真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「淫暴の夜 繰り返す正夢」(2016/制作:VOID FILMS/提供:オーピー映画/脚本・監督:山内大輔/特殊メイク・造形:土肥良成/撮影監督:田宮健彦/録音:大塚学/編集:山内大輔/音楽・効果:Project T&K・AKASAKA音効/助監督:江尻大/特殊メイク・造形助手:大森淳史・鈴木雪香、他/美術:堀千夏/撮影助手:高嶋正人/演出部応援:西山太郎/制作:沼元善紀・木村政人/スチール:本田あきら/エキストラ:羽野実・羽野軍団/協力:株式会社TRIDOM・はきだめ造形・スナックちばる・日活スタジオセンター/仕上げ:東映ラボ・テック《株》/出演:朝倉ことみ・涼川絢音・川瀬陽太・里見瑤子・黒木歩・竹本泰志・岡田智宏・山本宗介・太三・マサトキムラ)。
 最初に片付けておくと、タイトルが入るのはエンド・クレジット、まづは山内大輔、朝倉ことみ・涼川絢音と来て、川瀬陽太の直後にタイトル・イン。その位置で狙ひ澄ますのであれば、幾らピンク映画に於ける女優部とはいへ、涼川絢音のビリングがひとつ高いやうな違和感を覚えた。タイトル明けの改めて頭の方が、寧ろか余程しつくり来るやうな気がする。
 吉川(川瀬)が毎晩見る夢の体裁で、三ヶ月弱前封切られた前作「性辱の朝 止まらない淫夢」のハイライト。吉川が海岸でプロポーズした妻・ユリ子(朝倉)の右肩甲骨下には、幼少時に大手術を受けたとかいふ大きな傷跡があつた。二人で映画を観に行つた上野特選劇場、眼前で背広姿の斬殺魔(太三)に殺されるユリ子を、吉川は救ふことが出来なかつた。ところで太三の登場は、その件のバンクのみ。
 劇中現在時制に着地、表で茶を挽く連れ出しスナックのママ・フジコ(里見)に、左足を曳き摺る吉川が捕まる。客(マサトキムラ)と一戦終へた、左肩甲骨下に大きな傷跡のある鈴木美月(朝倉ことみの二役、といふか今作では美月が一役目)が店に顔を出すも、既に吉川は酔ひ潰れてゐた、フジコはその日はもう観念して店を閉める。美月が一緒に暮らす両親は・・・・といふか直截にいふと、“何だこれ”。辛うじて男女の顔らしきパーツが認められもするものの、北部九州の旗艦館・有楽映画劇場の、暗い画面に結構致命的な弱さを露呈するプロジェク太による映写に良くも悪くも足を引かれ、何がどうなつてゐるのか殆ど判らない。とりあへず大人二人分は確かにありさうな、苦し気にウーウー唸つてもぞもぞ動く巨大な肉塊が、美月の両親。血にしては薄い、赤い液体が水槽の中でコポコポいつてゐる装置が両親には繋がれてゐた。
 配役残り岡田智宏は、美月が昼間は看護婦として働く「さとう形成クリニック」の院長・佐藤。両親の生命維持装置に金のかゝる美月は佐藤の愛人も務め、佐藤はおがくずの代りに短冊状に裁断した新聞紙を詰めた飼育ケースで、謎の小動物を育ててゐた。涼川絢音は佐藤の妻・ミカヨ、切断された左耳の治療にさとう形成クリニックを訪れたのが、二人のミーツ。竹本泰志は大蔵信販から美月の債務を譲り受けた、「高橋エンタープライズ」社長の高橋。吉川の高校サッカー部後輩でもあり、ドロップアウトした吉川に借金取り立ての仕事を与へる。山本宗介は、仮称高橋組推定若頭の真木。まさかで里見瑤子が脱がず、この人が三番手の黒木歩は、高橋の情婦・ユカリ、ヤク中。エキストラ勢は、サタンの足の爪ばりの扮装で里見瑤子がキレッキレに弾け倒す、SMクラブの客くらゐしか見当たらない。
 前述した「性辱の朝 止まらない淫夢」と前後篇二部作を成す、山内大輔2016年第二作。剥き出されたバイオレンスとバッド・テイストとが狂ひ咲く、山内大輔の伊達でないスーパーダーク路線が裸映画的には甚だ実用性が低いのは、通常運行とここではさて措く。伝統的な大蔵映画らしさとの親和齟齬に関しても、オーピーに一社気を吐いて貰はぬことには始まらない、この期にどうかういふ議論でもなからう。いや別に、今年は精一杯の健闘を見せるエクセスや、完全に死に体の新東宝にも、大復活して呉れるならば勿論全然超歓迎だけれど。
 話を戻して、止まらない悪夢を断ち切る極大の意思とアクションを見事に撃ち抜きつつ、風呂敷は勝手放題に広げたまゝ散らかしぱなしの「性辱の朝」を経ての、「淫暴の夜」。吉川が死別したユリ子と再び巡り会つては、又しても切り裂かれる。悪夢が混沌と連鎖する前作から半ば自動的に誘導され得よう、先入観的なパラレル―佐藤夫妻の馴初めで、揺らぎかけなくもない―が無理も二世代繋げると逆に呑み易くもなるのが不思議な大技中の荒業で崩壊、二作が連続したひとつの世界に統合される件の強度が、何はともあれ圧倒的。凄い映画を俺は観たと、小屋の椅子の上で引つ繰り返つた。一度は文字通り分ち離された姉妹が、再びひとつになる比類ないエモーションも素晴らしい。山本宗介が忠誠心と戦闘力の高さとを静かに漲らせる顛末の着地点は、それはそれで仕方がない。ところがさうなると最終的に、公開題に即してゐるともいへ、エンドレスなラストはそんなにこの物語を完結させたくなくてさせたくなくて仕方がないのかと、蛇の足感も否めない。とまれ総合的には微妙に兎も角、二作共々一撃の威力は圧巻。次作ではシリアスな無言劇に挑む山内大輔が、一転2017年はライト路線を快走してゐる風―後付:さうでも、ないみたい―で、それもまた凄く楽しみ。誰それの新作―もしくは、未見の旧作―なり何それの映画を早く観たいといふときめきが、ある意味愉楽の最たるものであつてもみたり。


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