SARAのブログ

日々のことあれこれ

自己愛性パーソナリティ障害の

2014-04-19 14:24:48 | 不安障害
人は、

自己愛性パーソナリティかもしれないと思われる私は、

要するに「自分のことしか考えてない」という
本当に嫌な人・・?らしい。

っていうか、
私自身はちゃんと相手のことも考えてるつもりで、
「自分は相手のこともちゃんと考えられる人間」だと思ってきた。
でもそれは言い換えれば

「相手のこともちゃんと考えてる振りをしていた」

に近いかかったかもしれない。

「私はそういう配慮のできる人間ですよ~」

の演技をしていたというか。
アピールとしていたというか。

本当の意味で

私はちゃんと相手の気持ちや相手のことを考えられる人間では
なかったなと今は思うんです。


そしてそんな風に自分のことしか考えられない自分は

結局は自分のことも愛していない。

自分の気持ちを大事にしてないから
相手の気持ちも大事にすることができないのかもしれないけど。




でも
私がそんな風に自分の気持ちを大事にできなくなったのには
ちゃんとした理由がある。



「全部が全部親のせい」というわけではもちろんないですが。

私は子供のころから自分の気持ちを抑えて生きてきたんですね。
親の前で演技をして生きてきた。
とてもいい子だったんです。
親もそう言っています。

でもそれはそうしないと親に受け入れてもらえなかったから。

大袈裟に言えば、
私は子供なのに、私の方が「大人」になって母を許してきた。
でも心から許してきたわけではなくて
そうしないとうまくいかなかったから。
そうしないといつも丸く収まらなかったから。
そうしないと姉のように母に殴って殴って殴られるから。
「SARAなんか嫌い」
「もうSARAとは話したくない」と言われるから。
母に受け入れてもらう為に
母に愛してもらう為に
私は自分の気持ちを押し殺していい子を演じてきた。
そうしないと生きていけない気がしてた。


そんなせいか、
高校生になって私は少しグレました。
学校に行かなくなったりタバコを吸ったり。
もちろんその頃の私は母に受け入れてもらえないどころか
まるで犯罪者のような扱いを受けました。
我が家から犯罪者が出てしまったというような扱い。
それは正直辛くて心ではいつも泣いていたけど、
そうやって世間に対して反発していると
自分がとても自由で大きな人間になれた気がして
それが楽しくてやめられませんでした。

姉はグレなかったけど、自分の髪を抜く癖が数年治らず、
頭の頂上部分がいつもハゲていました。
いつかのテレビ番組で「抜毛症」というストレスからくる
病気があることを紹介していたのを見て、
「姉はその症状が出ていたんだな」と気づきました。
でも当時母は、そんな姉を
「変な癖のある人になっちゃったわ」と
「おかしい人」「変な人」を見る目で見ては
嘆いていました。
姉も、外見的な意味も含めて
しかも多感期だったので辛かったんじゃないかと思います。







近所で小さな子供が泣いて泣いて泣き叫んでる。
思い通りにいかないと言って
こんなんじゃ嫌だと言って泣いている。
その子の親はそれを見て、笑って対処をしている。
決して怒っていない。
泣いている子供のそのままを受け止めている。
ここで怒る親もいるだろう。
「泣いたってダメよ」と。
少し冷たく突き放すふりをする親もいるかもしれない。
でも
子供は仮にそこで怒られたとしても
自分が愛されなくなるとは感じない。
でも私は違った。
本気で「自分は愛されなくなる」と感じていた。
親の真意はわからない。
本気で私のことを愛していたのかそうでなかったのか。
ただ、子供である私が
そんな気がしてならなかったと感じていたのは事実で。
それは私が特別、深刻に物事を考えるタイプだったとか
そういう風にも思えない。
そう感じずにはいられない何か独特な雰囲気がありました。
そして圧倒的な支配下にいたような。
なので、今の近所の子供のように
「子供らしい振る舞い」をしたことがありません。
気に入らなかったら泣き叫んで訴える、というような
自分の感情をあらわに表現するようなことは
一切ありませんでした。

今でこそ、それはちょっと普通じゃないということだと
客観的には感じられますが
つい何年か前まで
私は自分がそういう独特な家庭で育ったと意識することも
ありませんでした。
それが当たり前だと思っていたんです。

なので近所の子供が泣き叫んでいるのを見た時、
とてもとても嫌な気持ちになっていたのは
自分に子供がいないからだとずっと思ってきましたが
それは違いました。

それは強い嫉妬のような感情です。

その、子供を持つ親に対してではなく、
自由に感情を表現できるその子供に対して。

私にはそんな事をしたことがなかったんだよ・・!!??
アンタ、自由に泣き叫べていいよね!!
あー良かったね!!!!!!!
みたいな。

ちょっと涙が滲み出てくるような。





ウチの家庭は普通じゃなかったんだと気づいたのが
今から4年くらい前。
さっきも言ったように、
だからと言って「自分の不幸は全部親のせい」とは
今も思ってませんが、
そういったベースがあって今の私があるんだなということを
認識したのはそれくらい。


そして肝心なのは、


それが親に対しての問題だけじゃないってこと。



今は私は旦那に対してもそうだったな、と。


それは2年くらい前からうっすら気づいていました。
でもそれを認めたら
もう私には何もなくなってしまう気がして認めたくはなかった
気がします。


でも今回、
加藤諦三さんの本を読んで
それが確信に変わりました。


私は旦那に気を使いすぎてしまう人だと思ってきました。
でも「気を使いすぎる」んじゃない。

私は旦那に「迎合」していた。
本当はしたくもないのに。

でもそうしないと自分が生きていけない気がしてた。
母に対して感じてきた気持ちとまったく同じです。

結局、結婚してからも私は
子供のころと同じ生き方をしてきていたんですねぇ。




コメント
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加藤諦三さん

2014-04-19 02:41:13 | 不安障害
明日は私が住む地域で大きな行事があります。

先日、自治会の役員会があった時、
その行事が明日あるということと、
その行事の前日に役員の人にはなるべく協力をして欲しいという
要請がありました。
我が家は役員なので行くべきか・・と悩んだのですが
旦那ともあれこれ話し合い、
結局今回は行かないと決めました。
決めたらなんだかそれでもう、その行事が終わったかのように思っていた私は、
今日、予約していた歯医者に行こうと車を走らせたら・・・

「あれ~公民館の前に人がたくさんいる~。

 あ!!そうか!!明日が行事の日か!!」

とそこで改めて思い出したわけであります。

でもとりあえず歯医者に行かねばと
歯医者に向かい、
治療されていたらまたその行事の件を一瞬で忘れ、
無事に治療が終わったので家に帰ろうと
また公民館の近くまで来たらウヨウヨと人がいるのが見えて

「あ!!そうだった!!」

と再び思い出し、急いで立ち去ったのでありました。

我が家はどうしてもその公民館を通り過ぎないと
家に帰れないのです。
でもその前を通りかかって私の顔に気づかれたら
シレっとサボっているのが丸わかりになるわけで。

なので立ち去りました。
もう今日は夕方まで家に帰れないなと覚悟しました。^^;
(↑大げさ)
歯医者の日じゃなかったら
最初から家にどっぷりこもって
「具合悪いってことにしよう」としてたところ。
でも気付かず家を出ちゃったからしょうがない。



さて、
そんなわけで家に帰れないとなったら
どこへ行こうかと。

「そうだ!」とまず向かったのは本屋さん。

最近良く行く大型の本屋さんで
とにかく置いてある本の種類がすごいのです。
そこへ行きました。

そして最近私が一番気にしております、
メンタル系の本を見てみようと。

「これは絶対に買おう」
と今現在決めている本があるのですが
それは恐らくないだろうなとは思っていました。
なくても他に読んでみたい本があったら買って
またどこかファミレスでも行って
時間をつぶそうと。

案の定、私が狙っていた本は置いておらず、
そして意外にもその本屋さんにはメンタル系の本が
とても少なくて。
それには少し残念。

でもその数少ないメンタル系の本の中にちょっと気になった本が
ありまして。

「軽いうつ病D氏の日常生活」

という本。

これは加藤諦三さんという心理学者の方が書かれた本で、
実は私はこの加藤諦三さんの本を何冊も持っているんです。
と言っても、
自分で買ったわけではありません。
全部旦那が買いました。
旦那はラジオ好きでいつもラジオでこの心理学者の先生の
人生相談を聞いていました。
もう何年も前から。
そこでズバリ相談者さんの核心をつくことを言い当てる加藤さんを
いつも感心していたそうで。
なので、
ちょっと不思議なことに、その当時特にメンタル系で悩んでいるわけでもなかった
私達夫婦の家に
私がこのように不安定な状態になるずっと前から
加藤さんの本がたくさんあったわけなんです。
なので、
私も加藤さんの本をもう何年も前に読んでいました。
そしてびっくりすることに
加藤さんが本の中に書いている、「神経症者」と呼ばれる人の
特徴がとても自分と似てるとその当時から思っていました。
いや、正に私だな、と。
でもその時は自分のメンタルについて
今ほど深刻に考えたこともなかったし、
特別悩んでもいませんでした。
なので自分に当てはまっていること自体を疑いはしなかったけど
重くは受け止めてませんでした。
何より
「私は神経症なんかじゃない」と固く信じていました。
「そんなんじゃないよ」と。

でも今は
「神経症」という枠組みに自分がピッタリ入る入らないという問題よりも、
とにかく私はメンタルに問題のある人間であることに
間違いはないと。
特に加藤さんが例にあげて書かれているような症例は恐ろしいほどに
自分に当てはまるということはむしろ喜んで認められますし、
その上で改善できることがあるなら改善したい。

なので
今回新たに加藤さんの本をまた読んでみることにしました。

何より、
その本の最初の1ページを本屋さんで立ち読みしただけで
「あ、これ、私だ」
と感じたのでした。
「私のことが書いてある」と。
これを読まずにいられるか~~~~って。^^

ただ。

以前加藤さんの本を読んだ時にも良く思っていたこと。

それは

「じゃあ、どうしたらいいの?」

ということ。

加藤さんがわかりやすく例にあげて書いてくださっている人は
正に私で、
読んでいると
「そうそう、そうなんだよ!!そう思っちゃうんだよ!!
なんでここまでわかってくれるんだよ!!」
とまぁ、興奮します。
見事に言い当ててくれてる。
本当に。
嬉しいほどに。

そしてどうして私のような人がそう思ってしまうのかも、
どんな理由で私のような大人が出来上がったのかも、
良く説明してくれてます。
「そうか、そんな理由があったのか。
いや、言われれば確かにそうだ。」
とその理由についても、物凄く納得できます。

でもその先。


で?


じゃあ、どうすればいいの?


いや、
答えは本当は本文の中にちゃんとあるのかもしれません。
それを私がちゃんと読み取れないだけかもしれません。

そんな私のような馬鹿に向けて
はっきりと、
具体的に、

「そういう人は、こうすればいいのです!!」

「こうしましょう!!」

と。

いえ、そういった事も書かれていることは書かれてあるんです。

でももっと欲しい。

私のような人間のことをズバリと、
これでもかと言い当てている数々の例文と同じくらい

もっとズバっと

もっといっぱい

「こうするといい」

の例が欲しい。




いや・・・




もしかしたら、
私がこんな風にすぐに結果を求めるというか
すぐに劇的に何かが変わる方法みたいなものを望んでいること自体が
きっと違うのかも。

「そうか、私の中にはこんな種類の膿がたまっていたんだな、
こんな生き方をしてきたからそういう膿がたまるんだな」

それがわかって、
それを自分で認めることが一番大切なことで。

それがわかった上で、
また時間をかけてゆっくりと
改めて「本当の自分」探しをしなくてはいけないのかもしれません。
だって「本当の私」は私にしかわからない。
っていうか、
「本当の自分」を今現在は自分でも良くわかってないということすら、
自分で気づいてなかった。



本当の私は一体何がしたいんだろう。

何が好きなんだろう。

どう生きていきたいんだろう。



人にこう思われたいからするとか

人にこうして欲しいからするとかじゃなくて。



うーーーーーん、今はやっぱわかんない。








でも今日はこの本が読めて良かったなって。

自治会から逃げて「あ~あ」って思ってたけど。

こんな出会いもあるんですね。



コメント
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加藤諦三さん

2014-04-19 00:27:28 | 不安障害
明日は私が住む地域で大きな行事があります。

先日、自治会の役員会があった時、
その行事が明日あるということと、
その行事の前日に役員の人にはなるべく協力をして欲しいという
要請がありました。
我が家は役員なので行くべきか・・と悩んだのですが
旦那ともあれこれ話し合い、
結局今回は行かないと決めました。
決めたらなんだかそれでもう、その行事が終わったかのように思っていた私は、
今日、予約していた歯医者に行こうと車を走らせたら・・・

「あれ~公民館の前に人がたくさんいる~。

 あ!!そうか!!明日が行事の日か!!」

とそこで改めて思い出したわけであります。

でもとりあえず歯医者に行かねばと
歯医者に向かい、
治療されていたらまたその行事の件を一瞬で忘れ、
無事に治療が終わったので家に帰ろうと
また公民館の近くまで来たらウヨウヨと人がいるのが見えて

「あ!!そうだった!!」

と再び思い出し、急いで立ち去ったのでありました。

我が家はどうしてもその公民館を通り過ぎないと
家に帰れないのです。
でもその前を通りかかって私の顔に気づかれたら
シレっとサボっているのが丸わかりになるわけで。

なので立ち去りました。
もう今日は夕方まで家に帰れないなと覚悟しました。^^;
↑大げさですが・・。



さて、家に帰れないとなったら
どこへ行こうかと。

まず向かったのは本屋さん。

最近良く行く大型の本屋さんで
とにかく置いてある本の種類がすごいのです。
そこへ行きました。

そして最近私が一番気にしております、
メンタル系の本を見てみようと思ったんです。

「これは絶対に買おう」
と今現在決めている本があるのですが
それは恐らくないだろうなとは思っていました。
なくても他に読んでみたい本があったら買って
またどこかファミレスでも行って
時間をつぶそうと思っていました。

案の定、私が狙っていた本は置いておらず、
そして意外にもその本屋さんにはメンタル系の本が
とても少なくて。
それには少し残念。

でもその数少ないメンタル系の本の中にちょっと気になった本が
ありまして。

「軽いうつ病D氏の日常生活」

という本です。

これは加藤諦三さんという心理学者の方が書かれた本で、
実は私はこの加藤諦三さんの本を何冊も持っているんです。
と言っても、
自分で買ったわけではありません。
全部旦那が買いました。
旦那はラジオ好きでいつもラジオでこの心理学者の先生の
人生相談を聞いていました。
もう何年も前から。
そこでズバリ相談者さんの核心をつくことを言い当てる加藤さんを
いつも感心していたそうで。
なので、
ちょっと不思議なことに、その当時特にメンタル系で悩んでいるわけでもなかった
私達夫婦の家に
私がこのように不安定な状態になる前から
加藤さんの本がたくさんあったわけなんです。
なので、
私も加藤さんの本をもう何年も前に読んでいました。
そしてびっくりすることに
加藤さんが本の中に書いている、「神経症者」と呼ばれる人の
特徴がとても自分と似てるとその当時から思っていました。
いや、正に私だな、と。
でもその時は自分のメンタルについて
今ほど深刻に考えたこともなかったし、
自分に当てはまっていること自体を疑いはしなかったけど
重くは受け止めてませんでした。
何より
「私は神経症なんかじゃない」と固く信じていました。
「そんなんじゃないよ」と。

でも今は
「神経症」という枠組みに自分がピッタリ入る入らないという問題よりも、
とにかく私はメンタルに問題のある人間であることに
間違いはないわけで。
特に加藤さんが例にあげて書かれているような症例は恐ろしいほどに
自分に当てはまるということはむしろ喜んで認められますし、
その上で改善できることがあるなら改善したい。
なので
今回新たに加藤さんの本をまた読んでみることにしました。
何より、
その本の最初の1ページを本屋さんで立ち読みしただけで
「あ、これ、私だ」
と感じたのでした。
「私のことが書いてある」と。
これを読まずにいられるか~~~~って。^^

ただ。

以前加藤さんの本を読んだ時にも良く思っていたこと。

それは

「じゃあ、どうしたらいいの?」

ということ。

加藤さんがわかりやすく例にあげて書いてくださっている人は
正に私で、
読んでいると
「そうそう、そうなんだよ!!そう思っちゃうんだよ!!
なんでここまでわかってくれるんだよ!!」
とまぁ、興奮します。
見事に言い当ててくれてる。
本当に。
嬉しいほどに。

そしてどうして私のような人がそう思ってしまうのかも、
どんな理由で私のような大人が出来上がったのかも、
良く説明してくれてます。
「そうか、そんな理由があったのか。
いや、言われれば確かにそうだ。」
とその理由についても、物凄く納得できます。

でもその先。


で?

じゃあ、どうすればいいの?

いや、
答えは本当は本文の中にちゃんとあるのかもしれません。
それを私がちゃんと読み取れないだけかもしれません。

そんな私のような馬鹿に向けて
はっきりと、
具体的に、

「そういう人は、こうすればいいのです!!」

「こうしましょう!!」

と。

いえ、そういった事も書かれていることは書かれてあるんです。

でももっと欲しい。

「うつ病になる人は・・」

と私のような人間のことをズバリと、
これでもかと言い当てている数々の例文と同じくらい。

もっとズバっと

もっといっぱい

「こうするといい」

の例が欲しい。




いや・・・




もしかしたらこんな風にすぐに結果を求めるというか
すぐに劇的に何かが変わる方法みたいなものを望んでいること自体が
きっと違うのかも。

「そうか、私の中にはこんな種類の膿がたまっていたんだな、
こんな生き方をしてきたからそういう膿がたまるんだな」

それがわかって、
それを自分で認めることが一番大切なことで。

それがわかった上で、
また時間をかけてゆっくりと
改めて「本当の自分」探しをしなくてはいけないのかもしれません。
だって「本当の私」は私にしかわからない。
っていうか、
「本当の自分」を今現在は自分でも良くわかってないということすら、
自分で気づいてなかった。



本当の私は一体何がしたいんだろう。

何が好きなんだろう。

どう生きていきたいんだろう。



人にこう思われたいからするとか

人にこうして欲しいからするとかじゃなくて。



うーーーーーん、今はやっぱわかんない。



わかんないからせっかちな私はちょっとヤキモキもしてるけど
でもそれがこれからわかるかもしれないと思うと
ちょっとワクワクもしてます。





今日はこの本が読めて良かったです。

自治会から逃げて「あ~あ」って思ってたけど
こんな出会いもあるんですね。



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自分が、

2014-04-17 11:42:43 | 不安障害
パーソナリティ障害かもしれないと、
その中の自己愛性パーソナリティ障害かもしれないと思った
昨日はとてもショックでした。
昨日の記事にも書きましたが、
「自分はこんな人間だったのか・・。」と思うと
悲しかったです。
でも、
心療内科で「不安障害です」と言われた時もそうでしたが、
ショックだけど、
「実態がわかって良かった」とホッとしてる部分も
大いにあって。



自分の友達が次々と子供と産んで、
ママ友とかができていって、
「大変」と言いながらもみんな結構まともに育ててて、
子供が大きくなると当たり前のように
社会復帰をしてお金を稼いでいる。
自分と同じように洗濯して掃除して
毎日家族のご飯を用意し、片付けていると思われるのに
その上でみんな子供を育てて
働いている。
近所の人たちもみんなそう。
私はその人たちを尻目に、
自分はどこかみんなと違うと感じてきました。
そのバイタリティもそうだし、
どうしてみんなそんな風に精神的に安定してるのだろう、
みんなにもお金の悩み子育ての悩みや不安、
もしかしたら旦那さんとの関係でも悩んでいる人もいるかもしれない、
そんな風に理解はできるけど、
私のように普段から、
嵐のような波に襲われて
そのたびに不安定になってパニック的になったり
眠れなくなったり、
生きていて辛い、
この世はいいところじゃない、
みたいに感じることは恐らくないんじゃないかなって。
それは私だけのような気はしてました。

私は7,8年前にあるアイドルを好きになりました。
もう夢中でした。
でもその夢中になっている間は
嫌なことも紛れたというか。
本当に楽しかったんです。
辛い現実から逃避できてた気持ちになっていました。
そこでふと、身近な友達には私のようにこれほど夢中になるような
事はなさそうなのに、
どうしていつも平静を保っていられるのだろう、と
疑問に思ったことがありました。
でも今思うと
彼女たちにはそれほど逃げ込む場所は
必要なかったのかもしれません。


私は自分のことを愛してなかったみたいです。

アイドルにハマる時は
自分と正反対の人のことをいつも好きになっていました。
それは「人は自分にないものを求める」とか
その程度の感情とは違うと思います。

自分のことは全否定。
自分のことがとにかく嫌なのです。
外見も性格も。

私は丸顔で、色が白くありません。
今は年をとってきて昔よりは少し白くはなってきましたが、
昔はホントに黒かった。
なので、
好きになるアイドルはみんな、男のくせに?
色が真っ白で細くてシュっとしてて面長の顔の人なのです。

「自分にないものに憧れる」
「ないものを補おうとする」

という程度の感情ではなく、
自分自身のすべてがダメだと思っていて
すべてが嫌い、
とにかく全否定していることに気付きました。

性格もそう。
内向的で社交的じゃない自分を恥じています。
地味な性格の自分が嫌いです。

なのでそれと正反対の人を見ていると
とても気分がいいのです。
とても癒されるのです。

でも、
それは芸能人という特別な枠にいる人に抱く感情で
自分の実生活の中にいる人で
私と正反対の人を見た時には
猛烈に腹立たしくなります。
「猛烈な嫉妬」を抱きます。
そんな人、大嫌いです。
見たくないです。
辛すぎて。



私はそんな人。
嫌なヤツでしょう。^^;


でもその「本当の自分」、
自分はどうしてそんな風に思ってしまうのか
どうしてそんな風に感じてしまうのか、
それらもすべて今までは


「自分のせい」


というような感覚で生きてきました。


「私がこんなダメな人間だから」


みたいな感覚。

もちろんこんな風に今みたいにはっきりと言葉にして
感じてきたわけではありません。
もっと漠然とですけどね。

でも、
今は、

そんな自分が出来上がったのには
たくさんのはっきりとした経緯や理由があるのだということを
知ることができたので

そういった意味では
大いに楽になりました。
そしてそれを大いに納得しています。
ホント、「なるほどな」って感じです。


いえ、まだ入り口に入ったばかりなので
これからなんですけどね、

研究していきたいのです。

自分のことを。



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自己愛性パーソナリティ障害

2014-04-16 22:19:57 | 不安障害
あの人のブログの記事に「パーソナリティ障害」の本についての
記事があったんですね。
最初は、メンタル的な意味では興味はありましたが、
自分とは直接は関係はないものとして
読んでいたのですが、
読んでいくうちにパーソナリティ障害の中の
「自己愛性パーソナリティ障害」というものがあるのですが、
その特徴が自分になんかちょっとあてはまるなぁ、と少し気になり、
何気なくその「自己愛性パーソナリティ障害」のことを
改めて調べてみたら


もう読めば読むほど
私にあてはまりすぎ


でして。

しかもその特徴とされてることが物の見事に悪いことばかり。

読めば読むほど嫌なヤツ。

そしてそれが自分にとても良くあてはまっているのです。

最悪です。


自己愛性パーソナリティ障害の人もやっぱり


「とても生きることが困難」


となるそうです。


その性質や考え方により、
不安障害やうつ病になることも良くあるらしく、
私は最近になってやっと自分の状態が
「不安障害」だということを自分で認識することができたのですが、
もしかしたらその背景には
「パーソナリティ障害」なるものがあったのかなぁ、と。


最近初めて行った心療内科では、
その後の通院を特別薦められたわけではなく、
「どうされます?今日、全部はお話聞くこともできないのでね、
また次の予約を取って行かれてもいいですし、
また後日○○さん(私の名前)のタイミングで予約を取られてもいいですし・・」
というような感じで言われまして。
でもその時の私は、
自分がそういった精神疾患があったのだということがわかっただけでもう
満足していて
とりあえずは症状が悪化した時だけ薬を使ってみるのもいいかなという判断で、
あとは自分なりに、
先生に薦められた「認知行動療法」というものもやってみて
様子を見ていってみようと思っていたので
そんなにすぐのすぐにまた心療内科へ行こうとは思ってなかったんです。

今も実はそんなに
「次はいつ行こうか」と具体的に考えているわけではないのですが
でも、
やっぱりそういった専門の方にまたいつか
話を聞いてもらいたい、
もっと自分のことを話したい、
そしてお金の面では気になるところですが
できればカウンセリングも受けてみたいというのが本音でした。



今まで
自分がなかなか社会に出られないことや、
人間関係がうまくいかないことは、

「自分の性格のせいだ」
「私が弱いからだ」

という風に考えてきました。
でも、
社会に出られないのは、単に「弱いから」ということでは片付けられない、
もっと根深い問題があるのだということに気付きました。
私がどうしてこれほどまでに、他人の態度や言葉に過剰に反応して、
最近ではそれが「眠れなくなるほどの情緒不安定」を引き起こしたり、
体調まで崩してしまうのには
それなりの理由がきちんとあるのだと、
そしてそれに自分できちんと向き合いたい、
という気持ちがあります。



ずっと母や姉との関係に悩んできました。
最近では、
旦那にも辛く当たってしまうこともとても多くなりました。
友人や周りの人とも、つきあうとどうしても問題が出てきてしまいます。
故に孤独です。
でも人とつきあうと
人の態度や言葉にすぐに異常に傷ついてしまう為、
その人を恨んだりすぐに大嫌いになってしまったり・・。
でも一人は寂しい。
この繰り返し。

仕事をしても、職場の人の態度や言葉に過敏に反応して
それをとても思い悩んでしまうので
働くたびにすぐに不眠症になります。
人に嫌われることが異常に恐ろしく、
「嫌われているのではないか」という不安をひとたび持つと
もうそれがループのように反すうし、
とめどなくなります。
かと言って、
周りの人が自分に無関心なことにも不満を持ってしまう。
「嫌われたくない」と思う一方で、
「褒められたい」「賞賛されたい」「人から尊敬されたい」
「認めてもらいたい」「いい人だと思われたい」
という気持ちがあるので
一日仕事をするのにも、過剰に緊張したり神経を使いすぎて
物凄いエネルギーを要してしまう。
その上で眠れなくなったりするので
とても疲弊します。
ただでさえ体力気力が年々衰えてきてるのに
働くとこんな風になってしまうのが目に見えてしまうので
やっぱり「働きたくない」「働くのは無理」と思ってしまうのです。

結局、
社会に出たり人とつきあったりすると
心の平和を保てないのです。

一人で家にいて家事をしているという生活が
一番平和を保てます。
でもその生活に結局は満足ができないのは
やっぱり「寂しい」「孤独だ」という気持ちがいつも付きまとうから。

でも人とのトラブルを抱えるよりは
まだ「寂しい」というストレスの方がマシかな、
という感じ。
「寂しい」から眠れなくなったというまでにはならないので。



私は自分で自分のことを
それなりに人に対する思いやりや気配りのある人間だと思ってきました。
愛情もそれなりにあると思ってました。
でも今は自信がないです。
私は本当の意味で「人を愛せない」寂しい人間かもしれません。
自分がそんな人間だったのかと
そういう自分と向き合うのはとても辛いです。
でももしそうなら
そういう自分を認めることから始めないと
何も解決できないですよね。


とりあえず私が本当に
「自己愛性パーソナリティ障害」なるものなのか?
専門の本なんかも読んでもみたいし、
次にもし心療内科へ行くことがあったら
是非プロに判断してもらいたい。
でも、本なんかを見て「もしかしてそうかな・・」と思うだけじゃなく、
専門の人に「そうです」と言われたら
もう逃げ場がないですね。
本当にそうだと言われたらやっぱりショックだと思います。
だってその特徴たるもの、
本当に酷いものばかりなんですもん。^^;
最低の人間なんじゃないかって感じなんですって、本当に。


旦那にも言いました。
「私、これこれこういうものに属するかもしれないの。
それがその特徴なんか見ると本当に最低の人間なんだよね・・」
と。
旦那は冗談交じりに
「そうだよ、SARAは結構最低だよ^^」
みたいなことを言っていましたが。
たぶん
「それでもいいじゃん、それでも俺はSARAが好きだよ」と
そんなニュアンスで言ってくれたんじゃないかなって
思います。

でも私はそんな風に言ってくれる旦那を本当の意味で
愛してないかも、
そして自分で自分自身も本当の意味では愛してないかもしれないのです。

悲しいです。




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