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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

3/23(日)群馬交響楽団/東京公演/南 紫音のシベリウスVn協奏曲は氷に閉じ込められた燃える炎

2014年03月28日 00時46分52秒 | クラシックコンサート
群馬交響楽団 東京公演

2014年3月23日(日)15:00~ すみだトリフォニーホール S席 1階 1列 18番 5,500円
指 揮: 大友直人
ヴァイオリン: 南 紫音*
管弦楽: 群馬交響楽団
合 唱: 群馬交響楽団合唱団
合唱指揮: 阿部 純
【曲目】
ベルリオーズ: 序曲「海賊」作品21
シベリウス: ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47*
ホルスト: 組曲「惑星」作品32
 第1曲 火星「戦争をもたらす者」
 第2曲 金星「平和をもたらす者」
 第3曲 水星「翼のある使者」
 第4曲 木星「快楽をもたらす者」
 第5曲 土星「老年をもたらい者」
 第6曲 天王星「魔術師」
 第7曲 海王星「神秘主義者」

 群馬交響楽団の東京公演を聴く。在京のオーケストラはほとんど聴いているし、神奈川県や千葉県のオーケストラを聴きに行くこともあるが、さすがに群馬県までは行ったことがない(昨年は仙台まで行ったことがあるが・・・)。というわけなので、群響は聴いたことがなかったが、今回は東京公演ということと、南紫音さんが共演するとの情報を得て、発売日に最前列を確保したという次第である。仮に群馬県まで出張したとしても良い席は定期会員の方たちで占められているはずだから、かえって他所での公演の方が、良い席を確保しやすい。これは在京のオーケストラも同じことで、地方公演なら好きな席が取れることが多い。会場はすみだトリフォニーホールなので、地の利も良く、好都合であった。
 群響は、昨年2013年4月より大友直人さんが音楽監督を務めている。今回の東京公演に先立ち、昨夜、群馬音楽センターにて第498回定期演奏会が開かれており、同じ演目で本日の東京公演が行われたのである。

 群響についてはほとんど知らないし、初めて聴くわけだから特徴もよく分からない。とにかく聴いた限りでは、在京のオーケストラと変わらないレベルの普通のオーケストラという印象であった。大友さんの端正な音楽づくりの影響もあるかもしれないが、東京交響楽団に似ているかなァと感じたが、この点についてはあまり自信はない。とまあ、そういう訳なので、今日のレビューは南紫音さんのシベリウスのヴァイオリン協奏曲をメインにしたい(いつも大体は協奏曲中心のことが多いが)。

 1曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」。いわゆる演奏会用序曲であり、「海賊」という音楽作品があるわけではない。フランスのロマン派らしい華やかさと壮大にスケール感のある曲で、コンサートの幕開けに、景気づけに演奏するのにちょうどピッタリの曲である。群響の演奏は、弦楽のアンサンブルが緻密で澄んだ音色が美しく、木管も金管も爽やかな色彩感がある。大友さんらしい緻密とダイナミックさを兼ね備えた指揮に対応して、豊かな音量でワクワク感を描き出していた。

 2曲目はシベリウスのヴァイオリン協奏曲。ドイツ音楽を重要視する方たちの間では、三大ヴァイオリン協奏曲といえば、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスということになるのだろうが、演奏頻度からいえば、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、そしてシベリウスが三大ヴァイオリン協奏曲だといって間違いないだろう。紫音さんは、2週間前に日本フィルハーモニー交響楽団との共演でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いている(指揮は小林研一郎さん)。短期間に二大協奏曲を演奏するというのも、心理的な負担の大きなことだろう。もうすっかりプロの演奏家の顔になっている。
 シベリウスは頻繁に演奏される曲がそれほと多くない作曲家だが、このヴァイオリン協奏曲は圧倒的にプログラムに乗る回数が多い名曲である。何より、森と湖に囲まれた大自然のイメージと、凛とした空気感(寒いという意味)、そして熱く燃える民族的な血・・・。日本人の好きな世界観が強く感じられるからだ。しかも必ずコンクールの課題曲にもなっている。したがって、ヴァイオリンのソリストにとっては、必ずレパートリーに入れてなければならない曲である。技巧的な難しさもさることながら、やはり表現力を問われる曲なのであろう。寒い国の熱い音楽を、美しく情熱的に、しかも雄大なスケールで演奏しなければならない。相反する要素が詰まっているだけに、解釈の仕方によって、曲のイメージが極端に変わってしまう恐れさえある。本当に難しい曲だと思う。
 さて今日の演奏だが、結論から先に言ってしまうと、先日のチャイコフスキーに引き続いて、素晴らしい快演を聴かせてくれたといえるだろう。何よりも、「曲を演奏しているんだ」という明確な意志が感じられるところが良い。指揮者やオーケストラに合わせるのではなくて、対等な立場で音楽を作っていくという姿勢だ。だからその立ち姿も堂々としているし、自信も持ち始めているようだ。

 第1楽章は、冒頭から主題を提示する紫音さんのソロ・ヴァイオリンがキーンと張りつめていて、透明だが硬質な音色で、聴くものの心を掴み取る。カデンツァは多声的な構造も目威力に聴かせつつ、芯の強い張りつめた響きを聴かせた。曲の進行は遅めのテンポながら、か弱さなど微塵も感じさせない、強い精神性を押し出している。大友直人さんのサポートも素晴らしい。あまり個性的ではない分だけ、シベリウスの熱い部分を巧みに覆い隠して、端正かつ情熱的な音楽を展開していく。それが紫音さんのヴァイオリンを後ろから押し上げていくのだ。群響の演奏もダイナミックレンジが広く、また木管群が自然描写のような雰囲気を醸し出している。
 中盤のカデンツァは、高い緊張感に包まれながら、豊潤な響きがホールを埋め尽くしていく。超絶技巧的な純音楽でありながら、そに漲るパッションの燃えたぎるような迸りは、魂の叫びのようであった。
 コーダにかけて、ソロ・ヴァイオリンとオーケストラが一体となって、あるいは競い合って、緊張感を高めていったのは、スリリングで聴いていて気分が高揚していく。
 第2楽章の緩徐楽章は、紫音さんのヴァイオリンが、強めの主張を込めて、主題の旋律を悠然と歌わせて行く。滔々と流れゆく大河のように、あるいは気がつかないほどの速度で流れる氷河のイメージであろうか。中間部ではオーケストラが火山の噴火のように熱い溶岩を噴き上げる。氷を溶かす灼熱の炎。吹き抜ける一陣の風のようにヴァイオリンが熱を冷ましていく。大自然の途方もないエネルギーとそよぐ風のようなヴァイオリンが耳に残る。何やら文学的な表現になってしまったが、そんな映像が目に浮かぶような演奏であった。
 第3楽章は、今度は人間の生々しい営みが感じられる演奏だ。ヴァイオリンは低音部がガシッと荒削りな音を立てるかと思えば、流れようなレガートで優しさも描き出す。あえてテンポを遅めにして、押し出しはかなり強い。オーケストラも地響きを立ててシンフォニックに鳴らしていた。
 この楽章は、ヴァイオリンの音程がやや乱れ気味であたったような気がする。あるいはアタックの強い演奏が調弦を緩めてしまったのかもしれない。少々粗っぽいフィナーレになってしまったが、見るからにお姫様タイプの紫音さんが聴かせる荒々しい演奏とのギャップが面白い。お嬢さん芸ではない、「戦う美少女」といったイメージ。情熱と負けん気の強さが生むアグレッシブな演奏。強風にも揺らがない芯の強さを持ち、それでいて美しい音色で気品をなくさない。個性が際立ってきた。そういった音楽作りで、「南紫音の音」の輪郭がハッキリしてきたようである。
 紫音さんの活躍ぶりは続き、この後、4年ぶりの新譜CDが6月にリリースされる。それに合わせて7月2日には紀尾井ホールでリサイタルが予定されている。ドイツに留学中ということもあり、日独を行ったり来たりになるのだろうか。今度はリサイタルで、「紫音ワールド」を作り出してほしい。

 後半は、ホルストの組曲「惑星」。この曲は何となく有名だが、あまり実演の機会は多くないようである。4管編成の大オーケストラに加えて、オルガンや女声合唱まで加わるので、編成や費用の問題もあるのだろう。事実、群響の長い歴史の中でも今回が初演らしい。
 「惑星」はいわゆる標題音楽であり、太陽系の惑星の名が付いた7つの楽曲からなる組曲。それぞれに意味深長な副題が付けられているが、これはホルストがこの曲を作曲した頃、占星術に傾倒していたことが影響しているらしい。
 第1曲 火星「戦争をもたらす者」は、不安と戦争を表す激しい曲。
 第2曲 金星「平和をもたらす者」は、緩徐楽章に相当する美しい曲。
 第3曲 水星「翼のある使者」は、スケルツォ楽章に相当する。
 第4曲 木星「快楽をもたらす者」は、全曲の中でも圧倒的に知られていて、単独でも演奏される機会が多い。劇的で壮大なイメージの曲である。音大出の歌手、平原綾香さんのヒット曲「Jupiter」はこの曲の主題から採られている。
 第5曲 土星「老年をもたらす者」は、死の不安が支配的で低音楽器が活躍する。オルガンの足鍵盤の重低音も加わる。
 第6曲 天王星「魔術師」は、再びスケルツォ楽章のようであるが、より諧謔的で魔術師にふさわしく混沌としている。副題の中でも「魔術師」は唯一具体的な標題なので、この曲は極めて標題音楽的で交響詩のようである。
 第7曲 海王星「神秘主義者」は、曖昧な調性と不協和音に加えて変拍子(5拍子)が採られ、神秘的な効果音のような様相を呈する。この曲の後半のみ、女声6部合唱(しかも歌詞のないヴォカリース)がバンダで加わり(ステージ裏)、最後はリピート&フェイドアウトという懲りよう。
 こうしてみると、第1曲から第4曲までで、4楽章の交響曲の形式になっているようにも取れる。それに2つの交響詩と宗教曲(神秘音楽)が足されたような構成になっていることが分かる。
 群響の演奏は、弱音は美しいアンサンブルを聴かせ、強奏ではダイナミックで劇的。管楽器の核パートも上手いし、なかなか素敵な演奏を聴かせてくれたと思う。難をいえば(あくまで最前列で聴いていての話)、チェレスタ、ハープ、チューブラーベルなどがかすかにしか聞こえず、もの足りなかったのと、せっかくパイプオルガンが加わって重低音を鳴らしているのに、こちらもほとんど体感できなかったのが残念。またステージ裏の女声6部合唱は、かすかに漂うように聞こえてきて雰囲気は抜群だったが、これなど後方3階席まで届いていたであろうか、といささか心配である。

 群馬交響楽団の東京公演。日曜日の午後に、十分に楽しめるコンサートであった。残念なのは空席が多かったこと。会場がすみだトリフォニーホールということもあったのか、あるいは休日のマチネーは、誰でも来やすい条件である反面、他のほとんどのコンサートホールで何らかのコンサートが開かれているので、通常の意味でのクラシック音楽ファンを動員することはかえって難しいともいえる。地方オーケストラを聴く機会の少ない私たちにとっては数少ないチャン委なので、日程などを検討していただければと思う。

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