SARAのブログ

日々のことあれこれ

自己肯定感

2023-07-20 12:03:13 | テレビ
恐ろしく自分に自信がなかった。
いつもいつも人は批判的で「あの人はどうしてこうなんだ」と不満を
持っているように見えた。
人の生活をyoutubeで見ては「私はなんでこういう風にできないんだろう、
なんでこんなに動けないのか、なんでこんなに人に会うことができない」
と思ってきた。
自分が回避性パーソナリティ障害だとわかった今も、まったく生活は
変わっていない。
しかし精神的には決定的に変わって、物凄く大きな変化はあった。

それは、そういう自分をやっと

「それはしかたのないことだった」と思えた

ということだった。
今までは、ギリギリ歯を食いしばって、人との差を埋めようと頑張って
きた。
どうしてそうしなければならなかったと言うと、その理由はたった一つで

そんな自分では駄目だ

と思っていたからだ。
だから来る日も来る日もそんな自分を何とかしよう何とかしよう、
何とかしなければと思ってきた。それには辛いこともギリギリの精神で
頑張らなければならないと思ってきた。

もちろん回避性パーソナリティ障害が克服できたら、それらの問題は
改善はできるのだと思う。
しかし今は当たり前だけど克服できていないので、何も状況や状態が変わ
っていない。
しかし自分はそういう人なんだなと理解ができただけで、自分を責めなく
なった。
精神的に少し楽になったからと言って、このままでいいとはもちろん
思ってはいない。
いつか克服できたらいいとは思う。
しかし理解ができたことで、自己肯定感はかなり上がった。
何も状況や状態が変わっていないけど、自分が悪いからじゃなかったん
だ、と思えたことがかなり大きかった。

ずっとずっと自分を責めて、人を見ては「何故自分はこうできない」と
落ち込み、常に自分は駄目な人間、劣っている人間だと感じてきた。
とりあえず、そうは思わなくなってきたというのが嬉しい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病気になりたかった

2023-07-15 12:56:55 | テレビ
ずっと思っていた。
病気になりたい、と。
いや、こんな言い方すると不謹慎なのはわかっている。
世の中には病気になりたくなくても病気になって辛い思いをしている
人がたくさんいる。
でもここでは正直な気持ちを書かせてください。
正直、本当にそう思っていた。
病気と言っても、癌で辛い闘病がしたいとか、脳の病気になって不自由に
なりたいとか、もちろんそんな風に思ってたわけじゃない。
都合の良い話かもしれないけど「とにかく安静が必要です、その日の体調に
合わせて行動してください」という風になりたかった。

基本ダラダラしていたい。
基本何もしたくない。
かと言って死にたくなるわけでも、ずっと憂鬱な気分に支配されるわけでも
ない。
少し前に気分が異常に落ち込んだ時は正直「私うつかも」と思ったし、
ここにも「もうそういう状態かもしれない」というようなことは書いたが、
その日によって気分も違うし体調も違うので、基本的にはやはりうつで
はないと自分では判断してきた。
回避性パーソナリティ障害のことが書かれている本のサブタイトルに
「生きるのが面倒な人」というのがあり、それを最初に見た時は「ちょっと
心外だな」という印象を持った。それは病気によるものだとしていても、
なんかやはり「駄目な人」と言われている気がしたのだ。
しかし私がずっと感じていた「基本何もしたくない」というのも、
もしかしたら回避性パーソナリティ障害の症状だったのかもと思うと
合点がいく。
私は甲状腺疾患があり甲状腺腫瘍も持っていて、甲状腺機能が下がれば
体がダルい等の症状は出るのだが、まだその数値が正常なので、数値上
は甲状腺機能は正常に働いているということになる。
なので最初に甲状腺に対する自己抗体が見つかった時は「やっぱり」と
思ったが機能が正常に働いているのに「じゃあ、このダルさはなんで?」
という疑問が残っていた。

私は仕事をしていないので専業主婦ということになる。
お金をもらって働いているわけではないので、基本的には自分の好きな
ように家を回していけばいいだけ。
それでも私はどこか「自分は外で働いているわけではないのだから」
「私は専業主婦なのだから」という気持ちがあって、体調が多少悪く
ても、やる気が出なくても、ご飯を頑張って作ったり、旦那のお弁当を
用意したりしてきた。
でもやはり気力を振り絞ってやってきても、そのシワ寄せのような
ものはあって、自分の中で「なんでここまで頑張らなきゃいけないん
だ」という思いはあったと思う。
辛いよ、と。
だから、動ける時には動いて動きたくない時は動かない、もっと言えば
基本的には何もしなくていいですよ、できる時だけできることをすればいい
ですよ、という状況になりたかった。
「病気なんだからしょうがない」という大義名分が欲しかったのだ。
要するに、できないこと、できない時があってもそれは私が駄目な人間
だからではなく、病気なんだからしかたがないと許されたかったし、
自分でもそんな自分を許したかった。
でも長年、病気でもないのにそうすることはできず、ひたすら気力を
振り絞って頑張ってきた。
今も旦那がどこまで回避性パーソナリティ障害を理解してるかもわから
ないし、正直まだ私も完全には自分を許してあげてはいないのかもしれな
い。
が、少し前に回避性パーソナリティ障害だと確信的に思う前よりは断然
気持ちは楽になった。
日頃の生活のことだけじゃなく、youtubeなんかを見ていても、私は
どこかで他人と比べては「なんで私はこうできないんだろう」といち
いち落ち込んでいたことに気がついた。
例えばめちゃくちゃ丁寧な暮らしをしている主婦がいる。
その人はyoutubeの撮影も編集もしているし、外でも働いている。
その上でその丁寧な暮らしをしている。
私には到底そんなことはできない。
みんなきっとそういう目でこの人の生活を見ているんだとは思う。
でもみんなどこかでは自己肯定感がちゃんとあって、私が見て「到底
できない」と感じるそれとはやはりレベルが違かったんだと思う。
そんな暮らしにどこか憧れながら、もちろん同じレベルの生活をしようと
までは思わなくても、いつもいつも「何故自分は動けない、何故みんなは
ここまで動ける、自分の何がいけないのか」と無意識ながらに、いちいち
思ってきたことに気がついた。
今日もさきほど、高校生の女の子のyoutubeを見ていたのだが、その子の
お父さんがキャンプに行ってきて、とあるSAでおいしそうなお菓子を
お土産に買ってきたというシーンを見たのだが、その子の父親は、
いわゆる「仲間」と呼べる人たちがたくさんいるという印象の人で、
大勢で車関係の集まりがあったりキャンプをしたり。1人でもキャンプに
行ったりととてもアクティブな人なのだけど、「あぁ、またパパはキャンプ
に行ったんだ」と思った時に、仲間とみんなでワイワイなキャンプを想像
して一瞬胸がキューーっとなった。しかしすぐに「でもしょうがないよ
ね、だって私はそういう中に入っていけないっていう病気なんだから。今
までずっとそうだったんだから。しかたのないことだったんだ。」と
思えた。
そういうことができないという寂しさ自体よりも、私はどちらかと言えば
「そういうことができない自分は駄目な人間」と思うことの方が
ずっと辛かったんだということに気づいた。
なので、できないという状態は今も変わらないのだけど、「それは
そもそも無理な話で、むしろできなくて当然だったんだ」と思えるだけ
で、本当に気持ちが楽になったのだった。

なのでごめんなさい、病気になりたかったなんてやはり不謹慎だけど、
動けないことできないことが辛くてそんな自分を責めたり落ち込んだり、
旦那に対してもどうしてできないのか説明がつかなくて無理してたり、
そういうことに対して「あなたは病気ですよ、だからもう無理しなく
ていいですよ」となれたらどんなに楽になれるだろうと思い、そんなこと
を思ってきた。
回避性パーソナリティ障害を病気と言っていいのかわからないし、
精神疾患とも違う気もするし、でもちゃんとそういう名前のついた
精神障害が存在していて、私は恐らく・・というよりほぼ確信的に
「これだろう」と思えたことで、正直こんなに楽になれるとは思っていな
かった。

そして。
回避性パーソナリティ障害がもし克服できたら、じゃあ働きたい
か?と聞かれても、私は「はい」と答えられるかどうかは確信できない。
それは回避性パーソナリティ障害とは関係なく、私はやはり専業主婦で
いたいのだと思う。でも周りがというか、もっと大きく言えば世間が
それを許してくれなかったというか、子供もいないのになんで働かない
の?という目だったり、自分自身も他の人はみんな働いているのに、
働けない自分は劣っていると感じていたり、そういう理由で「働いて
いない」という状況が嫌だっただけで、毎日家にいられるということ
はやはり私にとっては幸せなことだったと感じている。
都合良く言えば、基本家にいる状態でたまに誰かと話したり、会ったり
できればそれでいいという感じだ。
あと、1人でいることもそう。
ずっとずっと1人でいろ、誰とも話すな、となったらそれはやはり無理
だ。でも基本的に1人でいることに苦は感じない。
夜は旦那が帰ってきて、週末は旦那と過ごして、月に1回、いや、2ヶ月に
1回でも、誰か友達と会って話して「また話そうね」って言って別れられ
ればそれで結構満足かもしれないとまで思っている。
まぁ、でもそれはやはり回避性パーソナリティ障害のせいで、いろんな
ことが面倒に億劫になっている今だからそう思うのかもしれなくて、
本当に克服できたらもっともっと誰かに会いたいとか、家にいるのは
もったいないとか思うのかもしれないが。

HSPがわかった時も、安心したのを覚えている。
でもHSPだけでは説明がつかないことがやはりあった。
回避性パーソナリティ障害だと気づけて本当に良かった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダルダル

2023-07-14 18:09:32 | テレビ
今日は旦那が仕事で夜中に帰ってくる。
ご飯は用意しなくていいと言われた。
せっかくだから昼間少しショッピングにでも出かけようかなと
前日には思ったが、夜、寝付けなくなった。
寝たのは2時は過ぎていたと思う。
そのまま寝たいだけ寝れればまだ良かったのだが、今朝はゴミの日
だったので、7時半に起きた。
5時間睡眠くらいかな。
なので、眠い眠い。
しかしゴミを出したあと、家事をやっていたら、眠気も覚めてきた
ので、午前中に少し外に出てみることにした。
先週の土曜日に旦那とセリアに行き買い物をしたのだが、その時に
買えなかったものもあったので、またセリアに行ってきた。

でも今日はさほどテンションも上がらなかったなという感じ。
100均もしょっちゅう行っているとやはり少し飽きてくる。
次にどこかに行こうと思った時は、あんまり行かないところに
行こうと思った。

帰ってきて、ご飯を食べると午後からは眠くなった。
頑張って起きていようと思えば起きていられたかもしれないが、
気を抜いてyoutubeを見ていたら知らない間に寝てしまった。
でも今日は1時間くらいしか寝ていないかもしれない。

明日は旦那が仕事か休みなのかまだわかっていなくて、もし仕事
ならお弁当のおかずも必要だしということで、夕方唐揚げでも揚げ
ようかなと思っていたけど、体がダルくてそんな気力はどこにもなく
なってしまった。
ので、私の夕飯で鮭でも焼こうと思っているので、旦那のお弁当
用にも一緒に焼いて、あとはまたご飯を食べたあとにでも卵焼き
くらいは焼こうかなというところ。

体がダルいせいか、なんだか気持ちまで元気が出ない。
せっかくの夕飯を大して作らなくていい日だったのに、あまり生産的な
ことはできなかった。
でも、朝のゴミ捨ての時に、また少しだけ草取りをしてみた。
ちょっとづつでもやっていかないと、今の時期はまったく追いつかな
い。放っておくとあっという間に廃墟の庭のようになるので。

今晩は寝れるかなぁ。
旦那は何時に帰ってきて明日はまた何時に起きるのかな。
不規則で、一番大変なのは旦那だけど、こちらもやはりそれなりに引き
づられるのでできればなるべく規則正しく帰ってきてほしいのだけど。

まぁ、今日はそんな感じの一日でした。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所の人

2023-07-13 18:53:23 | テレビ
意外とこれストレスだったのかもなぁと思ったことがある。
それはウチの近所の人の話。
そこのお宅とは、他のお宅よりも縁があり、ウチが犬を飼うことになった
のもそのお宅の影響がとても大きかった。

そのお宅はウチの私道を挟んだすぐ斜め後ろのお宅。
20年近く前にそこんちで犬を飼い始めた。
犬を通して良く話すようになり、そのうちウチも飼い始めると、犬と一緒に
夫婦でお宅に招待してくれるようになった。
家族だけじゃなく、主婦2人だけで昼間会うようにもなったり。
しかしそのご夫婦にお子さんができたので、向こうも育児が大変だった
のか、子供が小さい頃は少しだけ疎遠にはなったが、会えば普通に話をして
いたし、仲が悪くなるということはなかった。
お子さんが大きくなった頃にBBQに向こうが誘ってくれて、一緒に2回
くらい行ったこともあった。
その次の年くらいには私が自治会の組長をやって、あちらが役員をやって
いたことで、一緒に夏祭りに参加したりもした。
しかしそれ以降は、あまり目立ったつきあいはしていない。
悪かったなと思ったのは、BBQに2回行ったあとも、旦那さんや奥さんは
「また一緒に行こうね~」という雰囲気だったのに、ある日バッタリスー
パーで会った時に奥さんが「キャンプとか行ってる?」と聞いてきたの
で「うん、行ってる~」と答えたが、その時のあちらのリアクションが
「なんだ、2人で行ってんじゃん。」とか「なんでうちらは誘ってくれ
ないの?」みたいな感じだったのを覚えている。
私はその当時自治会で精一杯で、もうそれ以上用事を増やしたくなかった。
実は2回目の彼女たちとのBBQもやっとで行っていた。
それが終わったあとすぐに「今度はカラオケでも一緒にどう?」と
言われた時には「もう勘弁してくれ・・」という気持ちだったのを
覚えている。
決して嫌いになったわけじゃない。BBQも楽しくなかったわけじゃない
が疲れてしまった。でもそれをうまく説明できなかったので、向こうも
自分達が切られたような気持ちになったのかもしれない。

しかしその事とは別に、私は彼女にいつも思っていたことがあった。
それは、凄く仲良くしている最中にも、私がたまたま家から出てきたら
向こうの奥さんが庭で何か作業をしていたとか、向こうがたまたまシャッター
を下げる時だったとか、そういう場面に出くわすと、急に向こうの態度が
異常に素っ気ないのだ。
家に行き来しているような仲なら、庭に出ている時に出くわせば、普通
は少しは何か話すだろうと私の感覚では思う。でも奥さんはこっちを
見ようともしない。
たまらずこちらが「こんにちは~」と話しかけると「こんにちは~」とは
言うが、また後ろをすぐに向いて作業をし、それ以上は話そうともし
ない。「なんなん?」とザワザワした気持ちになり、その時にちょうど
どこかからビールをもらっていたのだが、ウチの旦那があまりもう飲まなく
なっていたので、再び玄関から出て行き「良かったらこれ飲んで~」
と渡しに行ったら、決して無愛想にではなかったのだけど「あぁ、ウチ
飲まないから~」と断られたこともあった。
その時の関係性でこちらの感覚だと「ここは話すでしょう」と思われる
場面でもサッサと家の中に入って行ってしまったり、向こうが車で
こちらが犬の散歩で居合わせた時も、ちょうど向こうが角を曲がる時で
減速する時だったので当然何か話しかけてくるだろうとこちらが構えて
いると、中から一応手は振るが、スーッと素通りされたこともあった。
「なんなん?」みたいな。
今までそういう場面がすごく多く、仲良くしている時は会うと何かしら
誘われるからそれが面倒でなるべく会いたくないというのはあったが、
そのうちその奥さんの態度にも、私はかなりストレスを感じるようにな
った。
なので、今は彼女が火曜日に休み、だとか、だいたいこの時間帯に
帰ってくるなどの彼女の行動パターンがある程度わかっているので、
なるべく顔を合わせないように会わせないように生活している。
それが今まであまり自分では意識はしていなかったが、結構ストレスだ
ったなと自覚した。

というのも、昨日またバッタリ顔を合わせてしまったのだ。
私はうっかりキリスト教の勧誘に来た人に応対をしてしまった。
その時にちょうど彼女が家から出てきたのだ。
彼女は車に移動しながら笑顔を作ることもなく、こちらを見ていたので
こちらから手を振った。向こうも振り返したが笑顔はない。
その後も荷物があったのか、もう一度家の中に入り、再び車に乗り込む
際にはこちらを見ようともしなかった。
こういう態度だ。
こっちに来客があるのだから(と言ってもキリスト教だけど)何か
話すことはなくとも、せめて笑顔くらい作れよと思う。
いつも感じ悪いなぁという感じだ。
顔を合わせる度にそんな態度をされたらそりゃこっちだって嫌になる。
ましてや、私は回避性パーソナリティ障害。
他人の拒絶に人一倍敏感で傷つきやすいのに、そんな態度をされたら
それはそれはかなりのストレスだろうと自分で思った。

しかし今回、以前と違かったのは、以前の私なら相手にそんな態度を
取られるのには自分に原因があると考えて、何が悪いのかとグルグルと
考え込んでしまっていただろうと思う。
でも今回は違った。
その奥さんにちょっと怒りが湧いた。
そんな態度ないんじゃない?と。
こちらに対して何かあるんだとしても、それでも近所でバッタリ居合わせ
て、まったく今まで付き合いのない人ではないんだから、普通なら
少しフレンドリーに「こんにちは~」が妥当じゃないかと思うのだ。
そんな素っ気ない、無愛想な態度を取られる理由もない。

たぶん私は自分が寂しかったり、これからもっと年を取っていくに
あたって不安があるんだと思う。
だからどこかでやはり彼女たちに期待をしてしまっているところは
あり、そうでなかったとしても、親しさ具合で行ったら、(と言っても
今はそれほど親しいという仲ではなくとも、今までの流れや他のお宅と
の関係と比べたら)毎回ではなくてもたまには挨拶のあとに「元気~?」
と言ったっていいくらいだ。

なので私は割り切ってみることにした。
今まではどこかで仲良くしてくれないと自分が困る、じゃないけど、
そんな気持ちがあったんだと思う。
でもその為に仲良くしていたとしても、今まで彼女に「なんなん?」と
思うことが多々あったように、この先も嫌なことは何度もあるだろうし
嫌な態度も続くと思う。
それならもう期待はせずに、ただひたすらご近所さんとしてこちらは
感じの良い挨拶をするのみとしよう、と。

ウチのお隣の家ともウチはそれほど仲良くもない。
まぁ、悪くもないが。
でも奥さんは愛想はとても良い。
いつも顔を合わせれば笑顔で挨拶してくれる。
向こうが車に乗っている時は笑顔で手を振ってくれたりもする。
でもそれ以上に何か話しかけてくるということもない。
だから、嫌われているとも感じないし、好かれているとも感じない。
ご近所さんて、それくらいがちょうど良いんじゃないかと思った。
なので、向こうはいつも無愛想だが、こちらは思いっきり笑顔で感じ良く
「こんにちは~」「おはよう~」と言おうと思った。
そしてそれ以上に何か向こうには期待しないし、こちらもそれ以上は話さ
ない。
そういうスタンスでこれからは行こうと思った。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姉に対して思うこと

2023-07-13 07:24:16 | テレビ
1個前の記事を読み返したら、1つ思ったことがあった。
長男とつきあい、その人と結婚し家を出たかった姉。
その姉の結婚が決まる前に私は旦那と結婚を決めた。
これは姉にとってはショックなことだっただろうと今は思う。
この話だけを聞いた人がいたとしたら「それはお姉さんに一言、
私結婚してもいい?家を出てもいい?とお姉さんにも了解を得るべき
だった」と言う人もいるかもしれない。
しかし当時、姉とその人は確かにつきあってはいたが、本当に「つ
きあっている」と言っていいのかわからないような関係だった。
まず、数年つきあっていたが一線を越えていなかった。
それどころかキスもしたことがないらしかった。
お芝居を観るのが好きな人だったので、チケットが手に入ったり、
見たい映画が公開されたりすると姉を誘って良く行っていた。
でもウチに来たことは一度もない。
ウチに上がったり、ウチの両親に挨拶したこともない。
もちろん相手の家に行ったこともなかった。
ただただお芝居に一緒に行くだけ。
話を聞いていると、それって本当につきあってるの?という感じだった。
でも姉はゾッコンだった。
お芝居に行く日は念入りに化粧をし、普段は絶対にしないマニキュア
までしていた。
姉はその人のことが好きだったのだろうが、どう見ても結婚する雰囲気
ではなく、それどころか「それってただの友達じゃないの?」という
感じだった。
父も同じ印象を受けていたようだった。
私の結婚が決まったあとだったか、姉のお相手のことを「ウチに一度も
来たこともないし、挨拶されたこともない」と不満げに言っていたのを
覚えている。真剣に交際しているという感じではないことは父も感じて
いたのだと思う。
なので私も「先に結婚してもいい?家を出てもいい?」と言う感じでは
なかった。酷いようだが私に言わせてみれば「結婚どころか、騙されてる
んじゃないの?」という感じだったのだ。
どう見ても結婚なんかする雰囲気ではないのに、それどころか、女とし
て見てもらってるかわからないのに、姉はそんな現実は無視して、
冷静に相手のことを見ることができなかった。
私の結婚が決まった数ヶ月後、姉はその人と破局した。
それは私の結婚とは関係なく、姉にまた別の、仲良くしてくれる人が
現れたのだ。その人の運転で姉と一緒に私達の新居にも遊びに来て
くれたこともあった。そして私達とその人と姉とで一緒に夏祭りに
行ったこともあった。その人の方がいいんじゃないの?と思っていた
ら、姉もそう思ったらしく、数年プラトニックな関係を続けていた
彼にはお別れを言ったと言っていた。ところがその、私達の新居にも
来てくれたその人に別の交際相手がいたことがあとから判明し、
姉は結局1人になってしまった。
それもまた姉にとってはキツい出来事だったとは思う。
私もその人とはうまくいってほしいとは思っていた。
しかしその人もまた長男だったので、母は反対していたが。
姉は、プラトニックな関係だった人と別れたこともあとから後悔し
たかもしれないが、あれは姉の為には別れて私は正解だったと思って
いる。しかし姉の本心はわからない。
姉はその一連も流れもあったからか、私を恨んでいたのかもしれない。
そのことを旦那にも言ったことがある。
でも旦那は「もう既に2人の中で(姉とプラトニックな彼との中で)
密かに結婚の話が出てたとかならまだわかるけど、あんな、結婚する気
があるのかないのかわからないような関係だったんだし、一応向こうの方
が年上でお姉ちゃんって立場ではあるけど、今時妹の方が先に結婚する
ことなんてザラにあることだし、変な意味じゃなくて、SARAの家は
一般の家でどうしても跡取りが必要な旧家とか名家でもない。ただ、
お母さんの願望があっただけで、絶対にどちらかが残らなきゃいけない
っていう状況かって言ったらそうでもなかったわけで。だから親に
言って親がそれを了承したんだから、それでいいと思うけどね。」
というようなことを言ってくれた。
私も正直、当時はその旦那の感覚と同じだった。

旦那も言うように、ウチは代々続く名家だとか、旧家の長男の家で、
地元の土地も持っててお墓もずっと長男が守ってきて、とかそういう
家でもなんでもない。ただの公務員の家。
その大きくもない普通の家に姉妹が産まれて、どちらかが婿を取れ、
なんてことを強要する母もどうかと思う。
「できれば残ってほしいわ~」という可愛い願望ではなかったのだ。
それはそれはもう狂気じみていた。
どちらかが残ってくれなかったらお母さんは死ぬ!!とかそのうち
言い出すのではないかというくらいの執念があった。
しかし私はその母の言うことを聞いて残るのは絶対に嫌だった。
もう自由になりたかった。
姉も最初は抵抗していた。
母に反対されても、その長男の人とずっとつきあい続けていた。
しかしその人とも別れ、仲良くなった別の人とも別れ、妹は家を出て
行き、1人になった時に、ウチの実家に激震が走るような事件が起きた。
ある人に騙されて、父が大金を失うという事件だった。
父は酷く落ちこんでいた。
一時は「俺はもう死ぬ!!」と母みたいなことを言い出すこともあ
った。
そんなこともあってか、姉は突然お見合いをすると言い出した。
婿取りの条件をつけて。
私がこの家の跡を取る!と言った。
それは偉かったと思う。
しかし姉は私ほどは実家に残るということ自体には抵抗はなかったの
だと思う。
私は絶対に家を出たかった。
そのプラトニックな彼とは結婚したくて、その人と結婚するということ
は自動的に家を出たいこととなっていたのかもしれないが、家を出たい
願望自体が強かったわけではなかったと思う。
去年、姉の子供が独り暮らしを始め、旦那の姪や甥も独り暮らしを始めた。
「みんな家を出ちゃうね。でも若い頃はみんなそうだよね。私も一度は
独り暮らしを経験したかった。」と私が言うと姉は「私はそんなこと
思ったことない」と言った。「そうなの!?」と言うと「だって寂しい
じゃん」と言った。
それを聞いた時、やっぱり姉は実家に残るべき人だったのかもしれない
と思ったのだった。

私が先に結婚したことは、姉にとってはキツかったのかもしれないし、
その後の破局なども辛い出来事ではあっただろうとは思う。
でも私としては、だからと言って意地悪をしたり、仕返し的なことを
されるまでのことをしたとは思っていない。
ましてや、ただ普通に結婚をし、家を出ただけで、母に辛く当たられる
理由もない。

母は良く人に対して不満を言っている。
父は良く人の批判をしている。
姉はわざと私を傷つけようとする言葉を言う。
結局みんな幸せじゃないのかなと思う。
私のように病んではいないのかもしれないが、決して満たされてはいな
いのかなと思う。
そんな人たちの態度に傷つき、私は精神障害を負った。
でもラッキーだったのは、子供がいなかったので、働く必要がなかった
ことだ。
子供がいたら働かざるを得なかった。
2人だからまだ何とかなっているが(ギリ何とかなっていない説もあるが)
子供がいたら完全にアウトだった。
それにこうして自分のことを考える時間がたっぷりあるのも幸せな
ことかもしれない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする