世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

瞑想道

2017年11月26日 | 100の力
武道はすべて道なり。

英語では、

martial artというように、アート(芸術)なのだ。


柔道、剣道、合気道、空手道、弓道

それに、茶道、華道も道を究めることにある。


禅道というものもあり、

禅の修行を意味する。

禅そのものが、宗教ではなく、修行といわれる所以である。


ならば

「瞑想道」なるものもあって然るべきだろう。

その意味からすれば、

瞑想もまた、修行であると言える。


道は路であり、未知を知り、満ちに至る。

そして、道(どう)は動きを伴い、波動を起こし、感動を呼び起こす。

それを人に施すとき、

共振(震)で始まり、共感、共鳴、共有、共同、共進となり、感動で終わる。

その道を極めるために瞑想をする。


瞑想道とは、

癒しに至る道であり、

人としての道(人道)につながる。


癒しとは、

思いやりと言い換えてもいいだろう。

人の痛みが分かり、

人の苦しみに寄り添うこと。


それは、労りであり、優しさとして現れる。


そして、

人の喜びを自らの喜びとし、

人の幸せを心から祝福することができるとき、

人としての道へと導かれる。


人はすべからく幸せになるために生きている。

そして、それゆえに道を誤ることがある。


自らの幸せを求めるあまり、

人を傷つけ、不幸にする。


それでは本末転倒である。


人の道としてのの王道は、

You firstの精神にある。


欲しければ与えなさい。

愛されたければ愛しなさい。

儲けたければ儲けさせなさい。

喜びたければ、喜ばせなさい、

幸せになりたければ、幸せにさせなさい。


そして、

人の望みを叶えることが人望となる。



まだまだ修行中の身。



人の気持ちが分かり、

寄り添い、思いやるには程遠い。


瞑想道に則り、

雨の日曜日、

今日も瞑想に耽る。