ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

日高本線の鵡川駅〜様似駅は廃止で決着か

2019年09月30日 00時00分00秒 | 社会・経済

 このブログではJR北海道の問題を何度も取り上げてきました。直近では2019年6月9日11時58分30秒付の「JR北海道の路線で残るのは……」です。その記事において記した10路線13区間を再掲しておきます。

 

 1.札沼線の北海道医療大学〜新十津川(79人/4億円)⇐2020年5月7日に廃止予定。

 2.石勝線の新夕張〜夕張(夕張支線)(118人/2億円)⇐当時、既に廃止で合意済み。2019年4月1日に廃止。

 3.根室本線の富良野〜新得(152人/10億円)

 4.留萌本線の深川〜留萌(183人/7億円)⇐同線の留萌〜増毛は2016年12月5日に廃止。

 5.日高本線の苫小牧〜鵡川(298人/4億円)

 6.日高本線の鵡川〜様似(298人/11億円)⇐長期運休中

 7.宗谷本線の名寄〜稚内(403人/25億円)

 8.根室本線の釧路〜根室(通称「花咲線」)(449人/11億円)

 9.根室本線の滝川〜富良野(488人/12億円)

 10.室蘭本線の沼ノ端〜岩見沢(500人/11億円)

 11.釧網本線の東釧路〜網走(全線)(513人/16億円)

 12.石北本線の新旭川〜網走(全線)(1141人/36億円)

 13.富良野線の富良野〜旭川(全線)(1477人/10億円)

 

 このうち、JR北海道がバス路線への転換を方針として示しているのは、上の4、6および9です。4と9については、JR北海道と沿線自治体との協議がまだ続いているようですが、6については10月にも決着しそうです。今月25日に朝日新聞社が「岐路の線路)鵡川ー様似、バス転換容認」(https://www.asahi.com/articles/CMTW1909250100004.html)として報じていましたので、ここでも取り上げておくこととします。

 日高本線は、室蘭本線との乗換駅である苫小牧駅から様似駅までの路線で、140キロメートルを超えます。このうち、鵡川駅〜様似駅の116.0キロメートルは、2015年1月の高波被害から現在に至るまで不通となっています。時々、写真で被害の状況が紹介されていますが、線路が大きく曲げられた上に地面から浮き上がっていたりするような状況で、路盤が掘り崩されたようになっていることから、復旧にはかなりの時間と費用が必要となることが明白でした。仮に復旧するとしても、所々で海のそばを通る路線であるだけに、再び罹災する可能性も低くないでしょう。人口も少なく、他の鉄道路線と接続する駅が起点の苫小牧駅しかないという路線ですので、投資効果を望むことができないとも言えます。

 2016年12月、JR北海道は鵡川駅〜様似駅についてバス路線への転換を沿線自治体の7町に提案します。7町とは、苫小牧→様似の方向順に、日高町、平取町、新冠町、新ひだか町、浦河町、様似町およびえりも町の7町です。厳密に言えば、平取町およびえりも町には日高本線が通っていないのですが、平取町はむかわ町や日高町に隣接しており、かつては沙流鉄道との接続駅であった富川駅および日高門別駅(いずれも日高町に所在)に近いこと、えりも町は様似町に隣接しており、様似駅に発着するジェイ・アール北海道バス日勝線が通っていることなどから、沿線自治体に含まれているものと考えられます。一方、むかわ町は入っていません。汐見駅がむかわ町に所在するとはいえ、苫小牧〜鵡川については現在のところバス路線の転換が提案されていないためでしょう。

 これまで7町の長による協議が繰り返されてきました。今月24日にも臨時で町長会議が開かれましたが、各町の立場が異なり、多数決でJR北海道の提案を受け入れる方針を決定したようです。

 日高本線の廃止を受け入れるとしたのは、平取町長、新冠町町、新ひだか町長、様似町長およびえりも町長です。これに対し、浦河町長は全区間の復旧を、日高町長は鵡川駅〜日高門別駅のみの復旧を、それぞれ主張しました。

 町の事情はそれぞれでしょうから、見解が分かれるのも当然です。しかし、休止から4年以上が経過しており、復旧の見込みが立っていない、というよりは復旧の可能性が著しく低くなった状況では、鵡川駅〜様似駅の全区間の運行再開は現実的でないとも言えます。また、鵡川駅〜日高門別駅の区間のみの復旧についても、費用対効果の観点からは疑問が寄せられるかもしれません。

 ともあれ、今後、各町の議会で協議されることとなるでしょう。最終決定は10月中旬に行われる町長会議において行われるとのことです。廃止ということになれば、今年の4月に廃止された石勝線夕張支線(新夕張駅〜夕張駅)、2020年5月に廃止される札沼線の北海道医療大学駅〜新十津川駅に続き、3番目となります。

 さて、鵡川駅〜様似駅の区間が廃止されると、日高本線は苫小牧駅〜鵡川駅の区間のみとなります。30キロメートルほどしかなく、既に1980年代の特定地方交通線廃止によって富内線という支線を失っている日高本線は、その本線という名にますます値しない路線となります(もっとも、国鉄時代と異なり、JRグループには本線という名称に値しない路線は多く、そのためもあるのかどうか、JR四国は●●本線という呼称をやめています)。苫小牧駅〜鵡川駅も10路線13区間に入っていますし、輸送密度も低いので、とりあえずは存続するとしても、早晩、協議の対象になるものと思われます。

 もう一つ、鵡川駅〜様似駅の区間が廃止されると、国鉄バス時代からの歴史を有するジェイ・アール北海道バス日勝線の存在意義が問われるような気がします。

 ジェイ・アール北海道バスのサイトによると、日勝線は、大まかに記せば上野深〜様似駅〜様似営業所および様似営業所〜様似駅〜えりも〜広尾という路線です(高速バスもありますが、ここでは除外しておきます)。元々は鉄道敷設法別表133号にあげられていた(鉄道建設)予定線の一部でした。第133号のうち、苫小牧駅〜様似駅が日高本線で、広尾駅〜帯広駅が広尾線ですが、広尾線は第二次特定地方交通線として廃止されています。

 鉄道路線の鵡川駅〜様似駅が廃止されると、このままではJRグループとして孤立したバス路線になりかねません。

 鵡川駅〜様似駅のバス転換ということからすれば、日勝線を鉄道路線の代わりとすることも考えられます。ジェイ・アール北海道バス深名線のような役割を担わせる訳です。ただ、鵡川駅から様似駅までは100キロメートルを超えますし、高速バスであればともあれ、路線バスとしてこれだけの距離を走らせる意味があるかどうかは疑わしいでしょう。

 そこで、より現実的な方法としては、日勝線の範囲はそのままにした上で、現在の代行バスを正式のバス路線にすることがあげられます。運行形態も、現在の代行バスが基本となるでしょう。鵡川駅〜静内駅、静内駅〜様似駅と系統が分かれますが、距離などから考えれば妥当でしょう。日勝線に組み入れてもよし、日高線などとして別路線にしてもよし、ということで、ジェイ・アール北海道バスの路線として位置づけるのがよいと思われます(正式な路線として受け入れられるかどうかはわかりませんが)。

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第1部:租税法の基礎理論  第04回:課税要件

2019年09月29日 00時00分00秒 | 租税法講義ノート〔第3版〕

 課税要件(Steuertatbestand)は租税要件などともいい、租税債権債務関係を成立または消滅させるために法律(または条例)により定められる要件を指す。

 詳細は、新井隆一『租税法の基礎理論』〔第三版〕(1997年、日本評論社)44頁を参照。また、北野弘久編『現代税法事典』〔第2版〕(1992年、中央経済社)30頁[北野弘久担当]も参考になる。

 課税要件が明確にされることにより、初めて私人の納税義務が具体的に定まることとなる。ここで概観しておく。

 清永敬次『税法』〔新装版〕(2013年、ミネルヴァ書房)65頁は、課税要件として納税義務者、課税物件、帰属、課税標準および税率の5つをあげる。しかし、理解を深めるためには以下に示す7つが必要である。

 (1)課税主体

 課税権者ともいい、租税債権者ともいう。国、地方公共団体(都道府県、市町村および特別区)のことである。課税権の行使のうち、内容の定立は立法権に該当し、執行は行政権に該当することとなる。

 もっとも、課税主体についてはとくにあげる必要がない場合が多い。清永敬次教授は、「理論的には、課税・徴収権者たる国又は地方公共団体の存在が納税義務成立の要件の一つに含められるべきであろう。しかし、これらの存在は当然のこととして一般に前提されているのであるから、納税義務の成立要件としての課税要件を問題とするときは、この点を除いて考えて差支えない」と述べる〈清永・前掲書68頁〉。しかし、課税主体が存在しなければ、納税義務が発生するはずもない。

 なお、徴収に際しては、法律または条例により、一定の範囲の私人に委任されることもある。所得税などにおける源泉徴収、地方税における特別徴収が該当する。

 (2)納税義務者

 納税義務者とは、租税法律関係において租税債務を負担する者をいう。

 財政学において、納税義務者は租税主体の一種とされる。

 例として、神野直彦『財政学』〔改訂版〕(2007年、有斐閣)166頁 。なお、租税主体と課税主体とを混同しないよう、注意を要する。

 租税主体には、納税義務者の他に担税者という概念が含まれる。担税者は、経済活動において実際に租税を負担する者のことである

 同じ租税主体という上位概念に含まれるとは言え、納税義務者と担税者とは、明確に区別する必要がある。第一に、納税義務者は、法律上の概念であり、法律によって租税を負担し、申告などを行う者とされているのであって、実際に租税を負担するか否かとは別の次元の事柄である。第二に、納税義務者と担税者は、税目によって同一である場合と異なる場合とがあり、とくに、直接税と間接税とを区別する基準にもなる

 直接税と間接税との区別については「第1部:租税法の基礎理論 第02回:租税の分類」において述べた。

 所得税などの場合は、担税者が同時に納税義務者でもある。これに対し、消費税や酒税などの間接消費税の場合、担税者は消費者であるのに対し、納税義務者は事業者や製造者である。

 自然人および法人が納税義務などの各種の義務を担う主体とされていることは明らかである。民法その他の法律によって法人格が認められるからである。これに対し、権利能力のない社団・財団は、法人格が認められないのであるから納税義務者ともなりえないと考えることもできるが、それでは租税負担の公正を期することができないため、租税法においては、権利能力のない社団・財団 (「人格のない社団等」という表現が用いられる)についても法人とみなされる場合が多い。

 但し、租税法においてみなし規定が存在しない場合であっても、権利能力なき社団・財団が納税義務などの義務を負うべきであると解されることがある。例えば、労働者音楽協会(労音)について、東京高判昭和47年6月28日行裁例集23巻6・7号426頁などは、旧入場税の納税義務者であるという趣旨を述べている。同じような趣旨の判決は多い。

 なお、所得税における源泉徴収義務、有価証券取引税、住民税、ゴルフ場利用税、特別地方消費税などにおける特別徴収義務の場合には、納税義務者が自ら負担をなすのではなく、納税義務者から租税を徴収した上で国や地方公共団体に納付する義務を負う者が存在する(地方税法第1条第1項第10号は「特別徴収義務者」という)。このような者は納税義務者ではなく、徴収納付義務を負うに過ぎないが、国税通則法第2条第5号および国税徴収法第2条第6号は、徴収納付義務を負う者を含めて納税者としており、納税義務者と共通の取り扱いをすることがある。

 徴収納付義務者が納付義務を怠ったときには、国税通則法第36条、第37条、第40条、国税徴収法第47条などにより、滞納処分を受ける。また、国税通則法第67条、第68条第3項により、加算税を課される。さらに、所得税法第240条によって刑罰を科されることもある。これらは、納税義務者の場合とあまり変わらないこととなる。

 納税義務者は、直接税と間接税との相違、住所または居所の所在、課税物件の源泉の所在地、などによって幾つかの種類に分かれる。ここでは、金子宏教授の論説に従い、概説を試みる(但し、連帯納税義務者や第二次納税義務者、そして税理士についての解説は省略する)。

 直接税については、無制限納税義務者と制限納税義務者とに分けうる。

 無制限納税義務者は、日本に住所または居所を有し、日本の課税権に服す者をいう。課税物件の源泉が国内にあるか国外にあるかを問わない。従って、無制限納税義務者に帰属する課税物件の全てについて納税義務が存在することとなる。所得税法にいう居住者(第2条第1項第3号・第4号、第5条第1項、第7条第1項第1号・第2号)、法人税法にいう内国法人(第2条第3号、第4条第1項。第5条。但し、第4条第3項により、公共法人は納税義務を負わない)が該当する。

 これに対し、制限納税義務者は、日本に財産や事業を有するが住所または居所を有しない者をいう。従って、財産や事業を有する範囲内において、言い換えれば国内に源泉のある課税物件についてのみ納税義務が存在することとなる。所得税法にいう非居住者(第2条第1項第5号、第5条第2項、第7条第1項第3号)、法人税法にいう外国法人(第2条第4号、第4条第2項、第9条、第10条)が該当する。

 間接税については、正規の納税義務者と拡張的納税義務者とに分けうる。正規の納税義務者とは、課税物件の流通や消費が通常行われる過程において、国内において製造され移出される課税物件については、消費税の場合は事業者、酒税法などの場合は製造者、保税地域から引き取られる課税物件については引取者が該当する。これに対し、拡張的納税義務者とは、通常の過程を経ないで流通し、あるいは消費される課税物件について、製造者または引取者以外の者であるがそれらとみなされて納税義務者とされる者をいう(酒税法第6条など)。

 保税地域は、関税法第29条に規定される。外国貨物を置き、または、外国貨物の加工や製造・展示などをすることができるものとして、財務大臣が指定し、または税関長が許可したものをいう。該当するものとして、保税倉庫、指定保税地域、保税上屋、保税工場、保税展示場がある。以上は、園部逸夫=大森政輔編『新行政法辞典』(1999年、ぎょうせい)997頁による。

 (3)課税物件(Steuerobjekt)

 課税対象、課税客体ともいう。課税の対象となる物、行為または事実をいう。所得税などにおける所得、事業税における個人または法人の事業収益、固定資産税などにおける土地や固定資産など特定の財産、消費税などにおける課税資産の譲渡や外国貨物の引き取り、酒税などにおける酒類などの消費物件、ゴルフ場利用税などにおける消費行為、などが課税物件の例である。

 (4)課税標準

 課税標準とは、課税物件を数量的に確定するための基準であり、所有・収益などの存在および内容の確認に基づき、価格・金額・数量・品質により表現される。例えば、所得税の場合は「総所得金額」などであり(所得税法第22条第1項)、消費税の場合は「課税資産の譲渡等の対価の額」である(消費税法第28条第1項)。

 (5)税率

 税額を計算するため、課税標準に対して適用される比率のことである。課税標準が金額や価額により定められている場合(例、所得税、消費税)には、税率は百分率などによって定められる。これに対し、課税標準が数量により定められる場合(例、酒税、たばこ税、軽油引取税)には、課税標準の一単位について一定の金額として定められる。

 また、課税標準が金額や価額により定められている場合には、比例税率、累進税率のいずれかが採用されることとなる。

 比例税率は、y=axのaとして表現されるように、税率が常に一定の割合であるものであり、固定資産税や消費税などで採用される。納税義務者の担税力を直接的に考慮しない場合であり、応益負担原則に結びつきやすい。

 これに対し、累進税率は、金額や価額の増加に伴って税率が上昇するように定められるものであり、所得税、相続税などで採用される。納税義務者の担税力を直接的に考慮する場合であり、応能負担原則に結びつきやすい。

 そして、累進税率は単純累進税率と超過累進税率とに分けられる。単純累進税率は、課税標準が大きくなると単純に全体に対して高い税率が適用されるというものであるが、これではかえって不公平が生じやすいため、課税標準を多段階に区分した上で段階ごとに逓次に高い税率を適用する超過累進課税を採用する。

 なお、地方税法においては、標準税率および制限税率という用語が存在する。

 標準税率は、地方税法第1条第1項第5号に定められるものであり、地方公共団体にとっての目安(基準)となる税率のことである。総務大臣が普通地方交付税の額を定める際に、基礎財政収入額の算定の基礎として用いる。

 地方税法にいう標準税率は、消費課税における標準税率とは意味が異なるので注意されたい。消費課税の場合、標準税率の他に軽減税率、ゼロ税率、割増税率、非課税、不課税(課税除外)などとの対比で用いられる。すなわち、消費課税における標準税率とは、法律において原則的に適用されるものとして規定される税率である。

 一方、制限税率は、地方税法に定められた上限以下の税率により課税しなければならないものをいう。

 また、地方税法には登場しない用語であるが、税率が一定である場合を一定税率といい、税率が地方公共団体の裁量に任されている場合を任意税率という。地方税法において任意税率が規定される租税には、課税するか否かも裁量に委ねられるものが多い。

 ▲注意しなければならないのが、実効税率という用語である。これは多義的に用いられており、文脈による見極めを必要とするものである。

 第一の意味として、納税義務者に様々な税制優遇措置などが適用されなかったと仮定した場合の所得などの課税標準に対する実質的な税負担の割合を指すことがある〈石村耕治編『税金のすべてがわかる現代税法入門塾』〔第9版〕(2018年、清文社)37頁[石村耕治・阿部徳幸担当]〉

  第二の意味として、法人に対する実効税率の意味で用いられる。この場合には、

  〔法人税率×(1+住民税率)+事業税率〕÷(1+事業税率)=実効税率

という計算式で得られる税率である〈石村編・前掲書37頁[石村・阿部]〉。

 第三の意味として、名目税率または表面税率に対する概念として用いられる。すなわち、法人税の表面税率が40%であるとして、各種控除等がなされた結果、実際には30%しか課税されないという場合に、実効税率という言葉が用いられることがある)〈代田純『日本国債の膨張と崩壊』(2017年、文眞堂)21頁〉。第一の意味とは全く逆であることに注意されたい。

 (6)租税所属関係

 納税義務者が、特定の租税につき、いずれの課税権者に対して納税義務を負うかに関する事柄である。すなわち、租税所属関係とは、納税義務者と課税主体との関係で説明しうる事項である。

 (7)租税帰属関係

 課税物件が納税義務者に帰属する関係のことである。清永敬次教授は「帰属の関係は、各租税に応じて種々の仕方で形成されることになる」として、「例えば、所得税、法人税においては納税義務者が課税物件たる所得を『取得する』ことにより、相続税、贈与税においては相続財産等を『取得する』ことにより、印紙税においては課税文書を『作成する』ことにより、それぞれ納税義務者と課税物件との関係が形成されることになる」と説明する〈清永・前掲書70頁〉

 このように、租税帰属関係は法律によって示されているのであるが、具体的な事例においては、租税帰属関係が問題となることが多い。また、所得税および法人税に関する実質所得者課税の原則は、租税帰属関係に絡む問題である。

 

 ▲第3版における履歴:2019年9月29日掲載。

 ▲第2版における履歴:「02 課税要件」として、2011年3月15日掲載。

             2011年3月21日修正。

             2012年8月5日修正。

             2013年3月29日修正。

             2013年8月1日修正。

             2017年11月8日補訂。

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第1部:租税法の基礎理論  第03回:租税法学の理論上の体系

2019年09月28日 00時00分00秒 | 租税法講義ノート〔第3版〕

 論者によって内容や順番が異なることも多いが、租税法学の理論上の体系は、概ね、次のようになっている。なお、多くの教科書においては、とくにシャウプ勧告に焦点を当て、近代国家になってからの日本の租税の歴史を扱うのであるが、この講義においては省略し、後に必要な部分について若干触れるに留める。

 元々、租税法は行政法各論において扱われた分野であり、租税法学として独立してはいるが現在でも行政法の一分野であることに変わりがないため、体系については行政法学と共通する部分が多い。

 

 1.租税法の基本原則

 租税の意義、租税法律主義、租税法の解釈、課税上の原則など、租税法の全体に共通する原則を扱う。租税法総則、または租税法の基礎理論とも言われる。この部分のみに関する解説書もあるほどで、理論的な難題も少なくない。

 

 2.租税実体法

 所得税法、法人税法、消費税法などの個別租税法について、課税要件などを扱う。多くの体系書が租税実体法に膨大な頁数を充て、租税法の中心的な存在となっているとともに、一般国民にとっても最も関心の高い分野であろう。個別の租税実体法に関する概説書なども多く出版されている。

 

 3.租税手続法

 根本的には、行政法学における行政手続法と同じものである。納税義務が成立してから具体的に租税が納付されるまでの手続である。例えば、申告納税は、納税義務者が納めるべき税額を納税義務者自らが確定し、申告して納付するが、場合によっては税務署に認められず、納税義務者が修正申告をするか、税務署が更正処分を行う。滞納処分に至る場合もある。こうした一連の過程を扱う。

 見方によっては、租税処罰法や租税争訟法も租税手続法に入るのであるが、これらは事後手続であるため、租税手続法とは別に扱われる。この点も行政手続法と同じである。但し、租税手続については行政手続法が適用されず、国税通則法や国税徴収法などが適用される場合が多い。

 

 4.租税争訟法

 行政法学における行政争訟法と根本的には同じである。更正処分や滞納処分などを受けた納税義務者が救済を受けるための手続を扱う。租税法の場合は、行政不服審査前置主義が採用され、しかも行政不服審査法ではなく、国税通則法の規定が適用される。そのため、税務署長に対する異議申立て、国税不服審判所への審査請求を経てから、裁判所に訴訟を提起することとなる。なお、租税訴訟に関する特別法は存在しないので、行政事件訴訟法などが適用される。

 

 5.租税処罰法(罰則法)

 行政法学における行政刑法と根本的には同じである。個々の租税の確定や徴収、納付に直接的に関連する犯罪と、それに対する制裁(刑罰などの処罰)を扱う。

 中心となるのは脱税犯である。これは、次のように細分される。

 逋脱犯(狭義の脱税犯):納税義務者または徴収納付義務者が、偽りその他不正の手段により、租税を免れ、またはその還付を受けたことを構成要件とする犯罪である。帳簿書類への虚偽記入、二重帳簿の作成などの手段によることが多いが、単純な無申告や過少申告であっても逋脱犯に該当する場合がありうる。課税主体の租税債権を直接的に侵害する犯罪と位置づけられる。

 間接脱税犯:外国貨物の密輸入や酒類の密造など、一般的に法律により禁止されている行為を行った場合が該当する。

 不納付犯:徴収納付義務者が、徴収し納付すべき租税を納付しない、という事実を構成要件とするものである。

 滞納処分脱犯:滞納処分の執行を免れる目的により、財産の隠蔽や損壊、その他租税債権者の利益を害する行為が該当する。

 脱税犯とは別に、租税危害犯の概念が存在する。これは、課税主体の租税債権を直接的に侵害するものではないが、租税確定権や租税徴収権の行使を妨げるために可罰的であるとされる行為を犯罪とするものであり、主なものは次の通りである。

 虚偽申告犯:文字通り、納税申告書に虚偽の記載をすることが構成要件とされる犯罪である。

 単純無申告犯:正当な理由がないにもかかわらず、納税申告書を提出期限内に提出しないことが構成要件とされる犯罪である。但し、偽りその他不正な行為と結びついている場合には、単純無申告犯ではなく、逋脱犯とされる。

 不徴収犯:源泉徴収などの徴収納付義務者が、納税義務者から徴収すべき租税を徴収しない場合をいう。

 検査拒否犯:これは、次のような行為を構成要件とする犯罪である。

 ①税務職員の行う質問に対して答弁をしない、

 ②税務職員の行う質問に対して偽りの答弁をする、

 ③税務職員の行う検査を拒否する、

 ④税務職員の行う検査を妨げる、

 ⑤税務職員の行う検査を忌避する、

 ⑥質問・検査の際に偽りの記載がなされた帳簿書類を提出する。

 

 ▲第3版における履歴:2019年9月28日掲載。

 ▲第2版における履歴:「第1部:租税法の基礎理論 第01回:租税とはいかなるものか」を参照。本記事は、第2版における「01 租税と租税法」の一部を分離独立させたものである。

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第1部:租税法の基礎理論  第02回:租税の分類

2019年09月27日 00時00分00秒 | 租税法講義ノート〔第3版〕

 日本の実定法が定める租税には様々なものが存在する。これらは、勿論、無秩序に、あるいは相互に無関係に存在するのではなく、一定の体系性を有する。ここで、租税の分類などを概観する。

 

 1.国税と地方税

 国税とは、国が租税主体として賦課・徴収する租税のことである。所得税、法人税、消費税、相続税・贈与税、酒税、関税などが該当する。国税の場合は、単一の法典ではなく、国税通則法や国税徴収法などの一般的な法典と、所得税法、法人税法など、個別の法典により規律される。これはドイツにならった方式である。

 一般法とは言い難いが、所得税法、法人税法などの個別法典に規定される原則を、様々な政策のために修正する特別措置をまとめた法律がある。租税特別措置法である。この法律に定められる特別措置は、主に非課税や租税負担の軽減のためのものであり、一般的に特別措置というとこの種のものを指すが、租税負担を加重する特別措置も存在する。また、単なる租税負担の加重とは意味を異にするが、国際的租税回避を防止するための規定として、租税特別措置法第40条の4および同第66条の6がある。これらも租税を軽減するための特別措置ではない。なお、租税特別措置は租税特別措置法に定められるのが一般的であるが、所得税法や法人税法などの一般法に規定されることも多い。

 地方税は、普通地方公共団体および特別区が租税主体として賦課・徴収する租税のことであり、さらに都道府県税(地方税法では道府県税という)と市町村税とに分かれる。個人住民税、法人住民税、個人事業税、法人事業税、固定資産税、都市計画税、地方消費税などが該当する。地方税の場合は、国税と異なり、租税手続を含めて地方税法という単一の法典により規律される。これはアメリカやフランスと同じ形式である。

 日本においては、国税のほうが全体に占める収入の割合が多く、また、主要な税源も国税のほうに配分されている。このため、実際の事務量などは地方公共団体全体のほうが多いにもかかわらず、租税収入は国のほうが多いという問題がある。

 なお、「第1部:租税法の基礎理論 第01回:租税とはいかなるものであるか」に述べたように地方交付税および地方譲与税が存在する。

 地方交付税は、国税のうち、所得税、法人税、酒税および消費税のそれぞれ一定割合、ならびに地方法人税の額を、国が地方自治体に交付するものである(地方交付税法第2条第1号)。従って、地方交付税という名称ではあるが、国から地方公共団体への交付金であって、租税ではない。詳細については地方交付税法を参照されたい。

 また、地方譲与税は、国税ではあるが、その収入の一定割合を地方自治体に譲与するものであり、その目的が法律に定められているものである。ここでは、例として特別法人事業譲与税および森林環境譲与税をあげておく。

 

 2.内国税と関税

 関税は、国税のうち、外国からの輸入貨物に課されるものである。これ以外が内国税である。内国税と関税とでは、扱う行政組織が異なる。内国税を扱うのは国税庁・国税局・税務署であり、関税を扱うのは税関である。また、関税については、関税法および関税定率法、さらに国際条約が適用されており、原則として、国税通則法、国税徴収法の適用が排除される。

 

 3.直接税と間接税

 伝統的な学説によると、直接税と間接税は、それぞれ、次のように定義されてきた。

 まず、直接税とは、納税義務者と担税者が同一であることを立法者が予定する租税をいう。これに該当するとされるのが所得税、法人税、相続税、固定資産税などである。

 これに対し、間接税とは、納税義務者と担税者とが異なり、納税義務者が租税負担を別の者(担税者)に転嫁することを立法者が予定する租税をいう。これに該当するとされるのが消費税、地方消費税、酒税、たばこ税、揮発油税、関税などである。

 上記のような定義について、故木下和夫教授は「一般的にはわかりやすいが、厳密に定義していくときには非常にあいまいな区分になってしまうという性格を持っている」と述べる〈木下和夫「租税構造の理論と課題」木下和夫編著『租税構造の理論と課題(21世紀を支える税制の論理第1巻)』〔改訂版〕(2011年、税務経理協会)7頁〉

 直接税と間接税との区別は、一般的に転嫁の有無を基準にするものとして説明されてきた。直接税、間接税のそれぞれについて上記のように理解するならば、転嫁を基準にせざるをえない。しかし、実際には、直接税であるから転嫁がなされない、あるいは、間接税であるから必ず転嫁がなされる、ということにはならない。市場においては、当事者の力関係などにより、転嫁の有無が決定されるから、間接税であっても租税負担が転嫁されないという場合が存在するのである。これに対し、法人税は直接税であり、納税義務者と担税者が同一であるとされるが、実際には、法人が取引活動などをなす際に、法人税負担分を価格に上乗せし、相手方に実際の負担を転嫁するという現象が存在する。

 故木下和夫教授は、次のように述べる。

 「転嫁の大きさの程度によっては、例えば消費税において完全に転嫁されれば間接税になるが、消費税が市場の状況によって全く転嫁されないときには直接税(つまり事業者課税)になってしまうことになる。あるいは、所得税を例にとってみても、被雇用者の所得税のほとんどが源泉徴収の方法によって勤務先の事業主が納税するが、その税負担は被雇用者が負うというのであれば、個人所得税の大部分は直接税ではなくて間接税なのか、ということになる。直間比率は、あいまいな定義に基づく租税の分類基準であるために、厳密な議論をする場合には混乱をひきおこすことになる。/現代では、このような状況をふまえて、直接税、間接税の分類基準はむしろ形式的かつ直観的なものであり、課税当局の行政上の分類として用いられているにすぎないというべきであろう。」〈木下・前掲書7頁。/は原文改行箇所。〉

 金子宏教授は、直接税とされる固定資産税を例にとり、固定資産の所有者が固定資産税の分を地代や家賃に含めて借地人や借家人に転嫁するという現象、すなわち、固定資産税の実質的な負担を所有者ではなく、借地人や借家人がなすという現象が存在することを指摘し、「最近では、むしろ、所得や財産など担税力(租税を負担する能力のこと)の直接の標識と考えられるものを対象として課される租税を直接税と呼び、消費や取引など担税力を間接的に推定させる事実を対象として課される租税を間接税と呼ぶことが多い」と述べる〈金子宏『租税法』〔第二十三版〕(2019年、弘文堂)16頁〉

 固定資産税(都市計画税が課されている市町村においては都市計画税も含めて)の転嫁について記すならば、固定資産の所有者が借地人や借家人に税額(少なくともその一部)を転嫁しなければ、固定資産を維持し難いという場合も少なくないであろう。同様のことは不動産所得税についても指摘しうるので、その限りにおいて所得税も転嫁されうることになる。もっとも、固定資産税や不動産所得税の場合、固定資産の所有者に転嫁の意識があるか否かについては、議論の余地もあろう。それに、転嫁云々を言い出すならば、譲渡所得税などについても認めざるをえないのではなかろうか。

 また、神野直彦教授は「直接税と間接税は、租税負担の転嫁の有無を基準とした分類だと考えてよい」としつつ〈神野直彦『財政学』〔改訂版〕(2007年、有斐閣)149頁〉、実際の転嫁の有無を判断することが難しいという事実を指摘する。その上で「法人税が転嫁されていることを実証する研究が続々と現れている」としていくつかの研究を紹介し、「法人税の転嫁を肯定する議論が、常識になっているといってもよい」、「シュタインがいうように、転嫁は不可知論の領域に属するといったほうがよいかもしれない」、「転嫁の有無を分類基準とする直接税と間接税の区別は、きわめて曖昧な租税の分類基準となる。そのため直接税と間接税の区別は、実際の転嫁の有無でなく、立法上の規定に委ねられるようになっている。つまり、法律上、納税者が負担することを予定している租税が直接税であり、納税者が負担しないで、取引相手が負担することを予定している租税が間接税、と理解されている」と述べる〈神野・前掲書177頁。結果的に、私の説明と同じ趣旨である〉

 以上と異なる説明をなすのが吉田浩教授である。吉田教授は、納税義務者と担税者との異同による直接税と間接税との区別について「これではサラリーマンの給与からの源泉徴収による所得税を直接税と説明することができない」として「最近の説明では直接税は『税負担者の個別事情を考慮できる税』、間接税は『税負担者の個別事情を考慮できない税』とも説明されている」と述べる〈畑農鋭矢・林正義・吉田浩『財政学をつかむ』(2008年、有斐閣)204頁。源泉徴収による所得税については、故木下教授も「被雇用者の所得税のほとんどが源泉徴収の方法によって勤務先の事業主が納税するが、その税負担は被雇用者が負うというのであれば、個人所得税の大部分は直接税ではなくて間接税なのか、ということになる」と指摘する(木下・前掲7頁)〉。また、鈴木将覚教授は「直接税が個人の経済的事情を反映させることが可能な税であるのに対し、間接税は無記名の課税ベースに対して課税が行われるという点が重要である」と述べる麻生良文・小黒一正・鈴木将覚『財政学15講』(2017年、新世社)89頁[鈴木将覚担当]〉。表現は異なるが、後に示す北野博士の説明と同旨である、と考えてよいであろう。

 租税負担の転嫁の可能性は、財政学の観点に立った場合の議論であると言うべきである。勿論、法律学においても、立法政策などを考慮に入れるならば、転嫁の可能性の有無は重要であるが、法律学の観点に立った場合には、租税法律関係に着目すべきであろう。北野弘久 博士は「直接税の場合には、税法上は納税義務者と担税者とが一致することが予定されているために、ほんとうの納税者である担税者も租税法律関係の当事者としての法的地位を取得することが予定されている。逆に、間接税の場合には、ほんとうの納税者である担税者は、租税法律関係の当事者としての法的地位が与えられず、法形式的にも租税法律関係から排除されることが予定されていることを意味する」と述べる〈北野弘久編『現代税法講義』〔五訂版〕(2009年、法律文化社)7頁[北野弘久担当]〉

 (4)人税と物税

 人税とは主体税ともいい、主に人的な側面に着目して課されるものであり、所得税、相続税などが該当する。これに対し、物税とは客体税ともいい、主に物的な側面に着目して課されるものであり、消費税や固定資産税などが該当する。

 (5)収得税・財産税・消費税・流通税

 これは、担税力の標識および課税物件の相違を基準とした区別である。

 収得税は、収入に着目して課される租税であり、直接的に所得を対象とする所得税(法人税、住民税なども含まれる)と、人が所有する生産手段から得られる収益を対象とする収益税(事業税や鉱産税など)とに分かれる。なお、相続税および贈与税は、所得税の補完税として考えるならば収得税であるが、次に説明する資産課税(財産税)と捉える説も存在する。

 北野編・前掲書は、所得税のうち、譲渡所得および山林所得を「所得課税法」の項目においてではなく、「資産課税法」の項目において扱う。

 財産税は、財産の所有に着目して課される租税であり、人の財産の全体や純資産を対象とする一般財産税と、特定の種類の財産を対象とする個別財産税とに分かれる。日本においては、かつて、一般財産税として富裕税が存在したが、既に廃止されている。相続税および贈与税は、財産税とすれば一般財産税に含まれることとなる。これに対し、個別財産税には、地価税、固定資産税、自動車税などがあり、重要な地位を占めている。

 金子・前掲書17頁は、一般財産税の例として、1946(昭和21)年に導入された財産税と1950(昭和25)年に導入された富裕税をあげる。

 消費税は、物品やサービスを購入し、消費することに着目して課される租税である。ゴルフ場利用税や入湯税のように、消費行為そのものに課されるのが直接消費税であり、製造業者や小売人により納付された租税が販売価格に含められて消費者などに転嫁されることが予定されるものが間接消費税である。例として、消費税、酒税、たばこ税などをあげうる。

 さらに、間接消費税は、課税対象に応じて個別消費税と一般消費税とに分かれ、課税段階に応じて単段階消費税と多段階消費税に分かれる。このため、理念的には単段階個別消費税、多段階個別消費税、単段階一般消費税、多段階一般消費税の四種が存在しうることとなるが、日本の税制には、現在、多段階個別消費税と単段階一般消費税は存在しない。

 個別消費税は、課税対象が特定の物品またはサービスに限定されるというものであり、酒税、たばこ税などが該当する。これに対し、一般消費税は、課税対象が原則として全ての物品およびサービスであるというもの、すなわち、課税対象が原則として限定されないものをいう。消費税および地方消費税が該当する。

 また、単段階消費税は、一つの取引段階のみで課税を行うものであり、酒税、たばこ税などが該当する。これに対し、多段階消費税とは、複数の取引段階で課税を行うものであり、消費税および地方消費税が該当する。

 流通税は、権利の取得や移転など、取引に関する様々な事実行為や法律行為を対象として課される租税である。登録免許税、印紙税、不動産取得税などが該当する。

 (6)普通税と目的税

 普通税とは、収入の使途を特定の経費に充てることを予定せずに課される租税である。近代立憲国家においては普通税が原則とされている。これはノン・アフェクタシオンの原則と言われるものであり、財政法第14条、会計法第2条および地方自治法第210条にいう総計予算主義の要請でもある。

 これに対し、目的税とは、当初から収入の使途を特定の経費に宛てることを予定して課される租税である。法律によって支出目的が規定されているため、例外として扱われる。

 しかし、最近では、支出目的の限定という面に着目し、目的税が応益原則に資することが強調され、再評価の機運も見られる。また、地方分権に伴う課税自主権の強化の一環として、法定外目的税の活用例が増えている。

 たしかに、目的税により、税収の使途の明確化が期待できる部分があることは否定できないのであるが、次に示すような問題があり、法定外普通税を含めて懸念を抱かざるをえない。

 第一に、目的税を多用するならば「財政の統一的運営を困難に」し〈金子・前掲書20頁〉、財政の硬直化を招きやすくなる。特定財源についても同様のことを指摘しうる。

 金子・前掲書20頁、拙稿「地方目的税の法的課題」『地方税の法的課題(日税研論集46号)』(2001年、日本税務研究センター)284頁。なお、碓井光明『要説地方税のしくみと法』(2001年、学陽書房)37頁、伊川・前掲35頁を参照。

 第二に、議会の予算審議権・議決権の範囲を狭め、結局は国民主権、地方自治における団体自治・住民自治の原則に反する結果につながりかねない。

 拙稿・前掲日税研論集46号285頁。なお、碓井・前掲書38頁、宮入編著・前掲書31頁[松井吉三担当]、同書134頁[松井]も参照。

 第三に、本来、地方税は住民生活の基盤整備という目的を有するはずであるが、第一次地方分権改革による法定外普通税・法定外目的税の制定の動向はこの目的と異なる方向に進んでおり、結局は課税しやすいところに課税するという傾向が見受けられる。東京都の宿泊税はその典型であり、東京都に居住し、都内の宿泊施設を利用する住民はもとより、課税団体である地方公共団体の域外に居住する住民や企業など、参政権がなく、当該地方公共団体の住民税の納税義務者でもない者を宿泊税の納税義務者としている※。地方自治法第10条第2項に規定される負担分任の原則から逸脱していることは否めず、第二の点と同様に国民主権・民主主義の観点からは問題とせざるをえないし、租税体系に歪みを生じさせる危険性が高いことも否定できない※※。

 ※「ホテル等」は、東京都宿泊税条例第6条第1項により、特別徴収義務者とされる。なお、ここにいう「ホテル等」は、同第2条において「旅館業法(昭和23年法律第138号)第3条第1項の許可を受けて行う同法第2条第2項又は第3項の営業に係る施設」と定義される。

 ※※東京市町村自治調査会『課税自主権と法定外税調査研究報告書』(2004年3月)178頁。これは、大分大学教育福祉科学部助教授であった私へのインタビューをまとめた記事である。同書179頁には増田英敏教授へのインタビューをまとめた記事も掲載されているので、参照されたい。

 

 ▲第3版における履歴:2019年9月27日掲載。

 ▲第2版における履歴:「第1部:租税法の基礎理論 第1回:租税とはいかなるものか」を参照。本記事は、第2版における「01 租税と租税法」の一部を分離独立させたものである。

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おしらせです(2019年9月26日)

2019年09月26日 14時45分10秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、おしらせです。

 日本評論社から『新・判例解説Watch』25号が刊行されました。

 この中に、私の「第二次納税義務者に対する告知処分と法人格否認の法理」が掲載されています。

 御一読をいただければ幸いです。

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第1部:租税法の基礎理論  第01回:租税とはいかなるものか

2019年09月26日 06時00分00秒 | 租税法講義ノート〔第3版〕

 1.一生、そればかりか死んでからも関係してくる租税

 「揺り籠から墓場まで」(from the cradle to the grave)という言葉がある。元々はイギリスの「ベバレッジ報告」(1942年)に登場した言葉であるとも、イギリスの労働党が唱えたものであるともいい、社会保障制度の充実を表現する言葉である。

 しかし、視点を変えると実は租税についても同じようなことが言える。我々がこの現代社会に生きている限り、ごく僅かな例外を除けば、租税と全く関わりのない生活を送ることはできない。例えば道路を歩くのであれ、自動車を運転するのであれ、列車や船や飛行機に乗るのであれ、租税と無関係ではいられない。個人で事業を営むのであれ、会社などに雇われて勤労をするのであれ、株式などに投資するのであれ、いかなる生活を送るにせよ、所得税や住民税などと全く無縁であるということは考えにくい。預貯金口座を持っていれば、預貯金の利子に所得税がかかる。実際には利子から所得税が天引きされ(これを源泉徴収などという)、残りが口座に入る訳であるが、このこと一つをとっても、我々が租税と無縁の生活を送っている訳ではないことがわかるであろう。

 しかも、個人が死んだらそれでおしまい、という訳にもいかない。文字通りの意味で何物も残す(遺す)ことなく死ぬ者はいない。遺体を含めて、個人は必ず何かを残す(遺す)。残した(遺した)ものがどれだけの経済的価値を持つかということは、別の問題である。そればかりか、残した(遺した)ものの中に借金などの債務があるかもしれない。いや、実は、日本において生活する人は、借金はなくとも、何らかの形で債務を残して死ぬのである。租税はその代表であり、故人の後始末という形で、遺族は準確定申告などを行わなければならない。誰かが亡くなれば、相続または遺贈ということになって、遺族などが相続税の納税義務を負うことにもなる。

 〈初回にいきなり死だの債務だの墓場だのと暗い話で申し訳ございません。言い訳をしておきますと、法律学に携われば、私生活はともあれ、何らかの形でこういうことに関わらざるをえないのです。私が大分大学教育学部・教育福祉科学部で法律学概論という講義を担当していた時に、少なからぬ学生から話の内容が暗いとか物騒だとかという苦情(?)を寄せられたのですが、仕方のないことなのです。〉

 現在の日本には、所得税、法人税、消費税、相続税・贈与税、固定資産税など、多くの種類の租税、わかりやすい言葉を選べば税金がある。後の回において述べるが、日本の租税は大別して国税と地方税と分かれ、国、都道府県、市町村、特別区が課税主体として租税を徴収する。

 

 2.日本国憲法にも法律にも租税の定義はない

 ところで、皆さんは租税とは一体何であろうと考えたことがあるであろうか。

 所得税法、法人税法などの法律で定められたものである、という簡単な答えもある。しかし、これは「法律が税金であると決めたから税金である」と言っているに過ぎず、答えらしい答えにはなっていない。我々は、租税、税金という言葉を耳にして、漠然としてはいても何かのイメージを思い浮かべるであろう。租税というからには、例えば電車や路線バスの運賃とは違うものであるということはわかる。

 所得税法、法人税法、さらには国税通則法などの法律があるのであるから、法律に「租税とは何ぞや」ということくらいは書かれているだろう、とお思いの方もおられるであろう。まして、日本国憲法があるではないか。日本国憲法の第30条には納税の義務が定められている。憲法が定める国民の三大義務の一つとして、高等学校の政治・経済の教科書にも書かれている。このように考える方もおられるに違いない。

 それでは、日本国憲法を読み直してみよう。確かに、第30条に納税の義務が規定されている。そして、第84条および第30条に租税法律主義が規定されている。租税という言葉は第84条に登場する。しかし、第30条、第84条のいずれにも、租税の定義は示されていない。

 租税法律主義については後の回において取り上げるが、憲法学における通説的な見解は、租税法律主義の根拠として第84条のみをあげるようである。しかし、租税法学においては、租税法律主義の根拠に関して見解が分かれており、第84条および第30条を根拠とする見解が多い。租税法律主義は、単に国家財政運営上の原則に留まらないものである、と解されるべきである。従って、第84条と第30条の双方を根拠とする見解のほうが妥当であろう。この点については、拙稿「租税法律主義の射程距離(1)―旭川市国民保険条例訴訟大法廷判決の検討を中心に―」税務弘報54巻12号(2006年9月号)129頁注1、同「租税特別措置法附則27条による同法31条の遡及適用が違憲無効と判断された事例」速報判例解説編集委員会編『速報判例解説』(法学セミナー増刊)3号(2008年)288頁も参照。

 このことは、法律などについても同様であり、租税法とされる法律のいずれを参照しても、租税の定義はなされていない。

 一方、租税法学や財政学などの教科書を参照すると、たいてい、租税の定義に関する記述がある。もっとも、定義づけはそれほど容易なことではない。そればかりか、定義の実用性を疑う見解も存在する。おそらく、「あまり実益がないから」、あるいは「難解な記述となるから」ということもできる。 たしかに、谷口勢津夫教授が指摘するように「個々の税目については、その意義および内容が法律や条例で定められる」から「租税の定義をめぐって、法律や条例の解釈上問題が生じることはない」〈谷口勢津夫『税法基本講義』〔第6版〕(2018年、弘文堂)8頁〉。しかし、実際には、租税に限らず、我々が国家や地方公共団体に納める(支払う)金銭などの債務は多いし、租税と言いながらそれ以外のもの、例えば負担金と区別し難いものも存在する。また、租税とは異なるはずの社会保険料などについても、租税と同様の問題が生じる場合も存在する。例えば、私を含め、多くの給料鳥(誤字ではない)が受け取る給料は、あらかじめ、租税と社会保険料が天引きされたものである。

 そこで、この回においては、租税とはいかなるものであり、租税法とはいかなるものであるのか、ということについて話を進めていく。

 なお、以下における租税の法的定義などについて、ほぼ同じ趣旨を拙稿・前掲税務弘報論文135頁においても述べている。

 

 3.租税の法的(法律学的)定義

 既に述べたように、日本においては、租税についての法的定義がなされていない。

 もっとも、国税通則法第2条第1号および国税徴収法第2条第1号は「国税」を「国が課する税のうち関税、とん税及び特別とん税以外のものをいう」と定義し、国税徴収法第2条第2号は「地方税」を「地方税法(昭和25年法律第226号)第1条第1項第14号(用語)に規定する地方団体の徴収金(都、特別区及び全部事務組合のこれに相当する徴収金を含む。)をいう」と定義する。これらは、国税通則法、国税徴収法のそれぞれの適用に必要な範囲を決めるための定義であり、租税そのものの定義でないことは明らかである。

 しかし、 公租公課として、国家(および地方公共団体)が国民から徴収する財貨(金銭など)は、租税ばかりでなく、負担金、手数料などの形式をとる場合もある。従って、或る程度、租税のメルクマールを明らかにしておく必要がある。

 租税の法的定義を行った例として有名なものは、1919年に制定されたドイツ(ヴァイマール共和国期)のReichsabgabenordnung(一般的にライヒ租税通則法と訳す。直訳ではライヒ公課法となる) である。同法の第1条第1項は、「租税とは、特別の給付に対する反対給付ではなく、給付義務につき法律が定める要件に該当するすべての者に対し、収入を得る目的をもって公法上の団体が課する一回かぎり又は継続的な金銭給付をいう。関税はこれに該当するが、行政行為を特別に請求することに対する手数料及び負担金(受益者負担)は、これに該当しない」と規定する〈訳は、田中二郎『租税法』〔第三版〕(1990年、有斐閣)1頁による〉

 また、1977年に制定されたドイツ(連邦共和国)の租税通則法(公課法。Abgabenordnung)第3条第1項は、「租税とは、特別の給付に対する反対給付ではなく、法律が給付義務について定める要件に該当する者に対し、公法上の団体によって収入を得るためにのみ課される金銭給付をいう。収入を得ることは付随的目的たりうる 」と規定する〈この条文の訳は、私自身によるものである〉

 日本においては、上記の定義(とくにライヒ租税通則法第1条第1項)を基として、法律学などにおいて様々な定義がなされている。若干の例をあげておく。

 「租税とは、国又は地方公共団体が、その課税権に基づき、特定の給付に対する反対給付としてではなく、これらの団体の経費に充てるための財力調達の目的をもって、法律の定める課税要件に該当するすべての者に対し、一般的標準により、均等に賦課する金銭給付である」〈田中・前掲書1頁〉

 「国(または地方公共団体)が、国の主権に服する者から、公的・一般的収入の目的をもって、法律(または条例)に定める要件を充足する事実があり、金銭的給付義務が確定するときに、強制的に、収納する金銭的給付である」〈新井隆一『租税法の基礎理論』〔第三版〕(1997年、日本評論社)2頁〉

 「国家が、特別の給付に対する反対給付としてではなく、公共サービスを提供するための資金を調達する目的で、法律の定めに基づいて私人に課する金銭給付である」〈金子宏『租税法』〔第二十三版〕(2019年、弘文堂)9頁〉

 以上は学説による定義であるが、最高裁判所も判決の理由において租税の定義を述べている。まず、大嶋訴訟として有名な最大判昭和60年3月27日民集39巻2号247頁は「租税は、国家が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてでなく、その経費に充てるための資金を調達する目的をもつて、一定の要件に該当するすべての者に課する金銭給付である」と述べる。これは、上記の諸定義と同じ趣旨と考えてよいであろう。

 また、旭川市国民健康保険条例訴訟として有名な最大判平成18年3月1日民集60巻2号587頁も「国又は地方公共団体が、課税権に基づき、その経費に充てるための資金を調達する目的をもって、特別の給付に対する反対給付としてでなく、一定の要件に該当するすべての者に対して課する金銭給付は、その形式のいかんにかかわらず、憲法84条に規定する租税に当たるというべきである」と述べる。これも、上記の諸定義と同じ趣旨と考えてよい。

 

 4.租税のメルクマール

 先に掲げた諸定義には、一定の共通する内容が含まれている。しかし、統一的な定義がなされている訳ではない。

 もっとも、これは日本だけの現象ではない。租税の定義を実定法において示すドイツの例は、むしろ、世界的にも珍しいほうである。おそらく、憲法上の争点となりうることを含め、実益の点などを考慮したのであろう。そして、日本においては、ドイツとは逆に、租税を法的に定義することには実益がないという考え方のほうが一般的であるかもしれない。

 たしかに、通常の場合は、先に示した谷口教授の指摘にあるように、法律によって国税および地方税とされているものを租税とする形式的思考法が簡便でもあるし、それで事足りることが多い。

 また、北野弘久博士は、租税の定義について根本的な疑義を述べる。北野博士は、租税について「法認識論のレベル」における定義と「法実践論のレベル」における定義とが区別される必要がある旨を指摘し、その上で、「従来の租税概念は、明治憲法のもとでのそれを、日本国憲法のもとにおいても無批判的に踏襲してきたものであ」り、「明治憲法のもとでと同じレベルで日本国憲法のもとでの税財政に関する法概念・法理論を構築することは学問的には誤謬である」と批判する〈北野弘久(黒川功補訂)『税法学原論』〔第7版〕(2016年、勁草書房)18頁、20頁。北野弘久編『現代税法講義』〔五訂版〕(2009年、法律文化社)4頁[北野弘久担当]も参照〉

 甲斐素直教授も、先に示した田中二郎博士による定義を引用しつつ「これが税法学の対象となる租税の定義を述べているに」留まり、憲法第84条と「まったく結びつきをもっていない」と批判する〈甲斐素直「租税法律主義における租税概念の外延について」日本法学60巻3号(1994年)132頁。なお、同論文では憲法学の学説についても批判が展開されている〉。

 これまでの租税法学や憲法学などにおける租税の定義に、不十分な点があることは否定できない。とくに、租税法学と憲法学との間には、決して短くない距離がある〈拙稿・前掲税務弘報論文137頁。拙稿「日本国憲法における『租税』の概念と租税法律主義との関連についての試論」税制研究56号(2009年)137頁も参照〉。このため、さらに検討を重ねる必要性は高い。ただ、形式的思考法によっては、租税とそれ以外の公課とを上手く区別できないこともあるし、租税法律主義の射程距離を画定する際などには困難を生じる。

 私は、実定法において租税を定義する実益はあるものと考える。とりわけ、憲法において定義を示す必要性はあると考える。この点に関連して、税理士の山本守之氏が、国税徴収法第2条における定義を「定義の実益だけを考えて規定している例である」とした上で、憲法第84条が租税法律主義の根拠規定となっているために「実定法において租税を定義する必要はあるように思われる」と述べており、参考になる〈山本守之『租税法の基礎理論』〔新版〕(2008年、税務経理協会)4頁〉。  

 既に示した諸定義には、若干の差異があるように読み取りうる。これは、後に述べる租税観、さらに言うならば国家観の相違によると考えられる部分もあるが、多くは表現上の問題である。これらの定義に共通する部分を見出せば、租税のメルクマールを明らかにすることができよう。  租税のメルクマールについては、次のように整理することができる。

 この整理は、主に佐藤進=伊東弘文『入門租税論』〔改訂版〕(1994年、三嶺書房)1頁による。また、より一般的に、肥後和夫編『財政学要論』〔第4版〕(1993年、有斐閣)115頁[西村紀三郎担当]、片桐正俊編『財政学―転換期の日本財政―』(1997年、東洋経済新報社)209頁[長沼進一担当]、吉田克己『現代租税論の展開』(2005年、八千代出版)9頁、宮入興一編著『現代日本租税論』(2006年、税務経理協会)1頁[松井吉三担当]、神野直彦『財政学』〔改訂版〕(2007年、有斐閣)149頁、星野泉­=小野島真編『現代財政論』(2007年、学陽書房)55頁[小野島真担当]、室山義正『財政学』(2008年、ミネルヴァ書房)205頁も参照。なお、拙稿・前掲税務弘報論文135頁も参照。

 (1)強制性

 租税は、根本的に公権力を背景とした強制性を備える、とされる。しかし、これだけでは手数料や負担金と区別し難い。

 (2)無償性

 ここにいう無償性とは、何らかの対価としての性格、または反対給付としての性格が認められないことをいう

 手数料は、国家などによる何らかの特定の給付に対する反対給付である。例えば、公園の入園料などを考えればよい〈但し、地方自治法第231条の3第2項、地方税法第67条、同第72条の67などに規定される督促手数料に注意する必要がある〉。また、負担金は、例えば宅地開発のように、開発などによって利益―手数料の場合よりも、より一般的な利益―を受ける者に対し、その利益に着目して課されるものである。従って、手数料および負担金の場合には無償性が認められないことになる〈この点をとくに強調するのが、神野・前掲書164頁である〉

 これに対し、租税には無償性が認められる。例えば、所得税の申告を期限までに行い、法律に定められたとおりに申告をしても、それによって選挙権の行使に特典が認められる、などというようなことはない。青色申告については若干の優遇措置が認められるが、これは政策的なものであるし、国政全般について何らかの反対給付が得られる訳でもないし、そもそも国からの何らかのサーヴィスに対する直接的な対価という意味を有する訳でもない。

 しかし、無償性についても問題がある。前掲最大判平成18年3月1日および前掲最判平成18年3月28日の根本的な難点は、かような部分にあるのかもしれない〈拙稿・前掲税制研究56号139頁〉

 第一点は、既に示した北野教授の根本的な疑義に関わる。大日本帝国憲法第62条は、第1項において「新ニ租税を課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ」としつつ、第2項において「但シ報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラス」と定めていた。このような規定であれば、無償性は当然のこととして承認されるであろう。しかし、日本国憲法第84条には大日本帝国憲法第62条第2項のような明文が存在しない。従って、日本国憲法第84条は、無償性を有する公課のみを租税と扱うものとすべき説の根拠にならないのではなかろうか。

 第二点は、反対給付または対価性の意味ないし範囲の不明確性であり、無償性の意味との関連において無視しえない問題である。ここでは、たとえば目的税を考えてみるとよい。

 本来、目的税は行政側の利益提供に対する反対給付として位置づけられるものではない。しかし、実際には受益者負担論的(または原因者負担的)な観点から、何らかの対価性を有するものと考えられることが少なくないようである〈消費税の福祉目的税化の議論はその典型であろう〉。そうであるならば、反対給付ないし対価性は、手数料のように直接的な租税負担との対応を必要としないことになる〈増田英敏『リーガルマインド租税法』〔第4版〕(2013年、成文堂)227頁は「租税の非対価性は直接的な対応関係がないという意味で用いられている」と指摘する〉。しかし、これでは租税たる目的税とその他の公課との区別が曖昧になり、「何らかの行政目的が存在する場合に、強制的に徴収する必要があれば税の名を借り、柔軟な対応をすべき場合は負担金や分担金といった形式を選択するとの便宜的な運用が行われてきた」と評価されるのもやむをえない〈伊川正樹「地方目的税の今後の可能性―『本来的目的税』の提言を基礎として―」日本租税理論学会編『地方自治と税財政制度(租税理論研究叢書16)』(2006年、法律文化社)37頁〉。実際に、自動車取得税・入猟税・水利地益税などのように、負担金との区別がつきにくいものもあるし、都市計画税のように曖昧な性格を有するものもある。

 なお、ヴァーグナー(Adolf Wagner)は租税に「一般的報償性」を認めたが、ノイマルク(Fritz Neumark)により批判された。

 (3)道具的性格

 租税は、第一次的に国家の資金調達を目的とするものである。かつてはこれがメルクマールとして強調されていた。国家自身が財貨などを得る場合が多いからである。

 しかし、国家が租税を徴収しつつも、その徴収額を第三者に譲渡することもある。その代表例として、地方譲与税、地方交付税、補助金をあげることができる。

 また、経済政策、景気政策などの手段に用いられることもある。前掲最大判昭和60年3月27日も指摘するように、租税には所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整などの機能があることも認められる〈この趣旨は、最判平成4年12月25日民集46巻9号2829頁(酒類販売免許制訴訟)において引用されている〉。先にあげた地方譲与税、地方交付税や補助金などは、このような機能を担うものとして捉えられるであろう。また、最近では自動車取得税などにおいて、環境政策の一環として用いられることがある。

 (4)一連の租税の調達過程における課税の一方的性格

 これは、徴税手続などにおける権力的要素などを指す。  現在、通説は租税を私人の法定債務であると考える。私もこの説を支持するのであるが、これは税額や税率が法定されているという実体法的観点に着目したものであり、租税の徴収という手続法的観点からすれば、申告納税という方法が多くの租税において採られているものの、更正、推計課税、さらに税務調査など、権力的な側面が強いことも否めない。

 (5)法律の根拠

 近代立憲主義において、私有財産の不可侵は重要な原則である。この原則は現代立憲主義において若干の修正を受けたが、日本国憲法は、私有財産制度の存在を前提とし、私有財産の保護を規定する。しかし、租税は、上述のように、国民から強制的に、直接的な反対給付を伴うことなく徴収されるものである。従って、課税権の行使は、国民の財産権に対する一方的な侵害にあたる。そのために、恣意的な課税権の発動がなされてはならない。

 また、本来ならば租税こそが国家の資金調達の最終手段でなければならないが、近年は公債に依存する傾向が大きい。日本は代表的であり、先進国の中でも最悪の水準である。

 但し、ここで注意しなければならないことがある。

 上記における租税の定義は租税法学あるいは財政学におけるものであり、行政の観点からのものとも言いうる。租税、手数料、負担金などは、それぞれ根拠法規を異にするし、取扱も異なる。しかし、日本国憲法第84条における「租税」の意義については、別に考えなければならない。この点は、租税法の講義というより、むしろ憲法や財政法の講義において扱うべきものであるため、ここでは詳しく取り上げないこととする。

 拙稿・前掲税務弘報54巻12号137頁、同・拙稿前掲税制研究56号136頁を参照。

 

 ▲第3版における履歴:2019年9月26日掲載。

 ▲第2版における履歴:2011年3月15日掲載

            2011年3月21日修正。

            2011年3月22日補訂。

            2011年3月31日修正。

            2011年4月5日修正。

            2012年8月5日修正。

            2013年3月29日修正。

            2013年8月1日修正。

            2014年3月3日修正。

            2018年1月24日補訂。

            2018年7月23日修正。

            2019年9月26日掲載。

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第0回 行政法を学ぶ際の注意事項

2019年09月25日 12時00分00秒 | 行政法講義ノート〔第7版〕

 「行政法講義ノート〔第7版〕への前口上」(2019年5月26日0時0分0秒付)においても注意事項を記しておきましたが、少しばかり補充をしておきます。

 現在、多くの大学の法学部(とくに法律学科)においては、少なくとも行政作用法総論を扱う科目、例えば「行政法1」というような名称の科目を2年生から履修できるでしょう。

 あるいは、法学部でも法律学科以外の学科、法学部以外の学部、例えば経済学部では3年生以上の科目とされているかもしれません。その場合には1年間で行政作用法総論、行政組織法(総論)、行政救済法を学ぶことになるはずです。

 いずれにしても、行政法を学び始める前に、憲法、民法(総則など)、刑法(総論)を学び、基礎を習得しておくべきである、と考えられているのです。

 行政法を「法律基礎科目」と位置づけている教科書もあります※。しかし、これは、おそらく現在の司法試験で行政法が必修科目の一つとなっているためであって、実際には応用科目として位置づけられるべきです。実際に、行政法は、司法試験の必修科目のうちで唯一、いわゆる六法に含まれていません。そればかりか、行政法は旧司法試験時代に選択科目の一つとされた時期が長く、選択科目から外されたことすらありました。

 ※原田大樹『例解行政法』(2013年、東京大学出版会)xiv頁。但し、同じ頁をよく読んでください。

 応用科目と記したのは、行政法を学んでいると、憲法、民法、刑法、民事訴訟法などに関する知識が必要なことも少なくないからです。例えば、行政作用法総論で学ぶ「法律による行政の原理」や「行政裁量」は憲法と深い関係があります。「法律による行政の原理」は法治主義の一環でもあるため、立憲主義とも関係があります。憲法学でも扱う租税法律主義は「法律による行政の原理」が最も厳格に適用される例でもあるのです。また、とくに「行政裁量」について言いうるのですが、行政作用法総論と憲法の人権論は硬貨の裏表のような関係にあると言えます)。「行政行為」や「行政契約」は民法の総則に登場する法律行為の応用とも言えます。「行政調査」に至っては刑事訴訟法と関係する部分も含まれています。また、行政救済法は民事訴訟法の応用です。

 しかし、2年生の段階で刑事訴訟法や民事訴訟法を履修できるという法学部はほとんどないでしょう。どうすればよいのでしょうか。

 あれこれと手当たり次第に勉強しても身につく訳ではないので、まずは憲法、民法および刑法の復習をしておきましょう。具体的には、次のようになります。

 憲法:人権論を一通り学んでおくのが理想的です。行政作用法総論を学んでいると、憲法の判例とされる判決の多くも登場します。先に記したように、行政作用法総論と人権論は硬貨の裏表のような関係にあります。人権論を理解していないと、「行政裁量」、「行政立法」など多くの部分について理解できないかもしれません。

 ただ、法学部の1年生で履修できる憲法の科目で何を学ぶかは、大学によって異なります。1年生で人権論を学び、2年生で統治機構を学ぶという科目構成になっているほうがよいのですが、逆になっている場合には2年生で人権論と行政作用法総論とを同時並行で学ぶことになります(憲法学の教科書で自習する必要もあります)。そうならざるをえないので、人権論を扱う科目を履修しないということだけは避けてください。

 民法:最低限として、総則を一通り学び終えていることが必要でしょう。歴史的な経緯もあって、行政法の理論の多くは民法の理論の応用として生まれています。とくに「行政行為」は法律行為の応用であり、時には法律行為そのものという部分も登場します。法律行為に限らず、人(自然人および法人)、物、時間(時効など)という要素は、民法であれ行政法であれ、非常に大事な事柄です。

 また、債権総論も或る程度は学んでおくことが望ましいとも言えます。ただ、これは2年生以上で学ぶことでしょうから、同時並行ということになります。

 刑法:やはり、総則、つまり、いわゆる刑法総論を学び終えていることが必要です。もっとも、刑法各論を学び終えている必要はないと考えてかまいません。

 このように記すと「前もってやっておかなければならないことが多いのか」と慨嘆される方もおられるかもしれません。しかし、裏技のようなものがない訳ではありません。行政法で学んだことを、憲法、民法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法などの学習に生かすのです。邪道とも言えますし、方法を誤ると危険ですが、有効な手段であると言えます。

 ちなみに、私は、1年生で憲法の人権論や民法総則の科目を履修しましたが、3年生で行政作用法総論の科目を履修し、1冊の基本書を徹底的に読み潰したことで、民法総則のうちの法律行為を理解することができました。当時(1990年頃)は、行政作用法総論の科目が3年生に、行政救済法の科目が4年生に配当されていました。

 なお、法学部(法律学科)の学生であれば、3年生以上で民事訴訟法および刑事訴訟法の科目を履修することになります。行政法でも行政救済法の科目は3年生以上に配当されているところが多いでしょう。同時並行、または民事訴訟法および刑事訴訟法を先行して履修するとよいでしょう。

 最後に。「行政法講義ノート〔第7版〕への前口上」に記したように、この講義ノートでは、法学部以外の学部の学生、さらには法律学に全く触れてこなかったという方も利用されることを念頭に置いています。

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甲種回送(長津田駅→逗子駅) Q SEAT車に置き換えられる前の東急6000系デハ6301+デハ6302(+DE10 1666)

2019年09月25日 00時00分00秒 | 写真

 今年から大井町線・田園都市線の急行(大井町→長津田)で有料座席指定車サービス「Q SEAT(Qシート)」が始まりました。7両編成の急行の3号車、オレンジ色の車体がQ SEATの車両で、当初は今年営業運転を開始した6020系のみでしたが、6000系にも導入されることとなり、6101Fのデハ6301と6102Fのデハ6302がQ SEAT車に置き換えられました。

 たまたま、長津田駅(DT22、KD01)で、置き換えられる前のデハ6301とデハ6302がJR貨物のディーゼル機関車DE10 1666に連結され、逗子駅まで甲種回送されようとしているところ(おそらくは、さらに京浜急行逗子線を通って金沢八景駅そばにある総合車両製作所横浜事業所まで回送)を見たので、撮影しておきました。

 長津田駅2番線(JR横浜線)と3番線(東急田園都市線)との間にホームのない線路があります。そこにDE10 1666、デハ6302、デハ6301の順に連結され、停車しています。

久しぶりにDE10を見ました。

 デハ6302が連結されています。その後ろがデハ6301です。

東急では2代目となる6000系は、大井町線の急行用として2008年3月に運用を開始しました。当初は6両編成で、一気に6編成が登場しました。 

 2017年11月から2018年2月にかけて、全編成が7両化しました。その際に新造されたのがデハ6300形で、これを受けてサハ6300形→サハ6400形、デハ6400形→デハ6500形、デハ6500形→デハ6600形、クハ6600形→クハ6700形と改番されています。

大井町線(そして直通先の田園都市線)では急行専用であるため、九品仏駅でのドアカットのための装置は設けられていません。

ステンレスの車体に側面の赤帯というのは8090系以来の伝統と言えますが、大井町線のラインカラーであるオレンジ色の帯が斜めに入っているところが斬新でした。 

 デハ6300形は、製造されてからまだ2年程しか経っていません。今回の2両は随分と短い間の運用で、2代目5000系の6扉車よりも短いのですが、一説にはこのまま廃車解体される訳ではない、とか。 

 6020系も、当初からQ SEAT車を連結していた訳ではありません。編成中で3号車となるデハ6320形は普通の車両でしたが、すぐにQ SEAT車である新しいデハ6320形に置き換えられました。当初のデハ6320形は2020系に転用されています(改番もされています)。

 私は、青葉台まで行くことが多いのですが長津田まで行くことはあまりないため、甲種回送の様子もほとんど見たことがありません(記憶の限りでは今回が初めてです)。

どちらの車両であったか覚えていませんが、甲種回送を示す証票が貼られていました。

 長津田駅から逗子駅までの甲種回送ですが、どのようなルートを通るのでしょうか。単純に、長津田から中山を経由して東神奈川に出て、東海道線か根岸線かを通り……、という訳ではなく、長津田から八王子に向かい、中央本線、南武線、武蔵野線(貨物線の部分)を経由するようです。

このデハ6301とデハ6302が、今後、どのようになるのか、気になるところです。 

 

甲種回送(長津田駅→逗子駅) 東急6000系デハ6301+デハ6302(+DE10 1666) 

 

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長津田駅(DT22、KD01)にてTOQ iを

2019年09月24日 00時16分10秒 | 写真

だいぶ時間が経過してしまいましたが、長津田駅で「TOQ i」こと7500系を見かけ、撮影したので、写真を掲載しておきます。

上り側のデハ7500です。その後には池上線・東急多摩川線で活躍する1000系1500番台1507F(3両編成)を連結しています。長津田検車区から出てこようとしています。

 下り側のデハ7550です。長津田駅5番線に入り、しばらく停車していました。その後、一旦奥のほうへ進んでから7番線(こどもの国線用ホーム)に入り、長津田車両工場へ向かいました。

 なお、今回はサヤ7590(軌道検測車)を中間に挟んでいません。

 東急7500系は2012年に登場した事業用車(総合検測車)です。走行しながら架線や線路(サヤ7590を中間に挟む場合)を検測できる車両で、ATCを搭載していない車両(池上線・東急多摩川線の車両。但し、7000系を除く)を中間に挟んで牽引車としても活躍しています。

 TOQ iという愛称は公募によって決定されたものです。事業用車の愛称を公募するというのは珍しい例であると思われます。また、先代のデヤ7200+デヤ7290は7200系のデハ7200およびクハ7500(いずれもアルミ製車体)から改造されたものですが、7500系は新造車です。

 

TOQ-i 東急デヤ7500+1000系1500番台1507F+デヤ7550(長津田検車区→長津田駅→長津田車両工場)

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首都圏のJR線でもワンマン運転区間と無人駅が拡大か

2019年09月19日 00時00分00秒 | 社会・経済

 たまたま、gooニュースを見ていたら、読売新聞社が昨日(2019年9月18日)の14時2分付で「JR東、首都圏でも『ワンマン運転』拡大…7両以上も」として報じているのを(https://www.yomiuri.co.jp/economy/20190918-OYT1T50152/)で見ました。

 実は、JR以外であれば首都圏でもワンマン運転は珍しくありません。例えば東京メトロでは丸ノ内線、千代田線(綾瀬〜北綾瀬のみ)、有楽町線(和光市〜小竹向原のみ)、南北線および副都心線で実施されており、東京都交通局では荒川線、三田線および大江戸線で実施されています。横浜市営地下鉄のブルーライン(1号線および3号線)とグリーンライン(4号線)もワンマン運転実施路線です。大手私鉄ですと、私にとって最も身近な東急では目黒線、池上線、東急多摩川線およびこどもの国線(正式には横浜高速鉄道の路線)で実施されています(世田谷線はワンマン運転実施路線に見えないのですが、運転士と、車掌資格のない案内係が乗務しますので、実質的にはワンマン運転です)。関東に限らず、大手私鉄でワンマン運転を一切実施していないのは小田急、相鉄、京急および京成のみです。東京都内では多摩都市モノレールもワンマン運転を行っていますし、大手、準大手、中小を問わず、ワンマン運転は広く見られます。さらに、東京都交通局の日暮里舎人ライナーなど、無人運転の路線もあります。

 JR東日本に目を転じますと、私がすぐに思い出すのは南武線浜川崎支線(地元では浜川崎線とも言っていました)です。尻手〜浜川崎を2両編成の電車が往復します。他には八高線の非電化区間(高麗川〜倉賀野。列車は高崎駅まで運行)などがあります。首都圏に限らず、同社では2両以下で運行される路線というのがワンマン運転実施の基準になっているようです。上記読売新聞記事では、利用客の乗降、ホームの安全確認という点で2両以下が基準とされているとのことです。

 しかし、人手不足による合理化のために、JR東日本はワンマン運転実施路線を拡大する方針を打ち出したようです。東京メトロも合理化などのために丸ノ内線などのワンマン運転化を進めましたが、同じ合理化でも理由が異なるようです。

 私が小学生の頃に春日三球・照代の漫才をテレビで見ていたら、当時の国鉄やバスなどの運賃値上げをネタにして、運賃は値上げされるが車掌がいなくなる、次に値上げしたら運転士がいなくなるというようなものをやっていた、と記憶しています。YouTubeでも見られたはずです。それはともあれ、1987年のJRグループ発足以後、採用人員を極力抑えてきたことが原因の一つであるという趣旨が、上記読売新聞記事には書かれています。安全面、保安面などでの技術継承ができなくなったことの原因ともされていますが、人口減少も大きな理由の一つです。

 JR東日本では、来年度以降、3両か4両編成でのワンマン運転を実施し、そして徐々に長編成についても実施していくとのことです。但し、「首都圏でも横浜市と川崎市を結ぶ鶴見線や千葉県の内房線、外房線などはワンマン化の可能性がある」という程度のことしか書かれていません。また、ホームドア設置路線でもワンマン運転が実施される可能性が高く、山手線なども対象となる可能性はあります。ちなみに、丸ノ内線、有楽町線、南北線、副都心線、三田線、大江戸線といった地下鉄路線の全駅にはホームドアが設置されており、ATOも導入されており、ワンマン運転が実施されています。

 上記読売新聞記事には「ワンマン拡大で懸念されるのが、災害やトラブル時の乗客や運行の安全だ」という記述もあります。たしかに、ワンマン運転化されるということは、運転士と車掌が分担していた仕事が運転士に集中するということを意味するので(勿論、車掌の業務の一部はなくなるでしょうが)、何らかの事件、事故が発生した場合に、対処の時間が長くなり、運転再開までの時間が長くなることは考えられます。

 ワンマン運転だけではありません。人手不足による合理化は、駅にも及びます。或る意味ではこちらのほうが大きな問題ともなりえます。

 首都圏では、我が川崎市の川崎区および横浜市の鶴見区を走る鶴見線が代表的です。国鉄時代の1971年、鶴見駅を除く全駅が無人化されました。

 新聞やブログなどでも大きく取り上げられたのが、大阪府河内長野市にある、南海高野線の美加の台駅です。同駅は、2013年4月から無人駅となり、近隣のニュータウンに居住する利用客などによる大きな反発を招きました。

 南海の無人駅化はかなり進んでいるようですが、他に近鉄や名鉄なども無人駅化に積極的です。計算したりしたことはないのですが、大手私鉄での名鉄の無人駅の比率は最も高いのではないでしょうか。何しろ、豊明駅という、無人駅では最大と思われる乗り場数を誇る駅もあるのです。1番線から6番線まであれば、他の私鉄なら有人駅でしょう(もっとも、車庫が近いこともあってか、運転業務担当の従業員はいるそうです。無人駅とされているのは、改札などの駅業務を担当する従業員が配置されていないからでしょう)。

 無人駅が増えていることには様々な原因があります。乗客が少ないことによる合理化もあれば、人員不足による合理化もあるでしょう。上記読売新聞記事によると、JRグループの全旅客駅のうち、無人駅は2422あり、およそ54%となります(この無人駅に簡易委託駅が入るか否かは不明です)。JR四国の無人駅は208で、実に80%にのぼります。また、JR北海道の無人駅は306で、75%ほどです。

 駅の無人化は完全無人化に限定されません。

 今年度、私は中央大学経済学部での講義のために武蔵溝ノ口駅から稲田堤駅まで、または立川駅まで南武線を利用しています。その稲田堤駅の改札口付近には乗車駅証明書発行機が置かれています。無人駅ではないのですが、早朝の時間帯には駅員がいません。南武線では、他にも乗車駅証明書発行機が設置されている駅があるようです(降りてまで確認していませんが)。

 都内でも、信濃町、千駄ヶ谷、三河島、南千住および尾久の各駅では、稲田堤駅と同じく、早朝の時間帯には駅員がいないようです。東京駅や池袋駅でも一部の改札では同様であるとのことです。利用客数の少ない時間帯を中心に、今後、一部の時間帯については駅員がいないという駅が増えてくることでしょう。自動券売機や自動改札機でトラブルが発生した場合には、管理駅(稲田堤駅の場合は登戸駅が管理駅)に連絡し、遠隔操作などをしてもらうしかない訳です。

 また、有人駅でも、直営駅、業務委託駅の区別があります。例えば、武蔵溝ノ口駅は直営駅ですが、隣の津田山駅または武蔵新城駅は業務委託駅であるとのことです。つまり、駅員としての業務がJRグループの会社に委託されている訳です。JR九州などでも当たり前のように見られましたが、驚くのは秋葉原駅もそうだとのことです。上記読売新聞記事では「さらに秋葉原など19駅では駅業務をグループ会社に完全委託しており、駅長ら管理職も含め、JR東日本の社員は1人もいない」としか書かれていませんので、具体的にどこであるのか、どの程度の規模の19駅なのかは明確にされていません。このような業務委託は、何時からとは明瞭に書けませんが、この10年、20年という単位で進められてきたのでしょう。このところ、みどりの窓口が廃止される例が少なくありませんが、業務委託とも無関係ではないでしょう。

 ワンマン運転の拡大。駅の、時間帯限定を含む無人化の進展。全国的にも長期的に進められてきたのですが、首都圏では急速に進みそうです。

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