている)ピッチャーに2億円を越える年棒を支払っているのは?
経営の合理化もせずに「特殊指定」という権益にしがみ付く様は、新聞が散々叩いてきた公務員や関係者の既得権確保とどこが違うのでしょう?もっとスリムになって購読者に利益を還元する新聞があってもいいじゃないですか。「宅配なしでもウチは読者を確保できる」という新聞があってもいいじゃないですか。
私は、このような飼い慣らされた大新聞が、本当に取材源秘匿の権利を勝ち取るまで戦い抜く意欲を持っているのか甚だ疑問です。政府の側としても、「大新聞組みしやすし」と読んだ上で揺さぶりを掛けてきたのだと思います。
上からの揺さぶりに加えて、新聞の足元をフリーペーパーが崩しつつあるという都合の悪い変化もあります。新聞を定期購読する理由の1つは、折り込みチラシです。当地では大半の家庭が中日新聞を購読しており、他の新聞はまず相手にしてもらえません。最大の理由は、「中日でないとチラシが入らないから」です。
これに対し、紙面全部がほとんど広告のようなフリーペーパーが支持を得て、部数を増やしています。チラシはないですが、若い人向け、主婦向け、子供のある家庭向け、熟年向けに多種類のフリーペーパーがあり、新聞チラシのビジュアルにはかなわないものの、情報量が豊富でしかも的を絞った広告を見ることができます。
これは取りも直さず広告主が新聞チラシからフリーペーパーにシフトしているということであり、特に新聞小売店の経営を揺るがす要因になっています。このような危機感もあって、新聞社は定期購読を死守したいのです。これを政府に見透かされると、譲ってはいけないところで譲歩してしまうような悪い予感もあります。
ジャーナリズムの根幹を守るためにも、新聞の経営はもう少し軽量化するべきではないでしょうか。少なくとも当地の大新聞は、肥大化して動きが取りにくくなっているように見えます。
今回の東京地裁の決定は、事実上、公式発表以外に公務員が「情報を漏洩」することはまかりならん、とするものです。これが判例として定着するなら、公式発表以外に公権の行使をチェックする手法はなくなり、独善的な「知らしむべからず」の裁量範囲が次々に広がっていくことになります。
新聞を通じて行政をチェックするのは国民の権利である、と大上段に構えるまでもなく、この東京地裁決定が悪用されるなら、これを盾にとって、公務員の汚職や公立病院での診療ミスなどの情報が隠蔽されてしまう危険を孕んでいます。当然、東京地裁の判断は誤りであり、新聞は決定に対して反対を貫くべきです。
ところが、これと時期を同じくして蒸し返された「特殊指定」解除の問題とは何でしょうか。新聞は値引きなしで売ることを認められた特殊商品です。正確には、値引きをする小売店に対して新聞社が圧力を掛け、商品の供給を停止できる例外的な権限を持っています。一般の商品でこんなことをやれば、公正取引委員会により指導を受けるのです。
新聞社の利益はこの「特殊指定」により手厚く保護されています。大新聞は広告収入だけでも経費をほぼ賄えるなどと言われており、潤沢な利益は都市の一等地に威容を誇る本社ビルや、トップクラスのプロ野球球団およびサッカーチーム経営を見ても明らかです。
新規参入業者はほとんどなく、購読者数もこの数年は安定しており、昔のような豪華景品によるシェア争いもなく、不況の影響も他の産業に比べれば軽微でした。大新聞のリストラなんて聞いたことがないでしょう?この辺は、やはり寡占状態が続く放送業界に近いものがあります。
「特殊指定」というぬるま湯に浸かった大新聞の論調はどうしても権力に近いものになり、自らは安定した境遇にいて、社説では「小泉改革」のシナリオ通り一般企業や銀行、役所、公共団体の厳しいリストラに諸手を挙げて賛成するという有様。権益を貪りつつ安全な処から弱きを挫くのがジャーナリズムでしょうか?
最近は一時の反動なのか、無理なリストラに批判的な記事も多くなりましたが、かつては銀行員や公務員をとにかく減らせ、待遇も良すぎるから賃金をカットしてサービスは上げろ、大学は競争原理を導入して経費を節約しつつ世界的な成果を、という無茶なことを言っていました。無駄な管理職を減らすならともかく、現場のリストラで組織が強くなることなんてありませんよ。
大いに疑問だったのは、有効なデータがほとんど示されていなかったこと。正規雇用の公務員全体と、若年層や契約社員が多い一般企業勤務者の全体を比べたところで、簡単に「公務員の給料が高すぎる」とは言えません。それより、例えば大卒公務員と新聞記者の賃金を比較した記事がありましたか?一般企業と新聞社の倒産数比較やリストラ規模は?
新聞社員の待遇など、記事として出せるわけがありませんね。今や、新聞は役所以上に保護された産業なのですから。
一律の宅配のために安定した収入が必要というのは一理あります。しかし、それなら僻地の宅配のために新聞社が協同で配達人を雇うとか、自治体が補助金を出すといった選択もあるのではないですか。巨大な本社ビルを所有したり、たいして働きもしなかった(名古屋のファンの間では「戦犯」と呼ばれている)ピッチャーに2億円を越える年棒を支払っているのは?
経営の合理化もせずに「特殊指定」という権益にしがみ付く様は、新聞が散々叩いてきた公務員や関係者の既得権確保とどこが違うのでしょう?もっとスリムになって購読者に利益を還元する新聞があってもいいじゃないですか。「宅配なしでもウチは読者を確保できる」という新聞があってもいいじゃないですか。
私は、このような飼い慣らされた大新聞が、本当に取材源秘匿の権利を勝ち取るまで戦い抜く意欲を持っているのか甚だ疑問です。政府の側としても、「大新聞組みしやすし」と読んだ上で揺さぶりを掛けてきたのだと思います。
上からの揺さぶりに加えて、新聞の足元をフリーペーパーが崩しつつあるという都合の悪い変化もあります。新聞を定期購読する理由の1つは、折り込みチラシです。当地では大半の家庭が中日新聞を購読しており、他の新聞はまず相手にしてもらえません。最大の理由は、「中日でないとチラシが入らないから」です。
これに対し、紙面全部がほとんど広告のようなフリーペーパーが支持を得て、部数を増やしています。チラシはないですが、若い人向け、主婦向け、子供のある家庭向け、熟年向けに多種類のフリーペーパーがあり、新聞チラシのビジュアルにはかなわないものの、情報量が豊富でしかも的を絞った広告を見ることができます。
これは取りも直さず広告主が新聞チラシからフリーペーパーにシフトしているということであり、特に新聞小売店の経営を揺るがす要因になっています。このような危機感もあって、新聞社は定期購読を死守したいのです。これを政府に見透かされると、譲ってはいけないところで譲歩してしまうような悪い予感もあります。
ジャーナリズムの根幹を守るためにも、新聞の経営はもう少し軽量化するべきではないでしょうか。少なくとも当地の大新聞は、肥大化して動きが取りにくくなっているように見えます。