世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

乗馬ピクニック

2013年05月07日 | スポーツ
このGW中、2週続けての乗馬イベントだった。

最初は、無料体験だったが、

2回目の昨日は、「乗馬ピクニック」と銘打って有料にした。


     挨拶する主催者


予想以上の人たちが集まってくれたのでびっくりするほどだ。



  


Tクンの観光牧場づくり計画も上々の滑り出しといったところだ。


もちろん課題も山積している。

ボクが、ボランティアとしているまでも月きりでお世話するわけにはいかない。



T君が自分で指導できるようになるのが、まず前提だ。

最も優先されるのは、安全性なのだ。


お客様にけがをさせるような事故を起こしてはならない。


そのためには、馬の習性を知り尽くし、

的確な乗馬指導ができるようにならなければならない。


その上での設備作りとなる。


ボクにとっては、ただで馬に好きなだけ乗れることは実に幸せなことだ。

それだけでもT君に感謝している。


そして、これからの観光牧場として確立していくことを心から応援する。

何といっても、来年はアメリカに進出しなければならないのだから。



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一方、アメリカとえば

先月『ドゥリーミン カントリー・インAso』内にオープンした

『Aso English Village』。


こちらは散々なスタートとなった。

稼ぎ時であるゴールデンウィーク中に、

ナント

ナント、


お客さん、ゼロ!


やっと、英会話とは無縁の従来のドゥリーミン カントリーの宿泊客でお茶を濁した。

これでは”English”の表示が泣く。



宿泊客がメインなのだから、県外のお客様がターゲットというのに、

自宅にこもったまま、マッタク営業に出ないのだから

お客様が来ないのも当たり前といえば当たり前の話なのだが。


極端に言えば、その存在すらも誰も知らないのだ。



営業方法については、開業前から口を酸っぱくして言っているのが、

全く動こうとしない。


かなり先が思いやられる状況である。



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さらに、同日オープンしたハノイのカフェも悪戦苦闘している。


こちらはまだボクが見ていないので、何とも言えないが、

やはり宣伝不足のようだ。


双方とも、

店を開けばお客は向こうからやってくる、とでも思っているかのように見受けられる。


営業方法をいくらこちらから示唆してもうまく動いてくれていない。


こちらは、とにかく現地に行かなければ。

現地に行って状況をこの目で把握しなければ、何とも言えない。




双方とも、まだあきらめるにはもちろん早い。

オープンしてまだ一か月もたっていないのだし。


ほとんど手を打っていないだけに、やることは山のようにある。

それだけにやりがいと可能性はあるというものだ。


ただ、やる本人達がやる気を失っては、元も子もない。


ビジネスや人生で失敗する人は、ほとんどこのパターンだ。


始まったばかりなのだから、まだまだやるべきことはいっぱいあるのに

出来ないことばかりを言い訳に並べ立て

自分を正当化する(人のせいにする)ことに精いっぱいで、

早々としっぽを巻いて、後ろ足で砂をかけコソコソと退散する。



結局、自分に負けてしまうのだ




こういう人に共通していえるのは、

人の話(アドバイス)を聞く耳を持たず、

自ら動こうとしないということだ



それでうまくいけば、何も言うことはない。

だが、お客様が来ないという現実が全てを物語り、証明している。


人生もビジネスも、そう甘くはない。




人は生きていくうえで最も大切なことは、

「素直さと謙虚さ」だ。


Listen humbly to the others voice.

Behavior gently and politely.

人の声を謙虚に聴き、

素直で礼儀正しく行動しなさい。



例えどんな立場になろうとも。


その上での「行動力(Vitality)」なのだ。



聴く耳を持たず、動こうとはしない。

これではビジネスのみならず、

何をやっても本人の人生がうまくいくはずはない。



可哀想とばかりはいっていられない。

こちらの生活も一緒に同居しているのだから。


さて、GWも明けて、

より一層気を引き締めて人生に取り掛からなければならない。


気を抜く暇は一秒足りもないのだから。



【補足】

こういう記事が載ってました。


それは、「人から何かを学ぼうとするものの姿勢」です。


人から本当に何かを学ぼうとする時に、最も大切なのは「素直さ」です。

そして素直さとは、人に何かを教えてもらった時に、次のように思い・答えられるかです。

「はい、わかりました」

「はい、やらせていただきます」

「はい、教えていただいて有難うございます」




逆に、一番人から学べない人、それは「我が強い人」です

この人たちは、人から何かを教えてもらっても、必ず次のように思い・言ってしまうのです

「でも・・・」

「だって・・・」

「しかし・・・」

そして結局 「ちっぽけな自分らしさ」のこだわり、成長できないのです



まさにその通り。

誰かさんに怖いくらいピッタリ当てはまる。


思考というフルマラソン

2012年02月19日 | スポーツ




旅が人生に例えられるのと同じくらい




マラソンもまた


人生の縮図として語られる。







競技として


人との争いをする




ランナーはもちろん




市民ランナーにとっても





真に競う相手は




自分自身
だ。







限界への挑戦という



スポーツでありながら





思考し続けるという意味でも



稀有な競技であろう。







むしろ


思考せざるを得ないのだ。







隔絶された状況を作り出し



移りゆく風景の中で





苦しみながら




自分との孤独な対話を続ける。







「孤独感こそ



世の中で唯一の誠実さであり


現実であり、



けっして変わることがないという実感」








『長距離ランナーの孤独』


はいう。






時に


ゆっくりとした思考さえもできにくい



あわただしい現代であればこそ





こういう形で



自らを





孤独の谷間に追い込むのも


一つの手段かもしれない。






「人生とは簡単だ。



苦しむか




苦しまないかの選択だから」 




ともいわれる。







ただ



臨むと望まないにかかわらず





人生は



苦しみの連続である。










そして



人生のゴールは



一人の例外もなく







『死』


である。







42,195キロのマラソンと違い





人生のマラソンでは


距離を自分で決めることはできない。









伴走者や



沿道の応援も





あるやなしや。







もし仮に



人生の距離が




100キロであるとするなら





ボクは今



62,195キロあたりを走っているのだろう。






ユックリ、ユックリと。







過去にいた


伴走者は




ふと気が付けば


離れていってしまっていた。







幸い


今は



自由と孤独



たしなむ境地。








沿道の応援者は



ちらりほらり。








孤独な長距離ランナー



それでも




自ら選んだ


その孤独を味わいつつ





自由という空間を漂いながら





ひたすら




というゴールに向かって



走り続ける。





空しい思考を



繰り返しながら。








【追記】



先ほど



熊本城マラソンの号砲が鳴った。






スタート地点にほど近い


誰もいないマンションの一室で




このブログを記している。






隔絶された空間で



思考を巡らしながら。






人生のマラソンの現実とは



こうしたものなのだ。

なでしこ、世界一の意味するもの

2011年07月18日 | スポーツ
起きて観た甲斐があった。



勝ち方がニッポンらしかった。



前半だけで

3~4点入れられていてもおかしくない

試合展開だった。





きっと運も味方してくれていたのだろう。



運も実力のうちという。







小柄な日本の


粘り腰は



少よく剛を制す


柔道や相撲を連想させる。





相手が

アメリカだったのが

また象徴的だった。




アメリカでは


野球やバスケに比べ



サッカーはどちらかといえばマイナーなスポーツだ。



しかし


今までにない盛り上がりを見せていたようだ。







震災後の今だからこそ



アメリカを打ち破り

この快挙を成し遂げた


なでしこジャパンが戦う姿は、




戦後、

ボロボロになった日本の中で



力道山が巨漢のアメリカ人プロレスラーをなぎ倒す


痛快さを呼び起こしてくれたような気がする。



街頭テレビを観ながら


こうして日本人は自信を取り戻していった。

(知らない人はすいません)






これでもか、

これでもかと



痛めつけられる日本。




だが

まだまだ


日本は死んではいない。





最後まで諦めない気持ち。



どんなときにも前を向き


折れない心を持ち続けることの大切さ




改めて強く感じた。






日本の精神文化が


アメリカだけでなく


また世界を驚かせたことだろう。




戦う相手で最も嫌なのは



強い相手ではなく、



「倒れない相手」 だ。





アメリカは


点を取っても、取っても


日本が追い付く展開に嫌気がさしていた。




そして


PK戦。




結果は



蹴る前から

その表情に現れていた。




どこまでも


食らいつく。




これが勝負師の神髄だろう。





なでしこジャパンは、

「大和撫子」 というより




「武士道」 を貫く戦い方だった。






誇り高く



誉れ高い女性の力が


また一層強くなった。




どん底での底力は


やはり女性の方が強いということだろうか。




日本男子も


ぼやいてばかりいないで

ここは一つ素直に見習うべきだろう。







これから

日本は


どう復興していくのか。






試合の途中から


白み始めた空を見上げながら




日本の夜明けを信じた


い~い朝だった。

ジャングルから太平洋まで

2010年02月19日 | スポーツ
Horse Back Riding , running ocean.MPG


コンドミニアムのオーナーの所有する馬に乗せてもらった。


抜けるような青空の下、

草原を抜けると山へ入る。



さらに小さな川を渡ると別世界のジャングルの中へ。


まさに、

ジュラシック・パーク、

ロスト・ワールドの世界。


恐竜ならぬイグアナと遭遇。

はたまた、木の上には、ナマケモノが。


カラフルな野鳥の数々。



1時間余り、ジャングルをさまよう(?)と、

一転、

太平洋の海岸へ出る。


太陽は真上から降り注ぐ。

波しぶきを上げ、砂浜を思いっきり走り回る。


2時間タップリ。

もう、

タマラン!!


こんなに楽しんじゃって、いいのかしらん。

2画面

2008年01月30日 | スポーツ
ほとんど同時にゲームが始まった。


時々見たい番組が重なることがある。

  今までは、ドラマとスポーツの組み合わせが多かった。


今回は、マッタクの初めてのケース。

  サッカーと、ハンドボール。


43インチの液晶を2画面に切り替える。


  右目でサッカー、左目でハンドボール、

        めまぐるしい、めまぐるしい!

   両方とも青いユニホーム、

        ややこしい、ややこしい。


昨日の女子に続き始めてみるハンドボールの試合。

   動きが早い、息をつく暇もない。

   早いと思っていたサッカーのボールがスローに見える。


方や、足だけ、方や、手だけ、

    コレも切り替えがややこしい。

    脳の回線がショートしてパニックを起こす。

      眼球にはいい運動になったようだが。



一足早く終わったハンドボールの結果は・・・、惜敗。


一方岡田ジャパンは、オシム元監督の見守る中、対照的に快勝した。

スポーツの冬

2008年01月26日 | スポーツ
岡田ジャパンはチリと引き分けたが、

   夏真っ盛りのオーストラリアでは、久しぶりにマリア様が勝った。


ヤッパ、強いマリア・シャラポアは最高だ。


身も懐も寒さが凍みる一日、ハートがキュンと温かくなった。

バレー観戦

2007年11月09日 | スポーツ
このところ、下の娘の影響で、(クラシック)バレーを観賞することが多かった。


今回は、バレーボールの観戦だ。

現在行われているワールドカップが熊本にもやってきた。

残念ながら、メグ・カナの「柳本ジャパン」 ではなかったが、

   「キューバ - 韓国」 戦をみることが出来た。


やっぱりテレビで見るのとは違い、間近に息づかいや会場の雰囲気を肌で感じられて良い。

180cm以上の鳥人たちのパワフルなプレーはさすがに迫力満点!

テレビ観戦さながらのマイク解説と音楽が館内イッパイ響き渡る楽しさ。

野球やサッカーとも違い、テニス同様、選手たちを目の当たりに出来る。


   結果は、フルセットでキューバが競り勝った。


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実は、中学時代、ボクはバレーの選手だった。

   しかも、ウイングスパイカーのポジション。

高校時代は、空手一筋だったが、大学で再びバレーボールを始めた。

   一年間だけだったが、このときはセッターとして。

   後は、学生運動へと走った。


商社マンになってからは、スキーに興じ、空手も再開した。


脱サラ後は、乗馬にテニスが主な趣味で、現在に至る。


  すべて生噛りばかりだが、アスリート気取りも元気な証拠。

 
  もっぱら観戦することが多くなった昨今だが、いつまでも続けたい。