元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「エル・スール」

2020-06-12 06:15:08 | 映画の感想(あ行)
 (原題:EL SUR)83年作品。監督はスペインのビクトル・エリセだが、彼はそれまで1963年に映画監督の資格を取ってから「決闘」(69年)でオムニバス形式一話を担当したほかには、傑作「ミツバチのささやき」(73年)しか撮っていない。さらに本作以後には「マルメロの陽光」(92年)があるのみだ。

 斯様にエリセは極端な寡作だが、それは商業主義との妥協を拒否した結果だという。もっとも、いたずらに高踏的な線を狙っているわけではなく、語り口は観客の方を向いている。この「エル・スール」は彼のそのスタンスを反映した作品で、静謐かつ強い訴求力を持つ好編だ。



 50年代のスペインの北部のある町に、8歳の少女エストレーリャと両親が住んでいた。父は振り子を使って、胎児の性別や荒地の地下水脈を探し当てるというオカルティックな仕事をしており、エストレーリャは父のその神秘的な力を敬愛していた。少女はある日、父親の机の引き出しに一人の女性の名が数多く書き込まれたノートを発見する。それはラウラという映画女優の名だったが、エストレーリャは同時に彼女が父のかつての恋人であったらしいことに気付く。その秘密を娘に知られたことをきっかけに、父は次第に酒におぼれるようになっていく。

 映画は父が帰ってこないことを察知した15歳のエストレーリャの回想で進み、やがて父の故郷である“南(エル・スール)”の町に彼女が旅立つまでを描く。話の内容は、神秘的なパワーを持ち万能だと思っていた父親が、実は昔付き合っていた女のことを忘れられない“俗物”であったことを知り、父が戻ってこないと分かった時点で、娘が父の本当の内面を探ろうとするものだ。

 映画はその経緯を明かさないが、そこには単なる色恋沙汰を超えた深い真相があったことを暗示させる。両親と決別し、好きな女とも別れて北の町に移り住んだ父の孤独。傷心のあまり女優を辞めてしまったラウラの孤独。そして南に向かうエストレーリャは、その旅で父と会えない孤独が癒えるわけでもなく、また新たな孤独と出会うだけだろう。そんな孤独との邂逅こそが、人生の機微ではないかと問うているようなエリセのスタンスには、大いに共感するものである。

 ホセ・ルイス・アルカイネのカメラによる映像は、しびれるほど美しい。父を演じるオメロ・アントヌッティの、苦悩を抱えて生きる男の造型は素晴らしい。エストレーリャに扮するソンソレス・アラングーレンとイシアル・ボリャンが、本当にそのままヒロインが成長した様子を体現しているのにも感心した。
コメント
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