江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

北海道立野幌高校

2012年10月17日 | 歴史・文化

 昭和41年の北海道女子短期大学(現北翔大学・北翔大学短期大学部)の開学時、この地区には酪農学園関係の教育機関の他、23年12月開校の道立野幌高校がありました。

 北海道立野幌高校は、道立で唯一の季節定時制(昼間)農業高校であり、農村の勤労青年男女が労働を通じて教養と知識を習得し、将来の農業自営者の養成を図ろうというものでした。
 校舎および寮は、16年開設の庁立修練同上の建物を使用しての発足となりました。

 野幌高校の特長である季節制定時制につき、30年代後半の卒業生の一人五十嵐忠男は、次のとおり語っています。
『冬の間だけ行って、夏は休み。まぁ、春は5月20日ころまで行って、秋は10月初めからはじまるわけだ。夏も何回かは学校に出るけど、だいたい親の家で働いた。そのかわり、ホームプロジェクトといって水稲なら水稲の研究を自分の家でやるわけさ。それぞれがテーマを持って研究して、それを先生が巡回して見に来る。ちゃんとやってるかって。宿題帳みたいな、プロジェクトブックというのがあって、ちゃんと記帳しているかを点検する。』
 既に足音の聞こえていた農基法農政の経営の近代化、機械化などを見据えた実学実地学習が、同校の面目でした。

(中略)

 その後、町は時を移さず同校の学校用地8,100坪(西野幌6番地)の寄附を決めるとともに、当面の校舎兼寄宿舎として第三小学校の教室の一部をも寄附、冬期の授業を開始できるよう配慮しました。
 この学校用地の寄附は、それまでの位置が通学、通勤などに不便であったため、国道沿いに移転することを前提としたものでした。

 こうした町の迅速な対応が功を奏しました。
 『建設位置について学校側と道教委と見解の相違を生じ決定するまでの経緯には厳しいものがあった。幸い土地は江別市が無償提供を決定していたので、結果的には学校の既定方針に落ち着く』(野幌高校創立30周年誌)

 その後、同校は幾度かの曲折を辿るのですが、50年3月定時制課程農業科、を閉科、完全な全日制普通科高校へと生まれ変わり、やがて53年12月、現在の杜の台団地の北へ校舎を新築、移転するまで、文教地区の一画に特異な存在として位置しつづけたのでした。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」305-306頁.
写真: 季節定時制農業高校として道内唯一の野幌高校(当時写真)
 同上書305頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする