元・副会長のCinema Days

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「ブリッジ・オブ・スパイ」

2016-01-31 06:17:27 | 映画の感想(は行)

 (原題:BRIDGE OF SPIES )呆れるほどつまらない。もとよりスピルバーグに登場人物の内面なんか描けるわけもないが、コーエン兄弟が脚本担当ということで少しはカバーされているのかと思っていた。しかしそれは大間違いだったのだ。とにかく、ドラマとして何の盛り上がりも無いまま2時間20分の長丁場に付き合わされるのは、観る側としてはいい面の皮である。

 米ソ冷戦下の1957年、保険の分野で実績をあげてきた弁護士ジェームズ・ドノバンは、ソ連のスパイとしてFBIに逮捕されたルドルフ・アベルの弁護を依頼される。極刑を望む世論にもめげず彼は粛々と職務をこなし、死刑でも終身刑でもない懲役30年の判決を導き出す。ところが60年に米軍の偵察機がソ連領内で撃墜され、ソ連当局がパイロットのフランシス・ゲーリー・パワーズを拘束する事件が発生。両国はアベルとパワーズの交換を画策し、ドノバンはその交渉役を任じられる。彼は家族には仕事の内容を秘密にして、東西勢力が直に接触しているポイントであるベルリンに赴く。

 一番の敗因は、主人公が全然活躍しないことだ。そもそもこの交換劇は米ソ両国が最初から望んでいたことである。そうじゃなければ、ソ連はパワーズを生かしてはいなかった。結局、ドノバンは単なる現場担当者に過ぎないのである。つまりは“上からの指示”に忠実に動く駒だ。そんなことでは映画的興趣が生じるわけがない。

 たとえば主人公が両国を敵に回し、その結果あやうく殺されそうになったりとか、あるいは彼の献身的に働きによって国家当局の意志を翻らせたとか、そういうドラマティックなモチーフを挿入しない限り、このネタで観客を楽しませることは不可能だ。

 もっとも“東側に拘束された学生も一緒に助けるために尽力したではないか”という意見もあるかもしれない。しかし、劇中の台詞でも語られていたように、この学生が東ドイツ政府に捕まったのは自業自得である側面が大きい。しかも、アベルの一件と同時進行するためにドラマ運びが散漫になっている。東西両陣営の駆け引きにも焦点は合わせられず(出来レースなのでそれも当然だが)、せいぜい盛り上がったのはドノバンが街角でチンピラの若造どもにコートを奪われる場面ぐらいだ。

 ドノバンはニュルンベルグ裁判において判事の助手を務めており、キューバ危機でも重要な役割を果たしていることから考えると、実際はかなり有能な人物だったはずだ。ところがこの映画での彼は“きつい仕事を終えて帰宅し、家族の顔を見てホッとする”というマイホームパパみたいな扱いしかされていない。苦悩や葛藤は表面的に言及されるのみだ。もちろん、53年のスターリンの死後に態度を変化させていたソ連側の状況といった歴史的背景は捨象されていて、まるで物足りない。

 主演のトム・ハンクスは可も無く不可も無し。他の面子もパッとしない(わずかに印象に残ったのはアベル役のマーク・ライランスの渋いパフォーマンスぐらい)。なお、スピルバーグ作品では珍しく音楽がジョン・ウィリアムズではなくトーマス・ニューマンが担当しているが、あまり効果が上がっておらず、この起用が正解なのか大いに疑問である。

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