Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

1/20(土)ミュージック・クロスロード/一柳 慧・山本和智・森 円花/3世代の作曲家による創造性に満ちた「未来音楽」

2018年01月20日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
神奈川芸術文化財団 芸術監督プロジェクト
「ミュージック・クロスロード」


2018年1月20日(土)14:00〜 神奈川県立音楽堂  指定席 4列(最前列) 18番 4,000円
指 揮:杉山洋一
チェロ:上野通明 *
ピアノ:一柳 慧 **
箏:平田紀子/寺井結子/中島裕康 ***
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
音楽監督:一柳 慧
空間監修:白井 晃
映像ディレクション:須藤崇規
【曲目】
森 円花:「音のアトリウムⅢ ~独奏チェロとオーケストラのための~」(2018)*
《アンコール》
 森 円花:ヴォカリース〜独奏チェロのための〜 *(世界初演)
一柳 慧:「ピアノ協奏曲 第6番《禅ーZEN》」(2016)**
山本和智:「3人の箏奏者と室内オーケストラのための『散乱系』」(2015/2017)***

 公益財団法人神奈川芸術文化財団が運営する神奈川県立音楽堂が主催する「芸術監督プロジェクト」。音楽監督を務めている一柳慧さんによる企画で、「今」の音楽シーンを創り出している3世代にわたる3人の作曲家の作品を採り上げる演奏会である。
 その3人の作曲家とは、今年で85歳になる一柳さんご自身と、42歳の山本和智さん、そして23歳の森 円花さんである。一見して異なる時代を生きてきたと分かる3世代の作曲家を選ぶことにより、異なる視点・異なる感性から描き出される「今」の音楽を一挙に演奏してみようという試みだ。いわゆる「現代音楽」のコンサートであり、音楽界における注目度は高く、専門性の高い聴衆が聴きに集まることになる。私などはかなり門外漢の方に入るとは思うが、現代音楽は決して嫌いではないし、年に数回は現代音楽だけのコンサートも聴きにいく、という程度に過ぎない。一緒に行った友人のYさんは一柳先生のファンだそうで、私などよりは現代音楽への造詣も深く、よく理解している。一方、私の方は今回抜擢された森 円花さんと知り合いで、過去にも桐朋学園の「作曲科展」で作品を聴いたこともあり、今回のコンサートは企画が発表された時点から注目していたものである。

 1曲目は、森 円花さん作曲の「音のアトリウムⅢ ~独奏チェロとオーケストラのための~」という曲。森さんは素晴らしい才能の持ち主で、若干20歳の時、2014年の「第83回日本音楽コンクール」の作曲部門(オーケストラ作品)で第2位を受賞した。その際の受賞曲が本作である。今回抜擢され再演が叶うことになったため、かねてより約束していたという盟友の上野通明さんをソリストに迎えることを前提に、作品に手を入れて「2018年版」とした。より高いクオリティとより強い伝達力を求めてのことだという。私は2014年のコンクールは作曲部門は聴いていなかったので、今回初めて聴くことになったわけだが、楽曲の構成がチェロ協奏曲のカタチになっていると知って、最前列のソリスト正面の席を取っておいた。開演前に森さんとお会いしてお話しを聞いたところによると、この席で正解だそうだ。上野さんの演奏も素晴らしいらしい。作曲家ご自身が言うのだから間違いないだろう。
 さて、演奏は上野さんの独奏チェロ、杉山洋一さんの指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団である。こういう場合、何しろこの曲も「2018年版」は初演なので、聴く側は私だけでなく皆が初めて。従って演奏云々はさておき、楽曲に関するレビューを中心にしていこう。


 曲はチェロの独奏から静かに始まる。いきなりフラジオレットや重音のグリッサンドなどの特殊奏法から入って来る。最初からチェロという楽器の表現の可能性を訴えるということだろうか。やがてチェロの背景に絡みつくようにオーケストラが多彩な打楽器と共に不協和な音楽空間を創っていく。チェロは無調であっても弓で弾く以上は原則重音しか出せないから、それなりに綺麗に響く。オーケストラ側は、自然界の音を拾い集めたような透明感のある不協和音に満ちているようにも聞こえるし、また視点をずらせば様々な楽器が創りだす音の饗宴ともいうべき純音楽的な流れと豊かさも感じさせる。チェロとオーケストラが複雑に絡み合い、または一体化して、鋭い感性の音楽世界が生み出されていくのである。ある意味では、チェロもオーケストラも音を出す道具なのかもしれない。チェロは高度な技巧や特殊奏法が繰り返され、限界まで抽象化された音楽を奏でる。私には、何かを表現しているのではなく、それ自体が音楽表現になっている純音楽に聞こえる。だからこそ、上野さんの演奏技術による表現力が重要な位置を占めていて、強烈で刺激的な演奏で発揮度が強い。人の強い意志が感じられ、存在感が抜群である。それによりオーケストラの創り出す、音が溢れて来るような感覚(こちらは自然な存在感)との対比がとても面白かった。
 音楽を言葉で説明するのはそもそも難しいのに、現代作品は一層難しい。おそらくは、森さんの作ったこの曲の世界観を百分の一も伝えられないでいると思うが、彼女の言葉でいうところの「カッコイイ」音楽であったことは私も間違いなく感じた。本日演奏された「音のアトリウムⅢ ~独奏チェロとオーケストラのための~」は、「2018年版」が完成形となるのかは作曲したご本人のみ知るところだろうが、とても良い曲だと思うので、今後も演奏される機会が設けられることを願う。現代のチェロ協奏曲としての魅力も満載されているので、どこかのオーケストラの定期演奏会などで是非採り上げて欲しい作品だと思う。

 さらに驚くべきことに、独奏チェロのためのアンコール曲が用意されていた。それももちろん森さんの作曲によるもので、「ヴォカリース〜独奏チェロのための〜」。世界初演である。ピツィカートの分散和音がギターのように鳴らされ、それがグリッサンドで変化するのが特徴的に繰り返される。中間部は弓で弾く、観念的な旋律が展開するが、「ヴォカリース」というだけあって人が歌うような感覚はある。どこか和風の旋法が含まれているような感じだ。現代曲には違いないが、難解なものでは決してなく、森さん流に「カッコイイ」音楽を目指しているようだ。


 2曲目は、一柳 慧さん作曲の「ピアノ協奏曲 第6番《禅ーZEN》」。2016年の作である。独奏ピアノも一柳さんご自身が演奏した。一柳さんはこれまでの5曲のピアノ協奏曲は鍵盤楽器としてピアノを捉えていたが、この第6番では初めて内部奏法を採用するなどして、完成形の楽器であるピアノの持つ可能性を極限まで追求しようとした前衛的な作品である。


 曲は、一柳さんがピアノの中に身体を突っ込むようにして、キキーッと弦を何かで擦る内部奏法から始まる。オーケストラが演奏を始めると、一見してピアノとはまったく関係なく、分厚い弦楽の和声が現代風でスマートな感じがする。再びピアノが登場すると、今度は異なる和音を不規則な遅いテンポで叩き出す。無音の間が高い緊張感を創り出し、ビアノと説く折加わる打楽器が強いアクセントとなる。ピアノの和音はペダル操作により開放弦から豊かな倍音が立ち上る。非常に面白い音感だ。
 再びオーケストラが動き出すとピアノが沈黙し、ピアノとオーケストラの関係性は薄い。幻想的な音楽ではあるが、そこには強い意志が感じられて、宗教哲学的なイメージが浮かんでくる。
 またピアノが登場すると今度は分散和音を印象主義のように煌めかせる。続けて演奏されてはいるが、曲相がいくつかの部分に分かれているようなので、多楽章形式ということかもしれない。やがてオーケストラが徐々に盛り上がって行き壮大なクライマックスを迎えると、全合奏のオーケストラの中から力強く即興的なピアノが飛び出してくる。エネルギー強烈に放射されるような迫力だ。
 最後の部分は、ピアノがまた特殊奏法が聴き慣れない音を作り出し、オーケストラも加わるが静かに曲が終わる。
 やはり全体を通じて、ピアノとオーケストラの関係性は薄く、ピアノとオーケストラが交互に出て来て、先鋭的な音楽を演奏する。ピアノには特殊奏法が多用されているが、とくに前衛的というほどでもなく、先鋭的でスリリングな曲だ。この曲も「カッコイイ」と感じた。

 25分間の休憩の間、聴衆は全員がホワイエに出されてしまい、その間にホール内に仕掛けが施されていった。
 3曲目は山本和智さん作曲の「3人の箏奏者と室内オーケストラのための『散乱系』」。この曲は2015年に京都フィルハーモニー室内合奏団の第200回定期演奏会のために作曲された実験的な現代曲である。作曲した山本さんも演奏会場に施す仕掛けが大掛かりなため、まず再演されることはないだろうと思っていたという。それが今回の「ミュージック・クロスロード」でめでたく再演されることになった。確かに、普通のコンサートでは難しいかもしれない。現代音楽のコンサートで、さらに現代の協奏曲の最前線を集めるという企画だからこそ、この前衛的で実験的な曲が再演され、聴衆を大いに驚かし喝采させることができたのであろう。


 ステージには、奥に横1列に室内オーケストラ(といっても各パートひとりずつくらい。ただし打楽器は多数)が並び、手前側に箏が6面置かれている。3名の奏者がそれぞれ1人2面を演奏することになる。そのうち1面は箏の糸(箏の弦は「糸」という/絹糸)がステージと平行の向き、すなわち普通に演奏する向きに置かれているが、もう1面は90度回転させて琴糸が客席の方に向かうように置かれている。それらが3組あるわけだ。
 その後者の3面の箏から、箏糸を長く伸ばしてホールの客席側に向かってホールの空間に張り巡らされている。それぞれの箏糸の途中には使い捨ての透明プラスチックのコップが無数に取り付けてあって、要するに「糸電話」の原理になっている。ステージで箏を演奏すると、その振動が伝わって、ホールの空間のあちらこちらでコップが音源になり、箏の音が増幅されるようにホール全体に音が満ちていく。なるほど、これがこの曲のタイトルになっている「散乱系」ということなのか。これまでまったく体験したことのない、ホール全体の文字通り音が散乱する不思議な音感なのである。箏の音は当然ステージの方から聞こえて来るわけだが、その残響のような音がホールの空間の中に無数に浮かんでいるコップから発せられる。多チャンネルのサラウンドに近い聞こえ方か。しかしこれはすべてナマの音。琴の音を超アナログな原理で散乱させているだけで、電気的な増幅も拡散もないのである。
 山本さんが言うには、宮沢賢治の『春と修羅』の中の文言に「散乱計」という言葉があって、空から音が降ってくるような本作のイメージと合うと思ったということである。
 この仕掛けの印象が強烈であったせいか、肝心の楽曲についてはあまり覚えていない。というよりは覚えにくい現代風の曲なので・・・・。形式的には、打楽器系が多彩で最小限の室内オーケストラと6面の箏のための協奏曲になっている。現代風の語り口は、箏が主役になるため和風のテイストを感じさせる。箏についてはほとんど知らないのでよくは分からないが、ここでは西洋音楽の手法で箏のパートも書かれているように感じた。3名の奏者は、通常はステージと平行に置かれた箏を演奏し、オーケストラとの協奏となるが、時々座席を移動して縦方向の箏を引き出すと、伸ばされた琴糸と無数のコップがらホール全体に音が「散乱」する。そうなると完全に異次元の音楽世界が拡がって行くのである。何だかいつまでもこの空間に漂っていたような気分にさせられた。

 終演後、ホワイエにて本日演奏された作品を作曲した3名の作曲家と、演奏を指揮した杉山洋一さん(現代音楽の指揮経験が豊富で、作曲家でもある)を交えて「ポストトーク」があった。それぞれの方が作品について語ってくれた。現代音楽の良いところは、作曲家が存命で現在進行形であるため、作品の趣旨(言いたいこと)が明瞭になるということだ。だから演奏する側にも直接作曲家から伝えられるわけだし、リハーサルなどを通じても作曲家の意志が演奏にダイレクトに反映される。その点は過去の古典作品を演奏する「クラシック音楽」と明確に違う点だろう。その意味では、偉大なる作曲家たちが残した歴史に残るような作品も、初演当時は「現代音楽」だったわけだから、今日のような演奏会は、リアルタイムの音楽を体感できる貴重な機会なのだと思う。


 終演後にも森さんとお話しする機会があった。もちろん素晴らしい作品のはBravo!を贈りたい。その上で、彼女たちのような若い作曲家が、作品を発表したり、演奏される機会がもっともっと多くするためには、私たち聴く側ももう少し現代音楽に対して積極的にならなければ、と思う。今日、森さんの作品を聴いて改めて感じたのだが、今日の上野さんのように、演奏が巧いことも作品の魅力を高める要因になる。演奏が巧いと、難解な曲であっても伝わってくるものが多いのだ。その辺にヒントがありそうな気がするのだが・・・・。



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