SARAのブログ

日々のことあれこれ

8月1日

2022-08-02 08:50:23 | 日記

私の中で「夏と言えばこの年はキツかったなぁ」という年がある。

昨日ふと「あ、今日は8月1日かぁ、あれから11年経ったのかぁ」

と思い出した。

 

2011年の夏。

私はその年、6月くらいから体調がおかしかった。

当時アメーバのブログを書いていて、その流れで毎日アメーバピグ

というアバターを使って他の人とコミュニケーションが取れるゲー

ムで遊んでいた。それまでは1日に数回しかログインしなかったのだ

が、その年の5月?6月?くらいからそのピグ内に「ピグライフ」と

いうゲームが新しく始まったことをきっかけにしょっちゅうPCに張

り付くようになっていた。

自分の敷地に畑を作り、種を蒔き、作物を育てて収穫するゲームだ。

収穫した作物で料理をし、その料理が決められた数作れると、その

都度いろいろなアイテムが貰える。貰えると言っても実生活には何の

関係もあるわけがなく、ただゲーム内の生活が充実していくといった

もの。

当時、実生活に幸せを見いだせなかった私はピグの世界が楽しかった

、いや、他に喜びを見いだせなかったのだと思う。

収穫したり料理をしたりするのには限りがあり、時間が経つとその

エネルギーが溜っていってまたできるので、エネルギーが溜ってはま

たやって、というのを1日中ずっと繰り返していた。

そんなことをしていたある日。

PCの前に座っていてもなんだか落ち着かない。

ソワソワとするようになった。

ジッとしているのが辛い。でもピグはやめられず、PCの前に座りな

がら足をバタバタと動かしていたりした。

そのうち蕁麻疹が出るようになった。

蕁麻疹は、その3年くらい前に仕事をしていた時に生まれて初めて

出たのだが、その時も実は同じ症状が出ていた。

座る仕事をしていたのだけど、ジッと座っているのが辛い。

でも人が周りにいるので足を変に動かすこともできず、耐えていた。

でも気持ちは、今すぐにでも仕事場から飛び出し、全速力で走りた

い!という感じだった。

放っておくとそのうち蕁麻疹は治り、でも7月になってまた出て、そ

の7月に出た時がかなりの出方で、それまでは指先とかしか出なかっ

たのが、胴体部分に出るようになり、かなり広範囲で出ていたので

旦那に「それ、もうちょっと普通じゃないよ」と病院に行けを促す言

い方をされていたのだった。それを言われたのが週末だったので「来

週まで出ていたら病院行くよ」と言ったのを覚えている。

その週末私達は新しいPCを買った。そのやたら座っていられない、

やたらイライラする時期と平行して、PCが不具合を起すようになっ

ていて、それもイライラの原因の一つではないかと思っていた。

お金がないのにこんな高いものを買ってしまって良かったのだろうか

と陰鬱な気分になっていたのも良く覚えている。

PCはプロバイダーを替えたか何かの理由で、買ってから10日く

らい後の工事が終わってから使えることになっていた。

そしてちょうどその工事が行われる週の週明けの8月1日、朝起き

るとまた調子が絶好調に悪かった。体が異常にダルく、何もする気

が起きない。「いつまでこんな生活が続くんだよ!」と私は苛立っ

た。「もうこんな生活終わらせたい!」と。その時思いついたのが

当時癌の闘病中だった友達のことだった。5月から連絡を取ってい

なかったのだが、久しぶりに連絡を取ろうと思った。3ヶ月近く連

絡を取っていなかったのは連絡を取ると必ず「遊びに来てね」と言

われていたので、当時体調が異常に不安定だった私はまさか癌患者

に「体調が安定しない」とも言えなくて何と断ったら良いかわから

ず、接し方に迷いがあったからだった。

しかしその時は迷いはなかった。連絡して彼女が「遊びに来て」と

また言ってくれたら、体がダルかろうが何だろうが行こう!、もう

今日行ってもいい、そう思いメールを送った。

しかしいつもなら送って割とすぐに返ってくるメールが来ない。

嫌な予感がした。

その2時間くらい後に携帯が鳴る。

「誰?」と思って画面を見るとその友達からだった。

なんで電話・・?と思いながら出ると、かけてきたのは友達の旦那

さんだった。

 

「○○、亡くなっちゃったんですよ・・」

 

と電話の向こうで泣いていた。

もうビックリだった。

そのあと、私はまた別の友達に電話をし、話を聞いてもらった。

友達の旦那さんから電話を貰った時も、別の友達に電話をした時も

それぞれ別の1階の部屋に私はいたのを覚えているが、両方の部屋

とも、シャッターが開いていなくて中で電気をつけていたのも覚えて

いる。

その数日後にPC関係の工事が入ったが、心ここにあらず状態だっ

た。

その週の週末に私は友達のマンションに行くことになった。友達の

旦那さんが「まだお骨がお墓に入っていないので良かったら会いに

来て下さい」と言ってくれたのだ。

私は連絡を貰ってから1週間良く眠れないまま彼女のマンションに

初めて行くことになった。彼女はその半年前に引っ越していたばか

りのマンションだった。

当日も朝からお腹が下し、調子が悪かったのを覚えている。

でも彼女のお骨に会って、旦那さんとも話ができて、少し気持ちは

落ち着いた。

そしてその次の日からまた蕁麻疹が出始めた。

「いろいろあったからなぁ」と思っていたが、またその次の日にな

ると今度は顔がお岩のようになり、おまけにクリームパンのように

腫れあがった手が異常な痒さで、それに耐えきれず私は病院に行く

ことにした。薬を貰って飲んでもまったく引かず、5日目くらいに

なってやっと引いてきたが、次に病院に行くと薬は倍増され、「治

るには3ヶ月くらいかかると思います」と言われた。

倍増された薬のせいで、また別の意味の体のダルさがあり、旦那の

お盆休み中も私はほぼ半病人だった。

 

蕁麻疹が出て薬を飲んでからはしかたないにしても、その前の不調

は今思い出しても本当に酷かった。

ほぼ毎日体調が悪く、まったく体が思うように動かない。

運動不足もあっただろうが、それだけじゃないくらい体調が悪かっ

たのはコーヒーのせいではないかと思っている。

当時はしょっちゅう胃腸の調子も悪く、かなり頻繁に下痢もしてい

た。その不調がPCにかじりつくようになってより増してしまった

のだと思う。

 

犬が亡くなってからの今年に入って私達は良く昔のビデオを見るよ

うになったのだが、見ていると思うのが「とにかくいつも部屋が

汚い」ということだった。とにかく散らかっている。「こんなだっ

たんだ・・」と。

キッチンも旦那に言わせると「9割方、いつも汚かった」と言って

いる。

あと、良く義実家から来る大量のジャガイモやタマネギを玄関に

放置することが多くて、それが知らない間に腐って、玄関からいつ

も悪臭がしているということも良くあった。今思うと信じられない

ことだが、当時はそれでも片付ける気力がなかった。

コーヒーが自分には良くないということも薄らとわかってはいた。

しかし止めるに至らなかったのはそれだけ自制も効かなかった。

自制が効く状態ではなかったのだと思う。前向きに「よし!一度

コーヒーをスパッとやめてみるか!」という気持ちになれなかった

のだと思う。

当時友達を亡くしたことは辛く、今でもそのようなことがあったら

辛いとは思うが、もし当時、私がコーヒーを常飲していなくて、

家の中もいつもきちんと片付いていて、1階も毎日シャッターを開け

ているような生活をしていたとしたら、受けるダメージも最低限だ

ったかもしれないとも思う。

なので昨日「あ、8月1日か」と思った時、真っ先に思ったのは「

私もずいぶんまともな生活をするようになったな(笑)」というこ

とだった。

 

今も普通の人からしたら私は全然元気ではないとは思う。

でも当時のように毎日不調があるわけではなく、毎日普通に家事を

こなして、家の中も割といつも綺麗で、という生活ができるように

なったことは良かったなと思う。旦那にも少し前に「私、元気にな

った?」と聞いたが「あの蕁麻疹とか良く出てた頃に比べると全然

元気になった」と言ってくれた。そして「精神的にも浮き沈みが浅

くなった」と言っていた。それは私自身も感じる。

ただ、年齢的なものなのか、生理前の不調は前よりキツくなってい

る。あと排卵と思われる時期も体調が大きく崩れるようになった。

しかし生理前の不調も月によっては比較的軽い時もあるし、キツい

と言いながらも家事は普通にこなしていて、食事も旦那のお弁当も

毎日安定して作ってはいるので、そう考えるとやはり今はかなりま

ともである(笑)。

 

ちなみにだけど、友達の死を知らなかったの?連絡向こうから来な

かったの?と思われるかもしれないが、そのことは当時も私は実は

酷く落ち込んだ。しかしあとから聞いた話によるとその友達のお葬

式は完全な密葬で、本当に家族だけでやったという感じだったらし

いので、恐らく誰にも連絡はしなかったのだと思う。

彼女との関係や距離の取り方に悩んでいたこともあったので私だけ

呼ばれなかったのではないか、なんてことも思ったが、それなら

たぶん私のメールを見て無視まではしなくともメールで「亡くなり

ました」というだけのような気もするが、きちんと電話をわざわざ

かけてきてくれて泣いて報告をしてくれたし、良かったら会いに来て

下さいと言ってくれたのだから、当時の私はやはり悪い方にしか考え

が行かなかったなと思う。

 

ま、こうしてまた本格的な夏を迎え、そして8月1日を迎え、改めて

またいろんなことを思ったのだった。

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