クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

海嶽楼と、安井息軒の妻~番町散歩・9

2015-08-31 | クリン江戸散歩

 「村上開新堂」から、イギリス大使かん(館)の よこを通ると

内ぼり(堀)通りに 面したところに、

 赤レンガのたてものが 見えてきます

 げんざい(現在)、「ふくおか会館」がある・この場所に、

 江戸時代、やすいそっけん(かんじ:安井息軒) という、

じゅがく(儒学)者のお家が 

あったそうです 

 かいがくろう(海嶽楼)っていう名の、自宅&じゅく(塾)だったそうです。

 安井そっけん(息軒)は、宮崎県の人で、

江戸時代のおわりごろ、

ばくふ(幕府)にも とりたてられて

有名でした

とても、あたまがよく

人格も すぐれていました

が、

見た目が きょくたん(極端)にわるく

片目がつぶれてて

あばた面、

背も低かったので、

故郷では 

「猿」とよばれて バカにされていました

 そんな・そっけんには、ヨメ(嫁)の来てが ありませんでしたが、

30さいの時、

とうとつに 

えんだん(縁談)が まとまります

その相手は、

村・いちばんの美人の 17才でした

 しかも! もともとは、お姉ちゃんの方に もちこまれた・えんだん(縁談)だったのを、

お姉ちゃんが、

「あの人だけはイヤ

と 

ことわったあとで、

美人の妹が、

「私が行きたい。」と 逆プロポーズしてきたのです

 周囲は、「なんで なんで」と さわぐ

そっけんも、

(なんで?なんで?)と 思う

でも、

むすめは自ら、「息軒の妻になりたい。」と言い、

けっこん(結婚)して、

若いながらも

しっかり家を 切りもりし

そっけんの子を 何人もうみました

 この才女づま(妻)は、のち、森おうがい(鴎外)の小説、

『安井夫人』に 描かれることになります。

安井夫人は、

「儒学者の妻」らしく、

そっけんが 出世した後も

しっそ・けんやく(質素倹約)、

けんきょ(謙虚)に つつましく

くらしました

 夫と子どもと、弟子のめんどう(面倒)を見て、

みんなにやさしくして、

ぜいたく・ひとつ しないまま、

そっけんよりも

先に 死にました

森おうがい(鴎外)は、

(この女性、いったい・何なんだ

って

気になったらしく、

彼女の人生の あらましを述べた上で、

「結局、この人のことが 

 よくわからないんだけど、どういうことだろう?」

読者に なげかけています。

『安井夫人』の一節より・・・

「お佐代さんは、夫に仕えて 労苦を辞せなかった。

そしてその報酬には、何物をも要求しなかった。

ただに服飾の粗に 甘んじたばかりではない。

立派な邸宅に居りたい、とも云わず、

旨い物を食べたがりも、

面白い物を見たがりもしなかった。

お佐代さんが奢侈を解せぬほどおろかであったとは、

誰も信ずることが出来ない。

また、物質的にも、精神的にも、

何物をも希求せぬほど恬淡であったとは、

誰も信ずることが出来ない。

お佐代さんには、たしかに尋常ではない望があって、

その望の前には 一切の物が塵芥のごとく

卑しくなっていったのであろう。

お佐代さんは何を望んだか。

・・・・・・。」


 同じく 年下の美人づま(妻)をもち、

しかし

家庭内トラブルに なやまされた

ぶんごう(文豪)には、

りかい(理解)をこえた・

できる女。。

 「鷗外には、お佐代さんのことは、理解できないだろうねえ~。」

「チットは、わかるの」 「当然♪」

(つづく)





 

 

 

 

 








 

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村上開新堂と、山本道子の店のクッキー~番町散歩・8

2015-08-30 | クリン江戸散歩

 「滝廉太郎・旧居跡」から、そですり(袖摺坂)を 歩いていくと

そこは、はんぞうもん(半蔵門)エリア 

  ひときわ・長い、 白かべ(壁)が、目につきます

 イギリス・大使かん(館)です。

それを横目に、ゆるゆる坂を上がって行くと

 「女子英学塾」の あと(跡)地らへんに、

コンクリート・打ちっぱなしの、

一風かわった たてものが

見えてきます

それは、

 今回の、番町さんぽ(散歩)の 目的地のひとつ、「村上開新堂」

 明治7年からつづく、洋がし(菓子)店の 草分け

あの、

ろくめいかん(鹿鳴館)で、

デザート作りを 担当した人の

お店です

 「高級おもたせ」で有名な、こちらのクッキーは、

フラッと行っても 

買えません

つうはん(通販)でも 買えません

ほしい人は、

会員に しょうかい(紹介)してもらって

買うしかありません

(※ニ階のフレンチレストランも紹介制)


http://www.kaishindo.co.jp/products/


手作りを大切にしているので、

たくさんは 作れない。

だから、

「一見さんは お断り」 なのです

(※京都店は、逆に一見さんOK

 しかし、それじゃあんまりだろう ってことで、

ビル1かい(階)に、

そうぎょう(創業)家の5代目、

山本道子さん

お店をおいて、

 「こちらの焼き菓子は、誰でも買えますよ~。」

と、

出しています

 

かいしんどう(開新堂)クッキーとは

色も形も ちがってて、

 現代風な かんじだけど、

やっぱり・「少量販売」で、

きしょう(希少)で

まじめな手作りです

(※写真:マーブルクッキー)

 かいしんどう(開新堂)レストランは、ランチなら

「紹介者」がいなくても 入れるらしいので、

いつか行ってみたいなあ・・

って

クリンは、おもいます。

(つづく)






 

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銘菓・荒城の月と、滝廉太郎旧居跡~番町散歩・7

2015-08-29 | クリン江戸散歩

番町文人通りから、

こうじまち(麹町)方面に 

下りていく 

とちゅう(途中)、

 「滝廉太郎・旧居跡」を 見つけました

ここだけ、石垣つきで、わかりやすく・リッパ 

 (・・・なんか、こうじょう(荒城)の月みたいな、石垣だな~。)

クリンののうり(脳裏)に、

あのメロディーが 流れてきました 

 「春こ~う~ろ~う~(高楼)の~、花のえん(宴)~♪

め~ぐ~る~ 

さ~か~ず~き~(杯)、

か~げ~(影)さ~して~♪

 ち~よ~(千代)の松が枝~、分~け~い~でし~♪

む~か~し~(昔)の光~ 今・い~ずこ~♪」 


 たき・れんたろう(滝廉太郎)が 作曲した、「荒城の月」は、

土井ばんすい(晩翠)

すばらしい・さくし(作詞)により

ふきゅう(不朽)の名作として

今日にいたり、

 はては、めいか(銘菓)まで 作られています


「荒城」のモデルのひとつとされる、

ぶんご(豊後)・「岡城」の

めいか(銘菓)・「荒城の月」

は、

 外が淡雪かん(羹)、中は黄身あん(餡)の 和生がし(菓子)です

(この、はこの絵、さいこう・・)  (つづく)




 

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一番町・セレブ地区~番町散歩・6

2015-08-28 | クリン江戸散歩

 ここは、セレブな 一番町

高級マンションの一角には、

日本風・しょくさい(植栽)  (錦木がステキ・・

 ならぶ・外車たち

あきらかに、ふつうとちがう・住居 

 大使かん(館)も たくさんあって、

 ローマ法王庁 なんていうのまで、見つけました

 いや~、監視カメラとかあるし、

 ここら辺での写真撮影って、

 一苦労だわ。。」 (チット)

 「気をつけてよ!チット」(クリン)  「・・・・・あんたねえ。。」(チット)

(つづく)

 

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番町文人通り~番町散歩・5

2015-08-27 | クリン江戸散歩

・島崎藤村

・泉鏡花

・有島武郎

・武者小路実篤

・永井荷風

・国木田独歩

・内田百

・与謝野鉄幹・晶子・・・

 番町ゆかりの文士は、きら星のごとく

しかし、

せんさい(戦災)で 全てがこわれた・この町に、

 今、かつての足せき(跡)を かんじるものは、何もありません。。

 せきひ(石碑)やプレートも、ほとんどないので、

マンションを見て

木造家おく(屋)を 

そうぞう(想像)したり、

 古びた石のへい(塀)や、

  大木のみどり(緑)の枝に、

 おうじのおもかげ(かんじ:往時の面影)、とやらを

さぐらなければ・なりません

でも・・

うちのチットは、

 「文士たちの文章の一篇を 思い浮かべると、楽しく歩けるよ

とか、言います。

・・・・・・・

(一行も思いうかばない場合は、どうすれば (つづく)


 





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島崎藤村の恋~番町散歩・4

2015-08-26 | クリン江戸散歩

 名門女子高があつまる、番町

そのはじまりは

明治18年、

 この辺りにたった、「明治女学校」の開せつ(設)でした

 そこに、英語の先生として ちゃく(着)任したのが、

しまざきとうそん(島崎藤村)でしたが、

彼は

まだ、

文ごう(豪)になる前の 若き日、

ここで

女学生の一人に 恋をしちゃったらしい

 その時ハタチ(二十歳)だった・とうそんにとって、

生まれ故きょう(郷)の 

きそ(木曽)には いない

良家の才女は、

とても

まぶしく 映ったのでしょう

 (とはいえ、自分は教師、相手は生徒・・・。)

おもいをむね(胸)にひ(秘)める

とうそん(藤村)でした。

しかし、

 やがて、いいなずけ(許婚)のいる・彼女のすがたを 見るのもつらくなり、

学校をやめて

ほうろう(放浪)の旅に 

出てしまいます

 (このへんの話は、「桜の実の熟する時」にかかれました

このころ、

実家・しまざき(島崎)家が かたむき

生活のために

とうそん

学校にもどらざるを えなくなるのですが、

彼の学校でのようすは、

 「先生は燃え殻」と、教え子から してき(指摘)されるほど

冴えなかったらしい・・


 とうそんがあい(愛)した・女生徒は、

予定通り、いいなずけにとつぎ、

すぐに 

にんしん(妊娠)しますが、

つわりがひどくて

3ヶ月で 

なんと!亡くなってしまいました

 はげしく・ショックをうけた とうそんは、

ふたたび学校を去り、

ニ度と もどることはありませんでした。。

 きょうだん(教壇)を去って・40年

文ぴつ(筆)家として・名を成したとうそんが、

 60さい(歳)をこえて、この番町に 家を買い

かつて・つとめた思い出の場所、

 明治女学校の 目とはな(鼻)の先ですごしたのは、

どういう思いが

あってのことだったのかな・・。

クリンたち 

いろいろ・かん(勘)ぐりました

(つづく)















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東郷公園~番町散歩・3

2015-08-25 | クリン江戸散歩

 番町学えん(園)通りぞいに見つけた、「東郷公園」

(ニ七通りと 学園通りの間にあり、)

 (東郷坂で つながっています

ここは、

明治海軍の元すい(帥)、

とうごうへいはちろう(東郷平八郎)

お宅のあと(跡)地です

 (・・・こないだから、ずいぶんトーゴーさんづいてるな。)

 ていたく(邸宅)は、かげも形もない。

 あるのは、ふつうの広場と ゆう(遊)具だけ

 トラファルガー広場のライオンみたいなぞう(像)だけが、

ゆいいつ、

この公えん(園)に

いさましい色彩を 与えています

 チットはここで、トーゴーさんの孫娘に関する、

きょうみ深い話を

きかせてくれましたが

ここには

記しません。

 それは、若さが引きおこした、たあい(他愛)もない・そうどう(騒動)であり、

にも・かかわらず、

その子の人生を

長く しばるものだったからです。


 (えいゆう(英雄)の子孫はつらいよね。。)

ここに、「東郷邸」があった、

ということすら

やっと うやむやになりました  (つづく)









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番町学園通り~番町散歩・2

2015-08-24 | クリン江戸散歩

皿やしき(屋敷)の町・番町

 江戸時代、江戸じょう(城)の西におかれ、

一番町~六番町に

区分けされた この町は、

 ばくふ(幕府)直ぞく(属)である、はたもと(旗本)のやしき(屋敷)町でした

 しかし、ばくふ(幕府)がたおれると、明治政府の官員が 

引っこしてきて、

 やがて、そこには、「新種の人々」も あつまってきました

そのグループのひとつが、

   学校かんけい(関係)者です  

 今、げんざい、番町から九段には、東京の名門とされる・女子高が そろいぶみし、

「番町学園通り」を

形成しています

おおつま(大妻女子中・高・大)→ 

 ←東京家政学院

     女子学院→ 

 ←千代田女学えん(園)

 ふたば(雙葉)→  (へい(塀)、高っ・・)

 女子高以外にも、九段小学校や、

   番町小学校があり、

 ここを出た・子どもたちが、こうじ(麹)町中学校・日比谷高校・一高・帝大とすすんだのは、

そんなに古い話では 

ないそうです。

(つづく)




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番町散歩・1

2015-08-23 | クリン江戸散歩

 侍女をぎゃくたい(虐待)して のろわれた、武士・「青山播磨」が

いたとされる番町。

 江戸時代、ここは、はたもと(旗本)の住む・「屋敷町」でしたが、

 げんざい(現在)は、政治家や大使かん(館)員の住む「屋敷町」に なっています。

  ハイソなマンションに、 

 げんじゅう・けいび(厳重警備)な 個人宅

   名門の学校・・ 

 そんな、とくべつな町の原型が できたのは、

明治いこう(以降)らしいですが、

(どんな人が住んだ、どんな町だったのか・・?)

 クリンたち、歩き回って ちょうさ(調査)したので、次回から、ホウコクします

(つづく)



 

 

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番町食堂~怪談散歩・9

2015-08-22 | クリン江戸散歩

 「番町皿屋敷」の町で、クリンたち、現代風の皿やしき(屋敷)を

見つけてしまいました

 「番町食堂」です

 「ペザント四番町」というビルに入っている、地下のレストラン・・


おそらく、

こんにち、

お菊さんのれい(霊)は

夜な夜な・この店で

お皿と お札を、数えているに ちがいない・・。

 (すごい・おいしそうな のろ(呪)い・・

(つづく)



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岡本綺堂の「番町皿屋敷」~怪談散歩・8

2015-08-21 | クリン江戸散歩

 虫けら・同ぜん(然)に 見下されていた庶民が、

武士にやり返す

お菊さんの 「井戸の会談」・・。

 それは、江戸時代、じょうるり(浄瑠璃)や こうだん(講談)や カブキ(歌舞伎)として

さまざま・語られてきましたが、

これを

大正時代に ラブストーリー

仕立て直したのが、

 岡本きどう(綺堂)です。

この辺に住んでいたらしい・・。 (←麹町2丁目)

 はたもと(旗本)の「青山播磨」は、自分の家に仕える侍女・お菊

恋仲でした

しかし、

ある日、はりま(播磨)に 

えんだん(縁談)が もち上がり、

お菊は なやみます。。

 はりま(播磨)の心を ためそうと、わざと、青山家・家宝の皿を

わ(割)ってしまう・お菊

はじめは、

笑ってゆるした・はりま(播磨)も、

実はそれが、こい(故意)だとわかると

げきど(激怒)

「俺の心を疑いやがったかーー

 と、お菊を き(斬)ってしまいます

カブキ(歌舞伎)では、

はりま(播磨)が 残り9枚の皿を

一枚・一枚わり、

それを お菊に

「一枚・二枚・・」と

数えさせる、という

どエスなシーンで クライマックスを

むかえるそうですが。。

 「ひどい はりま! けっきょく・お菊のこと、見下してんじゃん

(つづく)






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番町皿屋敷の解釈~怪談散歩・7

2015-08-20 | クリン江戸散歩

皿をわった

という・ぬれ衣で、

 主人に手討ちにされる・侍女

この手の「お菊さん伝説」は、

江戸番町や

ばんしゅう(播州)のみならず、

全国各地に 

たくさんのこされているそうです。

研究者たちは、

 そんな風に全国化した理由を、

「身分制社会に不満を持つ庶民が、

 憂さ晴らしのために

 『武士をたたり家を断絶させるお菊』

 という、

 幽霊を生み出したんだ

って

考えているらしい


 (・・・・・なるほど。それも一理ある。)

「お武家さま」という

ごく・ひとにぎりの

とっけんかいきゅう(特権階級)

のために、

その他・大ぜい(勢)が ヘイコラしていた

江戸時代

 げんじつ(現実)世界で はらせぬ・うさを、

かいだん(怪談)に たくして

はらしたい

 「あんまり・ひどいことすると、庶民だって、たたるからね

お菊を通して、うったえているのです

(つづく)





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番町皿屋敷と帯坂~怪談散歩・6

2015-08-19 | クリン江戸散歩

クリンは、

かいだん・さんぽ(怪談散歩)の

だい(第)二だん(弾)

「番町皿屋敷」の町に 出かけました

 スタートは、市ヶ谷駅です。

先日歩いた四谷のとなり、

 ここ・千代田区の番町には、『皿屋敷』という 有名なかいだん(怪談)がある。

 それは、こんなお話です。

・・・・・・

江戸の番町に、

青山播磨 という旗本がいた。

この人は、火付盗賊改をつとめていた 

こわもての役人で、

 処刑した盗賊の娘・お菊を、侍女として自分の家に奉公させていた。

 ある日、お菊が十枚組みの家宝の皿を 一枚・割ってしまう

という事件がおきた。

 激怒した青山は、「欠けた皿のかわりに、こうしてやる」と、

お菊の中指を 切り落としてしまう  (協力:ミニクリン)

 さらに 「手討ちにするぞ!!」と キレる青山

 お菊は、縄で縛られたまま 必死で逃げ、

 裏の古井戸に、身を投げて死んでしまった

その後、お菊は 主人の非道を恨みながら、

 夜な夜な、幽霊になって現れる・・・

 「一枚~、二枚~、三枚~・・」と、

9枚の皿を くり返し数える

お菊の声が聞こえる屋敷からは、

人は どんどん去って行き、

 青山家は いつしか絶えてしまった。。

クリンでも知ってる 有名なお話です

 れきし(歴史)にくわしい・チットによると、

お菊の古井戸話は、

ひょうご(兵庫)県で

「播州皿屋敷」という名で じょうるり(浄瑠璃)になり、

江戸に再来して

「番町皿屋敷」という こうだん(講談)として

語られたそうです

 市ヶ谷駅前のやすくに(靖国)通りから 中に入ったところに

番町がありますが、

 これは、フィクションなので、青山家のやしき(屋敷)あとは、 

さがしても見つかりません

 でも、番町へとのぼる坂には、

おびざか(帯坂)という名が つけられており、

 「お菊が髪をふり乱し、帯を引きずりながら この坂を駆けて逃げた」という伝説が、

まことしやかに・しょうかい(紹介)されていました  (つづく)

 







 

 

 

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夏旅行延期のお知らせ

2015-08-18 | ブログ

今年、

クリン家こうれい(恒例)、

夏のドライブ旅行は、

取りやめになりました

 なごや(名古屋)に行く予定だったのですが、

チットはあさってから おしごと

おにいちゃんのお休みと、

合わせられなかったのです。。

だから、

なごや・旅は 

冬にえんき(延期)します

 クリン~、そんなこと、ブログ読んでる人は誰一人・気にしないと思うけど・・。」(チット)

「・・そんなの、わからないでしょ」(クリン)

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北斗星、引退記念のお菓子

2015-08-17 | グルメ

 今週末に、完全引退が決まっている、「寝台特急・北斗星

昭和末年に走りはじめた

その ブルートレインは、

27年間、

 せいかん(青函)トンネルを走りぬけ

「上野~札幌間」を 行き来して

がんばってきました

 開通の翌年、中学生だった・うちのチットは、

北海道のおばあちゃん家から

こっちに かえって来るにあたり、

一人で 

ほくとせい(北斗星)に 乗車

 その思い出がよみがえったのか

このたび、

記念スイーツを 買ってきました

それがこの、

「北斗星パッケージ入りレーズンサンド」です

 車両型のはこ(箱)の中から、もう一車両

この中に、5枚のバターレーズンサンド。

 2つの車両は、れんけつ(連結)できて、999円

     (・・・わりといいねだん。)

 昔の寝台特急は、寝心地がよくなかったけど、

夜中起きたとき

停車中の青森駅が霧がかっていたことや

朝方、上野駅が近づいてきて

車内が華やかな雰囲気になったのは、

いまだにおぼえているわ。」

と、チットが なつかしそうに言いました。

 思い出もれんけつ(連結)する、おやつタイムです


 

 

 

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