Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

11/23(土・祝)日生劇場『フィデリオ』小川里美のレオノーレが秀逸/全体的に未完成のイメージ

2013年11月27日 00時26分26秒 | 劇場でオペラ鑑賞
日生劇場開場50周年記念公演/オペラ『フィデリオ』

2013年11月23日(土・祝)14:00~ 日生劇場 B席 2階 A列 50番 9,000円
指 揮: 飯守泰次郎
管弦楽: 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱: C.ヴィレッジシンガーズ
演 出: 三浦安浩
装 置: 鈴木俊朗
照 明: 稲葉直人
衣 装: 坂井田 操
合唱指揮: 田中信昭
【出演】
ドン・フェルナンド: 木村俊光(バリトン)
ドン・ピツァロ: ジョン・ハオ(バス)
フロレスタン: 成田勝美(テノール)
レオノーレ: 小川里美(ソプラノ)
ロッコ: 山下浩司(バス・バリトン)
マルツェリーネ: 安井陽子(ソプラノ)
ヤキーノ: 小貫岩夫(テノール)
囚人1: 伊藤 潤(テノール)
囚人2: 狩野賢一(バス)

 東京・日比谷の日生劇場が今年で開場50周年を迎える。その記念公演に選ばれた演目がベートーヴェンの唯一のオペラ『フィデリオ』。楽聖ベートーヴェンが、何度も改訂を加えてついには成功を勝ち取った渾身の傑作だと思うが、オペラの世界での評価は必ずしも高くなく、従って人気もあまりない。ところが、作品に描かれている崇高な愛の姿や、「苦悩を通じての歓喜」としいベートーヴェンの生涯にわたるテーマを具現している作品でもあるため、ヨーロッパでは様々な節目に当たる重要な場面で上演されることが多い。第二次世界大戦で破壊されたウィーン国立歌劇場が1955年に再建されたときの記念公演がカール・ベームの指揮する『フィデリオ』だったことはよく知られている。その50年後の2005年、再建50周年を記念したガラ・コンサートでも、小澤征爾さんの指揮で第2幕第2場が最後に演奏されたことも記憶に新しい。
 そして、今から50年前の1963年、日生劇場が設立されたときのこけら落としに上演されたのが、カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツオペラによる『フィデリオ』であった。その時の公演は名演の誉れも高く、録音も残されている(音質はともかく、今聴いても緊張感漲る素晴らしい上演だったことが分かる)。そして開場50周年を記念して、日生劇場では50年ぶりに『フィデリオ』を上演することになった。たった2日の公演であるが、もちろん完全な新制作。純国産の『フィデリオ』である。

 この『フィデリオ』というオペラには個人的にも強い思い入れがあるため、上演されるときは必ず観に行く。日本での上演機会は少なく、最近では新国立劇場で2005年5/6月に上演され、翌々シーズンに当たる2006年11/12月に再演されている。他には、2008年10月のウィーン国立歌劇場の引っ越し公演で、小澤征爾さんの指揮で古典的なオットー・シェンク演出で上演された(神奈川県民ホール)。記憶している限りでは、それ以降に東京近郊で『フィデリオ』の上演はない(関西二期会が2009年に飯森泰次郎さんの指揮で上演している)。5年ぶりとなる『フィデリオ』には大いに期待していたのである。ところが・・・・。

 まず全体の印象から。オペラへの評価は様々な角度からできると思うが、指揮者、オーケストラ、歌手たち、合唱団、演出、舞台装置、衣装、等々。今回の『フィデリオ』の印象は、全体的に精彩を欠き、完成度が低く感じられた。全体的に「未完成」というイメージで、どの角度から見てもピリッとしないのである。

 演奏面では、今日の『フィデリオ』に関しては、リハーサル不足のような感じだった。序曲はまあ普通であったが、第1幕が始まると、音楽がギクシャクしてぎごちない。新日本フィルの音に伸びがなく、音がプツプツと切れ切れになってしまっていて、流れに乗りきれない感じなのだ。日生劇場は音響面はお世辞でも良いとは言えないので、そのせいもあるのかもしれないが、2階(実質的には3階)の右側バルコニー風に突き出した部分の1列目、オーケストラ・ピットを右斜め上方から見下ろす位置で聴いていたので、音響的には最善の場所のはず。あながちホールのせいではなさそうである。何よりの証拠に、第2幕の第1場と第2番の間に間奏曲として演奏された「レオノーレ序曲第3番」になると、オーケストラの音が急に瑞々しく張りが出て来たのである。つまり演奏し慣れた曲では良い音が出ていた訳で、新日本フィルはオペラのピットに入ることは少ないから、『フィデリオ』本編の演奏には慣れていなく、リハーサル時間が足らなかったのではないかと感じた次第である。
 指揮の飯守泰次郎さんはドイツもののオペラ指揮者としても評価が高いが、剛直で揺るぎない構造感を打ち出す音楽作りは素晴らしいもの、(おそらく)皆が慣れていない『フィデリオ』に対しては、もう少し柔軟性があった方が良かったのではないだろうか。ステージ上の歌手たちや合唱団にアタマ出しの指示を細かく出していたが、皆が間違えないようにいっぱいいっぱい演奏しているといった印象だった。

 歌手陣では、何といってもタイトル役の小川里美さんが、これまで観た中では最もフィデリオ=レオノーレのイメージに近い雰囲気を出していた。クセのない綺麗な声質で、比較的芯のあり伸びも豊かな歌唱は、一途な性格のレオノーレによく合っていた。スラリとした長身で見目麗しいのはタカラヅカ風の男装の麗人(?)。ズボン役のフィデリオから女性らしいレオノーレに戻る際に見せたハッとするような色気も素敵だ。やはりこの役に適したソプラノさんは非常に少ない。歌唱重視でワーグナー歌手が出てくると、見た目が・・・・・というのがいつものパターンだが、今回の小川さんはとても美しいフィデリオ=レオノーレ像を演じて見せた。彼女をこの役に抜擢した人の慧眼にBravo!を送りたい。
 他では、ドン・ピツァロ役のジョン・ハオさんがこの悪役を無難にこなしていた。第1幕のアリアも強い押し出しで、憎々しげな味をうまく出していた。悪役故にカーテンコールでBravo!が少なかったのが可哀想だ。
 フロレスタンの成田勝美さんは、第2幕冒頭のアリアで、第一声の「Gott!」を死にそうな囚人にしてはかなりの大音量でぶちかましたが、その後が声が出なくなってしまった。わざと死にそうな歌い方をしていたのかどうかは不明だが、途切れ途切れでよく聞こえないし、歌唱がオーケストラと合っていない。結局最後まで、音楽に乗りきれない、ドタバタした歌唱に終始した。
 ドン・フェルナンドの木村俊光さんは、他の出演者と比べても声量が不足ぎみで、正義の味方として最後に登場するには少々輝きが足らない感じだ。
 ロッコの山下浩司さんは、うまく化けて老看守の役柄を張りのあるバス・バリトンで演じていた。声は良く通っていたし、安心して聴いていられる。
 マルツェリーネの安井陽子さんは、この役柄には声域が合っていないように思う。低音の方が辛そうだった。演技面では、このオペラの中で唯一の明るいキャラを元気に演じていた。
 ヤキーノの小貫岩夫さんは、第1幕冒頭の軽妙な役柄に対して歌唱が少し固く感じられたが、無難にこなしていたといって良いだろう。
 また、全員に共通して言えることだが、ジングシュピールのような形式のこのオペラの特徴でもある台詞の部分、このドイツ語の台詞がたどたどしくリズム感が良くなかった。完全に Mede in Japan のオペラでは難しいのかもしれないが、ドイツ語の発音や抑揚が、本国の上演のCD等で聴くのとはかなり隔たりが感じられた。また演技に引っ張られて台詞のリズム感が崩れていたようにも感じられた。
 一方、合唱(その他の登場人物)を受け持ったC.ヴィレッジシンガーズは素晴らしかった。立ち上がりが鋭く、瞬発力があり、ハーモニーも見事。合唱は十分にリハーサルができているようだった。

 次に演出。タイトルの画像(公演のチラシ)にある、傘を差した長い髪の女性の後ろ姿、これがこんかいの『フィデリオ』の公演を象徴的に表すビジュアルに採用されている。この女性はもちろんレオノーレであるわけだが、見ての通り、時代の設定は現代か、少なくとも20世紀の終わりの方くらい。序曲とともに物語の背景の部分を説明的に登場させ、雨の中、レオノーレの見ている前で夫のフロレスタンが何者かに連れ去られてしまう。絶望に打ちひしがられるレオノーレはやがて(序曲の終わる頃)持っていたハサミで長い髪を一房切り落とし、夫の救出を誓う・・・・という演出。時代背景が現代に近いのは、拉致問題のイメージであろうか。第1幕の刑務所の中で、ヤキーノがマルツェリーネを口説いている背景で、特攻警察のような銃を持った連中が拉致してきたと思われる人々を監獄に押し込んでいたりする。この警察のような連中はドン・ピッツァロの部下たちで、ロッコやヤキーノらの看守たちとは立場が違うらしい。まあ、言いたいことは分かるが、『フィデリオ』に時代の読み替えが必要なのかどうか、演出が何を表現したかったのか、いまひとつ判然としなかった。
 第2幕第1場の最後、牢獄内でのクライマックスのシーンで、フィデリオが自分がレオノーレであることを宣言しいドン・ピッツァロに立ち向かう場面で、レオノーレは自ら男服の胸をはだけさせ、女性ものの下着と胸の膨らみを見せて女性であることを強調する。また大臣の到着を知らせるラッパが聞こえ、ドン・ピッツァロが監獄から逃げ出してしまうと、レオノーレはさらに脱いで下着姿になり夫と抱き合う。男装したフィデリオが妻であるレオノーレに戻る瞬間を、ビジュアル的にも見せようとした演出なのだろうが、これなど必要なのかどうか。
 他にも、違和感を感じた細かな点はたくさんあった。時代の読み替えや、台本にない人物を登場させたりする演出に、はたして必然性があるのだろうか。ウィーン国立歌劇場が、いまだにオットー・シェンクのプロダクションを使っているのには、それなりに意味があるのではないか。ベートーヴェンの崇高な精神を超えることができるのなら、新演出であっても良いと思うのだが、今回の『フィデリオ』では、ストーリーから導かれた新しい演出の試みという程度に留まり、音楽からはかえって乖離する傾向が強かったようである。

 珍しく、思いの外辛口になってしまった。この『フィデリオ』は個人的な思い入れが強すぎるためか、なかなか納得がいく上演には出会えないでいる。だからあくまで個人的な嗜好を反映した上での感想・レビューなので、世間一般的な評価とは違うかもしれないことは十分に承知している。それでも、今日の『フィデリオ』は未完成だったと、敢えて言わせていただこう。
 またまた偶然なのだが、ちょうど1週間後の11月30日に、パーヴォ・ヤルヴィさんの率いるドイツ・カンマーフィルの来日公演で、演奏会形式での『フィデリオ』がある。5年間なかった『フィデリオ』の公演が2週続けてあるというのも不思議だが、今度はどんな演奏になるのか、興味津々である。

 ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。


★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★


PR


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 11/21(木)N響Bプロ定期/トゥ... | トップ | 11/27(水)読響サントリー名曲... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

劇場でオペラ鑑賞」カテゴリの最新記事