SARAのブログ

日々のことあれこれ

ゲーム

2024-04-19 14:34:34 | テレビ
ここ数日ゲームをするのをやめている。
2月くらいまでも、ゲームはどうしても眠気に勝てない時などの限定でやる
ことにし、あとはなるべくやらないようにしていたのだけど、義父の七回忌
が不安すぎて精神が持たなくなったので、3月からはその制限を解除してい
たのだけど、七回忌が終わったあとも何となく惰性でそのまま続けていた。
七回忌への不安からか生理周期が乱れていたのが、終わってから2週間経っ
てやっと来たのだけど、少量の出血がダラダラと続く生理でやはり何か変。
睡眠も乱れるようにもなっていたし、体調も安定しなくなっていたので、
またここでちゃんとゲームをやめてみようと実験的にこの数日を過ごして
いる。
変化はすぐに訪れた。
とにかく昼間眠くなる。
ダルくて動けないことも。
昨日もそんな感じだったので、その体調に任せて一日家にいてみたのだ
けど、夕方あたりからどうにも暗い気持ちから抜け出せなくなった。
生理も少量とは言え来た。なのに、生理前のような「プチうつ状態」に
またなった。
こんな体調じゃ夜も眠れなくなるかもしれないと思っていたけど、案外
12時半くらいには寝れた。しかし朝方4時半くらいに目が覚めて、そのまま
眠れなくなったので、ベッドで2時間くらいネットを見ていた。
6時半くらいに少し眠気が来たので寝てみると、次に目が覚めたのは10時
半だった。
眠れない時もちらほらあるのだけど、昼間昼寝したり、こんな風に朝遅く
まで寝ていたりするので寝不足にはなってはいない。
しかし生活リズムは乱れまくり。
ベッドから起き上がったのは11時。
その後部屋の片付けをしたり、洗濯をしたり、洗い物をしたりしていたけ
ど、今週末に地域のお祭りがあるらしく、近くに公民館があるので今日は
その準備で周囲にたくさん人が集まっていて、その声にも異常にストレスを
感じたので、化粧をして車で出かけて行った。
つい先日銀行などの用事を済ませに外出した際に回りきれなかった郵便局
へ別の銀行へ行ったりした。帰りに近くの公園にでも寄って散歩でもしよう
かな、どうしようかなと思っていたら、大きい方の催しが来たので、その
ままスーパーへ入りトイレに行った。ついでにこれまた先日買い物に出た
際に買い忘れていた物を買い、家にストックしているアイスもそのスーパー
でしか買えないものなので買った。
クーラーバッグなどを持って来なかったので、保冷用の氷はもらって来た
がやはりそこから長く外に出ているわけにもいかず、そのまま帰ってきた。
公園で少し外の風を感じたり、あと、最近本を良く読んでいるので、古本屋
にも行きたいなと思っていたけど、それはまた今度かな。

そう、本をまた読み始めている。
今読んでいるのは「傲慢と善良」という本。
婚活の話で、私は既婚者なので実際の自分の生活には関係のない話だけど、
読み始めてみるとなかなか面白い。
ここ数年は短編を読むことが多かったのだけど、それは長編なので読み応え
もある。やはり私は短編よりも長編の方が好きだなと思う。
そして、実用書のような本もたまにはいいかもしれないが、やはり小説が
読みたい。その本の中の世界にドップリと入りたい。昼間は外の喧噪や明る
さもあって何となく集中できない感じがするので、私は寝る前の30分くらい
を読書の時間にしている。今の本はもう残すところ3分の1くらいになった
のでまた新しい本を買いたい。
そう言えば先月、私達夫婦が好きで良く通っている他県の街に行った際、そ
の街の本屋さんに初めて行った。
たまたま通りかかったところにあった本屋だったのだけど、入ってみると
物凄く中が広くて雰囲気もとても良い本屋だった。
何故かその本屋では、あれこれ見ていたら手に取る本手に取る本全部が
読みたくなったのが不思議だった。本は中古で買うことがほとんどで新品
はあまり買わないようにしているのでその場では買わなかったが、気にな
って手に取り、冒頭だけ読んでみるとあっという間に引きこまれるような
ものばかりだった。あれはなんだったのだろう。
またあの本屋にも行きたいな。

ゲームをやめて、ネットもあまり見ないようにしてみたせいなのか、昨日は
とにかく家でゴロゴロしているのが辛くなり、今日もお祭りのせいもあるの
かもしれないが、このまま家にいたら精神状態がどんどんおかしくなって
いきそうだったので、ほぼ衝動的に家を出た。
午後の銀行の暇そうな銀行員に「いらっしゃいませ!」と言われたり、
行き交う人を実際に見たり、スーパーの店員さんを一言二言言葉を交わし
たり、エレベーターの中で一緒になった人と譲り合いをしたり・・。
それだけでも自分の中の心の隙間がほんのちょっとだけど埋まる気がする
のだった。
この感覚は前にも味わったことがある。
私が去年耳の病気になった時だ。
あの時もゲーム漬けになっている自分の生活に危機感を持ち、ゲームを
完全にやめていた。あの時も外に出て人とちょっとでも接すると少し何
かが落ち着くという感覚があった。あの時はステロイドを飲んでいたので
元気も出ていたからかなぁと思っていた。いや、その作用はやはりあった
気がする。今よりももっと人と接することを切望していた気がする。
今はその時ほどではないが、それでも一日家に引きこもっていると何か
がどうかなりそうな感覚がある。ゲームをやらなくなったことでやはり
少し元気が出てきてるのだろうか。
良くわからないが、もうしばらくこれは続けてみようと思う。
そして近々、また寝る前に読む本を調達しにも行ってみよう。
このまま、家にずっといるのが辛いという状態が続くのだろうか。
まぁ、家にいなければいけないという事情があるわけではないし、1人
で車も運転できるので何も問題はないのだけど、あまりの自分の変化に
自分がついていけてない。
とにかくゲームをやめるのはしばらく続けてみる。

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来た!のかな・・?

2024-04-12 11:38:55 | テレビ
1ヶ月近く遅れて昨日生理の兆候が来た。
思えば七回忌は普段着でと義兄に言われてからというもの、ずっと気に
病んできて、本当は七回忌の1週前には来ている予定だったのがずっと
今まで来ていなかった。
胸が張ったり、肩こりや首凝りがあったり、胃腸の調子も何となく悪かっ
たりとずっと不調続きで、でも生理は来なかったのでこのまま来ないのかな
と漠然と思っていた。
そんなここ数日は特に体調が悪く何もする気が起きなかったので、完全に
うつになってしまったのではないかとちょっと思ったくらいだった。
昨日は午前中買い物に出たのだけど、帰りの車の中でも酷い眠気があった
り、夕方には少し気持ちが悪くなったりもしていた。
そして夜に少量の出血。
しかしこれまでもほんの少しだけ出血したことはあったので、このまま
本格的な生理が来るのかはまだわからない。
それでも昨日までの憂鬱で何もしたくない状態は完全に脱して、今日は
さきほどメルカリが売れたこともあって、早速発送に行ってきた。
昨日まではできれば家にいたい、どこにも行きたくないと思っていたのに、
今日はすんなりと外に出られた。

以前からやりたかったことがある。
「ほぼ日手帳」というものだ。
スケジュール手帳が1日1ページの日記帳のような編成になっているもの。
以前youtubeで見た人はその1ページを可愛いシールやマスキングテープ、
食べたお菓子についていたシールや包装紙などを小さく切ったりして、
とても素敵にデコレートし、文章を書いて記録していた。
実はこれはもう何年も前に見たもので、当時はまだ犬も生きていたので
出かけた思い出などをそうして記録していけたらいいのになと思っていた。
しかし私が思っていたのはページをデコレートする為にシールなどを貼る
のはいいが、それだけではなく、やはり実際に自分が見た景色や食べた料理
などの写真を貼りたいということだった。
しかしスマホの写真をシール紙に印刷するにはと調べた時に当時目にしてい
たのは、専用のプリンターを買って印刷する方法で、しかしそのプリンター
が1万ちょっとする高価なものだったのでやはり手が出なかった。
最近になって旦那の保険が満期になり、少しお金が入ってきたので、また
ほぼ日手帳のことやそのプリンターのことを思い出し、調べてみると、
そんな高いプリンターを買わなくても、コンビニで手軽に印刷ができる
ことがわかった。3年前のyoutubeの動画でもそのやり方が出ていたので、
それより前からもできた可能性は高かった。
しかもその動画の人はシール紙ではなく、普通紙に印刷をして、のりで
貼っていたので、それなりのクオリティで普通紙に印刷できるものなら
その方が安価でできるのでますます現実性が高まった。
しかし3年前に私が使っていたスマホは容量がかなり少なく、新たなゲーム
のアプリ一つインストールすることはできなかったので、そこからまた
新しいスマホを買って・・とはやはり現実的ではなかったかもしれないが、
時期的には充分可能ではあったんだなぁと少し悔しく思った。
そんなわけで、さきほどメルカリの発送をするついでにコンビニで写真
の印刷を初めて試してみた。
写真は思ったよりも大きく印刷され、実際にこれはほぼ日手帳には貼らない
とは思うが、今度はもう少し小さいサイズに印刷してくることに挑戦し
てみようと思う。

こんな風に自分がやってみたいなぁと思ったことが、ちゃんと実現して
いけることが嬉しい。
前は何か思いついても体力気力が追いついていかなかったり、お金の
問題があったりで、結局やらないまま終わることが多かったので。
まぁ、始めたとしてももしかしたら続かないかもしれないけど。

さてもうお昼までこのあとご飯を食べて。午後はまた少し家の中を整えて、
夕方夕飯を作って今日は終わり。
メルカリも売れたし、写真の印刷にも挑戦できて、充実した気持ちになれ
た。
ほぼ日手帳買ってみようかな。
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お向かいさん

2024-04-01 15:31:33 | テレビ
お隣の人が亡くなった。
小さな道を挟んでのお向かいの人。
独り暮らしのおじさん。
年齢は、はっきりとした年を聞いたことはなかったが、私達が越してきた
時で50代くらいだったので、もう70歳くらいにはなっていたのかもしれな
い。

私達が家を建てている時、家の出来を見に来ている時から、家の中から
出てきて、良く話しかけてくる人だった。
越してきてからは家に直接訪ねてきたりとか、そういうことはもちろん
なかったが、普段から会えば向こうから良く話してくることが多かったので、
存在感はそれなりにあった。
その家の周りには大きな木が多いので毎年落ち葉がウチの方まで落ちてきて、
秋からはその落ち葉の処理も大変だったが、借景を楽しませてもらって
いたし、家の横に緑が多いことはウチにとっては良いことだったので
「もう!落ち葉の掃除が大変だよ!」と嫌に思ったことはほとんどなかっ
たし、何より、そのお隣さんがいつも気にかけてくれていて、私が庭や道路の
落ち葉を掃除していると来て「いつもすみません」と何度も言ってくれた。
「そちらに(ウチの庭に)入って掃除するわけにもいかないのでね」と
申し訳なさそうに言ったり、道路の掃除をしている時は「こっちはウチで
やるから」と言ってくれたりして、ウチが感じている何倍もあちらは気に
してくれていたのがわかったのでそれほど嫌に感じなかったのかもしれ
ない。なのでこちらも言われるたびに「いいえ、気にしないでください、
私達も紅葉を楽しませてもらってるんで」と言ったりしていた。それでも
毎回のように「すみません」と言ってきてくれた。
そう言うと、すごく謙虚な人かと想像されるかもしれないが、決して謙虚
な人ではなく、声も大きく誇示するような物言いも多かったので、プライ
ドがちょっと高そうだなぁという感じの人ではあった。
なので正直言うとそれほど好感を持っていたわけではなかったので、時と
場合によっては彼が家から出てくる気配を感じると話しかけられるのが
ちょっと面倒で、ソッと家の中に逃げたこともある。
それでも20年ちょっと近所の中では良く話す方ではあったのでそれなりの
情はあったし、越してきた当初は彼の年老いたお母さんが同居していたが、
途中からは1人暮らしで、特にここ数年は彼が1人で良く救急車を呼んで
いたりもしていたので、同情や心配もあったし、いつかは私も自分が
1人になるというのもあったので「1人で心細くはないのかな」と思った
りもしていた。
以前は土建業の日雇いの仕事をしていたり、そういう仕事を通しての
仲間なのか家に人が訪ねて来ている様子もたまには見かけた。
自転車で颯爽と家を出て行く姿やどこかから帰ってくる姿も良く見かけて
いた。10年くらい前だろうか、会った時に「ピロリ菌の除去をした」と
いう話をしていて、それを私が旦那に言うと旦那は「一番菌がいなさそう
なのにね」みたいなことを言っていて、それは要はそれくらい健康的と
いうか、現代人のようにいろいろ電子機器に蝕まれているような生活と
は一番遠いところにいるという私達のイメージから来ている言葉で、
それまでは私も彼に対してはすごく健康で元気、タフそうというイメージ
があったものだった。しかしそのピロリ菌の話を聞いたあとからは、度々
救急車を呼ぶようになったり、見かけても「大分老けたな」という印象を
持つことが多くなっていた。
最後に言葉を交わしたのは去年の12月くらいだったと思う。
私がいつものように落ち葉の掃除をしていた時に、彼も道路の掃除をして
いたので、私の姿を見てまた話しかけてきた。「いつもすみませんね」と、
毎年変わらないいつもの会話。そしてその少し前に彼がまた救急車を呼んで
いたので「この間救急車来てでしょう?あれね、結石。」と彼が確か尿管
結石だったと思うが発作の痛みで救急車を呼んだという話をしていた。
「うちの主人の兄も尿管結石やっていますよ」という話を私もした。「水分
たくさん取った方がいいって言うけど、そんなに飲めないじゃん?」みたい
なことも言っていたかな。
あと、去年の夏に、彼の家とは反対側の2軒隣りのやはり独り暮らしの
おじさんが亡くなったのだけど、その人のことを彼が聞いてきたので、私が
「亡くなっちゃったんです」と言うと「あの人亡くなっちゃったの!?」
とすごく驚いていた。それから数ヶ月しか経っていないのに、まさか本人
だって今同じように言われる立場になっているとは思わなかっただろう
なと。
私はその時初めて彼に言った。ちょっと迷ったが言った。
「何か大変なことがあったら声かけてくださいね」ということだった。
しかし彼と会話を交わして、家の中に入ったあとに私は、本当に彼の力に
なりたいと思って言ったか?どこかいい人と思われたくて言っていない
か?そう私が言った時彼は「いやぁー、何かあったらすぐに救急車呼ん
じゃうから(大丈夫)」と少し冗談っぽく言ってはいたが、本当に彼が
「じゃあ、具合が悪くなったら病院連れて行ってくれる?」と言ったら
お前は心からそうしてあげたいと思えるのか?なんてことを自問してしま
い、そんなことを言ってしまったけど、そう言って気持ち良くなっている
のは自分だけで、本当はできそうにないことをそんなふうに安易に口に
することは返って不誠実なのではないか、なんてことを悶々と考えてしま
ったのだった。
でも今こうなってしまって、今思えば。
もし、彼が実際にはウチに頼ること、頼りたいという気持ちはなくても、
そう私に言われて悪い気はしなかったのだとしたら、もしかしてちょっと
嬉しかったという気持ちがあったのだとしたら、その時はまさかそれが最後
になるとは思ってなかったけど、お別れの言葉くらいにはなったのではない
かとも思った。実際には特に彼は私のそんな言葉など気にもかけていなか
ったかもしれないし、言われて「何言ってんだ」というふうに思ったかも
しれないし、それは彼にしかわからないけど、記憶がそんなに遠くないうち
にそこそこに会話ができたことは良かったなと思った。
結婚もしておらず、定職にもついていなかったので、たぶんだけどまっと
うな世間に対する劣等感のようなものを持っていたんじゃないかな、だか
ら逆に発言や態度も、負けるもんか!じゃないけどいつも強気だったんじゃ
ないかな、そうやって世間と闘ってきた部分はあるんじゃないかなと私は
彼が生きていた時にも何となく感じていた。
私もそうだから。
だからお疲れ様とは言いたい。
そして私達が新しい土地で生活を始めるに当たって、最初に接してきて
くれた人だったし、ウチの旦那にも一度海釣りに一緒に行かないかと言って
きたこともあり、でも旦那は「船酔いするんで」と断ったらしいし、もし
船酔いしなくても社交的ではない旦那は断ったかもしれないが、ウチの旦那
と仲良くしたいという気持ちが一時でもあったのだとしたら、ありがとうご
ざいますと。

あと、やはりこうやって1人で亡くなるってことが私にも旦那にも他人事
ではなく、自分たちにも充分にありえることだということを改めて
見せられた気にはなって、暗い気持ちになってる。
死んだあとはもう関係ないやって思いもあったけど、こういうのを見せられ
ると、やはり他人に迷惑かけるのは忍びないなともちょっと思った。
生存確認のシステムというか、動きがなくなったらどこかに連絡が行く
とかそういうのがあると聞いたことがあるので、今はまだ1人じゃないし、
まだ50代だから早いと思うけど、もう少し年を取ったらそういうことも
考えていかなきゃなと思った。

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