幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

【紅麹サプリ事件】小林製薬元社員が激白「社長と役員が機能していなかった」 ”問題起こす企業は人を大切していない”

2024-04-15 08:33:33 | 小林製薬紅麹

 ’13年に42歳という若さで6代目社長についた章浩氏。古参幹部からは″お坊ちゃま扱い″されるなど、存在感を示せずにいるという
「問題が発生したときも、驚きはありませんでした。それくらい社内の労働環境はひどいものでしたから」 
 今年3月まで小林製薬に勤務していた元社員のAさんは嘆息を漏らした。 同社が販売した『紅麹(べにこうじ)コレステヘルプ』などのサプリを巡る健康被害に歯止めがかからない。4月8日時点で死者数は5人、入院者数は216人に上る。
 Aさんは紅麹サプリに直接関わったわけではないが、その社内事情には悩まされていた。 「部署を問わずアイディア出しがあり、毎月1万本以上の企画が集まるんですが、採案会議では、役員と違う意見があれば怒鳴り散らされます。役員が参加者全員の前で社員に声を荒らげるなんて当たり前。
 でも、止める人はいません」 パワハラ紛(まが)いの役員の態度について、見かねたAさんの同僚が昨年、直接、小林章浩社長(52)に改善を訴えたというが状況は変わらなかった。人事部に相談しても同じだったという。Aさんが続ける。 「社内の異動があまりに頻繁で、私が関わる十数人のチームでは、去年だけでメンバーや上司が数ヵ月に一回の頻度で変わりました。さらに、私の知る限り引き継ぎの文化が確立されていません。後任には残ったメンバーで教えるのですが、どうしても専門的な情報まではフォローしきれない。
 今回の事件は、そういったことが積み重なって起きたんだと思います。本来はこういうことがないように社内環境を整えなければならないはずの社長や役員が、機能していないんです」 このような閉鎖的な社内環境を生んだ一因とされるのが創業家一族のワンマン経営だ。なかでも現在の6代目社長・章浩氏の父で、代表取締役会長を務める小林一雅氏(84)は″小林製薬の天皇″と言われており、’76年に4代目社長に就任して以来、48年にわたり代表権を保持し、トップに君臨し続けている。 

 そんな旧態依然とした社内環境に拍車をかけたのが人材の流出だ。 「以前は一雅会長に対しても″物言える社員″がいました。とくに文系出身の会長が『知識に乏しい』と語る医療機器分野は、専門知識を持つ社員の声をよく聞いていました。しかし’12年に子会社の医療機器メーカー・小林メディカルを売却して以降、関連会社の整理などを進め’15年には医療機器事業から完全撤退した。そのなかで優秀な社員が続々と去ってしまい、独裁がさらに強まっていきました」(別の小林製薬元社員) 経営陣の独善的なふるまいや、場当たり的な引き継ぎなど労働環境に問題があったことは事実なのか。小林製薬に質問状を送ったところ、「紅麹関連製品の回収および体調不良を感じておられるお客様のお問い合わせへの対応等に全力を上げて取り組んでおり、回答を差し控えさせていただきます」と返答があった。 歪(いびつ)な企業体質が生んだ不祥事なのだとしたら、けっして許されるものではない。 『FRIDAY』2024年4月26日号より

感想
 企業は人とはよく言われていますが、まさにその通りだという事例が小林製薬の紅麹サプリメントの健康被害のようです。
 小林化工の健康被害もそうですが、人が育っていないのでしょう。というより、知識を持って考えている人が退職してしまったようです。あるいは人件費を減らすために人を育てる経営をしていなかったように思われます。

 怒る上司がいますが、怒るしか能がないのでしょう。
きちんとマネジメントできないので、怒ることで人を動かそうとするマネジメントをしています。自分自身に知識も、経営を学ぶこともしていないのかもしれません。

 今回の事件、あまりにも品質保証、安全管理、経営陣に能力不足を感じました。
それはすなわち経営陣のマネジメントに問題があるのだと思います。


ダウン症の書家・金澤翔子さんと母・泰子さんの書と文を読んで気づいたこと/教えられたこと

2024-04-15 01:11:44 | 本の紹介
『愛の物語』
『愛の方程式』
『ダウン症の書家・金澤翔子最新作品集』
『金澤翔子伝説のダウン症の書家』
『お母様大好き』
『心は天につながっている』

「愛の物語」金澤翔子書/金澤泰子文
・国連本部で、『世界ダウン症の日』に日本代表としてスピーチをした。アメリカ、中国、カナダ、日本の四か国の代表者が登壇し、テーマは家庭の支援と自立についてであった。言語障害の強い翔子には無理だろうという意見もあったけれど、私は引き受けた。翔子はせっぱ詰まればどんなことも見事にこなしてきたじゃないか、と自分を励ましての結論であった。

・世界一悲しかった母親が遂に娘に向かって、「世界一幸せ」と言えたのですから、私はしみじみと思います。「人生は何が待ち受けているか解らない。生きてさえいれば絶望は無い」と。
 そして今年三十歳になった翔子は、六年来の夢、「一人暮らし」を始めました。

・信じるとき、いのちは輝く

「愛の方程式」金澤翔子書/金澤泰子文
・言葉に宿るいのちの輝き

・E=mc2  
 膨大な幸運のエネルギー=翔子のあの膨大な愛×光速の二乗

「ダウン症の書家・金澤翔子最新作品集 翔子の書」金澤翔子書/金澤泰子文
・俗世に欲望のない無心な翔子の心には、「人に喜んでもらいたい」という愛だけが満ちています。その思いはとても優しく穏やか。

・打ちひしがれる私を見かねて、友人が「その苦しみに耐えうる人に、神様は障害児を授けるんですって」と慰めてくれた。その優しい言葉はありがたかったけれど、障害児を生んだということに耐えられる母親なんていやしないと悲痛に思った。
 私は家族が悲しむ姿をみて、責任の重さに耐えかね、ノイローゼ気味の中で、この子を始末しなければと、思い込んだ。・・・
 消極的方法の一つにミルクを薄めて衰弱死を・・・などと愚かなことまで考えた。まだ小さい(六か月に満たない)翔子を胸に抱いて薄いミルクをあげると、翔子が小さなお手々を差し伸べて私の頬を支えた。泣きながら抱いている私の涙をぬぐった。そしてこの愚かな母親に微笑み続けてくれた。

・ある小さなお茶会に呼ばれた。そのとき翔子が書いた「法華」という字を葉書にしたものを持っていった。そこに偶然建長寺の管長さんがお見えになり、「これは誰の字だ」とお聞きになった。そこから建長寺で個展をやることになったのだ。

・翔子が大怪我をした。足首の複雑骨折で、四時間に及ぶ手術であった。激痛の恐怖の中で翔子は何かを見て、苦しみを通して違う地平に出たようだ。術後の翔子の目は深く静かで、その遠い視線は私を驚かせた。そして見守る者に「祈って」と言い続けた。祈ってもらうとほんとうに痛みが取れた。ほんとうに・・・。「祈り」の力を信じた翔子を見て、私は「祈る」という言葉の真の意味・真言を知った。真言にはエネルギーがある。言霊とは、きっとこういうことなのだ。

・「心がすべてを決める」。これは、法華経を凝縮した、唯心偈(百字心経)の中の文言。この心の在り様を、いつも翔子に教えられる。

「金澤翔子 伝説のダウン症の書家」金澤翔子書/金澤泰子文
・「無心」の心には無尽蔵に恵みが降りてくるものだ。

・「忘却」が人間に与えられた最大の能力だそうだ。翔子はこの才能に恵まれた。

・(目に見えない)エネルギーに感応するには我欲がなく、他の人の幸せを乞い願う、美しい心でなければならない。
 美しい心がどれほどの力を持つのか翔子に教えられる。

「お母様 大好き」金澤翔子著
・お母様、大好き
 愛しています。
 お母様が好きだから、お母様のところに生まれてきたの。
 お母様が笑うと、みんなもにこにこする。
 30歳になったら、私、
 ディズニーランドの裏で一人暮らしをするけれど、
 お母様、毎日遊びに来てください。
 ずっと書きます。
 神さまがお力を貸してくださいます。
 お母様と一緒に。
 お父様一緒に。

・翔子の魂は、この世の根源的な唯一のエネルギー「愛」と一体化しているに違いありません。
なぜならば、翔子はいつも不安のない至福の境地にいるのだから・・・。

・親子で新幹線によく乗る。グリーン車のチケットを買っても、翔子は「自由席がいい」言い張る。自由席の自由とフリーダムの自由を取り違えている。

・翔子の父、私の夫は52歳のとき心臓発作で亡くなった。翔子は14歳だった。

・父がいないことが寂しくないかと聞かれると「お父様は天国から全部見ているから大丈夫」と答える翔子さん。

「心は天につながっている ダウン症の書家、愛と雪の贈りもの」金澤翔子書/金澤泰子文
・皆を救った言葉
 ある席上揮毫で、翔子の筆が静かに進み、満員の会場が深く静まった。その静けさをひき裂くように突然、一人の男の子が会場に鳴り響いた。五歳くらいのダウン症の子が「わー、おー」と叫び始めたのだ。
 この声に会場は緊迫した。彼の声は止まない。どうしたらいいのか・・・誰も心を痛めている。翔子が集中できないのではないかと。人々の不安な気持ちが痛いほど感じられる。
 困り果てていると、翔子が書いている筆を止めて、その子に向かって「応援、ありがとう!」と大きな声ではっきりと言った。緊迫していた会場がこの一言で、ホッと柔らかになった。
 皆が救われた。あの時、あの状況でこれ以上適切な言葉はなかったろう。天から降りてきたような一言であった。書を書き終えても拍手は鳴り止まらなかった。

・翔子誕生から三十年、ひたすら祈ってきた。
 祈ることが私の仕事であった。

・大仏様はお父様
 翔子が十四歳の冬の朝、父親が突然に心臓発作で倒れ、亡くなってしまった。その直後に行った修学旅行で、翔子は奈良の東大寺の大仏様を見て、父親だと思い込んだ。頬がふっくらした父親と大仏様はどことなく似ている。
 それから数年後。「お父様の前で書きたいな」と翔子がぽつんと言った。翔子は大仏様の前で書いてみたいのだと、私は驚きとともに理解した。
 「いつか書こうね」と答えてみたものの、東大寺の大仏様の前での席上揮毫なんて絶対に不可能だ、と私は思っていた。しかしその後、大きなご縁を得て東大寺で個展が開かれ、念願の「お父様の前で書きたい」という思いが叶った。
 叶う筈のない想いが実現し、大仏様の前で揮毫する翔子に眩しいほどの陽光が差した。

・あれこれ悩んでいると、翔子が「神様が全部決めるよ」と言う。確かに神様の決める運命に逆らえない時がある。永い間、感謝の祈りを続けていたある日、神様が私に教えてくれた。「欲望で未来を予測してはいけない、誓いを立ててもいけない。今だけ(而今/じこん)に全霊を注いで生きるのだよ」
 そして、「終わったことはそれでよかったのだから、悔やんだりすることはない。思い煩わなければ、その時に最大の能力が出るのだよ」とも教えてくれた。
 このように而今に生きれば無心になれるのでしょう。翔子のように無心で神様にすべてを任せ、何にも囚われなければ、不安や憂いがない。
 而今に生きると時空がいつも自分と併行に進み、その時、100パーセントの大きな力が発揮される。翔子が而今のことを教えてくれた。

・自立する翔子
「三十歳になったら、一人で暮らします」
 六年前からの翔子の公約。知的障害者ゆえに翔子の自立に向けて二人で厳しく生きてきた。三十歳を迎え、いよいよ一人暮らしの開始。胸躍らせての部屋探し。しかしどこへ行っても「障害者に部屋を貸すことは難しい」と言われた。この事実に私は青ざめた。
 私は愚かであった。翔子が障害者だという重大な事実をすっかり忘れていた。

・大丈夫
 翔子が「悲しい日記本です」と言って、講演会場で本の販売をしていた。この本はダウン症と告知された日から苦しさのあまり綴り始めた私の日記です。
 「なぜ悲しい本なの?」と聞くと、「お母様は私が生まれて一緒に死のうとしたでしょう。私は、私の赤ちゃんと死のうとは思わない、生きる!」と言った。
 ああ・・・難しい本は読めないと思っていたのに、密かに読んでいたのだ。翔子は今まで言わなかったけれど、出生後の愚かな母の思いの秘密を知ってしまったのだ。
 でも、この抽象的な本を読んでいたなんて嬉しい、。知性は低いと諦めていたのに、大丈夫だ。この世に絶望なんてない。ダウン症児のお母さんたちへ、また嬉しいお知らせができる。


感想
 本を読んだ感想は、金澤翔子さんは”純粋”、仏教でいう”三毒「
貪瞋痴(とんじんち)」”を持っていないというか、”悟りの境地”に達しておられるのではと思いました。
 無欲、他の人の幸せを願う。
 多くのことを教えていただいたように思います。
書にも、その言葉の意味が表現されているように思います。

いろいろな浮世をうまくやらなければいけないと思う心に雑念が生じているのかもしれません。

 ダウン症の子ども、自閉症の子どもたちと接する機会はほとんどありません。
私が初めて接したのは、入院児と遊ぶボランティアをして、入院しているダウン症や自閉症の子どもと遊んだのが初めてでした。
 ドキュメントでダウン症の子の就労を取り上げていました。
パン作りをしていました。
記者が「美味しいパンを作る秘訣は?」と尋ねました。
ダウン症の女の子は「愛を込めるの」と答えました。
その言葉は真髄だと思いました。

 それと教育/学び、訓練/練習は改めて大きいなと思いました。
自分で自分のことをされています。
 できないと諦めるのではなく、そのために時間をかけることなのでしょう。
できないのは、そのために時間とお金を使ってこなかっただけのように思います。
 何に大切な時間とお金を使うかなのでしょう。
その人が時間とお金を何に使っているかを見れが、その人が分かると言います。

 それとチャレンジすること。自分でガラスの天井を設けないこと。
恥をかいてもよいと。
 歳をとるということは、新しいことにチャレンジすることが出来なくなっていくことなのでしょう。