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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん 「サワコの朝 草笛光子さん」 “現役で活躍し続けるために”

2015-07-18 08:15:16 | 生き方/考え方
1933年生まれ、250本異常 芸能生活65年、歌って踊れる女優の草分け。
24歳「光子の窓」 ミュージカル舞台の女優 「シカゴ」も初めて演じた。
2年前に80歳の華麗なダンスを舞台で演じた。這ってでも舞台にでないといけないので。1に筋肉、2に筋肉、3、4がなくて5が筋肉。
お母さん亡くられて3年。お母さんがマネージャーを務めた。毎晩、お母さんに話しかけている。
まだ発展途上国の女優。よい女優にならないとお母さんのところに行けない。私はまだ行かないからと伝えている。

チィコフスキー「交響曲6番 悲愴」  恋の辛さを慰めてくれた。待っている時に何度も聞いた。
芥川也寸志に2年待ってくれと言われた。2年待って結婚したが、1年9か月で離婚した。
結婚したら辞めようと思って言った、辞めないで欲しいと。女優の草笛光子と二人で歩いているのがよいと。

人見知りだった。松竹歌劇団を出る時は1番だった。1番になろうと思った。負けん気に火がついた。ある有名な画家のお嬢さんが代表して読んでいた。皆さんなにかツテがあって入った。出る時はクラス代表で読もうと。横浜から銀座に毎日通った。電車の中では立って、つり革を掴まなかった。

SKD入団直後からラジオ出演。NHKの資料室に譜面があって、レコードを聞いた。物語を想像していた。そうしてだんだんミュージカルをイメージしていた。それから米国の本物を見て、これなんだと興奮したそれからブロードウエィに毎年通うようになった。それまで日本にはミュージカルがなかった。

番組のオープニングは「光子の窓」に似ている。歌ったり、生放送。コント、歌う。ゲストが突然来るとのメモが突然入る。その人をよく知らないのでどう対応してよいか大変だった。
死ぬとき辛いのはは、私にはブレイクしたことがない。そういう貯金がなく。淡々と長くやってきたな。自分でこの仕事で思い出は?いろいろなことに参加させて貰った。

「ラ・マンチャの男」35年も続いている金字塔。日本に持ち込んだのが草笛さんだった。ブロードウエィでこれを見て、すごいと思った。その番組を取って来て欲しいとお願いしたら、その女優をやるかと脅された。姫とあばずれの両極端の役と歌を歌わなければならなかった。

トレーナーを自宅に呼んで鍛えている。「6週間のダンスレッスン」出演者が2人だけ。ワルツ、タンゴなど6つのダンスを披露。
一度つまづいたら大変なので、常に気を付けている。毎日しないと衰える。八重の桜のナレーションと舞台していた。腕が上がらなくなった。ある医者は手術、別の医者は手術しない方法を。それから毎日さらに鍛えた。だから普段から鍛えている。

チャップリン「スマイル モダンタイムより」 切なくてよい。今や懐かしい。歳は面白い。歳とるとやりたいことがふつふつと出てくる。オリンピック86歳、聖火を持って走りたい。

感想;
見えない所で努力をなさって来られた方だと言うことが良く伝わって来ました。
ブレークしたことがないとのことを気がかりにされていましたが、これほどの大物女優さんでもそう思われているのですね。
ふと自分にブレークがあったのかどうか、考えてしまいました。ブレークがなく60歳を過ぎましたが、ここまで生きて来られたことがありがたいです。少しでもお返しができたらと、少しずつ試行錯誤しています。

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