ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2004年12月26日、再び竹中駅

2019年09月11日 22時45分50秒 | 旅行記

 〔今回は、「待合室」の第153回(2005年12月19日から2006年1月23日まで)として掲載した記事の再掲載です。なお、若干の修正を加えています。〕  

 私が大分大学の教員として大分市に住んでいたのは1997年4月〜2004年3月です(1997年4月〜2002年3月は講師、2002年4月〜2004年3月は助教授)。つまり、大東文化大学の教員となってから15年半程が経過したこととなります。

 もう少し、大分県内の色々な風景を撮影しておけばよかった、などと思うのですが、私が所持しているMOなどには、多分、100枚分以上のデータがあります。失敗作もあります。中には、ゼミ生たちと一緒に飲み会をやった時などの写真もあるのですが、承諾もとっていないのに勝手に掲載する訳にもいきません。そういう楽しい思い出は、私、そしてゼミ生たちの心の中に保存しておくものであり、ここに公開すべきものではないと考えています。

 こうして考えると、ここに掲載すべきものは限定されてきますが、改めて探してみたところ、うってつけとは言えないまでも、ここに掲載してよいものがありました。しかも、2004年12月、集中講義のために大分市へ行った時のものです。何故か、大分市内で私が気に入っている所でもあります。

 「待合室」の第152回(2005年11月30日〜12月19日掲載)において取り上げた黒仁田林道からそれほど遠くない所です。

 豊肥本線中判田駅付近から竹中駅 を通って犬飼駅付近まで、大分県道631号中判田犬飼線が通っています。大分大学在職時代は、一体何度通ったかわからないほど、自動車で通っています。当時は、夜まで研究室にいることが当たり前でして、早くとも20時か21時を過ぎる頃に研究室を出て、週に何回かは車で戸次へ行き、さんちゃんという中華料理屋へ行って夕食をとっていました。土曜日や休日ならば昼間のこともありましたし、平日の夕方、18時過ぎに研究室を出て戸次で夕食をとり、それから研究室に戻ったことも何度となくあります。その際、よく県道631号を使ったのです。

 2004年12月23日、私は大分市へ行きました。翌日から市内の某専門学校で集中講義を担当し、24日の夕方には常連としてよく行き、ゼミの学生たちなどを連れて行ったこともある、当時の自宅から近い所にある母家というレストランに行き、25日の夕方には卒業生など5人と市内で飲みました。その翌日(奇しくもスマトラ島大地震があった日です)は日曜日でオフだったため、バスで戸次へ行って件の中華料理屋で昼食をとりました。何度も寄った書店に入った後、バスで市街地に戻ろうとしたのですが、2時間近くも待たなければならないので、大南大橋を渡って竹中駅へ出ることにしました。多分、首都圏であれば結構な距離になるはずで、歩いて30分ほどかかったような気がします。

 大字竹中の集落を過ぎて南へ歩き続けた時、道路の脇から水の音がしたので、ふと見ると、水が湧いていました。上の写真ではわかりにくいかもしれませんが、たしかに水が湧き出ていたのです(車で走っている時には気づかないことですね)。

 まだまだ歩き続けます。県道631号線は大野川にほぼ平行して通っていて、対岸の国道10号線ともほぼ平行しています。御覧のように、県道のほうは通行量が少なく、国道10号線が渋滞しているような時には抜け道としても使えるのですが、上戸次小学校付近から道幅が狭くなるため、注意が必要です。

 それにしても、民家も少なければ歩行者もほとんどいないという県道を歩くことになるとは……。夜になると非常に暗くなりますが、昼間でもこの状態です。時々、自動車が通るのですが、竹中中学校付近から竹中駅まで歩いている時に歩行者を見かけたという記憶がありませんし、自動車も、せいぜい2台か3台くらいしか通らなかったのではないかと思います。この間は数キロメートルありますが。

 竹中駅に到着しました。JR豊肥本線の駅で、大分駅から普通列車に乗ると大分市内の駅としてはここが最後になります。無人駅で、自動改札機がないのは勿論、自動券売機もありません(無人駅でも滝尾駅などには自動券売機がありました)。私が駅に到着した時には、案の定、誰もいなかったのでした。下り列車(大分方面)を待つ間、数人の客がいたような気もしますが、よく覚えていません。

 駅の裏に数件の民家がありますが、他には何もありません。缶飲料の自動販売機はありますが、コンビニエンスストアを初めとして店舗がないのです。探すとすれば、ここから北のほうへ歩いて大南大橋に出るか、南へ歩いて上戸次小学校のほうに出るか、ということになります。どちらをとってもかなり歩かされます。大分市内の駅では一番寂しいのが竹中駅であることは間違いないでしょう。

 しかし、それだけに、時々、この駅に来ては何も考えないで時間をつぶすこともあったのです。意味がないと言われるかもしれませんが、私にとっては意味がある時間でした。この日も、長いこと列車を待っていましたが、頭の中を整理したりするのに必要な時間でした。

 当初から無人という駅もありますが、竹中駅はいつから無人駅になったのでしょうか。おそらく、これがかつての駅舎なのでしょう。今は閉鎖されているようです。エアコン(クーラー)の室外機があることからすれば、今も何かのために利用されているかもしれませんが、よくわかりません。

 かつての駅舎らしい建物を別の角度から写してみました。いつまで駅として使われていたのでしょうか。落書きが痛ましさを増幅しています。奥のほうには大野川が流れていて、さらに奥のほうに国道10号線が通っています。通行量を考えると、この駅の寂しさがさらに強くなります。

 豊肥本線の中判田から竹中までは5.5キロメートルとなっています。その間に大南大橋があるのですが、その辺りに駅がなかったこと、さらに言うならば、中戸次側を通っていなかったことは、豊肥本線にとって悪かったということになるのではないでしょうか。中戸次周辺であれば、通勤通学客が多いと見込まれるからです。建設当時は今のルートのほうがよかったのかもしれませんが、今では国道10号線沿線のほうが住宅地などとして発展しています。

 左側にホームの残骸が見えます。おそらく、貨物用の施設であったと思われます。今、豊肥本線には、少なくとも大分側には貨物列車が走っていませんが、国鉄全盛時代にはここにも貨物列車が到着していたことでしょう。どのような物資を扱っていたかなど、詳しいことはわかりませんが、今よりにぎやかな時代があったことだけは間違いないでしょう。

 ホームの先に線路が見えます。次が犬飼で、豊肥本線はしばらく大分市内を走ります。豊後大野市に入ってまもなく、犬飼駅に到着します。さらに進めば、阿蘇の外輪山、そして熊本市ですが、このホームに立っている限り、この線路が熊本に延びているとは思えないかもしれません。ここを発着する普通列車は、2004年12月当時、阿蘇山の北の入り口の一つである宮地まで行くのが1日2本だけ(私が大分に住んでいた頃には1本だけでした)で、基本的には大分県内のみを走っていました。熊本県は人吉まで行く九州横断特急(以前のあそ号)は4往復となっていましたが、勿論、この無人駅などは通過してしまいます。

 九州地区の駅には、必ずといっていいほど「名所案内」があるはずです。豊肥本線はそうでした。私の自宅からの最寄り駅でもあった敷戸駅にも「名所案内」がありました。何故か、大分大学が「名所案内」に登場していたのです。今の大分大学前駅に「名所案内」があったかどうかは覚えていません。敷戸駅ほどではないにせよ、大分大学から別府大学へ行く時、大分大学から市街地へ行く時などに利用していましたが、注意して見ていないのです。

 ただ、駅の「名所案内」は、本当に案内になっているのか疑問とせざるをえない所もあります。この竹中駅がその例です。大分市の南部に吉野梅園があり、たしかに、鉄道の駅で最も近いのは竹中駅でしょう。しかし、竹中駅前にはバス路線が全くありませんし、道順などの案内も全く書かれていません。知らない人にはかなりわかりにくいでしょうし、大分市内などに住んでいる人であれば、自家用車か路線バスで行くことでしょう。大分の市街地、または臼杵の市街地からのバス路線がありますので、そちらを使ったほうがよいでしょう。

 また、河原内が登場しないのも不思議です。もっとも、河原内ですとさらに距離があります。多分、竹中駅から徒歩で行くとすれば2時間以上を覚悟しなければならないでしょう。既に記したように、竹中駅前にはバス路線が全くありません。タクシー乗り場もありません。

 ここで、僭越ながら、私が竹中駅から吉野梅園までのルートを紹介します。二つあります。

 一つは、上の写真に忠実に行く方法です。まず、県道631号を南に進みます(つまり、犬飼の方向です)。700メートル進んだところでしょうか、道幅が細くなり始める部分がありまして、そこに三叉路があります。そこを左に曲がるとすぐに上戸次小学校が見えます(交差点付近から見えるはずです)。大野川にかかる筒井大橋を渡りますと国道10号線に出ます。一旦右折します。そしてすぐに左折し、県道に入ります(臼杵方面に進んでいきます。案内表示があるはずですから、臼杵方面の案内に従って下さい)。そのまま進めば、吉野梅園の入口に出ます。

 もう一つは少々面倒で遠回りという方法です。竹中駅から県道631号を北へ進みます。竹中トンネルを抜けて下さい。そうすると、大南大橋の西側の交差点に出ます。左側に大嶋病院があるので、すぐにわかります。この交差点を右折し、大南大橋を渡ります。渡ると交差点が見えますが、この交差点を直進して下さい。すぐに登り坂となり、榎峠を超えます。しばらく走ると豊栄梅が丘ニュータウンに入ります。そしてニュータウンに入ったばかりのところにある、信号機のある交差点を右折します(この交差点には吉野梅園の案内が出ていますのですぐにわかります)。しばらく走りますと、左側に吉野梅園の入口が見えるはずです。

 こうやっているうちに、ようやく列車が来ました。この後、大分大学前駅や敷戸駅で降りることなく大分駅へ戻り、中央町や府内町を歩き回りました。スマトラ島での大地震を知ったのは、この日の夕方か夜、府内町のホテルで見ていた衛星放送によってです。

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