世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ウツになりまして

2016年03月31日 | 100の力
いきなりソファーに倒れ込んでしまった。

そのまま起き上がれない。

まるで吸盤に捕らわれたように動くことができない。

春なのに、

どんよりとした空が心に重くのしかかる。


張りつめていた緊張の糸が頭のどこかでバシッと切れるような音がした。

同時に激しい脱力感が身体全体を支配する。


こんな時、いてほしい人はいない。


孤独と自己否定感が襲い、心身に纏(まと)わりつく。

風船がしぼむときのように急激に気が滅入っていくのが分かる。

まるで孤独の深淵に沈吟するするかのように。


起き上がろうとするがどうにも身体が動かない。

虚脱感から食事もとれず、そのまま深い眠りに落ちてしまった。


脳こうそくの前兆なのかとも疑った。

救急車を呼ぼうかとも思ったが、

携帯電話を持つ手にも力が入らない。

いや、病院代さえない現実に我ながら唖然とした。

手持ちのお金は、恥ずかし話だが、224円。


月末が重なり何枚もの請求書が頭を悩ます。

いよいよ資金繰りが厳しくなってきた。

万事休す。It's all over.


良からぬ妄想ばかりが脳裏をよぎる。

いつもになく予期不安の兆候が見え隠れする。


もう誰からも必要とされていないのだろう。

生きる意味さえ無くす恐怖が襲う。


誰とも会いたくない。

話しをするのも億劫だ。

こんなとき、誰も気遣う人がいないことがむしろ幸いなのかもしれない。

一人混沌と深淵に吸い込まれていく。


自殺を考えるってこんなことなのだろうか。

孤独死。

こうして死んでいくのもいいのだろう。



人はそもそも弱い生き物である。

どんなに強がっていても、人恋しくなるものだ。

だが、こんな時こそ側にいてほしい人はいない。


ベッドのマットがまるで底なし沼のように感じる。

いや、奈落の底に落ちていく自分の姿がありありと浮かぶ。


これがウツという状態なのだろうか。

自分はウツにはならないと高をくくっていたが

ついにウツの洗礼を受けているのかもしれない。


ウソのようにこれまであった自信もなくなっている。

どうせ自分の小説なんか誰も読んでくれないだろう。

投げばちな気持ちが忽然と湧いてくる。


最後の砦とも言える気力さえも失せていく。

何をする気も起らない。

モチベーションが急激に低下。


引きこもったからウツになるのか、

ウツになったから引きこもるのか。

いずれにせよ、

ウツの人、引きこもりの人の気持ちが少しだけ垣間見えたようで

ある意味嬉しくなった。

自殺する人の心境も。


幸い今のところ不眠症にはなっていない。

脱力感も手伝って、むしろ泥のように眠る。

人はこんなにも眠れるものなのかと思うほど。

まるで、一年分の睡眠をとってしまったようだ。


横になった状態で全身の力を抜く。

ヨガで言ういわゆる屍のポーズ(シャバアーサナ)だ。


これは寝付けない時普段でも良くやる。

まず身体を仰向けに寝かせる。

くつろげる程度に両手両足を軽く開き、手のひらを上に向ける。

目を閉じて、口を軽く開けるとよい。

意識は眉間の奥に置く気持ちで身体を重力に委ねるように力を抜く。

(足、腰、胸、手、首、頭、など身体の下から順に意識する)

自分の肉体を意識する以外、邪念を働かせないようにする。

ゆっくりと腹式呼吸を繰り返す。


頭を空っぽにすることが理想だが、

心がざわついてる時は、無心になることはとても難しく感じるものだ。

むしろ、ろくなことは考えない。

雑念がこれでもかというほど湧いてくる。

その場合は、むしろ、楽しいこと、別世界をイメージするとよい。

ボクは、世界のいろんなところを旅している自分の姿をイメージする。

夢を叶えた自分の姿をイメージする。

顔が緩み、口元が綻び、微笑みさえ浮かんでくる。



【心のつぶやき】

それでもこんなことを書いてるということは、

やっぱり本当のウツにはなっていないのかな?


深淵から這い出すには、やはり瞑想の力によるところが大きいと思う。

3月30日(水)のつぶやき

2016年03月31日 | 100の力

タビストの生き方

2016年03月30日 | 100の力
タビストには2通りの生き方がある。


一つは、

言うまでもなく、自ら旅をすることである。


もう一つは、

旅人を受け入れることである。

そうすることで、

毎日旅という立場に身を置くことができる。


その両方を実行するために

宿泊業という生業に付いてきた。


      ドゥリーミン カントリー・インAso


これは、旅とビジネスを見事に調和させたライフスタイルである。

その精神と生き方は脈脈と生きている。


その割合は、当時

2:1で、受け入れ(ビジネス)のほうが多くを占めていた。

いま、100%を旅に時間を消化したいという想いが強くなっている。


そしてその生業をどうするかが大きな課題としてのしかかっているのだ。


反省点として、

あまりに多くのものを持ちすぎた、

あまりにも柵(しがらみ)が増えすぎたと思っている。


タビストは、身軽でなくてならない。

そしてそれはモノだけでなく、

人間関係においてもそうであらなければならない。


初心に帰って、

何もなかったころの自分に戻って

考えてみよう。

どうあるべきなのかと。



旅するように暮らす、

暮らすように旅をする。


いや、

「旅して暮らす」のだ。

3月29日(火)のつぶやき

2016年03月30日 | 100の力

恋とビジネス

2016年03月29日 | 100の力
恋にかけるエネルギーとビジネスに対するそれは

よく似ている。


恋もビジネスも、

始めることはできても、

どちらも、続けるのが難しい。


ずいぶん長く生きてきた。

消そうとしても消えない古傷がある。

気の置けないもの同士、お互いの心の傷をなめ合ってきた。


その過程において

女は過去にこだわり

男は未来を夢見て生きる傾向にある。


だが、現実は逆ではないか。

男は過去の思い出を引きずり、

女は現実的に今を生きる。


どっちにしても、分かり合えない。

交わっては離れ、離れては交わる。

あざなえる縄のように絡まって恋は昇華していく。


違いを認めあい、過ちを許し合い、

お互いを受け入れながら感謝する。


分かり合いたいという想いから愛は始まる。

そして、理解しえないことを分かり合うことで、愛は続く。


さらには、永遠に分かり合えないと知って別れていく虚(むな)しさが現実には存在する。

それは、

儲からないからと辞めてていくビジネスに似ていいないだろうか。


儲けてナンボのビジネスだが、

社会的意義や、継続の責任といった道理もある。



かつて愛を失い、ビジネスを手に入れた。

そして今は、ビジネスを失い、恋が芽生えた。

どちらにもありったけの情熱を注ぐ。


このまま情熱の火を燃やし続けることはできるのか。

いつかは冷めるのではないかという恐怖が付き纏う。

激しければ激しいほど、その落差は大きい。


あれだけ愛したのに、

あれだけやりたかったことなのに、

あれだけ叶えたかった夢なのに、

実現した途端、ウソのようにしぼんでいく。


まるで、絶頂への高まりも、

射精と共に急激にしぼんでいくセックスのように。。

余韻を楽しむ術さえ忘れたというのか。


老獪になると

結果ではなくそんなプロセスを楽しむことができる。

サステイナブル(持続可能)な継続を望む。


刹那的な行為は恋にしてもビジネスにしてもあまりにも無責任だ。

やり始めたら続けること。

辞めるなら、それなりの流儀というものがある。

3月28日(月)のつぶやき

2016年03月29日 | 100の力

ダメな男の物語

2016年03月28日 | 100の力
幾度となく事業に失敗し、

2度結婚に敗れた男が手に入れたものとは。


収入もなく、借金はかさむばかり。

そんな絶望的な生活の中で、

それでも生きなければならないといえるのだろうか。


これは絶望の淵から這い上がる一人の男の物語なのか。

それとも、

このまま老いと孤独の中に沈んでいくのか。


何度同じ過ちを繰り返せばいいのだろうか。

なぜ懲りないのか、

なぜ学習しないのか。


これから物語を紡いでいく。

フィクションとノンフィクションを絡ませながら。



世に成功物語は数多く流布している。

だが、それを読んだから、学んだからといって

どれだけの人が成功しているのだろうか。


むしろ、

失敗の軌跡を追うことで、

逆説的に、成功哲学が紐解けるのではないだろうか。


失敗しても

堂々と、明るく楽しく生きていく術を知れば

成功者よりもっと自由気ままな人生が送れるはずだ。


そして、なにより

成功するより楽な生き方なのかもしれない。


成功を目指すより、

失敗を楽しむ、喜ぶ生き方を学ぼう。


成功を目指したからといって、

何も成功する必要はない。

その途中を思いっきり楽しめば、

それは成功よりもっと価値のあるものを手に入れたことになる。


成功は一瞬、Success second(Suc sec)

プロセスは永遠 Process forever。



人生は、

喜びより、悲しみのほうが多い。

人生は、

楽しさより苦しみのほうが多い。


だが、

数少ない喜びや楽しみは、

などとなく襲いかかる苦しみや悲しみより質の面ではるかに勝る。

3月27日(日)のつぶやき

2016年03月28日 | 100の力

夢再び

2016年03月27日 | 100の力
古くて新しい夢が広がる。

夢の数なら人後に落ちない(be second to none 《in》; be as good as anyone)という自負がある。

夢の数だけ希望が湧く。


引きこもり(?)だして、

おかげ様で思索の時間が増えた。

じっくり腰を落ち着けて物事に取り組む時間が持てるようになった。

移動が多かっただけに、走りながら考え、処理していたものだ。


やりかけていることは無数に及ぶ。

やりたことを100以上列挙するなんて朝飯前(A piece of cake.)だ。


そのうちの一つ、

「コインミュージアム」を作ることに、やっと重い腰を上げた(finally started to do)。

その第一段階として、

いま、コインアルバムに整理している。



約50か国、400枚ほどのコインがある。


日本のコインミュージアムとしては、

尼崎の尼信博物館が有名だが、

ボクは自ら現地で集めたものがほとんどだ。


「エイセイワールド」という自分の夢の世界を形成するのが夢の一つだが、

世界一周をはじめ、旅の宿にふさわしい世界を演出したい。

コインミュージアムはその一環に過ぎない。


宿泊業37年、

旅の形態は時代と主に変化を遂げている。

今何かとお騒がせなエアビ(airBnB)の恩恵にもあずかっている(have a benefit)。


さて、舞台をどこにするか。

ほぼ見当はついている。

3月26日(土)のつぶやき

2016年03月27日 | 100の力

引きこもり?

2016年03月26日 | 100の力
引きこもって(?)早2か月余り。

特に毎年

1月(行く)、2月(逃げる)、3月(サル)は足早に過ぎていく。


春のけだるさも手伝って、のんべんだらりん(idly; sluggishly; doing nothing)と日がな一日を過ごしている。


朝は目覚ましをかけない。

大体、7~8時くらいに自然に目が覚める。

春眠にして目覚めは爽快だ。

夜中にトイレに起きることもないので、かなり深い睡眠をとっているからだろう。

ベッド上で軽くストレッチ(ヨガ&瞑想)。


トイレを済ませ、顔を洗い、口を漱ぎ、コーヒーを入れる。

同時に、PCを起動させる。


fbとメールのチェック&レスポンス。

ネット新聞で情報収集。

ブランチのパンをかじりながらお勉強タイム。

ブログを認める。

これでだいたい午前中が終わる。


午後は基本的にフリータイム。

彼女とべったりタイムになりがち。

時に、散歩deデート。


夕食は、戴き物のお弁当で済ませることが多い。

飲み物はビール&ワイン、またはそのどちらか。

アペリティーフ( aperitif)ていどで、量はそんなに飲まない。


所用がないときは、

夜は英語のドラマを見ながら書き物をする。

普段、地デジTVは見ないが、

CNNをつけっぱなしで、英語で世界情勢を知る。


就寝は、大体夜中の1時~2時。

一日に感謝して、ぐっすり。

幸いにして、すぐに寝付ける。


禁欲とはいいがたいが、

きわめてストイック。


今は、嵐の前の静けさ。

体力温存に努める。
(無駄な消費、浪費は避ける)

だが、いつでも動ける状態に身を置いている。


【追記】

世は春爛漫。

余は、地中根を張るとき。

周囲の雑音に惑わされることはない。

大輪を咲かせるために。

3月25日(金)のつぶやき

2016年03月26日 | 100の力

やりきる

2016年03月25日 | 100の力
何事も「最後までやりきる力」が

人生力(サバイバル力)をつける最も大きな手段となる。

「継続は力」というが、

言うは易く、行うは難しなのだ。

Easy to say, hard to do.
Who will bell the cat?

誰しも三日坊主が普通であろう。


少なくとも何か一つ、

毎日続けられること(もの)を持つことで、大きな自信が得られることも事実である。


その観点で、

ボクにもし誇れるものがあるとするなら、

このブログであろう。(内容とともかくとして)

振り返れば、ボクがブログを始めたのは

2006年7月4日であった。

たった一行、

「これから少しずついろんなこと書いていきますのでよろしく。」と書いている。

それから、もうすぐ丸10年が経とうとしている。

最初は旅ネタが多かった。


そして、始めてから2年余りたった2009年4月から毎日欠かさず書くようになった。

丸7年間(2500日以上)、毎日欠かさず書いていることになる。

ま、ブロガーといっても許されるだろう。


そこで先日、ブログの書き方についてこのブログで認めた。

そして、次のような質問を受けた。

「 コピペ(ものまね)から、どうやって自分の考えや理論に持っていくのかが分からないです」と。


最初はコピペでもいいですよというボクの考えに基づくものだ。

返事はその場のコメントで断片的に書いたが、

改めてここでまとめてみることにした。



① 何と言っても、書き癖を付けることだ。

つまり、習慣化すること。

それには最初からあまり気負わないこと。

ハードルを上げすぎないこと。

立派な文章を書こうと思わないこと。

一行でもいい、

小学生の日記風でもいい。

昨日はどこどこに行きました。

なになにをしました。これを食べました。

面白かったです。美味しかったです、などなど。


ただ、ここで注意することは、

悪口やネガティブなことは極力避けることだ。

ウソを書く必要はないが、

面白くなかったとか、まずかったとかというなら、

では、どうしたらよい(よかった)のかという対案を書くことが肝心だ。

それが、自分の意見、考えとして反映される。

そして、次はこうしたいという希望や夢につかなっていく。


② 最初はみんな素人

例えば、何か興味を持ったものに関して書こうとする。

料理やファッション、スポーツや政治経済などの時事問題などなど。

さほど詳しくないものが多いかもしれない。

それはそれで感じたままを書けばいい。

玄人ぶって、知ったかぶりするより、

こう思うけど、教えてください的な意味合いで書けば

それによってだんだんと造詣が深くなる。

上には上がいるけど、案外素朴な質問が共感を呼ぶこともある。


あくまでも素直な気持ちで、

格好つけるのもいいけど、本音(弱音でも)で、かつ自分の言葉で書くこと。

それが読者の心に響くことになる。


もしも、得意分野があるのなら、

そのことを掘り下げていけば教えにもつながるだろう。


こうして少しずつ書いていくと、

コメントや反論などももらうようになる。

当然、バッシングも受けるだろう。

それは、それが本物になってきた証拠なのだ。

罵声やあからさまな誹謗中傷は別として、

素直に意見を聴き、取り入れるべきは取り入れていく。

ここでめげるようではいけない。

発信することは、ある意味攻撃することになる。

当然反撃も受けるのだ。

それを何とかかいくぐって続けるためには、

打たれ強くならなければならない。

何事も、経験であり場数である。

そのうち慣れてくる。

苦痛だからと辞めてはいけない。

ここが踏ん張りどころ。

それをバネに、さらに勉強し、研究し、工夫する。

そうした経験、試練を通じて成長していく。



③ 人の目を気にしない。

建前論もいいが、あくまでも本音の部分を出さなきゃいけない。

ブログとは、本来人には見せない日記を晒すわけだから、

人の目を気にしていたら書けない。

笑われても非難されても良いくらいの開き直りが必要だ。

それには見栄も外聞も捨て去ることだ。

そこから、何かが生まれる。

共感を呼び、新たなつながりができてくる。

そこがブログの醍醐味なのだ。


3年やればそれなりになってくる。


何かを始めてすぐに成果(結果)が出ることは少ない。

仮に、目標を達成できなくても(成功を収めなくても)、

そこに近づいたことにはなる。


そこから見える景色はまた違って見えるものだ。

考えていた、望んでいたものとは違った形で成果が現れることがある。

あるいは、思っていた以上の結果が得られることもある。
(むしろそのほうが多い)


とにかく、やってみることだ。

ダメもとで、捨て身でやってみることだ。

そのあとは、またそのあとで考えればいいではないか。


Step after step goes far.(一歩一歩進めば遠くまで行ける)



【追記】

ブログを書く効用は思ったよりあります。
(いろんな意味で)


ただ、欲を言えば、

ブログで収入につながればさらに良いのでしょうが。


一般には、アフィリエイトという手段がありますが、

自分にはあまり向かないようで……。


ただ、実収入はならなくても

目に見えないところで実益につながっていることは実感できますね。

あまり欲を出して、広告化してもつまらないと思いますので。


言いたいことをいう、書きたいことを書くということで

かなり憂さ晴らし、ストレス解消には役立っていますね。



3月24日(木)のつぶやき

2016年03月25日 | 100の力

ロードスター、電動で屋根開閉モデル登場 NYで初公開:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASJ3R…


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ストレス(Stress)軽減するには

2016年03月24日 | 100の力
うつ病に悩まされている人が後を絶たない。

ボクの周りにもウジャウジャいる。

日本人は精神的に弱くなったなー、と感じる。

特に、グローバル社会になって、その弱点が目立つようになってきた。

これも島国根性の弊害なのだろうか。


厚生労働省の「患者調査」によれば2014年時点で、

うつ病を含む気分障害で医療機関を受診している患者数は111万人と

3年前から約16%も増えている。

世界保健機関(WHO)の調査から推計すると、

日本のうつ病患者は360万人から600万人いるという説もある。
(1000万人はいるんじゃないかと感じる)


うつ病になりやすい人は性格と深く関係している。

その代表例を3つ挙げてみると、

①「まぁ、いいや」と言えない完璧主義

 仕事を完璧にこなさないと気が済まない。

 与えられた仕事は最後まで責任を持って「自身の心身がどうなろうと」まっとうする。

 
②決まりごとを絶対守ろうとする几帳面さ

 ルールを守ったり、目標を達成したり、決まりごとを重視する傾向がある。

 柔軟な対応ができず、ストレスを溜めてしまうことが多い。


③無茶な要求に「NO!」と言えないお人好し

 その場の空気を読む能力が高いという傾向がある。

 相手の期待が読み取れてしまうため、自身の気持ちより相手の要求を優先してしまう。


完璧主義者で、几帳面でお人よしは、それ自体良いことである。
(羨ましいくらい)

要するに、真面目な人ほどストレスを感じて鬱になりやすい。

逆に、ボクのようにいい加減な人ほどウツにはなり難い。

なりたくてもウツになれれない。


真面目な人の問題は、無理してそれにストレスを感じてしまうところにある。

つまり、本来の自分と違うキャラを演じることで

人から好かれよう(嫌われないようにしよう)、褒められよう、気にいられよう、

良い人に見られたいといった

人の目を気にしすぎて、回りの評価に振り回される傾向がある。


裏返して言えば、自分に自信がない人なのだろう。

少し自信過剰で自惚れ屋さんのほうがいいのかもしれない。


自分に自信を持つためには、どうしたらいいのか。

苦手を克服するより、得意分野を伸ばすことだ。

無いものをねだる(求める)より、今あるものに感謝することだ。



ストレスをどれだけ感じるかは、幸福感に反比例してる。

幸福感あるいは自己肯定感が強い人は、ストレス度が低い。


ストレス(Stress)とは、生活上のプレッシャーおよび、それを感じたときの感覚である。

(苦痛や苦悩を意味するDistressが短くなった単語)


ストレスが多い人は、自分自身でストレスを招いていることが多い。

その発想のパターンとは?また、自分の努力でストレスを小さくする方法とは?


同じ状態にあっても、ストレスを大きく感じる人もいれば、小さく感じる人もいる。
(これも幸福感と同じ)

それには、もともとの性格や感受性の違いもさることながら、

「心の健康度」の違いも大きく影響している。


ストレスを大きく受け止めてしまう心の状態を「ストレス・マインド」と呼ぶ。


「ストレス・マインド」のときの発想パターンがある

頭でっかちになっていないか?

すぐに発想の修正を始めよう!


「ストレス・マインド」が強くなると、

素直で冷静な自分を失い、

小さなことにもイライラしたり、

自信をなくしたり、

自分を追い込んだりしてしまう。

鳥越苦労が多い。

起きてもいないことを、くよくよ悩んでしまう。

そのため、雪だるま式にストレスを増やしてしまう。


ストレス・マインドのときには、具体的に次のような発想をしやすい。

● 「私なんて」「どうせ」など、自己評価が低い
● 嫌なことがあると、すぐに他人への不満を感じる
● ネガティブワードが多い
● いつも「勝ち負け」の価値観に縛られている
● 「~しなくちゃ」「~ねばならない」の口ぐせが多い

このような傾向があると感じたら、少しでもそれを「止めよう」と心がけてみることだ。

この意識が、「ストレス・マインド」に歯止めをかけ、ストレスが増えるのを防いでくれる。
(一部メルマガ等より抜粋)


できれば意識して性格を治す(変える)ように心がけるのがいいだろう。

イメチェンよりキャラチェン。

悲観論者より楽観主義者

ネガティブ思考よりポジティブ思考。

性悪主義より性善主義。


弊害もあるけど、ウツになるよりましじゃないかな。