Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

6/25(金)新国立劇場/故若杉弘氏の夢/三島由紀夫の戯曲をオペラ化「鹿鳴館」の世界初演!!

2010年06月27日 23時54分22秒 | 劇場でオペラ鑑賞
新国立劇場創作委嘱作品《世界初演》 歌劇「鹿鳴館」(全4幕/日本語上演/字幕付)

2010年6月24日(木)・25日(金)・26日(土)・27日(日) 新国立劇場・中劇場 C席 2階 2列 68番 5,670円(会員先行割引)
指 揮:沼尻竜典
管弦楽:東京交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団
原 作】:三島由紀夫
上演台本:鵜山 仁
演 出:鵜山 仁
作 曲:池辺晋一郎
企 画:若杉 弘
芸術監督代行:尾高忠明
主 催:新国立劇場

出 演:
【影山悠敏伯爵】黒田 博(24・26)/与那城 敬(25・27)
【同夫人 朝子】大倉由紀枝(24・26)/腰越満美(25・27)
【大徳寺侯爵夫人 季子】永田直美(24・26)/坂本 朱(25・27)
【その娘 顕子】幸田浩子(24・26)/安井陽子(25・27)
【清原永之輔】大島幾雄(24・26)/宮本益光(25・27)
【その息子 久雄】経種廉彦(24・26)/小原啓楼(25・27)
【飛田天骨】早坂直家(全日)
【女中頭 草乃】永井和子(24・26)/大林 智子(25・27)
【宮村陸軍大将夫人 則子】薗田真木子(全日)
【坂崎男爵夫人 定子】三輪陽子(全日)

 新国立劇場が毎シーズンに国内作品を1作、プログラムに加えているが、2009-2010シーズンには、前芸術監督だった故若杉弘さんの企画で、本作が採り上げられた。三島由紀夫の傑作戯曲『鹿鳴館』をオペラ化したいとする企画は、若杉さんの長年の夢であり、作曲を委嘱された池辺晋一郎さんの学生時代からの夢でもあったという。
 そのような背景で制作された『鹿鳴館』は当然新制作で世界初演となった。上記の制作スタッフを見てもわかるように、この作品への力の入れようがわかる。若杉さんの後を継いでびわ湖ホールの芸術監督になった沼尻竜典さんの指揮と東京交響楽団、鵜山 仁さんの脚本と演出、作曲はもちろん池辺晋一郎さん。出演者も本日はダブル・キャストの2日目だが、与那城 敬さん、腰越満美さん、坂本 朱さん、安井陽子さん、宮本益光さん、小原啓楼さん、大林智子さん、薗田真木子さん、三輪陽子さんさんなど、いずれも二期会系の主演級をズラリと並べて、日本の新作オペラの初演にこれほど充実したメンバーは考えられないだろう。当初より話題には事欠かない作品だったためか、チケットもあっという間に売り切れ、今回はあまり良い席を確保できなかったくらいである。

 短い序曲で第1幕が始まる。音楽的には、もちろん現代的なものだが、とくに前衛的ということでもないようだ。とはいえ、調性や拍子が流動的で不協和音も多用されていて、専門的なことは分からないが、いわゆる現代オペラ的な響きである。プログラムに記載されていた池辺さんの記事によると、登場人物の「歌いまわし」に特徴付けをしたり、ライトモチーフの手法も採らなかったのは、「演劇的」なオペラにしたかったかららしい。確かに、全4幕を通じて、音楽に特定の意味を持たせることはせず、その場その場のドラマの進行に合わせた音楽を当てているように思う。「演劇的」なオペラを創る、という明確なコンセプトに基づく作曲手法を用いたということだ。論理的な帰結として、今回の『鹿鳴館』ができあがったということは評価できるが、観る(聴く)側にとってはどうなのだろうか。聴きにくいオペラでは決してなかったが、素直に素晴らしいオペラだったと喜べるものでもなかった。今回のような、現代の新作オペラの場合、「専門家の、専門家による、専門家のための」オペラになってしまったら、後世に残る作品にはなっていかないと思うのだが…。

 演出としては、舞台中央に大きな回転する階段付きの丸テーブルのような舞台が置かれ、回転したり奥へ引っ込んだりしながら、登場する人物を捌いていく。歌手たちには、とくに「演劇的」な激しい動きを要求することなく、動的な部分はドラマの本筋には登場しないダンサーたちが受け持つ。このことにより、歌手たちは歌に専念できるように工夫されていた。

 その歌の方だが、もともとが台詞の多い舞台劇であり、オペラ用に脚本を直してはいるが、それでも「言葉」が溢れてしまっている。『鹿鳴館』は、政治的葛藤を背景に持つ登場人物たちの愛憎劇のため、ストーリーを伝えるためにはどうしても台詞が多くなってしまう。しかも「政治とは」とか「壮士の乱入」とか、音で聞いても意味の捉えにくい言葉がたくさん出てくる(日本語上演なのに字幕があったのでかなり助かった)。その台詞のすべてを歌に置き換えているため、さらに聴き取りにくくなり、同時に「歌」にあまり馴染まない用語が頻出することになってしまう。もちろんこれはオペラの宿命ではあるのだろうが、普段、日本語のオペラを聴き慣れていない私たちにとって、かなり違和感を感じさせてしまうのではないか。極端なたとえになってしまうが、ジングシュピールのように物語を進行させる台詞と、心情を語る歌を分ける、というような工夫があっても良かったのではないか、と素人ながらに感じたものである。

 また、「言葉」が演劇的台詞であって「歌詞」になっていなかったようにも思えた。言葉のリズムやイントネーションが音楽のリズムや抑揚とうまく合致していない部分が多く、「私は○○で~」というように、センテンスの後半を音楽的に伸ばす傾向が多く見られ、「わ~た~し~は、○○で~」というように大きく歌謡的に歌う旋律に乏しく、聞きやすい、あるいは覚えやすい「歌」ではなかったようだ。長い台詞に無理矢理音楽を付けたという印象だ。もちろん、現代オペラは一般的にもそのような傾向が強いので、それでも良いといえば良いのだが…。

 一方、歌手たちの活躍ぶりはというと…。
 主演の腰越満美さんは、日本のオペラに数多く出演し、そちらの分野での活躍には目を見張るものがある。本作でも、第1幕・第2幕は和服と日本髪での出演であり、楚々とした風情と美貌で、抜群の存在感を打ち出していた。声のキレイなソプラノさんだけに、前述のような歌謡的な曲を多用してくれたなら、彼女の魅力ももっと発揮されていただろうと思う。やや不完全燃焼ぎみ。


朝子役の腰越満美さん(左)と清原役の宮本益光さん~会場で売っていたお土産の写真より

 男性陣の与那城敬さんと宮本益光さんらも、一所懸命やっているのはよく分かるのだが、なにしろ台詞(歌詞)が多く、長いので、歌うのに精一杯といった感じ。母国語なのに、けっして歌いやすそうには見えなかった。まあ、これは誰が演じても同じだろうとは思うが。

 おそらく、この『鹿鳴館』は成功したのだろうと思う。制作者たちの意気込みと、出演者たちの熱演はよく伝わってきた。興行的に見ても、完売状態だったのだから、中劇場とは言わずオペラパレスで上演してもよかっただろう。つまり関係者の間では、成功だったのだろうということだ。ただ、漠然と感じられたのは、聴衆との間に壁(あるいは溝)があったこと。期待度が高かった故の完売のわりには、聴衆の反応がいまひとつだった。カーテンコールでもBravo!の声はほとんどかからず、すぐに終わってしまった。いつもの新国立のオペラでは、あるいは二期会のオペラでも、カーテンコールは何回も続くのに。聴衆の素直な反応だろう。個人的な好き嫌いや考え方を差し引いても、私の受けた印象と、会場の皆さんの反応はあまり違わないようだ。
 世界初演とは、こんなものかもしれない。

 ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 6/23(水)ブダペスト祝祭管&神... | トップ | 6/26(土)山形交響楽団&飯森範... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

劇場でオペラ鑑賞」カテゴリの最新記事