ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

有名な、少なからぬ「ベルギービール」は発泡酒であったりする

2019年06月30日 23時56分50秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今も「ベルギービール」が人気のようですが、私はあまり飲みません。

 私自身がスーパーなどで買うのは、日本のもの(サントリー、サッポロなど。我が地元のブリマーブルーイングを忘れてはなりませんね)を初めとして、ドイツ、チェコ(ピルスナーは、元々チェコのプルゼニ地方が発祥地です)、イタリア(かつて高津駅の売店でも売られていたモレッティ。最近では東急ストアやマルエツでも売られています)、といったところです。

 それはよいとして、「ベルギービール」を買って、ラベルをよく見てください。

 日本ではビールでなく、発泡酒扱いとなっているものが少なくありません。

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租税法講義ノート〔第3版〕への前口上

2019年06月26日 02時39分30秒 | 租税法講義ノート〔第3版〕

 第1版の開始が2009年、第2版の開始が2011年です。修正、補訂を繰り返してきたとは言え、8年が経過していました。

 その間、2014年に清文社から刊行された石村耕治編著『税金のすべてがわかる現代税法入門塾』〔第7版〕の執筆者の一員となりました。2016年の第8版、2018年の第9版にも参加しています。当然、講義の際にはこの本を教科書にしています。

 第2版への前口上に記したことと部分的に重なりますが、私は、2004年度から、大東文化大学法学部法律学科において「税法」(通年科目)、「税法A」(前期科目。2018年度より)および「税法B」(後期科目。2018年度より)を担当しています。また、2004年度から2012年度まで西南学院大学法学部の集中講義「税法」を、2009年度から2014年度まで大東文化大学大学院法務研究科(法科大学院)において「租税法Ⅰ」(前期のみ)を担当しました。さらに、2017年度からは、大東文化大学法学部法律学科において「法学特殊講義2A(消費税)」(前期科目)および「法学特殊講義2B(相続税および贈与税)」を担当しています。

 これらの講義のそれぞれについて、どの程度のレヴェルを設定するかは難しい問題です。基本的な部分で止めておかなければならない場合もあれば、それなりに応用的な部分に首を突っ込まなければならない場合もあります。

 2010年から地方自治総合研究所の「地方自治関連立法動向研究」の一員となり、2014年度以降の税制改正を主に地方税財政の点から追っている私にとっても、毎年改正され、しかも複雑さを増している租税法について、何をどこまで講義に生かすかという問題は、決して容易なものではありません。また、「財政法講義ノート〔第6版〕の、長すぎる前口上」および「行政法講義ノート〔第7版〕への前口上」において記したように、マイクロソフト社による簡易なホームページ作成用ソフトであるFrontpageおよびExpression Web 4の開発が終了しており、これも私にとっては講義ノートの全面改訂に踏み込めない理由の一つとなっていました。しかし、これらは言い訳にすぎないことも承知しています。

 ようやく第3版となった「租税法講義ノート」についても、基本となるコンセプトは、「日本国憲法講義ノート」(第5版は「日本国憲法ノート」に改題。現在は休止中)、「行政法講義ノート」および「財政法講義ノート」と同じです。法学部の学生はもとより、大学院法学研究科の学生、法科大学院の学生、さらに法学部で法律学を学んだことのない方が読まれることも念頭に置き、作成しております。従って、内容は基本的な部分が中心となります(但し、少々突っ込んだ内容となることもあります)。また、参考文献をなるべく多く紹介し、場合によっては内容に取り入れるため、修正、補訂を繰り返すこととしております。

 第1版および第2版において記しておきましたが、この第3版においても注意事項を記しておきます。

 1.法律学を学ぶ際に六法を必ず手元において読むというのは常識ですが、租税法の場合は特別な注意を必要とします。定評のある教科書や、租税法の分野では数多い実務向け解説書などを読めばすぐにわかることですが、法律はもちろん、施行令、施行規則、さらに通達を参照する必要があります。

 そこで、租税法の多くが収録されている六法の最新版を入手してください。ぎょうせいから『税務六法法令編』および『税務六法通達編』、新日本法規出版から『実務税法六法法令編』および『実務税法六法通達編』が刊行されています。どちらでも、読み易いほうを選べばよい訳です。ちなみに、私自身は『税務六法法令編』および『税務六法通達編』を購入しています。理由は、『法令編』の場合は法律の条文に対応する形で施行令および施行規則が掲載されており、参照しやすいこと、また、かつては法令編・通達編のいずれにもCD-ROMが付属していたことです。

 『税務六法』または『実務税法六法』でないものということであれば、中型または大型の六法がよいでしょう。残念ながら施行令や施行規則、そして通達を参照することができませんが、有斐閣の『判例六法Professional』、三省堂の『模範六法』(など)であれば、所得税法、法人税法、相続税法、消費税法が掲載されているはずです。これらには地方税法が掲載されていないのですが、ぎょうせいの『自治六法』には地方税法が掲載されています。

 また、法科大学院の学生であれば、第一法規の新司法試験用六法という手もあります。但し、これには国税通則法、所得税法および法人税法しか掲載されておらず、しかも施行令や施行規則は全く掲載されておりません。新司法試験の出題範囲については、所得税法を中心とすること、所得税法と関連する範囲で法人税法および国税通則法を含むものとすることが、司法試験委員会第14回会議(平成16年12月10日)において方針として決定されておりますが、実際には他の法律に関しても関連する範囲で取り上げられています(平成20年度の試験問題を参照してください)。従って、新司法試験用六法に掲載されていない法律を参照する必要性もあります。

 有斐閣のポケット六法、三省堂のデイリー六法などの小型の六法には、そもそも所得税法や法人税法などが掲載されておりませんので、租税法の講義では無意味です(抄録の場合もあるでしょうが、それもあまり意味がないでしょう)。

 2.租税法学に限らず、法律を勉強する際には、判例、実例などの検討を欠くことはできません。そこで、判例解説書またはケースブックの併読をおすすめします。さしあたり、中里実・佐藤英明・増井良啓・渋谷雅弘編『租税判例百選』〔第6版〕(2016年、有斐閣)、金子宏・佐藤英明・増井良啓・渋谷雅弘編『ケースブック租税法』〔第5版〕(2017年、弘文堂)をお勧めしておきましょう。

 そして、実際に、公式判例集などを参照するように努めて下さい。租税法の場合は、最高裁判所民事判例集、最高裁判所刑事判例集、判例時報、判例タイムズの他、訟務月報、税務訴訟資料などに掲載されることもあります(地方税の場合は判例地方自治の場合もあります)。また、判例集に掲載されていない判決については、TAINS(税理士情報ネットワーク全国ユーザー会)、LEX/DBインターネットが便利です。大学の図書館などであれば、LEX/DBインターネットを利用できる場合が多いはずです。

 3.定評のある教科書を併読することをおすすめします。

 4.租税法学は、行政法学以上に応用的法学の一つです。そこで、基礎的な六法(憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法)の学習はもとより、行政法の学習も済ませておくのが望ましいのです。最低限、憲法、民法、刑法、商法および行政法の学習を十分に行って下さい。

 もっとも、法学部以外の学部の学生、さらには法律学に全く触れてこなかったという方もおられるでしょう。そこで、必要があれば憲法、民法、刑法、行政法などの基本的な部分にも触れておきたいと考えています。

 

 〔これまでの経過〕

 2009年2月11日に新設、同月15日より掲載開始。

 2011年3月4日、第2版として順次改訂。

 2019年6月26日、第3版として順次改訂。

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川崎市でヘイトスピーチに罰金を科す旨の条例案が提出されることに

2019年06月24日 23時26分10秒 | 法律学

 私は川崎市に生まれ育ちました。その川崎市が「差別のない人権尊重のまちづくり条例」案を同市議会に示しました。朝日新聞社が、今日(2019年6月24日)の21時29分付で「川崎市、ヘイトスピーチに罰金条例案 全国初の刑事罰」として報じています(https://digital.asahi.com/articles/ASM6Q6J41M6QULOB00D.html)。

 この記事によると、まず、川崎市内の公共の場でヘイトスピーチをしたりさせたりすることを禁止します。その上で、違反があった場合には、川崎市長が違反行為を辞めるように勧告します。それでも辞められなければ2回目の違反ということで、市長が中止命令を出します。それでも辞められなければ3回目の違反ということで、違反者の氏名・団体名を公表し、さらに「市が被害者に代わって検察庁か警察に告発する」ものということです。

 なお、以上はまだ案の段階であり、まずは夏にパブリックコメントを実施して、12月の市議会に条例案が提出されるという予定が組まれています。全面施行は2020年7月です。

 川崎市は、2018年にガイドラインを実施しています。それからヘイトスピーチが確認されていないとのことですが、やはり念のためということでしょう。

 
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「経済気象台」の「軽はずみな政治家」

2019年06月22日 10時00分55秒 | 国際・政治

 どなたが書かれているのか、詳しいことは知りませんが、今日(2019年6月22日)の朝日新聞朝刊10面13版Sに掲載されている「経済気象台」の「軽はずみな政治家」は、短いながら興味深い内容です。

 「バイトテロ」に引き付けて「軽はずみな言動が問題になるという点では、政治家でも同様の事例が後を絶たない」と始まるこの記事は、失言対策マニュアルなるものが作成されていることもあげて「事の本質は、第2次安倍内閣が2012年に発足後、長期政権化するなか、閣僚としての自覚が欠如し、仲間内の甘え意識がある人物が目立っているのではないか」と書かれています。

 しかも、ということで記事の延長を書くなら、都合の悪いことには蓋をする、というより「なかったことにする」という姿勢も顕著です。これでは良い政策が生まれる訳もありません。

 この点では、最近刊行された熊倉正修『日本のマクロ経済政策—未熟な民主政治の帰結』(岩波新書)が参考になります。

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Cabo Frio / Doc

2019年06月20日 22時52分05秒 | 音楽

 どういう訳か、Earl ClughのCabo FrioとDocを聴きたくなる時があります。私のPCのiTunesに入っています。

 Cabo Frioが1977年、Docが1980年の曲ですが、どちらも、私が小学生時代(1977年度は小学校3年生、1980年度は小学校6年生)に、よくラジオやテレビのBGMなどとして流れていました。Cabo Frioは平日の夕方にニッポン放送の「夕空晴れてひがのぼるです」という番組のテーマ曲としても使われていましたし、その前に関西発の番組(何故かTVKで放送されていました)でも使われていました。また、Docは日本テレビの「ルックルックこんにちは」のテーマ曲でもありました。

 こういう曲が好きだったから、YMOに短期間ながらどっぷりとはまった後、中学生時代以降、ジャズ、フュージョンを聴き続けてきたのでしょう。

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2019年6月18日22時22分頃

2019年06月18日 22時38分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

 川崎市高津区でも震度1を観測しましたが、22時22分頃、山形県沖でマグニチュード6.8(推定)の地震が発生し、新潟県村上市で震度6強、山形県鶴岡市で震度6弱を観測しました。

 津波も観測されています。波の性質上、注意しなければならないものです。

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ロスジェネ 人は材か数字か

2019年06月17日 19時32分45秒 | 社会・経済

 元々、Lost Generationはヘミングウェイ、フィッツジェラルドなどの、第一次世界大戦に従軍した経験のあるアメリカの作家たちを指した言葉です。

 しかし、どこの国でも同じような意味でなければならないという必然性もないのでしょう。日本では、バブル崩壊後の「1993年から2004年ごろまで新卒の求人倍率が極めて低かった時期に社会に出た世代。第2次ベビーブームの団塊ジュニアを含む約2千万人である。朝日新聞が07年1月に同名の企画を連載し、この名が広まった。就職氷河期世代と呼ばれることも多い」と説明されています〔2019年6月17日17時30分付の「ロスジェネは『人手不足の穴埋め』 救済策に透ける打算」(https://digital.asahi.com/articles/ASM6D5WMZM6DULZU00F.html)によります〕。厳密ではないのですが、今年で33歳から48歳までの人々を指す言葉となります(就職時期などにズレがあるため)。

 どうでもいいことですが、私はロスジェネのすぐ上の世代です。しかし、当時の大分大学教育学部に講師として就職したのが1997年4月なので、ロスジェネ世代に入るのかもしれません。

 就職活動をしても内定を得ることが非常に難しく、不安定雇用に甘んじるしかなく、従って低賃金などに喘ぐしかないという人が多かったのです。しかし、時間が進み、少しばかり雇用情勢がよくなっても、光を当てられることもなく、表現は悪いのですが放置された世代でもあります。勿論、人は個人として自らの道を切り開いていくものであり、その努力の必要性を否定しません。しかし、問題はその努力にも限界があるということです。むしろ、日本ではその限界が多くの面に存在しているのです。

 このところ、朝日新聞でこのロスジェネ世代に焦点を当てた記事が多く、切り抜いては読んだりしているのですが、私も他人事とは思えません。

 一つには、先に記したように私自身の就職時期があります。1997年と言えば、消費税の税率引き上げおよび地方消費税の施行の年であり、北海道拓殖銀行の経営破綻、山一証券の廃業、この二つに象徴されるように金融機関の行き詰まりが次々に明らかになった年です。

 もう一つには、引用記事に従うと私が大学の講師、助教授であった時に出会った当時の学生たちがまさにその世代であることです。

 上記記事には、次のような一節があります。

 「なぜ、この世代は落とし穴から抜け出せないのか。二つの理由がある。

 まず挙げられるのが、非正規雇用の拡大だ。バブル崩壊後の規制緩和で派遣労働の対象職種が広げられ、正規、非正規という身分制度のような分断が労働市場に生まれた。雇用の不安定化は、その後の世代にも及んでおり、ロスジェネはその先頭走者となった。

 そして最大の原因は、日本独特の雇用慣行である。新卒時の一括採用、年功序列、終身雇用は、戦後の高度成長を支えたと言われる。まっさらの若者を会社が丸抱えして職業教育を施し、労働力を確保する。右肩上がりの時代には一定の効用があっただろう。

 だが、バブル崩壊後の長期不況で、この雇用システムは矛盾をあらわにする。年長世代の雇用を守ろうとする日本企業の多くは、世代間のバランスを顧みずに新規採用を絞り込んだ。その後に景気回復しても、新卒の採用が優先され、この世代は見捨てられた。」

 これでは「失われた」世代でなく「捨てられた」世代と表現すべきかもしれません。しかも、次のように書かれる始末です(やはり上記記事からの引用によります)。

 「表面化した問題の一つは経済への悪影響である。子どもの教育費や自宅購入などで消費が盛んなはずの40代になっても、団塊ジュニアは上の世代と比べて支出額が低く、経済成長の足かせとなっている。

 人口動態への負の影響はさらに深刻だ。団塊の世代(第1次ベビーブーム)と、その子にあたる団塊ジュニアに引き続く、戦後3度目の出生数の山は生じなかった。少子化の原因は多岐にわたるものの、不安定雇用と低賃金という重しが、ロスジェネから次世代を育む力をそいだのは間違いない。

 この世代が高齢化する20~30年後、日本の人口曲線は上部が膨らんだ『棺(ひつぎ)形』になる。単身で高齢化したロスジェネたちを支える現役世代はやせ細り、介護や医療を支える人手が絶対的に不足する。加えて、これからも不安定雇用が続けば、老後に生活保護を受ける人が急増するだろう。」

 読んだ瞬間に「おれたちゃ数字じゃねぇんだ!」という言葉が聞こえてきそうです(むしろそう発して欲しいものです)。世の中をこのようにしたのは、当然、ロスジェネ世代ではありません。上の世代に属する経済界の連中です(少しでも責任をとられた方はおりますか? どれほどおられますか? 自己責任論の自分勝手さがうかがいしれます)。ロスジェネ世代に技術などの知恵が継承されていれば問題はなかったのですが、実際にはそうでなかった訳です。規制緩和、非正規雇用の増大……、こうした流れにより、確実に日本の技術基盤などは蝕まれています。継承されるべきものが継承されていないのです。これはJR北海道で多発した事故の際にも指摘されていたことです。何も経済的な話だけでなく、社会全般にわたる事柄です。

 また、もし上記記事の通りであるとすれば、私には、人生100年時代などというような時代が来ると思えません。あるいは、到来したとしても短く終わるでしょう。何かの本で読んだのですが、社会において貧富の格差が拡大すると、平均寿命も短くなるそうです。しかも、これは貧者に限らず、富者についても同様であるとのことです。

 よく人材などと言います。私がこの言葉を最初に聞いたのは1990年代になってからですが、1980年代にも使われていたかもしれません。手元の電子辞書によると、人材には「才能があり、役に立つ人。有能な人物。人才」という意味があるそうですが、今の日本で、どこまでこの意味において人材という言葉が用いられているのでしょうか。むしろ、人「材」ですから、人は材料にすぎない訳である、ということにはならないのでしょうか。手元の電子辞書によると、「材」には「才能。また、才能のある人」という意味もあるそうですが、人材の「材」には「原料。材料」程度の意味しかないでしょう。これならいくらでも人を捨てることはできます。

 ロスジェネは、まさに日本が目先の経済成長の故に捨てた材です。そして、我々も早晩、捨てられることでしょう。

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どのようなものであれ、提出すべき(されるべき)である。

2019年06月13日 22時44分00秒 | 国際・政治

 金融審議会の年金報告書ですが、それがどのようなものであっても内閣に提出されるべきであることは当然です。

 「受け取らない」のはおかしいですし、まして報告書の修正なり撤回などを金融審議会に求めることは言語道断です。

 ちなみに、次に示すアドレスを参照してみてください。

 https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf

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原真人『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)をきっかけに

2019年06月12日 00時37分00秒 | 国際・政治

 少し前に、文教堂書店溝ノ口本店で『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)を購入しました。朝日新聞の記者、原真人氏による著書です。

 原氏といえば、朝日新書の『日本「一発屋」論』(2016年)もあり、何度となく読み返しました。また、昨年度の火曜日の朝日新聞朝刊に掲載されていた「波聞風問」(非常に読み応えがあったので、完全復活を希望したいところです)にもよく原氏の論考が掲載されており、切り抜いたりしたものです。朝日新聞の全体の論調とは異なる部分も少なくないのですが、これは原氏が元々日本経済新聞社の記者であったことと関係するのでしょう。消費税の税率引き上げについて、立場を貫かれている点は立派です。今、なかなかこのようにすることはできないからです。

 『日本銀行「失敗の本質」』は、たしか日刊ゲンダイのサイトで高野孟氏が取り上げ、高い評価を与えていたと記憶しています。私も一読を、とくに学生に薦めたいものです。高校生(高校生は学生でなく、生徒です)でも読めるでしょう。というより、本当なら、高校生であれば朝日新書、岩波新書、中公新書、講談社現代新書、光文社新書、集英社新書のどれか一冊くらいは読めておかしくないと思っています。

 高野氏も、『日本銀行「失敗の本質」』における旧日本軍と日本銀行との対比を評価されていたはずですが、何年経っても根は同じ思考回路なのかと愕然とすることでしょう。目的の曖昧さは、金融緩和に限らず、東京湾アクアラインのような公共事業などにもみられるところです〔橋山禮治郎『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』(2014年、集英社新書)も参照〕。経済政策の目的が曖昧では困るのですが、「民主主義国家なのだからツケは国民が負えばよい。だから我々は好きなように政策を作って、カッコイイ言葉でも使って説明しておけばよい」などと考えられているのでしょうか。

 また、原発の安全神話と同じように「アベノミクスの『呪文』」(146頁)が引用されており、「呪文」とは上手い表現だと感じました。同じような言葉が税制改正大綱でも何年にもわたって繰り返されており、まさしく「呪文」です。お経のようなものでしょうか。

 また、原氏の著書でも同じような趣旨が書かれているはずですが、このところの、通称「骨太の方針」などの文書における言葉の軽さ、曖昧さには困惑させられます。その典型が「見える化」です。何となく意味はわかるのですが、具体的に、誰が、何を、誰に対して、どのように「見える」ようにするのかが不明確です。国民全体に向けてというのであれば、その割には情報公開などが不徹底であり、そればかりか、国際ジャーナリスト団体の「国境なき記者団」が発表している報道の自由度ランキングでは日本の順位が年々下がっているほどですから、何をもってして「見える」ようにするのかがわかりません。

 さらに記すならば、言葉の軽さ、曖昧さという点では、例えば改革、革命という語が多用されていることをあげればよいでしょう。私は、自治総研478号(2018年8月号)掲載の「地方税法等の一部を改正する法律(平成30年3月31日法律第3号)」において)、2018(平成30)年度税制改正に関連して、次のように書きました(原文にある注は省略)。

 「平成30年度与党税制改正大綱は、『経済の成長軌道を確かなものとするため』に 『生産性革命』と『人づくり革命』を行い、『デフレからの脱却を確実なものにしていく』とともに『人生100年時代を見据え、わが国の経済社会システムの大改革に挑 戦することにより、誰もが生きがいを感じられる「一億総活躍社会」を作り上げる必要があ』り、そのために『働き方改革』の後押しとして『給与所得控除・公的年金等控除の制度の見直しを図りつつ、一部を基礎控除に振り替えるなどの対応を行う」と 述べる。平成29年度税制改正に続く『個人所得課税改革』の第二弾の実行を明言した訳であるが、具体像が十分に示されないままに『改革』、『革命』などの語が多用される点に違和感を禁じえず、『働き方改革』と『給与所得控除・公的年金等控除の制度の見直し』との具体的な関係について、十分と言える程に明確にされているとは言い難い。」

 「生産性革命」、「人づくり革命」。いずれも大げさな表現なのですが、何を言いたいのでしょうか。革命という言葉にもいくつかの意味があり、私の電子辞書に入っているデジタル大辞泉では①「被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること」、②「物事が急激に発展・変革すること」、③「古代中国で、天命が改まり、王朝の変わること」などと説明されています。その上で、類語として変革、維新、改新、政変、内乱、反乱、暴動、クーデターの語が現れます(いずれも①についてです)。

 どう考えても③の意味でないことは明らかですし(現代に置換すれば政権交代になってしまいますから)、①の意味でもないでしょう。そうすると②でしょうか。しかし、②は或る意味で自発的、あるいは自然発生的な変化とも受け取られます。政府が「物事」を「急激に発展・変革する」のであれば、①の意味合いも含まれてきます。しかし、それを革命とは言いません。いや、20世紀の社会主義体制の諸国で見られた「上からの革命」であるとも考えられます。そこで、私は、「生産性革命」、「人づくり革命」を、いずれも要するに「上からの革命」の経済版なのだろうと理解したいのですが、いかがでしょうか。

 昨今の政治では、こうしたスローガン、あるいはプロパガンダのようなものがやたらと目立ちます。そして曖昧であることも、スローガンやプロパガンダに共通する点であるとも言えます。

 『日本銀行「失敗の本質」』にも登場する「デフレ脱却」なども、多用されている割には具体像が十分に示されていない言葉でしょう。原真人氏は、次のように記しています。

 「アベノミクスと異次元緩和にも、日本軍と通じる『あいまいさ』が存在する。象徴的なのが、政策目的の『デフレ脱却』だ。『デフレ』とは何か——その定義からして、いまだにはっきりしない。」(134頁)

 「政府はいまだデフレ脱却宣言をしないまま現在に至っている。」(136頁)→「デフレではない、しかしデフレ脱却とは言えない——。何が言いたいのか、まったくわからないおかしな説明だ。」(137頁)

 そして、原氏は「事実を実証的に分析し、政策に生かした、という話はあまり聞かない。安倍政権は『成果』を演出できる都合のよいデータだけを選び出し、『成功した』と連呼し続ける」(148頁)とも指摘します。これは、何もアベノミクスに限定されないことで、公共事業などで繰り返された甘い見通しに通じるものがあります。とは言え、この指摘は重要でもあります。今年(2019年)の1月に発覚した毎月勤労統計調査での不正問題につながることですし、国会においても経済政策に限らず様々な政策について質疑応答がなされていることでもあるからです。

 事実の実証的分析という点では、「地方創生」という看板政策にも疑問符がつけられるところでしょう。これもまた、言葉の軽さ、曖昧さが滲み出ているものですが、デジタル大辞泉には創生という言葉が掲載されておらず、同じ読みでは創世、創成が出てきてしまいます。それはともあれ、地方分権はもとより、民主党政権時代の「地方主権」と比較しても軽い響きですし、中央が地方を創り出すという意味合いが強いのです。つまり、中央集権的発想以外の何物でもないのです。

 アベノミクスが日本全国では上手くいっていなかったからということなのかどうか、2014年11月28日に、どういう訳か(「ふるさと」と同じく、最近の傾向でしょうか?)平仮名を多用した「まち・ひと・しごと創生法」が公布されました。この法律の第1条は、次のようなものです。

 「この法律は、我が国における急速な少子高齢化の進展に的確に対応し、人口の減少に歯止めをかけるとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正し、それぞれの地域で住みよい環境を確保して、将来にわたって活力ある日本社会を維持していくためには、国民一人一人が夢や希望を持ち、潤いのある豊かな生活を安心して営むことができる地域社会の形成、地域社会を担う個性豊かで多様な人材の確保及び地域における魅力ある多様な就業の機会の創出を一体的に推進すること(以下「まち・ひと・しごと創生」という。)が重要となっていることに鑑み、まち・ひと・しごと創生について、基本理念、国等の責務、政府が講ずべきまち・ひと・しごと創生に関する施策を総合的かつ計画的に実施するための計画(以下「まち・ひと・しごと創生総合戦略」という。)の作成等について定めるとともに、まち・ひと・しごと創生本部を設置することにより、まち・ひと・しごと創生に関する施策を総合的かつ計画的に実施することを目的とする。」

 しかし、実際は、少子高齢化、人口減少、東京一極集中のいずれにも歯止めが掛かっていません。2019年6月11日に、夕張市の人口が8000人を下回ったと報じられていますし、2019年6月8日付の朝日新聞朝刊1面14版△のトップ記事は「昨年の出生数 最少91.8万人 合計特殊出生率1.42 低下傾向続く」です。東京一極集中ということでは、2018年6月1日に「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の就学及び就業の促進に関する法律」が公布されましたし、税財政面での地域間格差(これも東京一極集中につながります)ということでは、今年の3月29日に「特別法人事業税及び特別法人事業譲与税に関する法律」が公布されました。しかし、首都圏および京阪神地区以外の地域にある大学の状況にはあまり変化がないようですし、税財政面での地域間格差については2008年の「地方法人特別税等に関する暫定措置法」、2004年の地方法人税法、さらに「ふるさと納税」があるにもかかわらず、是正されていないようです。立法を行うにはそれなりの事実があり、それなりの事実分析があるはずですが、どうなのでしょうか。

 これまた私の論文の引用で恐縮ですが、公益財団法人地方自治総合研究所監修「地方自治関連立法動向第6集 第196常会〜第197臨時会」に掲載されている「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出 による若者の就学及び就業の促進に関する法律(平成30年6月1日法律第37号)」において、私は次のように記しました(なお、法律の名称が長すぎるので、地域大学振興法と略しています)。

 「総合科学技術・イノベーション会議、未来投資会議および経済財政諮問会議の名簿には内閣総理大臣以下数名の閣僚が入る一方、都道府県知事や市町村長など地方公共団体の関係者は入っておらず、メンバー構成に共通性・同質性がみられることにも、注意しておく必要がある。

 大学が高等教育機関としての使命を果たすことよりも、時の政権や経済界の意向に振り回され、産業競争力の強化のための駒に堕するようでは(科学)研究力が低下するのも当然である。まして、地域大学振興法は大学を地方創生の道具として扱おうとするものである。大学の高等教育機関としての本質に関する議論または検討は彼方に追いやられていると言いうるであろう。これでは、その名称の通りに各地域の大学の振興に結びつくのか、 心許ないと評さざるをえないであろう。

 また、地域大学振興法は地方六団体の意見を取り入れた形を採るが、或る意味において都合のよいものであったから取り入れられたとも見受けられるのであり、地方公共団体間の複雑な利害関係に何処まで顧慮したのかという疑問も残る。その意味において、地域大学振興法は、地方公共団体を地方創生という政策のために動員するものとして扱っているとみることが可能であり、地方創生の行き詰まりを見せつける存在であると評価することが許されるのではなかろうか。」

 書き終えてしばらくしてから思い付いたのですが、この法律は、プロレタリア文化大革命期に行われた上山下郷運動で有名な下放政策の何歩か手前の段階を示すものかもしれません。というより、「地方創生」が上手くいかないのであれば、下放政策をとるしかなくなるでしょう。勿論、日本国憲法に違反しますが、改憲派なら喜ぶはずです。まさしく総動員、総活躍の社会を創り出すきっかけにはなるはずですから。しかし、実際には上山下郷運動が人心の荒廃など過大な禍根を産み出してしまったことも知られています。事実の実証的分析に裏打ちされない政策の怖さが極端な形で現れた訳です。

 悪いことに、今の日本もスローガン、プロパガンダが多用される政治と同じようなスパイラルに陥っています。デフレ脱却もそうですし、地方創生もそうです。統計不正問題も端的な表れであると言えますし、蕎麦屋ではないけどモリ・カケ問題に見られた意思決定過程の不透明性、時に質問や意見を許さない強圧的な態度も同じ根から発していると言えます。我々は、デフレスパイラルを心配すべきではなく、スローガン・スパイラルやプロパガンダ・スパイラルを心配し、恐れるべきなのです。

 ★★★★★★★★★★

 「蕎麦屋ではないけどモリ・カケ問題」などと書いたので、ここで付け加えておきます。私は蕎麦を好んでおり、我が地元溝口は四丁目の蕎麦屋さんによく行きますし、渋そば、名代富士そば、などの立喰い蕎麦屋にも行きます。

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秋田のイージス候補地問題——いや、この問題だけではないのでは?

2019年06月11日 01時36分10秒 | 国際・政治

 私は、2010年11月より「地方自治関連立法動向研究」のメンバーとして地方自治総合研究所に御世話になっています。この研究の趣旨より、とくに地方税財政関係の法律の立法過程などを研究している訳ですが、ここ何年かで非常に気になるのが、立法の前提となる事実の有無です。

 安全神話がまかり通る日本では、何も最近に限らず、立法の前提となる事実の有無について疑問が寄せられていますが、とくに最近はひどいのではないかと思うのです。国会でも質疑応答の対象ともなりますが、まともな答えなのかどうかもわからない内容の答弁も見受けられます。さしあたり、地方自治総合研究所の「地方自治関連立法動向第6集 第196常会〜第197臨時会」に掲載されている「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の就学及び就業の促進に関する法律(平成30年6月1日法律第37号)」を御覧ください。

 そして、秋田のイージス候補地問題です。10日正午のNHKニュース(ラジオ第一放送)でも取り上げられましたが、「誰が聞いてもおかしいし、怒るよ」と思わざるをえない内容でした。私が地元民であっても同じことを考えます。報告書の内容に誤りがあり、それも実に初歩的なもので、たしかニュースでは地元の女性の方の声で中学生レヴェルでもわかることというような趣旨の発言も紹介されました。グーグルアースのみに頼ったことにも呆れますが、縮尺などを間違えるとは……。日本の行政にはよく見られる、実地調査なしの報告書作成であったことは間違いないようです。

 第198回国会でも統計問題が質疑の対象にされているほどです。根の深さを感じさせます。

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